2010/8/31
麗しのベルトモリゾ



八王子、八王子みなみ野担当の大谷です。

やって来ました無念の六回目 さて何書くか・・・。

かつて丸の内の一等地にジョサイヤコンドルがおっ建てた英国式の三菱のオフィスビルが美術館として復刻。
記念すべき第一回は時代の寵児 エドゥワールマネ展。
麗しの【すみれの花束をつけたベルトモリゾ】も来日。
すごく逢いたかったよ。逢いにいくしかない。Baby!ロッケンロール!いざ丸の内へ。

建物は煉瓦造りで異国情緒たっぷり。煉瓦を手作業で積み重ねただけあって
造りもしっかり狼なんか怖くない。安心しきって作品展へ。

マネと言えば【草上の昼食】や【オランピア】などのスキャンダラスな絵画が
思い浮かびますが、アカデミックなサロンにひたすらこだわったこの男。
そんな作品を世に問えば画家として生命も断たれるかもしれないはずなのにあえて権威に逆らいます。
逆らったうえに自分の価値を認めさせようと一生かけていきます。

「サロンこそ世間に問いかける場」
ウ゛ェラスケスに憧れた作風は日常 風俗 静物 歴史 肖像 裸婦 風景と多岐に渡ります。
時代は第二帝政 ナポレオン三世とオスマン男爵にもよる巴里大改造 普仏戦争 第三共和制 パリ
コミューン 事実 巴里防衛戦にも参加します。
ときは印象派 印象派を認め多数の画家たちに慕われつつも印象派には属しません。
マネの画家としてのこだわりと矜持がそれを許さなかったのでしょうか。

冒頭の作品【すみれの花束をつけたベルトモリゾ】主役のベルトモリゾ、
彼女はマネのモデルとしてたびたび登場します。
彼女自身女流画家でもありますが、印象派展に作品を出したことにより関係は途絶えてしまいます。
マネの矜持が許さなかったのでしょう。
その後 彼女はなんとマネの弟と結婚します。
二人の関係は謎ですが絵の中から深い関係性を感じるのは我が輩だけだろうか。

この絵を見た詩人ポール ウ゛ァレリーは叫ぶ。
「ここにあるのは圧倒的な黒だ!」
黒は色であるとマチスもルオーも叫んでいましたが黒の圧倒的な存在感。
誰もマネ(真似)できない(汗)。
傑作【フォリーベルジェールのバー】でサロンに二度目の入選を果たす。
初入選から20年の時を経て・・・まさに執念 いや怨念!

親友の詩人ボードレールは言います。「画家は時代を映し出す鏡でなければならない」
梅毒が悪化して脚が壊疽になったマネは脚を切断します。その後すぐに亡くなります。
自ら歩いて巴里の街を、そして時代を切り取ることが出来なくなった画家はもう死ぬしかなかった・・・享年51。
果たして我が輩はマネを理解出来たのであろうか? 次回がないことを祈りつつ・・・。