2012/5/20
インディアンレッドの地の壁画



八王子 八王子みなみ野担当の大谷です なし崩し的にやって来ました十二回目 さて何書くか・・・

生誕百年を記念してアメリカが生んだ芸術家ジャクソン・ポロック大回顧展 評価額200億円【インディアンレッドの地の壁画】も初上陸 反米愛国 I'm so bored with the USA! いざ桜枚散る竹橋へ。

「彼はアメリカに現存する最も偉大な画家の一人か?」「これは絵なのか?」ライフ誌上にて特集とともに載せられた痛烈なる批判 20世紀が生んだ怪物ピカソを越えるため 彼がしたことは何だったのか。

ポロックの一家は農場経営を夢見て転々とアメリカの大地を彷徨し続ける まるで怒りの葡萄の世界 スタインベックならば その枯れた大地に舞う砂埃さえ鋭く描写し 人間が貧困の大地に絶望せずに生き抜くことがいかに困難であるかを教えてくれるだろう 。
18歳になったポロックが画家を目指しニューヨークに転居 絵の勉強とともに制作に励む。
ピカソやミロを崇拝し キュビズムやシュールレアリズムに傾倒。
しかし ある日 ピカソの画集を床に投げつけ「くそっ! あいつが全部やっちまった!」どんなに絵を描いても乗り越えられない20世紀の怪物 。
絵は売れず次第にアルコールに溺れていく。
しかし結婚を契機にニューヨークを離れ 田舎町に納屋を改装したアトリエを構える。
アルコールを断ち 生活を取り戻した彼は猛烈に画業に専念する。
そこで彼はついに絵画に革命を起こす。
キャンバスを床に叩きつけ 筆をキャンバスから解き放つ。
使う具材は何とペンキ!? 具象は一切消え 後にアクション・ペインティングと言われる抽象絵画へ変貌する。
この瞬間 芸術の都はパリからニューヨークへ 画家を 夢見て20年の歳月が経っていた・・・。
ポーリング(流し込み) ドリッピング(滴らす) スパタリング(撒き散らす)。
これを見て衝撃を受けた画家ウィレム・デ・クーニングは「ジャクソンが口火を切った」と賛辞を送り 批評家クレメント・グリーンバーグは「ジャクソンは醜く見えることを恐れない。
深い独創性を持った芸術はいつでも最初は醜く見えるものだ」と評価する。
ピカソを越えたとまで言われた絶頂期に描いたのが冒頭の【インディアンレッドの地の壁画】インディアンの砂絵にインスパイアされたとも言われ シュールレアリズムのオートマティズム(自動書記法)を駆使する「絵の中にいるときは意識していない 知り合う時間を過ごした後 はじめて自分のしていることを理解する」。
まるで呪術 縄文文化そのもの(驚き)。
しかし アバンギャルドならではの反発も受ける 。
「組織的に構成もない 初期的に見てもテクニックがない やはりカオスだ!」「子供でも描ける」「カオスだ くそったれ!」 言われたポロックもやり返す。
「カオスなんかじゃない くそったれ!」なんてパンクなやり取りでしょうか・・・。

こんなやり取りの中 9割方否定の声に売れない絵。 不安になった彼は再びアルコールに依存していく。
作品の色は急速に失われてブラック・ペインティングへ さらに消え去ったはずの具象まで現れる これにはかつて最高の賛辞を送った批評家クレメント・グリーンバーグにも「ポロックは退行している」とまで言われてしまう。
絵画に革命を起こした男は自己反復 同じことが出来ないという矛盾に陥る。
画家でもあり妻でもあったリー・クラズナーは言います。「彼は自分の言ったことを覆すことになる そんなことが出来ましょうか?」 さ迷う心 彷徨する魂。

運命の日 1956年8月11日 酒に酔ったポロックは自宅付近で横転事故を起こす。 即死 享年44歳 翌朝の新聞には冷ややかに事故現場の写真が載る。
タイヤのホイール 右足の靴 そしてビールの空き缶・・・ 自殺とまで噂された死。
しかし 前日のポロックはこう叫んでいた・・・「俺は画家なんだ! 今すぐにでも制作しなくちゃならないんだ!」。
後にポロックの作品【ワン ナンバー31 1950】はニューヨーク近代美術館で史上最高額165億円で取引される。

果たして我が輩はポロックを理解出来たのであろうか? 次回がないことを祈りつつ・・・。