2013/12/11
明日の神話




八王子 八王子みなみ野担当の大谷です。 やって来ました十七回目。 気付いたら もう年の暮れ。 そこで一句、 首くくる縄切れもなし年の暮れ。 さて何書くか・・・

古い話になりますが生誕百年を記念して岡本太郎大回顧展 芸術は爆発だ! いざ近美へ。

いきなり入り口には 彫刻の【Non】作品の意味は否定を意味する、たった一人だけでも、ノンという時代に逆らう人間がいないといけない・・・覚悟のない人間には入ることさえ受入れない展示。
まさにそれはタロウ自身の人生からくるものでもあった。
芸術一家に育ったタロウは小さい頃から一人の人間として扱われ 強烈な個性を育んでいく。
対極主義と呼ばれる彼の思想と哲学は媚びること 妥協することを許さない。 既成のイデオロギーや様式に安住せずあらゆる対極的な概念を矛盾のままにぶつける。 前に進むためにはその矛盾から生まれる絶望と緊張を拠り所にするしかないという芸術観だ。
若い頃に渡仏。 そこで出会ったピカソの絵 自分の目指す道に迷っていたタロウは衝撃を受けます。
しかしピカソの絵を模倣せずに乗り越えようとします。
彼はこう言います。「私は繰り返して云う。ピカソが今日我々をゆり動かす最も巨大な存在であり、その一挙一動が直ちに、歓喜・絶望・不安である。 ならばこそ、敢えて彼に挑み否定し去らなければならないのだ。ピカソに挑み、乗り越えることがわれわれの直面する課題である。 われわれにとってももっとも偉大であり、太陽のごとき存在であればこそ、かえって神棚からひきずり落とし、堂々と挑まなければならないのだ。
芸術家は対決によって新しい創造の場を掴みとるのだ」
抽象画のアプストラクシオン・クレアシオン協会に認められる画家になります。
しかし具象は一切排除するという抽象絵画の規範が窮屈なものに思えてきて【痛ましき腕】を描きます。抽象と具象が融合した傑作です。
まさに対極主義・・・その作品がアンドレ・ブルトンの目に留まりシュルレアリストと交流が始まります。
しかしタロウは その最中 あっさり筆を置きマルセル・モースに師事し民族学に没頭し始めます。
何故 画家を目指すはずなのに民族学を学ぶのか? 後年 タロウはこう言います。 「職業は人間だ!」
専門分野に固執し職人になることを拒否することを意味する。 芸術は手段であって目的ではないのだ・・・
さらに独軍が迫り来るパリ 時代のうねりが全てを飲み込むとき ジョルジュ・バタイユの思想に共鳴し 政治組織(神聖社会学研究会)に身を投じる。
バタイユは厳選されたメンバーだけでアセファル(無頭人)という秘密結社を作ります。
シンボルマークは首を切断されて両腕を広げた男だ。 バタイユ自身 生け贄として首を切断することを望んだそうですが もちろん止められたそうです(汗)。

パリから戻り 兵役と抑留を経たタロウは「絵画の石器時代は終わった」そう言い放ち わび さび 渋みの日本美術に自らの芸術論をぶつけて喧嘩を売ります。
まさに対極主義・・・ 「人間は生きる瞬間、瞬間、自分の進んでいく道を選ぶ。そのとき、いつでも、まずいと判断するほう、危険なほうに掛けることだ。
極端ないい方をすれば、己れを滅びに導く、というより死に直面させるような方向、黒い道を選ぶのだ。
逆接のようだが、しかし、これは信念であり、私の生き方のスジである」 万博のテーマ展示プロデューサーを任されたときにも 元々 決まっていたテーマ【人類の進歩と調和】に対し「人類は進歩なんかしてない なにが進歩だ。
縄文土器の凄さを見ろ。ラスコーの壁画だって、ツタンカーメンだって、いまの人間に作れるか! 調和と言うが、みんなが少しずつ自分を殺して、頭下げあって、こっちも六分、相手も六分どおり。それで馴れあってる調和なんて卑しい。ガンガンとフェアに相手とぶつかりあって、闘って、そこに生まれるのが本当の調和なんだ。
まず闘わなければ調和は生まれない!」と批判。
モダニズム建築の極み 丹下健三の30メートルの建築に穴を開け 70メートルの【太陽の搭】を建ててしまいます まさに対極主義・・・

そしてタロウ自身が語る「芸術は爆発だ!」の意味 少し長いですが引用します。
「全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが爆発だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちの本当のあり方だ。子供の頃から私は自分の胸の奥深いところに神聖な火が燃えているという、動かし難い感覚を持っていた。それは誰にも冒させることのできない、絶対的な存在感なのだ。
しかし、現実には、幼い私は非力であり、学校でも、近所隣りでも、理不尽で不当な力が常にそれをおびやかし、押しつぶそうとした。ゆずることの出来ないものだから、しがみついて、頑張る。それはみんなに理解されない孤独で絶望的な闘いだった。
思いつめ、息苦しさをまぎらわそうとして映画館に入ったこともある。いまでもまざまざとその感覚がよみがえってくるが、暗い中でじいっと座席に身を沈めた。スクリーンに明滅するさまざまな映像。ぼくはそんなドラマを目を伏せてしりぞけた。胸をおさえて、自分の身のうち奥深いところに無言で燃えている炎だけを見すえ、 抱きしめた。ある時、パッと目の前がひらけた。
・・・そうだ。おれは神聖な火炎を大事にして、まもろうとしている。大事にするから、弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。自分自身を突きとばせばいいのだ。
炎はその瞬間に燃え上がり、あとは無。爆発するんだ!」 あんな短いフレーズにこんなにも意味があったのか(驚き) タロウは続けて言います。
「強烈に生きることは常に死を前提にしている。死という最もきびしい運命と直面して、はじめていのちが奮い立つのだ。
死はただ生理的な終焉ではなく、日常生活の中に瞬間瞬間にたちあらわれるものだ。 この世の中で自分を純粋に貫こうとしたら、生きがいに賭けようとすれば、必ず絶望的な危険をともなう。そのとき死が現前するのだ。惰性的にすごせば死の危機感は遠ざかる。しかし空しい。死を畏れて引っ込んでしまっては、生きがいはなくなるのだ」 まさに武士道 一日一死・・・

そんな彼を支え 秘書でもあり 愛し合っていたのに何故か養女になった岡本敏子は言います。
「みんな先生のことをスーパーマンのように思ってるみたいだけど、冗談じゃない。決意して、覚悟して、岡本太郎になったの。太郎さんだって、ほんとうは弱い、普通の男の子。だけど、歯を食いしばって、最後まで岡本太郎をやり通した。きっと辛かったと思う。
でも、けっして弱音を吐かなかったし、それを誰にも見せなかった。そこがすごい。だから愛おしい・・・」

タロウ没後 壁画の本場 メキシコで不明になっていた長さ30メートルの大壁画 岡本太郎作品【明日の神話】は2004年に発見され修復を終了し 敏子さんのおかげで京王井の頭線渋谷駅の連絡通路に恒久設置された。
芸術はピープルのものだというタロウの希望通りのものになった。
しかし彼が残した芸術作品は彼という人間そのものだったように思う・・・「孤独であって充実しているのが人間だ」 それはまさにタロウそのもの・・・その放つ言葉の数々も・・・

果たして我が輩はタロウを理解出来たのであろうか? 次回がないことを祈りつつ・・・。