2016/9/26
【洗礼者ヨハネ】


八王子 八王子みなみ野担当の大谷です。 やって来ました二十七回目 夏が過ぎれば思い出す。 金銀ザクザク オリンピック。 下品な表現だ。 さて何書くか・・・

日伊国交150年を記念してミケランジェロ・メリージ・ダ・カラバッジョ大回顧展。 400年間行方知れずで 2014年に発見され話題を呼んだ【法悦のマグダラのマリア】なんと世界初公開。 6年前のボルゲーゼ美術館展でのカラバッジョ最高傑作【洗礼者ヨハネ】も併せて再考したい。 こんな機会は滅多にない。いざ上野へ。

漆黒の闇にドラマチックな光源、 その写実で宗教画に革命を起こし、 カラバジェスキと呼ばれる追従者を産み出した。 後にルーベンスやラ・トゥール、 ベラスケス、 レンブラント、 フェルメールなどにも影響を与えるバロック絵画の天才はどんな人物だったのか・・・

イタリアはミラノ ペストの猛威が襲い 近くのカラバッジョ村に移り住みます。 しかし間に合わず 家族を早くに亡くします。 再びミラノで修行をつみ 24歳になりローマに移る。 当時のローマは カトリックが勢力維持のため 異端裁判をもってして異教徒(プロテスタント)に対して弾圧の嵐、 首吊り、 首切り、 火あぶりのオンパレード。 しかも公開(汗) その勢力拡大のため 新しい宗教画が求められた時代 それまでの宗教画は ルネッサンス以来 理想化された美のみを求め 現実から離れたものになっていました。 その才能と技術を買われたカラバッジョ 枢機卿フランチェスコ・デル・モンテの庇護のもと その才能を遺憾なく発揮。 その写実でイエスや使徒の世界を現実の人間世界に一気に引き戻します。 ドラマの一場面を見ているようでいて まるで その場にいるような生々しい迫力 初めて見た人達は息を飲んだことでしょう。

名声を上げたカラバッジョの生活は二週間を絵画制作に費やすとその後1ヶ月から2ヶ月間 召使いを引き連れて剣を腰に下げながら町を練り歩くという 舞踏会や居酒屋を渡り歩いて喧嘩や口論に明け暮れる日々。 そのためカラバッジョとうまく付き合うことのできる友人はほとんどいなかったという(涙) 素行の悪さは逮捕記録 警察調書 裁判記録として20近くも残っています。 例えば 剣の不法所持(夜間に許可された者以外は所持してはいけない)をして逮捕、 剣により加害行為、 または居酒屋にての暴力行為 ちなみに内容は カラバッジョが出された料理に対して バターを使ったものかオリーブオイルを使ったものかを給仕に尋ねると「匂いを嗅げば分かるだろう」の返答に激高し、 皿まで投げ付けたという。 かなり気が短い その気の短さが災いして 遂に事件を起こす。 愛人だった高級娼婦の元締めと賭けテニスの末 決闘し相手を刺殺する。 ローマ教皇の裁定は死刑、 しかも見つけ次第、 殺してもいいという内容、 今のフィリピンみたいだ(汗)

知り合いを頼りながらの4年に渡る逃亡生活が始まります。 ナポリからマルタ さらにシチリア その間 身を隠しながらも絵の制作は続けていきます。 ローマ教皇に恩赦を頼むため マルタ島にてローマ教皇の信頼厚いマルタ騎士団(武装した修道士)に絵を献上して入団。 しかし 騎士になって1ヶ月 同僚の騎士に対して重症を負わせる事件を起こす。 シチリア島に逃げます。 騎士団により報復の刺客が放たれ ナボリに戻ったところで襲われ 半死半生 顔の形がわからないほどの被害だったいう・・・。

九死に一生を得たカラバッジョについに恩赦の知らせが入る。 やはりカトリック勢力拡大のため その絵画の技量が惜しまれたのか 教皇パウルス5世が恩赦の見返りとして要求したものはカラバッジョに最高の絵を献上させることでした。 仲介役の枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼへ送る作品は三点 【法悦のマグダラのマリア】と【洗礼者ヨハネ】(もう一点は現在行方知れず) 絵を船に載せローマに向かう。 しかし途中で寄港した町で誤認逮捕され拘留。 なんと その間に大事な絵を載せた船は出発してしまう。 船を必死に追いかけるカラバッジョ 熱砂の海岸を歩いて数百キロ ついに力尽き 見知らぬ土地にて熱病にかかり客死 享年38歳。

冒頭の【法悦のマグダラのマリア】娼婦の身でありながら イエスがローマ軍に捕らえられたとき 他の弟子たちが逃げ出す中 イエスに従い その死と復活を見届けた女性だ。 そのマリアが洞窟に籠り 祈りと信仰により神と結ばれ悦に入る 恍惚のあまりに涙を流すという劇的な構図 宗教画としては感動の一場面 傍らにはマグダラのマリアの特徴である香油壺とドクロ しかし顔は青白く 唇は紫色 頬に伝う涙はあまりにも悲哀に満ちている 死を予感させる・・・。神との対話を拒否され 打ちひしがれるカラバッジョの心にも見える・・・ 。そして【洗礼者ヨハネ】イエスに洗礼を授ける者、 後にヘロデ王に斬首されるユダヤの預言者(神の言葉を預かる者) オスカー・ワイルドの戯曲でも有名だ。 その首は皿に載せられ 娘のサロメに捧げられ その口に接吻されるという運命・・・。 未来を知らず 羊に寄り添う若き日のヨハネ 純真無垢な姿は息づかいさえ感じ、 まるで生きているかのように見える。 カラバッジョの霊魂がそこにあると感じてしまうほどだ・・・。かつてイエスと弟子たちは 祈りと信仰により直接神と結ばれていた時代 改心(悔い改める)ではなく回心(人の方を見るのではなく天の方を見る)。


大いなるものに目を向けなければいけないときに 教会や牧師が関所のように立ちはだかり それを阻んでいる。 カラバッジョは殉教する聖者たちを多く描いてきた。 しかしカラバッジョの時代にも異教徒として処刑される殉教者たち 時代が代わっても繰り返されている。 誰のための信仰なのか 矛盾に満ちた欺瞞の世界にカラバッジョ自身 自己を喪失しているようにも見える・・・。与えられた才能に溺れ 権力に利用され 大いなるものの存在を知りながら矛盾を抱えて生活を乱す。 その無垢な魂を汚していく・・・。才能が自己の幸福には繋がらなかった人生 神との対話を拒否された男は最後に何を遺したかったのか・・・。ある日 小さい村の教会で カラバッジョは聖水をつければ罪は浄められると薦められたが こう言って断ったという 「必要ない 私の罪は死に値する・・・」。

善人なほもつて往生をとぐ いはんや悪人をや

ちなみにユーロ導入前 イタリアの高額紙幣10万リラはカラバッジョだった。 イタリア人はカラバッジョが好きらしい。 時を経て彼は往生を遂げたのだろうか・・・。

果たして我が輩はカラバッジョを理解出来たのであろうか? 次回がないことを祈りつつ・・・。