2017/8/10
【鰯】


八王子 八王子みなみ野担当の大谷です。 やって来ました三十回目。 どこから来るのでも どこに行くのでもない。 「あと」もなく 「まえ」もない。 私は あなたを抱きしめる。 私は あなたを自由に解き放つ。 私は いつも あなたの中にいて あなたは いつも 私の中にいるから・・・さて何書くか・・・。


古い話しですが グスタボ・イソエこと磯江毅 知り合いにその存在を紹介されたときには 巻貝の一種かと思いました・・・(汗)。 亡くなってから初の本格回顧展 リアリズム絵画 写実の極み イソエの特徴のモノクロームの写実はどのようにして生まれたのか。 写実とは果ての無い問いであるという・・・裸婦の傑作【深い眠り】 絶筆の最高傑作【鰯】も勿論登場 散歩がてらに いざ 練馬へ。


1954年 大阪生まれ。 大阪の工芸高校卒業後に既存の美術学校には進まず シベリア鉄道でヨーロッパに入り 単身スペインのマドリッドへ。 以後30年この地で研鑽を積むことになります。 デッサン研究所でスペイン伝統のデッサン マンチャ(木炭で描く)にて腕を磨く。 美術学校にも通うが抽象絵画や観念主義優先の授業に背を向け プラド美術館にて模写を繰り返す日々。 北方ルネッサンスのデューラーやスペインのベラスケス フランドル派のロヒール・バン・デル・ウエイデンのタッチを独学で学ぶ。 スペインの公募点にて受賞を重ね さらにスペイン最大のコンクールにて優勝 35歳にて「14人のリアリズムの巨匠」 ロペス ナランホ フランケロなどと並んで選出。 スペインの写実絵画の画家たちも かつてスペインにはなかった精緻な写実。 その色彩と質感表現を評価する。 なぜ写実絵画を描くのか? その問いに対して「日本人にとって日本語が母国語であるように 私にとって写実的方法でしか自己を表現できなかった」。 さらに写実に対しては「例えば 対象になる瓶の冷たさ 瓶の重さ 瓶が持つ質 瓶の 持つ性格 存在感 それを包み込む空間すべてを尊重し 写し出すことに没頭する。 自分が見ているものと同じだけの質と量を画面の中に再現すること」「写実は出発点であって最終目的ではない 写実を極めることは写実でなくなる」「見つめれば見つめるほど 物の存在が切実に写り 超現実まで見えてくる そこまで実感し 感動を起こす精神の存在をもってして実を写せる 習い覚えたテクニックだけに頼って機械的に描かれた画面に実が宿るはずがない」「表現するのは自分ではなく 対象そのもの 空間と物の存在の中から摂理を見出すことが自分の仕事です」。 静物画に使う果物が朽ち落ちたとしても テープで同じ場所に張り付け 何度も描き直したという(驚き)。


41歳 【深い眠り】 色彩はなく ほとんどを鉛筆で描き それに墨とアクリルを加える。 背景は深い黒になり ソフアに横たわる裸婦は まるで宇宙に浮いているかのように見えます。 肌の染み 毛穴 皺までも描くリアリズムなのに モノクロームのためなのか生死を越えた存在として尊厳まで感じさせます。 鍛え上げられたデッサンのみで描いていると言っても過言ではない。 これは写実の水墨画(精神を描く)であろう。 デッサンは モチーフの最も忠実な形を写し出し 真実をも写し出すということなのか・・・。


日本の美術学校 エリートコースを歩まなかったにもかかわらず 40代にて東京芸術大学の非常勤講師 広島市立大学 芸術学部教授に迎えられる。 しかし 48歳にて 癌が見つかる・・・(涙)。 その時から画風が変わります。 水平の台の上に1枚の皿を置き さらにその上にモチーフを置く。 真上から対象を捉え 俯瞰した視点で描く。 ヨーロッパ絵画の基本の遠近法や陰影法にとらわれないフラットな構図は イソエ独自の絵画を手にしたともいえます。 53歳 絶筆【鰯】。 皿の縁が描く円は 禅画の円相図(己の心を映す窓)にも似て とても東洋的でもあります 皿の上には 食べられて頭と骨だけになった魚の鰯。 あとは朽ちるか棄てられるかだけの存在。 現実のモチーフは決して綺麗なものではなく 悪く言えば汚く醜いものでもあります。 しかし イソエの手を通すとなんとも美しい・・・ 生きものが必ず抱え込む生死。 それに対する諦観。 現実でもなく 幻想でもない 神秘的なもの。 そこに威厳と崇高なものを見出さずにはいられなくなる・・・イソエは亡くなる10日前 奥様の幸江夫人に 「写実とは外観を似せて描くので はなく 何故そこに存在するのか? 見て見つめて見極める 突き詰めれば なぜ 私はここにいるのかという果ての無い問いのようなものを課して生きてきた。 しかし 死が近づいて来て それから解放された 解放されたから死が近づいて来たのかはわからない。 しかし 解放され 自由になり これから本当の自分の絵が描けるというのに・・・無念に思うと・・・」。


この作品の3ヶ月後 呼吸不全にて逝く。


生きることに真摯で 全力で 本気だった人間 そんな人間が亡くなったときの喪失感は計り知れない。 残された者は それでもいつも通りの日常を生きなくてはならないのだ・・・ 釈一行(ティク・ナット・ハン)の言葉。 No birth No death (生も死もない)・・・ すべての生き物は死なない 姿を代えて生きている・・・諸法無我


形が失われても存在する 側にいる・・・


精神は残る


長い旅・・・


果たして我が輩は イソエを理解出来たのであろうか? 次回があることは素晴らしいことでもある・・・。