2018/4/5
【ゴルゴダ】



八王子 高尾担当の大谷です。 やって来ました三十二回目 オラショ アニマ クルス テンタサン さて何書くか・・・

古い話ですが、美術館30周年企画 彫刻家 船越保武大回顧展。 実際 見て知っている作品といえば小さい頃 婆っちゃんと見た田沢湖のたつ子くらいなもんだった。 情けない。(汗)
船越といえば長崎市の西坂公園にあるブロンズの【日本二十六聖人殉教記念碑】が有名だ (もちろんレプリカ及びデッサンのみ) 。
【原の城】【ダミアン神父】晩年の傑作【ゴルゴダ】などなど・・・。
遠藤周作の【沈黙】も刊行から50年、20か国以上に翻訳され、さらにマーチン・スコセッシが構想から27年の歳月をかけて作った映画も公開。
あわせて考察したい いざ、船越のアトリエがあった練馬へ。

船越保武は大正元年 岩手県生まれ、父親は熱心なカトリック信者、母親を早くに亡くし後妻に育てられる(後に自決)。
高村光太郎訳のロダンの言葉を読んで感動、東京美術学校彫刻科に入学し彫刻家を目指す。佐藤忠良と親交を結ぶ。長男が生まれたがすぐに亡くなる。
親友の洋画家 フルポンこと松本竣介が夭折。この悲しみを切っ掛けに自らも家族と共にカトリックの洗礼を受ける。
このときからキリスト教の作品が多くなる。
【日本二十六聖人殉教記念碑】豊臣秀吉のキリスト教弾圧の時代、信仰を棄てなかった日本人信徒と外国人宣教師26人が長崎の西坂公園の場所で殉教した。
最年少は12歳 十字架に架けられ槍で突かれ処刑、最後まで祈りの唄を口にしていたという。
それから後も踏絵により棄教しない者は火あぶりに・・・(この作品は横から見るとすごいです)。

【沈黙】 江戸時代キリスト教禁制下で 島原の乱が鎮圧されてから間もない頃、長崎からローマへ届けられた1通の知らせから始まります・・・。
ローマ教会に一つの報告がもたらされた。
ポルトガルのイエズス会が日本に派遣していたクリストバン・フェレイラ教父。長崎で「穴吊り」の拷問をうけ、棄教を誓ったという。
この教父は日本にいること二十数年、地区長という最高の重職にあり、司祭と信徒を統率してきた長老である。
彼はなぜ信仰を棄てたのか? 主人公のセバスチャン・ロドリゴは真相究明のため日本に渡る・・・。

日本人の殉教者は名前がわかるだけでも数千人といわれていました。
ロドリゴは身を隠しながら村人の信仰を守る活動していたが、そんな中 村人モキチとイチゾウは踏絵を踏まなかったため処刑されます。
海に立てられた十字架に括られ、塩が満ちるごとに水に埋もれるという拷問でした。
彼等は祈りの唄を歌い続けました。引き潮になったあと 二人の括られた杭だけがはるかにぽつんと突っ立っていました。
もう杭と人間との区別もつかない。まるでモキチもイチゾウも杭にへばりついて杭そのものになってしまったようでした。
ただ 彼等が生きているということはモキチらしい暗い呻き声が聞こえてくるからわかりました・・・。

衰弱死。殉教でした。しかし何という殉教でしょう。
私は長い間 聖人伝に書かれたような殉教を たとえばその人たちの魂が天に帰る時 空に栄光の光がみち 天使がラッパを吹くような輝かしい殉教を夢みすぎました。
だが 今 あなたにこうして報告している日本信徒の殉教はそのように輝かしいものではなく、こんなにみじめでこんなに辛いものだったのです。
ああ 雨は小やみなく海にふりつづく、そして 海は彼等を殺したあと、ただ不気味に押し黙っている・・・。
村人の殉教を目の当たりにしたロドリゴは孤独と恐怖の中 山を彷徨い続けます。
救いを求めますが神は沈黙を続けます (しかし 万一・・・もちろん万一だが) 胸の深い部分で別の声がその時 囁きました (万一 神がいなかったならば・・・) 。
これは恐ろしい想像でした。彼がいなかったならば 何という滑稽なことだ。
もし そうなら杭にくくられ 波に洗われたモキチやイチゾウの人生はなんという滑稽な劇だったか。
多くの海をわたり 三ヵ年の歳月を要してこの国にたどりついた宣教師たちはなんという滑稽な幻影を見つづけたのか。そして今この人影のない山中を放浪している自分は何という行為を行っているのか。

弾圧を恐れ 山を彷徨うロドリゴ。その前にキリスト教徒のキチジローが現れます。キチジローは役人の脅しを受けるとすぐに踏絵を踏むような人間でした。
兄妹たちは踏絵を踏まなかったため火あぶりにされます。そしてキチジローは役人に脅され 銀三百枚と引き換えに司祭パードレと慕っていたロドリゴを売り渡します・・・「パードレ ゆるしてつかわさい」 キチジローは地面に跪いたまま 泣くように叫びました。
「わしは弱か わしはモキチやイチゾウのように 強か者にはなりきりまっせん」。
男たちの腕が私の体を掴み 地面から立たせました。
その一人が幾つかの小さな銀をまだ跪いているキチジローの鼻先に蔑むように投げつけました。
ロドリゴは役人に捕まり奉行所に連行されます。
基督がユダに売られたように 自分もキチジローに売られ基督と同じように自分も今 地上の権力者から裁かれようとしている。
あの人と自分とが似た運命を分ちあっているという感覚はこの雨の夜。うずくような悦びで司祭の胸をしめつける。それは基督教徒たちが味わえる神の子との連帯の悦びだった。

牢に入れられたロドリゴは闇の中から聞こえてくる呻き声に悩まされます。そこにかつての師 フェレイラが現れます。
呻き声は穴に吊るされた信徒のものだと告げ 自らの経験を語り始めます。
「わしが転んだのはではない。いいか 聞きなさい。ここに入れられ 耳にしたあの声に 神が何ひとつ なさらなかったからだ。わしは必死で神に祈ったが 神は何もしなかったからだ。」 「お前は祈るがいい。 あの信徒たちは今 お前などが知らぬ耐えがたい苦痛を味わっているのだ。 昨日から さっきも 今 この時も・・・なぜ彼等があそこまで苦しまねばならぬのか。 それなのにお前は何もしてやれぬ 神も何もせぬではないか。」 司祭は狂ったように首をふり両耳に指をいれた。
取り乱すロドリゴにさらにフェレイラは畳み掛けます。 踏絵を踏めば 拷問をうけている日本人信徒が救われるというのです。しかしロドリゴは踏絵を踏もうとしません。 フェレイラは静かに語りかけます。 「お前は彼等より自分が大事なのだろう。 少なくとも自分の救いが大切なのだろう。 お前が転ぶと言えばあの人たちは穴から引き揚げられる 苦しみから救われる。 それなのにお前は転ぼうとはせぬ。 お前は彼等のために教会を裏切ることが恐ろしいからだ。 このわしのように教会の汚点となるのが恐ろしいからだ。」 そこまで怒ったように一気に言ったフェレイラの声が次第に弱くなって「わしだってそうだった あの真暗な冷たい夜、 わしだって今のお前と同じだった。 だが それが愛の行為か、 あなたは基督にならって生きよと言う。 もし 基督がここにいられたら。」 フェレイラは一瞬 沈黙を守ったが、 すぐはっきりと力強く言った。 「たしかに基督は彼等のために 転んだだろう・・・」

ロドリゴは大声で泣き出しました。 よろめき足を引き釣りながら 一歩一歩進み 踏絵は今ロドリゴの足下にありました。 司祭は足を上げた 足に鈍い重い痛みを感じた それは形だけのことではなかった。 自分は今 自分の生涯の中で最も美しいと思ってきたもの、 最も清らかと信じたもの、 最も人間と理想と夢に満たされたもの、 この足の痛み そのとき 銅板の中のあの人は言った。

踏むがいい・・・、 お前の足の痛さは私が一番よく知っている。 踏むがいい。 私はお前たちに踏まれるため この世に生れ お前たちの痛さを分つため 十字架を背負ったのだ・・・。

こうして司祭が踏絵に足をかけた時 朝が来た 鶏が遠くで鳴いた。

【原の城】 徳川家光時代 重税とキリスト教弾圧のため 農民漁民の3万7千人が島原の原城にて武装蜂起。 3ヶ月の死闘の末 食料が尽きた後 鎮圧虐殺された 甲冑を身に付けた農民は何を思うのか・・・。

【ダミアン神父】ハワイのモロカイ島にて ハンセン病の貧しい人たちのため生涯を捧げる。 同じ病気にかかったとき やっと我々(癩病患者たち)と表現できると喜んだという・・・(涙)

踏むがいい・・・、お前の足は今 痛いだろう。 今日まで私の顔を踏んだ人間たちと同じように痛むだろう。 だがその足の痛さだけでもう充分だ。 私はお前たちのその痛さと苦しみをわかちあう。 そのために私はいるのだから。 私は沈黙していたのでない 一緒に苦しんでいた ユダにも なすことをなせ と言ったのだ。 お前の足が痛むようにユダの心も痛んだのだから・・・。

ロドリゴはいう 「私が愛を知るためには今日までのすべてが必要だった そしてあの人は沈黙していたのではなかった。 たとえあの人は沈黙していたとしても私の今日までの人生があの人について語っていた・・・。」 遠藤のこの本は出版されてすぐ禁書になり燃やされたという。 従来のキリスト教信仰に疑問を投げ掛け 日本人的キリスト教価値観を提示したためだという・・・。

【ゴルゴダ】 船越は脳梗塞に倒れる 彼は右半身不随になり不自由な左手で創作を続けました。 ユダに裏切られゴルゴダの丘に引かれる基督の顔。 不自由な左手で創った造形は痛々しい。 その顔は本当に踏絵のように踏まれ続け、 磨滅したかのようにもみえる。
その僅かに開いた口元から司祭に語った声が 静かに そして力強く聞こえてきそうだ。

踏むがいい・・・。

幕末の1865年 ローマ教会に一つの報告がもたらされた 長崎での潜伏キリシタンの発見である。 教皇ピオ9世は東洋の奇蹟と呼んだ 現在3月17日は記念日(祝日)になっているという。(驚き)

ニーチェは「神は死んだ」という 実際の基督は どんな苦境にも耐え 受け入れ 残念で駄目な人も許し その人生を生き抜いた強く優しい人だった。 神の子ように生きた実践の人だった もちろん奇蹟なんて起こせるわけもない 沈黙するのは当然だろう・・・。神を殺してきたのは 奇蹟を起こせると信じさせた後世の教会とキリスト教世界の人達かもしれない・・・。神が存在するかは分からない。 しかし 人類が神の子のように生きることは必要なのだろう・・・。

船越は亡くなるまでの15年間 闘病と創作を続け 89歳で逝きます。 亡くなった日は400年前 日本ニ十六聖人が処刑された日と同じ日だったといいます。 その日 長崎は 静まりかえり ミサに二千人以上が集まったといわれています。

果たして我が輩は船越のことを理解出来たのであろうか? 次回がないことを祈りつつ・・・。