2019/5/16
令和元年!


お久しぶりです。
国立&日野豊田の小沢です。

平成も終わり、いよいよ新たな時代がスタートしましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
希望に満ちた明るい時代を、力を合わせて作っていきたいものです!


などと言ってはみたものの、実のところワタクシは元号にはあまり関心がなく、連日のテレビなどにおける令和づくしに若干戸惑う毎日です。


周りもそんなに令和に熱い感じではないので、元号が変わる瞬間に雨の中、渋谷やらスカイツリーやらあちらこちらに集結されていた方々をテレビで拝見して、正直よくわからんな、と思っておりました。


これが昨今問題となっている社会の分断というやつか! とも思いました。


ちなみに最近この「社会の分断」という言葉がなんとなく気に入っておりまして、前回のブログに続いて今回も無理矢理ぶち込んでみました。


元号自体はあっても全然構わないんですが、とりあえずお役所や金融機関に関しては西暦に統一した方が良いのではないかと思っています。

とはいえなんとなく一つの区切りがついた、という感覚はあるので、少し平成の日々について振り返ってみようかと思います。


ワタクシが空手を始めたのは多分1994年なので、平成でいうと6年のことでした。
思い起こせば当時はただただ怠惰な大学生でして、曲がりなりにも今のワタクシがあるのは、ひとえに極真空手のおかげだと感謝しています。

そしてそんな過去の自分との比較で考えてみると、最近の若い人たちはずいぶんしっかりしているなあ、とも思います。


最近の、と言えば、ワタクシ普段あまりドラマとかは見ないのですが、こないだの3月までやっていたテレビドラマ、3年A組 は毎回見てました。

もともとはクロマニヨンズが主題歌を歌っている、ということで見始めたのですが、今の社会が抱える問題と真っ向勝負していて、意欲的な面白いドラマでした!

主題歌 「生きる」 です。
https://youtu.be/udk-e6mRmlo

これまた比較的最近の話なんですが、昨年後半から猛威を振るった映画、ボヘミアンラプソディー、今年の1月に見に行きました。

ワタクシ中高生のころからどちらかというと洋楽好きでして、クイーンとかも一応聞いてはいたのですが、とはいえそんなにクイーンに熱かった訳ではないので、ワタクシの中でフレディ マーキュリーという人はずっと、なんだかよくわからない得体の知れない人、というくくりでした。

そんなフレディの得体の知れないベールが映画によって剥がれて、平成の間抱えていた疑問が払拭されて、面白かったです!



クイーンの「手を取り合って」という曲です。
フレディがなんと日本語で歌うパートのある、美しい曲です。
https://youtu.be/_qa8AtZTRcs

この曲は東日本大震災の時のチャリティーにも使われていました。


…平成の中でも最も大きな出来事と言えば、やはり東日本大震災であったと思います。
あれから8年、いまだ困難な日々を送っている被災者の方々もおられます。
また、震災直後の絶望感・不安感は忘れ得ぬものがあります。
一方で復興に向けて、それこそ手を取り合って頑張っていこう、という前向きな団結感があったのも間違いなかったと思います。

しかしながら…その後のわれわれの社会には明らかに以前より閉塞感が漂っているように思います。


それは経済状況であったり超高齢化という社会状況であったり、様々な要因があってのこととは思いますが、一つには、何年か前にも「うどんのこころ」とかゆうタイトルでこのブログで書きましたが、他者への寛容性が著しく下がっていることもあると思います。


3年A組も割とそんなテーマでしたが、閉塞感があるから不寛容なのか、不寛容だから閉塞的になるのか、多分両方だと思いますが、うどんのこころ当時よりさらに不寛容な風潮は増しているように感じます。



怠惰な大学生だった当時、一応ワタクシの研究テーマは、生物の多様性と絶滅、というモノでした。
振り返ってみると、このブログで書くことも、なんとなく生き物系の話が多かったように思います。

一般的に生物でも組織でも国家でも、変化に対応できるものだけが生き残れる、という適者生存的な話はよく聞きます。


それでは変化に対応できるものとはどのようなものでしょう?

これは生物に関して言えばわりと明白でして、遺伝子の多様性がある種が変化に強く、絶滅しにくいです。

変な例えですが、例えば全人類がタイ人だったら、恐らく人類は寒さに対応できず、絶滅するでしょう。
暑さに強い人、寒さに強い人、中間の人、色々いるから人類は存続してきたのです。


それと同じで社会にも多様性が無ければ、未来は決して明るくはないでしょう。そして社会の多様性を生み出すのは、他者への寛容性、他者を尊重する姿勢であると思います。


結局冒頭の話に戻ってしまいますが、寛容性と多様性のある社会を目指して、われわれに出来ることをやっていきましょう!

それではまた。