2019/9/26
アンディ・フグ


 押忍。八王子みなみ野道場、多摩境教室の戸谷です。
 9月も終わりに近づいていますが、まだまだ日中は暑い日も多いですね。運動をする人にとって暑さはつきもの、とはいえ、猛暑が当たり前になってしまったここ数年の夏は本当に堪えます。

私は、毎年夏の終盤になると、アンディ・フグの命日を思い出します。

アンディ・フグは極真会館出身のスイス人の空手家です。
…30代以上の方からすると「言われなくてもそんなの誰でも知っているよ」と思われるかもしれませんが、20代半ば以下の人に聞いてみると、思いのほか彼が誰なのか知らなかったりします。
亡くなられてからもう20年近く経つので当たり前といえば当たり前ですが…

アンディ・フグは、必殺技の踵落とし、またそこから下段廻し蹴りへと繋げる打ち分けを武器に、1987年の第4回極真世界大会で強豪選手をバタバタとなぎ倒し、見事に準優勝に輝きました。(優勝は松井章奎現館長)
第5回世界大会でフランシスコ・フィリョ師範に上段回し蹴りで敗れ、その後、正道会館に移りプロ格闘家に転向。
不屈のファイトスタイルと華麗な足技で人気を博し、90年代のK-1ブーム、格闘技ブームを牽引する存在となりました。

 江口師範の世代の日本人選手からするとアンディ・フグは倒すべき相手の一人として認識されていたことと思いますが、90年代半ばに中学生だった私たちの世代からすると彼は完全に憧れの対象でした。
 ヘビー級としては小さい180cmの身長で果敢に攻める雄姿、現実離れした高さに振り上げられる足技に、当時の少年たちはみんな魅了されました。彼の踵落としをモチーフに描かれた漫画のキャラクターも多数いました。
 私と同世代の方なら、どんなに体が固い人でも一度はアンディ・フグの踵落としを真似してみたのではないでしょうか。中学生当時、何もスポーツをしていなかった私も毎日踵落としを練習してよく肉離れを起こしていました。

 活躍の絶頂にあった2000年8月、彼が急病により危篤状態にあるというニュースが出たときは本当に日本中が驚きました。何しろその前月まで至って快調に試合をしていたのです。
 結局そのまま回復は見込めず、8月24日に35歳の若さでその命を終えました。急性白血病でした。

 少年部の生徒たちからすると自分が生まれるよりはるか前に亡くなっている選手なので、聞いてみても当然誰も知らないのですが、アンディ・フグの現役時代の映像を見せると皆一様に「すごい!」と言います。「漫画みたいだ」と。
 人が憧れる選手というのは、技がすごいのはもちろんのこと、佇まいがもう恰好良いですね。生き様がにじみ出るというのか。
 少年時代に、はっきりと「私のヒーローだ」と言える選手に出会えたのは本当に幸運でした。
 …空手に関してはすごく厳しい方だったようなので、もし存命で私が彼の空手指導を受ける機会があったとしたら(妄想ですが)多分めちゃくちゃに怒られていたと思います。

 そんなわけで、夏の終わりはアンディ・フグ、という話でした。



 ちなみに…
2000年8月というのは私が大好きなマッスル北村さんが亡くなられた月でもあります。
八王子みなみ野道場のパワーラックにはマッスル北村さんの写真が貼ってありますが、子供はもちろん大学生も誰も知らないのでいつも本当に憤っています。
 その話はまた後日に。