極真会館城西国分寺支部

もうひとつの独り言


2017.8.17

第二百六十八回 ダイバーズウオッチを買った日 

 高校生のころ、親が腕時計を買ってくれた。それまで使っていたものがあまりに貧弱で、でもそれはそれで筆者は気に入っていたのだが、ほとんど玩具と変わらない簡易な時計だったので、見かねたのかもしれない。
 金をもらって時計屋さんへ行った筆者は、ダイバーズウオッチを選んだ。
 3万5千円するゴテゴテした銀色の腕時計だった。値段を覚えているのは、それが大きな買い物だったからだ。
 ついでに、時計屋のおじさんが「揉み手」していたことも覚えている。両の掌を上下に合わせてモミモミするやつである。ドラマの中だけの演出だと思っていたので、「揉み手って、実際にあるんだ」という驚きがあった。
 とにかく新しいダイバーズウオッチを左手首に巻くのは嬉しかった。
 時計の好みは、小さめの小綺麗なものや、大きめのゴテゴテしたものなど、人によって分かれるところだが、筆者などは後者で、それもアナログにかぎられる。
 で、買ったその日に、友達に声をかけて川へ泳ぎに行った。なにしろダイバーズウオッチである。生活防水ではなく、水中に潜っても大丈夫な完全防水なので、さっそく腕時計をしたまま水に潜ってみたかった。
 向かった先は、奇絶峡(きぜっきょう)という場所。
 和歌山南部だから、海に出る方がはるかに近いのだが、この日はなぜか自転車を飛ばして川をさかのぼっていった。
 その名も恐ろしげな「奇絶峡」は、市街地から、およそ10キロほど山に入ったあたりにある。
 いちおう、観光地ということになっているらしいが、いつ行っても観光客など見かけたことはない。今だと、当時よりも開けているのだろうか。
 あるいは、筆者たち地元の少年が遊んでいたのは、なにかを「観光」するようなスポットではなく、ただ水遊びを楽しむだけの岩場だったので、そんなところに足を運ぶ観光客はいなかったのかもしれない。
 川遊びは面白かった。奇絶峡は、たしかに奇観で、山を流れる渓流が幾多の巨岩によって阻まれ、その巨岩を縫ってきれいな水がほとばしっている。この流れを下っていくと、市街を流れる会津川という川になって、太平洋に注ぎ込むのだ。
 巨岩は、乗用車やトラックほどのものが、まるで放り散らかされたように無造作に重なっており、その隙間をごうごうと流れ落ちる清流は、けっこうな勢いがあって、長い時間遊んでも飽きなかった。
 水に潜って、水中メガネごしにのぞくと、澄みきった清流の水を透かして、この日に買ったばかりのダイバーズウオッチの文字盤がはっきりと見えた。
 高校2年の夏だった。それから、このダイバーズウオッチをつけたまま、白浜や日置や湯浅や都津井など、和歌山のいろんな海で潜りまくった。ときには九十九里浜やハワイでも。
 だけど、買ったその日に潜った奇絶峡での感激は忘れられない。




2017.8.10

第二百六十七回 怪奇、見世物小屋の夜! 

  夏といえば、お化け屋敷である。子どもは、あの中に本当にお化けがいると思っているようだ。「絶対いるよぉ」と真顔で言うのを聞いたことがある。あえて否定はしなかった。
 ところで、お化け屋敷に入ったことのある人は多いと思うが、見世物小屋はどうなのだろう。
 筆者は一度だけ入ったことがある。それも一人で。
 入った小屋は「牛女」だった。場所は和歌山県南部の町。そのとき筆者は中学二年生。夏祭りの夜で、まず看板のグロテスクな絵に目が釘付けになった。
 牧場のような場所に「顔が人間で体が牛」という生きものが描かれている。男(雄)と女(雌)の二頭で、ごく普通の中年夫婦といった顔なのに、体は牛。しかも男は髪を七三に分け、女は軽くパーマをあてている。その体で、どこでどうやってパーマをあてられるのだ?
 こう書くとギャグのようだが、これが異様に怖かった。不条理でナンセンスで論理が破綻しているだけに怖かった。
 小屋は横並びにもう一つ「蛇女」があった。こっちの絵も不気味で、姿かたちは隠されているのだが、おそらく誕生した場面なのだろう、医者たちが恐怖におののいている顔が陰湿なタッチで描かれている。想像力をかきたてられて、それだけに怖い。
 ちなみに、この二つの小屋を見るのは初めてではなく、その年の正月に、西宮の神社でも見ていた。巡業してきたのだろう。同じ年に、二度も出会うことになるとは思わなかった。
 中2だった筆者は、見世物小屋の前で悩んだ。入るべきか。入るとしたら、どっちだ。
 小屋は祭の喧噪からやや離れたところにひっそりと建っている。本当にいるのだろうか。この小屋の中に、あんな恐ろしいものが。入ればそれを目撃することになるのだろうか。
 入場料は小づかいで足りた。でも一人だ。夏休みのあいだに転校してきたので、いっしょに入って恐怖を共有してくれる友達はいない。正直言って怖かった。
 が、結局、好奇心に負けて入った。選んだのは「牛女」のほうだ。
 中では、竹の柵の向こうで、レオタードを着た小太りのおばさんが、四つん這いになってクネクネと動いていた。
 その動きが異様なのだ。関節が、カクッカクッと、ありえない向きに曲がっている。おばさんは、四肢の付け根から関節転回を自在におこなえるらしい。
 その意味では、たしかに普通ではなかった。でも、これが牛女? 看板とは全然ちがう。
 粗末な小屋の中、裸電球のもとで、ニコニコしながら無言の動きをくり返しているおばさんを眺めているのは、子どもながらにもひどく悪趣味に思え、早々に小屋を出た。
 出口には、ヤクザふうのおじさんが「文句は言わせないぞ」というように、デンと座っていた。インチキだと言って文句をつける客を牽制しているのだろう。
 だが、インチキなら、まだいいのだ。人権保護のゆきとどかなかった時代では、先天的な奇形の子どもを見せたり、もっとひどい場合は、身体を故意に破損させて奇形として見世物にし、芸をさせて客を集めたという。
 筆者も、期待はずれでありながら、一方で、どこかホッとしていたのも事実だった。  中2の夏の夜。ひとりぼっちの祭での経験である。



   
2017.8.3

第二百六十六回 梅酒のない夏 

今年も梅酒を造らなかった。
 子どものころは、夏といえばカルピスや麦茶を愛飲していたが、大人になるとこれがビールになる。筆者でいえば、梅酒もそうだ。
 梅酒といえば、亡くなった祖父母を思い出す。
 和歌山県有田郡の小さな町に、母方の祖父母は住んでいた。
 その家は築60年にもなる木造の二階建てで、家庭菜園や鉢を並べている庭もあった。
 祖父母は晩年まで缶詰工場で働いていた。何の缶詰かというと、果物である。和歌山だから、主にミカンやモモなど。サクランボの入ったあんみつも見たことがある。
 工場は歩いて十分もかからないところにあって、昼食などは家に帰って取っていたようだ。通勤の苦労がないという点では羨ましい。
 ただ、夏場の暑さはひどかった。祖母のいた製造の場は釜などを使っており、大変な高温になる。夏休みの暑い盛りの時期に見に行ったことがあるが、ただでさえ暑いのに、こんな作業をしていたら倒れてしまうのではないかと心配になるぐらいだった。
 祖父のほうはボイラーの免許をもっていたので、それほどではなかったが、それでもボイラーは屋外にあるため、当然だが夏場は暑く、冬場は寒いだろう。
 祖父は持ち場で一人きりだった。いつ訪ねてもボイラーのそばにいた。ボイラーのわきの部屋に、夏は大型の扇風機が置かれていたのを見た。冬に訪ねたことはないので知らないが、達磨ストーブぐらいはつけっぱなしにしてあったのではないだろうか。
「ある朝、ボイラーの蓋を開けたら、フクロウの死骸があった」
 という話を、祖父から聞いたことがある。
 ボイラーの上は煙突になっており、おそらくは煙突のふちにとまっていたフクロウが下からの有毒なガスにあたって落ちたのだろう、と言っていた。山も海も近いので、フクロウぐらいは飛んでくる。
 たまにそんなことはあっても、あとは毎日ほとんど変わることのない、単調にして悠久の日々を同じ持ち場ですごしてきたのだ、祖父も祖母も。そして定時に家に帰って、夕食を取ってテレビを見て寝る。そんな生活を何十年も変わらず送っていた。とても健全だと思う。
 訃報を聞いたときは、こちらから恩返しらしいことを、結局最後までしていないままだったことに気づいた。不義理な孫だったと思う。
 訃報といえば、必殺シリーズのBGMを担当されていた音楽家の平尾昌晃氏も、先月お亡くなりになった。筆者はBGMをすべて持っているほどのファンなので、このニュースの衝撃は大きかった。
 いや、そもそも亡くなった人を偲んで感傷的になっているのは、『ワールド空手』最新号に、市村先生の追悼特集が載っていたせいかもしれない(江口師範のインタビューも載っています)。
 祖父母が亡くなって久しく、家も取り壊されて、今は別の家が新しく建っている。こうなると紀南にはもう帰るところがないとさえ感じ、梅酒のない夏のようにもの足りない。




2017.7.27

第二百六十五回 ブラック企業に入ったら 

 また前回の内容に触れるが、入社してしまった会社が(いわゆる)ブラック企業と呼ばれる悪辣な雇用体系の会社だったら、どうするのだろう。
 ふつうの会社なら、黙々と成果を出していれば、まずは評価や報酬をあげてくれる。が、そうはいかないのがブラック企業なのである。そんな時どうするのか。
 筆者はソッコーで辞めたが、文句を言いながらそこに居続ける人もけっこういたのである。
 むろん、辞めるとなると、また新しい働き口を探さなくてはならないから、手間ではある。履歴書を書いて、面接を受けて、それで通ったら研修をして……と、一からスタートしなければならない。でも正社員ではなく、アルバイトだったら、何をためらうことがあるのだろう。
 辞めないのは、たぶん若いからだと思う。社会のシステムがわかってくると、やっていられないことでも、若者はこういうものだと思って無償奉仕できるし、雇う側だっていくらでも若者の労働力を使い捨てにできる。
 ところで筆者は、このブラック企業(名称も忘れた)で働いた一か月のあいだ、なんと派遣社員として登録した人たちの面接をしたこともあった。前の回で書いた女子社員が、会議室で筆者に模擬実演をさせ、その結果できると判断してくれたからだが、しかし研修などは一切なかった。入社して一か月もたたないアルバイトに採用面接を任せるのだから、いかにずさんな運営をしているかがわかるというものだ。
 はるか年上の、けっこうなオジサンの面接をしたこともある。
 どんな事情があるのだろう。リストラにあったのだろうか。妻や子もいることだろう。……などと考えると、自分の判断でこの人の採用・不採用を決めてしまうのが、大げさに言うと人生に影響しているようで(大げさに言わなくてもそうだ)、一存で不採用にしていいのだろうかと最初は思った。
 が、相手から見ると、当時の筆者は若造だと思われたらしい。面接なのに口の利き方がぞんざいで、腕組みしてデーンと椅子にふんぞり返っているのだ。その人は不採用にした。
 履歴書もたくさん見た。住所や電話番号や家族関係まで、アルバイトが自由に閲覧できるのだから、個人情報の管理という面で、ゾッとするほどずさんだ。
 だが、会社も会社なら、登録している人も変で、履歴書に貼り付けられている本人の写真には、首をかしげたくなるものもあった。スナップを貼っている人もいたのだ。
 パッと見ると、お花畑の写真があった。真正面からとらえたバストアップの証明写真ではなく、あの小さなサイズの四角の中に花が満ちている。が、よく見ると、片隅におばさんがいて、あらぬ方を眺めてたたずんでいるのである。これは、たぶん「お花畑にいる自分」を見て欲しかったのだと思う。
「すみません(ゴーゴーゴーという風を切る音)。ハアハア。今そちらに向かってるんですが(ゴーゴーゴー)少し遅れます。ハアハア」
 これは女子大生の場合。遅れるという連絡を電話でしてきたのだが、なぜ息を切らしているのだ? それに、この奇妙なBGMの正体は何なのだろう。
 やがて彼女はやってきた。キックボードを片手に。
 



2017.7.20

第二百六十四回 キングギドラと競演 

 前回、ちょっとだけキングギドラの名前を出したが、かの怪獣を目撃することが、大人になってから妙な形で「実現」した。
 勤めていた会社を辞めたつなぎの期間に、派遣社員のアルバイトをしていた頃の話だ。
 新宿西口の超高層ビルのひとつが職場だった。正確な題名は覚えていないが、ちょうどゴジラかモスラかのシリーズで、キングギドラが登場する映画が制作中であり、映画会社の人がオフィスに来て、我々にもエキストラとしての出演が募られたのである。
 ところで、その職場は今でいうブラック企業だった。アルバイトなのに残業は当たり前で、しかも一か月で100時間を超えた。その100時間分の報酬が払われないのだ。
 時給換算のアルバイトの立場で、ちょっとこれは馬鹿らしくてやってられない。同僚たちは愚痴をこぼしながらこのブラック企業に尽くしていたが、なぜ辞めないのか不思議であった。
 筆者の辞めそうな気配が伝わったのか、一人の女子社員にとめられた。彼女は変わった女の子で、年下なのに、筆者の下の名前を呼び捨てで呼ぶ。オフィスの中では名字で呼んでいたが、たとえば昼に四、五人で食事に行って、定食のご飯が多かったりすると、「○○○」と下の名前で呼んで、「これ食べられる?」と、ご飯を分けてくれるのである。
 トゲトゲした職場で、陰険な管理者が目を光らせており、もちろんオフィスで彼女とゆっくり話すことはできない。そんな中で、彼女は自分のデスクの向かいの席に筆者を座らせ、「内線」を使って話した。
 なるほど、これだと二人は外部の人と電話で話しているように管理者からは見える。実際は、向かいの席で、互いに相手の顔を見ないようにして、内線で話しているのである。
「辞めようと思ってるの?」
「思ってる。これ以上、タダ働きしてられない。ほかのことに時間を使いたい」
 もちろん小声で話さないとバレてしまう。筆者はもうソッコーで辞めるつもりだったし、この後、本当に辞めた。結局、この職場にいたのは、わずか一か月だけだった。
 でも、彼女はとても親切ないい子だったので、このまま縁が切れるのは惜しかった。筆者も若かった。最後の出勤の後が、キングギドラと競演するモブシーン撮影の日であり、その日に彼女をデートに誘おうと考えた。ケイタイ電話が普及し始めた頃で、筆者はまだ持っていなかったが、個人的な連絡先もその日に聞くつもりだった。
 ところが当日、彼女は熱を出して休んだのである。同僚の女子社員は、「今日の撮影を楽しみにしてたのにね」と言っていた。なにか運命的ですらある縁の無さであった。
 職場近くの新宿西口を、筆者は走った。映画制作側からの指示はたった二つ。
「絶対に笑わないでください。それと、時々うしろを振り返って、空を仰ぎ見てください」
 筆者は群衆の中を笑わずに走り、たまに後方の空を仰いでは、架空のキングギドラを見上げて恐怖した。
 エキストラとしての報酬は、テレフォンカードと映画のチケット一人分だった。
 公開されると筆者は一人でその映画を見に行き、キングギドラの新宿来襲シーンで、逃げ惑う群衆の中に自分の姿を探した。が、見つからなかった。




2017.7.13

第二百六十三回 怪獣映画と恐竜映画 

昨年公開されたゴジラの最新作『シン・ゴジラ』を、今ごろになってようやく観た。
 これまでのゴジラとは違う仕掛けがあるので、観ていない人のためにネタバレは避けるが、「ゴジラ」(←あえてカギカッコつき)の顔が、禍々しくなっている。過去のゴジラは黒目がちで愛敬があったのが三白眼になり、歯(牙)並びも乱杭歯である。ただ破壊力においては、歴代最強かもしれない。ゴジラも新作が作られるたび、変わっていくのだ。
 筆者が子どものころは、夏休みや春休みになると怪獣映画がリバイバル上映され、学校の正門前でチケットの割引券が配られていた。これをタダ券と勘違いして喜んだものだ。
 怪獣たちは、ほとんどが魅力的だった。「ほとんど」というのは、「ミニラ」のような例外もあるからだが、中でも金色の鱗に覆われ、巨大な翼を持った三つ首の竜というキングギドラのデザインは異色だった。
 マッハ3の速度で飛ぶ巨大蛾モスラにしても、あれだけ巨大な幼虫が這っているなら壮観だろう。
 怪獣だけにかぎらない。和製の「恐竜映画」というのもあった。
 といっても『ジュラシック・パーク』のシリーズのような精巧なものではなかった。
 知る人ぞ知る『恐竜怪鳥の伝説』である。
 DVDを持っているのは筆者(と、もしかしたら天野さん)ぐらいだろう。
 恐竜好きの小学生のころに観て、それでも面白くなかったのだから、もちろん映画としてはひどい出来だった。
 首長竜のプレシオサウルス(ネッシーみたいなやつ)と翼竜のランフォリンクス(プテラノドンみたいなやつ)が戦うのだが、まず、なぜその両者が戦わなければならないのか、よくわからない。生活圏が異なるではないか。もし戦うことがあっても、プレシオサウルスがランフォリンクスを捕食するという一方的な形になるのではないかと思う。
 しかも、93分の映画で、73分になってもランフォリンクスが出てこないのだ。
 そもそも二つの個体とも、単体で生息しているというのがおかしい。どうやって白亜紀から現代まで種が維持されてきたのだろう。
 終盤のクライマックスで、ついにこの二頭が戦うのだが、その舞台というのが富士山麓の樹海の中なのである。
 つまり、プレシオサウルスがわざわざ湖から這い上がり、ランフォリンクスは超低空飛行で滑空し、時には地上に「立って」いたりする。首長竜と翼竜が、なぜか互いに不便な「陸上」で戦いをくり広げるのである。
 主役の男女二人(男は渡瀬恒彦)も、森の中なのに、なぜか全身をウエットスーツに包んだまま活動している。かりに脱ぐ暇がなかったとしても、頭にまでいつまでもウエットスーツをかぶっている必然性はまったくない。
 そこに富士山が爆発するのだから、もうメチャメチャだ。早く逃げればいいのに、枝にぶら下がったりしてモタモタしているうちに、映画は断ち切られるようにいきなり終わった。これは、まあ、友人同士で笑いながら見て、B級ぶりを楽しむ作品なのだろう。




2017.7.6

第二百六十二回 「ガムやるわ」 

 学生時代のある日、アパートに帰って郵便受けをあけると、ミカンが入っていた。
 想像してほしい。外皮に油性のペンで住所と名前が書かれ、切手まで貼られたミカンが一個、郵便受けに入っている様子を。
 前回のホヅミの仕業である。ハガキの魔術師だったのが、発展して「物体」そのものを送ってくるようになった。ポストには入らないから、郵便局の窓口にミカンを出したはずだが、相手方のリアクションはどんな感じだったのだろう。
 スリッパが入っていたこともある。
 一瞬イタズラかと思った。そりゃそうだ。郵便受けにスリッパが片方だけ入っていたら、普通は送ってこられる心当たりなどあるものではない。
 よく見ると、スリッパにはホズミの通っている大学の名前が記されており、裏返すと底の面にやはり筆者の宛先が油性ペンで書かれ、切手が貼られていた。
 やつが提出する郵便局の窓口もそうだが、筆者のアパートに配達する人も「いつもいつも、この部屋には変なものばかり届くなあ」と呆れていたにちがいない。
 ハガキにガムが貼られていた時は驚いた。パッと裏返すと、ロッテのガム(現物)が貼り付けられていたのだ。まったく、どこまでも個性的な野郎だ。
 横にただ一言だけ、さりげなく「ガムやるわ」とある。ハガキで「ガムやるわ」はないだろう。遊びに来た友人に見せると爆笑していた。ホズミのハガキは今でも保管しているが、これだけはガムが経年に耐えられず腐ってしまい、惜しくも捨てざるを得なかった。
 宛先の住所や名前を「文章」で記載していたこともある。もちろん町名や番地は正確だが、それを「ファミマの角の曲がった」とか「公園のとなりにある」といった記述に挿入しつつ、郵便屋さんがすべて読まなければ配達できないように書いているのだ。
 もっと迷惑だったのは、ポスターだろう。
 四つ折りにしたポスターの白い裏面に「1円切手」がびっしりと並んでいたのである。
 すべて1円切手。郵便制度を確立した前島密の肖像が、選挙のポスター以上の暑苦しさで並んでいる。普通のサイズではないから100枚以上あったと思う。
 郵便局のスタンプは、切手のどこかにかかるように押さなければならないから、局員にとっては面倒で手間取る作業だったにちがいない。それで何のポスターかと思い、広げてみると、どこで手に入れたのか『鳥羽一郎 海の香りのおっかさん』という演歌の宣伝だった。
「何なんだよ!」と思った。
 ちなみに筆者と彼の間で、鳥羽一郎が話題に出たことは一度もない。
 そんな彼の郵便道楽も、大学一年の秋になって筆者がそのアパートを脱出することで終了した。電話が通じなくなり、ハガキの裏面にただ一言「どうしたんな」と殴り書きして、電話番号が書かれていた。「電話がつながらないけど、いったい何があったんだ。この番号にかけてこい」という意味だろう。
 ホズミは現在、意外なことにお役所で仕事をしており、いつか筆者の試合の前日に上京してきて飲んだことがある(タイミングが悪いこと、この上ないのだ)。



2017.6.29

第二百六十一回 字のないハガキ 

大学入学と同時に上京した筆者が、四畳半一間のアパートで一人暮らしを始めたころの話である。
 高校時代の同級生だったホズミ君(仮名)から毎日ハガキが届いた。
 毎日のように、ではなく、毎日である。家に帰ると、いつも届いている。なぜそんなことをするのか、もちろん理由はない。ウケ狙いである。筆者も奇をてらったハガキを見る日課が楽しみになったことは確かだ。
 たとえば、高校のクラスで一番まじめだった男子の小さな証明写真が、ハガキの真ん中にポツンと貼られていたりする。文面はいっさい無し。「何なんだよ」と苦笑しながら思った。
 買い物してもらったレシートが、ただ闇雲に貼られていたこともあった。これも文はなく、何を買ったかもわからないレシートだけが貼られている。
 あるときは、テレビ雑誌についてあったのか、『愛少女ポリアンナ物語』という縦長のシールが、これも真ん中にひとすじ貼られていた。「だから何なんだ!」と思った。
 裏面に一言「今、アパートに帰ってきたんか」と書いて送ってきたこともある。
 筆者は大学から帰って、郵便受けを開け、ハガキを取り出し、裏返してそれを読んだ。悔しいが、その通り「今、アパートに帰ってきた」タイミングであった。
 もともと年賀状などでも、自作の四コマ漫画などを(3枚も)送ってくる芸達者な奴だったが、この連日のハガキも、筆者のリアクションを想像していたに違いない。
 カラフルな絵の具を塗りたくるポップアート風のハガキもあった。
 白い修正液で短い文面を書くという「読みにくさ」を狙ってきた時もあった。
 ジーンズなどについている「VAN」のカードをぴったり同じサイズに切り抜いてハガキに嵌め込むという高等テクニックを披露したこともある。横に接着剤を塗ったとしても、ハガキの紙の幅だから、ほんのわずかな量だろう。よくこんなに完全に切れたものだと感心した。
 そういえばホズミは、カッターを使うのがうまかった。彫刻がうまい。いや、うまいどころではなく、玄人はだしなのである。
 使う道具は彫刻刀ではなく、ただの市販のカッターで、彫るのは大きめの消しゴムなのだが、当時はやっていた『AKIRA』の登場人物を、そっくりに再現する。
 プロの作品と言っても通用する腕前だった。とても高校生が片手間にカッターで消しゴムを刻んで彫ったとは思えない。彼は自分の「作品」を五、六個、惜しげもなく筆者にくれたが、それは今でも保存している。
 ところで、ご存じの方もいるだろうが、向田邦子さんの随筆に『字のないハガキ』という作品がある。学童疎開する幼い妹に、頑固で厳しいが実は子ども思いのお父さんが、あらかじめ宛先を書いたハガキの束を渡す。妹は幼くてまだ字が書けないので、元気だったら○を書いて毎日送ることで安否を確認するという内容である。
 それとはまったく関係ないが、ホズミがやったことも、そういえば「字のないハガキ」という点では一致しているな、とふと気づいた。ちなみに、アンデルセンには『絵のない絵本』という作品がある。もちろん何の関係もない。



2017.6.22

第二百六十回 雨の日 

『あらいぐまラスカル』の主題歌の歌詞に、
「6月の風がわたる道を ロックリバーへ遠のりしよう」
 というくだりがあり、小学生だった筆者は「さわやかな感じの歌なのに、なんであえてジメジメした季節を選ぶんだろう。5月のほうがいいのに」
 と思ったものだった(もっとも、5月にしたら音数律が合わないのだが)。
 この疑問に対する答は明白だ。『ラスカル』の舞台がどこか知らないが、とにかく西洋なら梅雨というものがないからだ。なるほど、雨期の影響を受けないなら、今ごろの季節はさぞさわやかなものにちがいない。
 と、ここまでのところで(また世界名作劇場の話か)と思われたかもしれないが、そうではない。
 話は変わるが、今年の梅雨は降水量が少なく、空梅雨と言われているようだ。
 梅雨といえばカレンダーなどでも、6月はたいてい雨の場面かアジサイが描かれたり写されたりしている。アジサイの色は土壌が酸性かアルカリ性かでちがってくると聞いたことがあるが、赤系になるか青系になるかはリトマス試験紙の反応とは逆らしい。
 筆者は紫色のやつが好きだ。国分寺の北口で、真っ白なアジサイを見たのだが、あれはどういう条件でそうなるのだろう。
 話は変わるが、子どもたちは長靴でわざと水たまりを歩いてはしゃいでいる。筆者も記憶があるが、通学中、わざと水たまりを選んで歩いたのは、その防水機能を味わいたかったからだろうか。そういえば長靴というものを履かなくなって久しい。
 学生時代は、夏場はいつもゴム草履を履いていた。雨の日など、水たまりの中を平気でビシャビシャと歩き、風呂なしのアパートに帰って、その足を洗いもせず布団に入っていた。平均よりも神経質だと自覚している今の筆者では考えられないことだ。若い頃というのは、不衛生でも平気だったらしい。
 今はゴム草履も履かなくなった。和歌山で過ごした夏の名残りで、暑い季節は靴が窮屈に感じ、開放的な履き物を好んでいたのだが、最近はなれてしまったようである。
 また話は変わるが、よく雨の日の会合の挨拶などで「本日はお足元の悪い中、お集まりいただき」というのを聞くが、あれはやはり雨で歩道がぬかるんでいた時代、すなわち道路が広く舗装される前の年代(昭和三十年代以前?)あたりに語られた挨拶の名残りだろうか。
 話は変わってばかりだが、数年前まで筆者が履いていたサンダルは、底の素材が異様に滑りやすく、地面が濡れていると難儀した。とくに黒地のタイルなどの上ではよく滑るサンダルだった。
 ある雨の日、銀行に入った途端、ツルリと足を滑らせ、ものの見事に尻もちをついてしまったことがあった。皆が見ている中で、恥ずかしいことである。そのとき、
「大丈夫ですか」
 と、すぐ近くから声がした。
 江口師範だった。



2017.6.16

第二百五十九回 糞害に憤慨 

いくつになっても初めての体験ということはある。
 二週間ほど前だったか、国分寺駅北口の階段(左側)を降りる手前で、ハトの糞害に遭った。
 肩口に妙な刺激を感じたので、見上げると、胸をふくらませた「平和の象徴」が梁に居座っているではないか。つまり、上から落ちてきたハトの糞に当たってしまったのである。
「運がついた」と自分に言い聞かせたが、ワイシャツには染みが残った。
 面白いことに(べつに面白くないが)同じような出来事はつづくらしい。先週、やはり同じ場所を通りすぎようとして、地面に糞が落ちていることに気づき、
(そういえば、ここで糞害に遭ったんだよな)
 と、一瞬足を止めて警戒した瞬間、上からポトリと糞が。
 危うかった。足を止めなければ直撃していただろう。まるでわざと狙っていたようなタイミングだった。
 見上げると、梁には丸っこくふくらんだハトが素知らぬ顔でとまっている。前と同じハトだ。BB弾で撃ちたくなるほど悠然たる姿だった。ちなみにこのハトは駅職員に退去させられたのか、今はいなくなっている。
 ハトは、あの間の抜けた鳴き声と、ぶしつけに近寄ってくるところから、極度に毛嫌いしている人を、筆者は何人か知っている。
 一方で、仕草が愛らしく、よくなつくので、愛好して飼育される鳥でもある。筆者自身はどちらでもないが、母方の祖父は手品が趣味だったので、白いハトを飼って可愛がっていた。江戸川乱歩『宇宙怪人』のメイントリックにも貢献したところからみると、怪人二十面相もハトの愛好家だったにちがいない。
 ツバメやハヤブサなどに比べ、飛ぶのに適性のなさそうな体型をしているが、あれは長距離を飛ぶこともあるので脂肪が必要なのだろうか。詳しいことまで筆者は知らない。
 そういえば、ある私鉄沿線の駅のホームにハトが何羽もいて、発車待ちの時間、一羽が電車の中に入ってきたのを見たことがある。夜更けの閑散とした車内を、そのハトはしばらくうろつき回り、スマホで写真を撮っている人もいた。ドアが閉まったらよその駅まで運ばれてしまうだろう、と思って見ていたら、発車の前に出ていった。
 ……とハトの話を書いてきたが、そんなことはどうでもいいのである。
 先週、このブログを提出しなかったのは、市村先生の訃報を聞いたからだ。
 まったく知らずにチャラけたことを書いていた、と思うと、なにも書けなくなった。でも、今まで通りでいいのだとも感じた。
 市村先生にまつわる幾つかのエピソードについて、筆者は市村先生ご本人から文章にすることを禁じられていた。
「常識にとらわれない発想を」とエライ人たちは言うが、市村先生は俗世間の常識から超越された方で、脚色なしに書いても驚愕する実話が多々あるのだが、とうとう許可をいただけずじまいだった。いや、かりに許可をいただいたとしても、やはり公表できないか。



2017.6.1

第二百五十八回 昭和のアニソン 

サブタイトルを見て「またその話題か」とお嘆きの貴兄もいらっしゃることだろう。
 ちなみに、この「お嘆きの貴兄」というフレーズは、往年の菊正宗のCM、「まだ甘口の酒が多いとお嘆きの貴兄に」からきている。筆者が引っぱってくる元ネタは古いのである。
 さて、前回のネタで取りあげた『キューティー・ハニー』だが、「このごろはやりの」で始まるあのアップテンポな主題歌は、多くの歌い手にカバーされており、若い人にも知られているらしい。
 その一番の歌詞で、いとこ姉妹が該当しなかった「おしりの小さな女の子は」のところが、二番では「ぷくっとボインの女の子は」になっており、「だってなんだか だってだってなんだもん」という、こう書いているだけでこそばゆくなってくるような意味不明の部分もあるのだが、作詞をしたのは他でもない、原作者の永井豪先生なのだ。
 ところで、この曲には英語版もある。むろん歌詞はまったくちがう。日本語の訳ではない。それはそうだろう、「だってなんだか だってだってなんだもん」のところなど、どう訳せばいいのだ。
 英語版の歌詞には「強いことは美しい」というお国柄が表れているのか、
「the danger we will face you don,t have time to cry wipe your tears away」
「she,s the one,she,s the key to our pesce.」
「you know that,s the only way to save our precious world」
「l need you,we need you, now is the time to change.」(以上、大文字を入れると文字サイズがデコボコしてしまうため、すべて半角で打っています)
 などなど、日本語の歌詞のように、おしりがどうのボインがどうのと言わない。筆者としては、こっちのほうがいいと思う。
 昔のアニメの主題歌は『キューティー・ハニー』にかぎらず、松本零士作品でもタイムボカンシリーズでも少女マンガのアニメ化でも、凝って気合いが入っており、旋律が飽きさせないという意味で非常にすぐれていたと思う。
 そんな中で、ひとつ異色の主題歌を思い出す。
『宇宙船サジタリウス』である。
 なにやらムーミンのような下ぶくれのキャラクター(人間ではないらしい)たちが主人公のスペースオペラであるようだが、オープニングの主題歌を聴いてチャンネルを変えていたので、詳しいストーリーは知らない。もしかしたら、ものすごく面白かったのかもしれない。
 ただ、その主題歌というのが、「危機一髪も救えない」とか「拍手をするほど働かない」とか「ご期待通りに現れない」、「子どもの夢にも出てこない」、「大人が懐かしがることもない」などと、マイナスの要因をこれでもかというばかりに列挙していくのである。
 その後で「だからといってダメじゃない」とつづくのだが、ここまで悪いことを挙げられると、正直、フォローできないほど「ダメなんじゃないのか」と思えるほどだった。
 それにしても、タイトルに使われる「宇宙戦艦」とか「機動戦士」といった固有名詞の前につく言葉が、ただの「宇宙船」って……。ほかになにかしらの特質がなかったのだろうか。



2017.5.25

第二百五十七回 教育上よくない 

 友ガ島→ラピュタ→宮崎アニメ→世界名作劇場→とネタが展開し、今度は『フランダースの犬』に触れたい。若い人は知らないと思うが、『フランダースの犬』といえば、アニメ史上の伝説ともなったあの最終回が有名である。幼かった筆者はこれをリアルタイムで見た。
 となりで見ていた母と祖母は、ラストシーンでぼろぼろ泣いていた。
 たぶん、あの夜、日本中が泣いたことだろう。が、これは大人の感性である。
 筆者も大人になってから、総集編のDVDで『フランダースの犬』を見て、やはり最後のシーンで涙した。90分の総集編でもそうなのだから、一年間の放送を毎週ずっと見てきたら、なおさらネロへの感情移入が大きく、ショックだったことだろう。
 なんの罪もない純真な少年ネロが、祖父を失い、火付けの犯人にされ、家を追われ、ガールフレンドとの交際を禁じられ、賞をもらえるはずだった絵のコンクールで有権者の息子にそれを奪われ、それでも人のために尽くした挙げ句、あのラストなのだ。
 こうなるとネロの死は、世の中が彼を拒絶したのではなく、逆にネロの純粋な魂が、けがれた世の中に愛想を尽かした結果であるようにさえ思えてくる。
 だが、幼年時に見た時はちがった。筆者は、あの天使が気持ち悪くて、怖いと思った。得体の知れぬ生きものが教会の天井から舞い降りてくるのを見て、ゾッとしたのを覚えている。ああいうのが寄ってきたら、自分なら振り払うだろう、とそのとき思った(もっとも、そんなことを思っているやつのところに天使は来ないだろう)。
 筆者の友人は、「あの天使、パンツはいてなかった」という感想を述べた。これに対しては「どこを見ているんだ」、「天使用のパンツがどこに売られているんだ」とツッコミはさまざまだろう。オスガキの感覚など、こんなものなのだ。
 ところで、筆者には神戸にいとこの姉妹がいるが、そのお母さん(筆者にとって伯母)は教育にきびしく、情操をはぐくむのに不適切だと判断した番組は、いっさい娘たちに見せなかったという。その禁じられた番組の中に『フランダースの犬』の最終回も入っていた。無垢なる少年の苦労が報われず、あまりに悲劇的だからという理由だ。
 これはアリだろうか。いとこ姉妹がどう感じたかはわからないが、少なくとも筆者なら、連続したドラマとして一年間見てきて、最終回だけ視聴が許されないというのは納得がいかない。「死ぬなら死ぬでその最期をしかと見届けようじゃないか」という気になるのだが。
 ちなみに、幼稚園ぐらいのころだったか、筆者の家は、この神戸のいとこ姉妹の家に泊まりで遊びに行ったことがあった。その夜、筆者は毎週見ていた『キューティー・ハニー』を見たがったらしい。いとこ姉妹にも、ぜひいっしょに見ようと誘ったという。
 伯母は、その題名からして、はたして娘たちに見せてよい番組なのかどうか、身構えていたのだと思う。なにしろ『フランダースの犬』でもダメなぐらいなのだ。
 オープニングが始まり、『このごろはやりの女の子は おしりの小さな女の子は』のところで、早くもアウト。「これ、あなたたちダメだわ」と言って、娘二人に席を外させてしまった。
『このごろはやりの女の子は おしりの小さな女の子は』→「これ、あなたたちダメだわ」
 このやり取りを聞いて、幼かった筆者は、いとこ姉妹は「おしりが大きいんだな」と思った。



2017.5.18

第二百五十六回 宮崎アニメと世界名作劇場 

前回、ラピュタの名前を出して、久しぶりに『天空の城ラピュタ』を見ようと思ったのだが、途中でやめてしまった。昔は好きだったのに、もう受けつけなくなっている。
 ちなみに『ラピュタ』は劇場で見た。若いころはよく宮崎作品も見に行ったものだった。
 最後の監督作品と言われている『風立ちぬ』は姪っ子らを連れていった。『もののけ姫』はデートで見た。『魔女の宅急便』は男二人で(!)見に行った。『ハウルの動く城』は一人で見た。『ルパン三世 カリオストロの城』はテレビから録画していたが、カットされたシーンが気になって、リバイバル上映を見にいった。DVDが発売される前のころだ。
 大人気作の『となりのトトロ』は昔レンタルして見たはずだが、あまり覚えていない。『千と千尋の神隠し』は十年以上前にテレビでやった時に、ほかのことをしながらダラダラと集中せずに見たので、これもあまり記憶にない。『ポニョ』は一度も見ていない。
 それにしても、『ラピュタ』に飽き、受けつけなくなったのは意外だった。オープニングに原画のようなタッチで出てくる機械や航空機のデザインなどは非常にいいと思うのだが、どうも人物が苦手なのだ。悪役ではなく、主人公の少年少女たちのほうである。
 そのわりに、絵柄が似ている「世界名作劇場」なら大丈夫なのはなぜだろう。
 世界名作劇場は、いつごろまで見ていたのかというと、同世代では『小公女セーラ』で打ち止めにしている者が多い。筆者も『ふしぎな島のフローネ』までは見ていた。ところがその次の『ルーシー』があまりに退屈で、いったん見なくなった。幼少期から習慣的に見ていた連続番組を見なくなるぐらいだから、本当につまらなかったのだ。そして久しぶりにメジャーな原作の『小公女』になると、まわりが大勢見ており、学校でも話題になるほどだったので、筆者も夏ごろから視聴するようになった。
 当時まだ記憶に新しい『おしん』の影響もあってか、主人公が院長先生やいじわるな優等生や料理番の夫婦などに、めちゃくちゃいじめられる。それにまた、健気にひたすら耐える。
 だが、故人である父とインドでダイヤモンド鉱山を共同経営していた大富豪がセーラ(主人公)を捜しており、養女として引き取りたいと考えている。その大富豪は、セーラの寄宿する女学院のとなりに住んでおり、二人は互いの身の上を知らずに手紙などで交流する。……という設定なのである。いじめにあう日々の中で、「救い主がすぐ近くにいるのに」と多くの視聴者がヤキモキしたにちがいない。人気が出ないはずがないのである。
『フランダースの犬』の純真無垢な少年、ネロは最後まで報われなかった。大好きなルーベンスの絵を見たことに唯一の幸せを覚えつつ天に召された。……それに対して『小公女セーラ』は、最後に大逆転して幸せになる。
 この作品は、主題歌のイントロからしてゴージャスな雰囲気を出していたが、そういえば『赤毛のアン』のオープニングもエンディングも、やはりアンの個性を表し、奔放かつ型破りなものだった。
 だが、やがて主題歌をアイドルが歌うようになる。さらに、ストーリー偏重からヒロインの美少女化という路線にはしって、視聴者は白けてしまったのではないだろうか。なんとなく、必殺シリーズの衰退ぶりに似ているように思う。



2017.5.11

第二百五十五回 ラピュタの島へ行く 

和歌山市の北、加太という小さな町の沖(というほどではない。すぐ前に見えている)に友ガ島という無人島がある。無人島というだけあって、何もない島である。それが、近年にわかに観光地化されてきたのは、じつは何もなかったわけではなくて、明治に築かれた旧帝国海軍の砲台の跡があったからだ。
 もっとも、砲台跡など昔からあり、観光地としてはマイナーすぎただろう。でも、いつしか赤茶色のレンガで固められたややエキゾチックな景観が口コミで広まり、「ラピュタの島」などと言われるようになって、今では若者たちも大勢やってくるようになった。宮崎駿監督のアニメ『天空の城ラピュタ』に出てくる風景を連想させるというのである。ちなみに、こういう「ラピュタ似」の観光地はほかにもあるそうだ。
 筆者は、和歌山市に住んでいた小学二年生の時に、学校の遠足で友ガ島に渡っている。その時に覚えているのは、船着き場へ向かう加太の魚屋さんで、店頭にアンコウがぶら下げられていたこと。加太は和歌山市より北なのに、妙に南国のムードがあるのだ。
 そして、船に乗るとき、桟橋から海を見下ろして、「インスタントラーメンが捨てられている!」と思ったことだ。
 澄みきった水を透して、浅い海の底に、色も形も大きさも、即席ラーメンに酷似した麺状の物体が、あちこちに沈んでいたのだ。なんで海の底にラーメンがあるのだろう、と思っていたら、「あれはアメフラシの卵よ」と先生が教えてくれて驚いた。それが一番の思い出で、肝心の島の施設の記憶はまったくない。
 今回、数十余年の歳月を隔ててふたたび渡航した。船の前の席では、『救命胴衣は椅子の下へ有ります』という表示があった。思わず赤ペンで添削したくなった。
 島に着くと、桟橋から見下ろした海には、おびただしい数のクラゲが漂っていた。無毒のミズクラゲと猛毒の赤クラゲが、海面にひしめき合うほど、ウジャウジャ浮かんでいる。海岸に打ちあげられて死につつある赤クラゲも多数見かけた。
 もちろん、ラピュタ似の砲台跡も見てきた。オブジェでいいから大砲を備えておいたほうが観光地としては売りになるのではないかと思った。日本で八番目に造られたという友ガ島灯台も見てきた。……「八番目」というのが、また微妙ではないか。
 明治のニッポンは西洋の文明に追いつくことに懸命で、この島の砲台なども、当時は侵略や分割統治をくり返していた列強諸国に備えてのものだった(昨今は隣の国が理由もなくミサイルを発射してくるが、それに対しての備えはどうなっているのだろう)。
 その旧帝国海軍の施設跡で、現在はコスプレをした十代の少女たちが写真を撮るようになっているのだ。興味のある人は検索してみると、この砲台跡の写真が見られます。
 帰りの船は定員オーバーとのことで乗れず、15分ほどして臨時の船がやってきた。その名も「ラピュタ号」。すぐ前に見えている島なのに、乗船時間は20分ほどかかる。
 海風を受け、白い波しぶきを立てて進む船の上で、そういえばこの海は、戦国時代、雑賀衆が外へ出て行くコースだったのだ、と思った。ほとんど海賊も同然だった彼らは、信長軍との海戦や他国との貿易に、この海を渡っていったのだ。



2017.4.28

第二百五十四回 四国の難所について 

4月といえば、筆者が四国路をひたすら歩いていた月である。3月の下旬から5月の初旬までかけて約40日ほど歩いたので、その年の4月はまるまる収まっている。
 この季節にお遍路することを「花遍路」といい、桜が咲き誇る山道や名所のお寺を巡ることができるのだが、まだ気温差の激しい時期で、凍えるように冷え込む夜もあれば、日中は激しく日焼けして腕に水ぶくれができてしまうほど暑い日もあった。
 筆者にお遍路することを勧めてくれた税理士の友人は、真夏におこなったという。室戸岬に向かって果てしなく海岸道路のつづく国道55号線など、炎天下のもとでは鉄板状態ではなかろうかと思うのだが、よく歩いたものだ。彼が言うには、衣服が汗ばんだら、川に入ってザブザブ洗い、その後、背負ったリュックに紐で吊して歩いたそうだ。高い気温のもとで、リュックにぶら下げた衣類はすぐに乾いたという。それもまた夏遍路の一興かもしれない。
 さて、遍路道には難所がある。たとえば、その名もすさまじい「遍路ころがし」。
 これから歩き遍路の旅に出ようとする者にとって、地図上にその名を認めるだに、待ち受ける峻険なる行程が予想され、覚悟のほどを問われる名称である。21世紀とは思えない土の山道を一日中踏破して抜けるのだが、困るのは飲み水の確保が難しいことだ。
 事前に十分な飲料水を用意しておかないと、水が尽きても、途中で自販機や商店など見かけない。そしてそのことを、前もって誰も教えてくれないのだ。
 途中、空海が出したと言われる泉があった。山中の湧き水だから、考えてみれば都会の水道水よりもきれいなのだが、中で蛙の鳴き声がした。
 読者なら、これをお飲みになるだろうか(筆者は飲んだ)。
 遍路ころがしより、筆者としては上に書いた国道55号線のほうがきつかった。地図で見ると、室戸岬は四国の南東の端に位置している。視界の果てまで延々と続く海岸道路のはるか彼方に、岬の影が四つほど層になって、墨絵のように淡く霞み、突きだしている。あの重なり見える岬の一番奥の先まで、今日中に歩かなきゃいけないのかと思うと、絶望的になった。
 前に書いたが、三原村という、筆者が折悪しく山の中で食あたりになり、一晩に九回の嘔吐と水不足で脱水症状になった場所も忘れられない。歩かなければ山中で死ぬから歩いたが、人がいる農家を見かけただけで、とりあえず野垂れ死には防げるのでホッとした。
 真縦(まったて)という難所もある。お寺はたいてい山上にあるが、ここは山がソフトクリームのように上に行くほど尖っており、頂上付近の傾斜が45度にもなるという。45度の坂といえば、ほとんど垂直のように見えるところから、つけられた異名が「真縦」なのだそうだ。
 ここに参った帰り道、筆者が坂を下っていくと、障害を持った若者とそのお母さんの二人連れが上ってくるのと出会い、すれ違うとき、苦しそうに「まだまだ先ですか」ときかれた。
「もうすぐですよ」と答えるしかなかった。かたわらを、ツアーで参詣する人たちのバスや車が次々と追いこしていく。歩き遍路はヒーヒー言いながら上るのだ。この若者は、登り切るのに、筆者より苦労するかもしれないが、たどりついた時の喜びや達成感は、筆者よりも大きいのではないか、と思った。ちょうど筆者が、車で上る人たちよりもそうであったように。
 人生のほかのことでも、同じことが言えるのかもしれない。
 


2017.4.11

第二百五十三回 時をかける手紙 

 時をかけるのは少女ばかりではない。
 手紙だってそうだ。
 何のことかというと、去年の一月、5年生の最後の授業で、受験生に贈る手紙を書かせたのである。
 受験本番を目前にした6年生の先輩へ、応援の手紙を書く。今の自分より一年も多く勉強した先輩は、いよいよ第一志望校の入試を間近にひかえて、今どんな緊張感に包まれ、どんな気持ちでいるのか、それを想像してエールを送るという試みだ。
 署名して、封筒に入れて、一人ずつ集めた。6年生に届けると言って。
 ところが、それは方便だった。
 実は筆者が一年間それを保管していたのだ。
 そして6年生の最後の授業で、みんなにその手紙を返した。
「一年前の自分からの手紙だよ」
 そう言って配った。
 子どもたちにとってはサプライズである。5年生だった自分から、入試を直前に迎えた今の自分へ、応援の言葉が届けられたのだ。
 中学受験生にとって、6年生の期間は、これまでの人生の中でもっともたくさん勉強した一年間である(でなきゃ落ちる)。学力的にも精神的にも成長が甚だしい(はずだ)。その濃密な日々を経て、5年生だった一年前の自分は、ひどく幼く思えるのではないだろうか。
 中には、この一年のあいだに辞めてしまった子もいる。それにクラスが変わって、一年前は別のクラスだった子は、この「時をかける手紙」をもらえない。
 うらやましい、自分も欲しかった、という子がいて、その子の発案で、最後の授業から二ヶ月後の自分への手紙を書くことにした。
 どこの塾でもそうだと思うが、3月にみんなで集まって合格祝賀会というのをやる。
 受験が終わって、入学を待つだけの楽しい春休み。もう叱られることもなく、ジュースとお菓子を出されて、おしゃべりやゲームをする集まりである。その日の自分への手紙だ。
 受験直前の、おそらくは人生で初めての大一番をひかえた緊張に包まれた心境を書きつづり、受験を終えた春休みの自分へ届けるのである。
 全員の分を回収して読んだが、これが胸を打つのだ。本気の決意がにじみ出ている。
 また、書いているうちに覚悟が据わってきているのもわかる。書かせて正解だった。みんなの青春を共有させてもらっているような気分になる。
 ちなみに、祝賀会で怒られている奴を見たこともある。
 もう受験は終わっているのだから、怒られることなんてまずないのだが、そいつは不合格で参加した子に向かって「やーい、落ちたのに来てやんの」と言ってからかったのである。
 からかわれたのは気の強い子で、「うるさい!」と気丈に言い返していたが、言った奴はほかの先生にえらく怒られていた。
 祝賀に招かれて怒られる、という珍しいバカもあったものである。
 


2017.3.31

第二百五十二回 夜光虫はいつ現れる 

  子どもの頃に好きだった科目は、理科だった。
 実験ができたことも大きいが、分野でいえば「生物」がもっとも好きだった。自然の中で生きものを捕まえていた体験があったからだろう。そのせいか、読む本や図鑑も生物関係のものを好み、映画も動物や昆虫など人間以外の生きものを題材にした作品が好きだった。
 中学生ぐらいの頃、書店で『夜光虫』という題名の小説を見つけ、その場で購入した。科学の読み物ではなく、小説である。夜光虫が重要な鍵を握っている物語なのだろうと思った。
 ところが、まったくちがった。エロいのだ。
(なんだこりゃ。エロい、エロいぞっ!)
 夜光虫など一向に出てこない。
 もうおわかりだと思うが、海洋プランクトンの夜光虫をテーマにした物語ではなく、夜に妖しく光るという比喩になぞらえた官能小説だったのだ。
 同じタイトルの小説が横溝正史をはじめ複数あるようだが、筆者が手にしたのは、現在検索して出てくるどれでもない。作者名も忘れた。純然たる官能作家による純然たる官能小説だった。
 ひとつ強調しておきたいのは、中学生の筆者は、そうと知らずに読んだのである。前に「正しい家族計画を」といって売られているものをタロットカードだと勘違いした経験を書いたが、我ながらこのあたりは抜けていると思う。リードも読まずに、ぱっと買っていた。そして、
(いつになったら夜光虫が出てくるんだ……)  と思いながら読んでいた。
 結局、夜光虫は一匹も登場せず、最後までエロいままだった。
 よく考えてみると、表紙が女性の顔だった。その時点でおかしいと思うべきだったのだ。
 その頃に通っていた本屋さんでは、レジのお姉さんといつも一言二言ちょっとした会話を交わしていたのだが、その『夜光虫』の件以来、彼女は口を利いてくれなくなった。お姉さんは大人だったから、表紙と題名だけで一目で内容を見抜いたのだ。そして「子どものくせに、こんな本を読みたがるなんて……。しかも、女性の私がいるレジに平気で持ってくるなんて」と、顰蹙を買ったのだろう。
 これと似た経験に、小学生時代の冬休み、新聞のテレビ欄に『ザ・スパイダースの大進撃』という映画を見つけ、クモの大群が進撃してくる動物パニック映画だと思ってワクワクしながら見ていたことがある。
 ところが、クモなどまったく出てこない。当時からみても古い映画で、日本の若者たちが悩み、傷つき、葛藤の中で成長しているようだが、一匹もクモが進撃してくる気配はない。ちなみに主演は堺正章だった。
(いったい、いつになったらクモが襲ってくるんだ!)
 と焦れているうちに真相に気づいた。
『JAWS』を皮切りに動物パニック映画が流行した時代があったが、その昔、グループサウンズが隆盛を極めた時代もあったのである。



2017.3.31

第二百五十一回 武蔵の実像 

 では実際の宮本武蔵とは、どのような人物だったのだろうか(前回からつづいている)。
 剣の技倆については語れない。想像を絶するレベルにあり、筆者の知識では形容できるものではないからだ。ノーベル賞の業績が具体的すぎて、ある程度その研究にたずさわった人でないとよくわからないのと同じである。
 伝えられる逸話としては、弟子の額に米粒をつけ、一刀でその米粒だけを両断したとか。弟子の額には傷痕ひとつ残さずに、である。
 箸で蠅をつまんだというエピソードにしても、本体ではなく羽だけをつまんで捨てていたというから、動体視力が尋常ではなかったのだろう。
 青竹を握りつぶしたという話もある。鉄砲の弾丸よけに使われるほど繊維が強靱で、現代でも半分に切ったものに乗って「青竹踏み」の健康運動に使うあの青竹だ。その人間離れしたパワーゆえ、二刀を自在に操れたのだろう。
 身体能力だけでなく、頭脳も抜きんでていることは『五輪書』を読めばわかる。文章は端正で、きわめて論理的である。
 絵を描けば国宝級の作品として残されているから、芸術の才能も非凡などという形容を超えている。とくに『古木鳴鵙図』の構図はどうだろう。これだけでも超一流の天才画家だと思うのだが。
 こうなると、何でもできる超人としか言いようがない。剣術も、十三歳で大人の武芸者を打ち殺しているほどだから、最初から強かったはずだ。人類の長い歴史の中には、ごく稀に、最初からできてしまう天才がいるのである。その天才が修行を怠らないのだから、歴史に燦然と名を残すことになる。
 ただ人格的には相当に癖が強く、とっつきにくかったのではないかと思う。
 人間界の恒星なのである。遠く離れたところまで影響を及ぼす強烈な自我の持ち主は、近い距離ではその熱と引力に、周囲が参ってしまう。自己評価も高かったようだが、これは無理もなく、客観的評価でもあり、後世の我々から見ても絶対的評価と言える。
 これほどの人物だから、映像化された作品は数多くあれど、宮本武蔵を演じきれるほどの存在感を放つ俳優を探すのは難しいだろう。
 フィクションの中では、山田風太郎の『魔界転生』に登場する武蔵が、筆者のイメージに最も近い。ようするに魔人である。
 武蔵の実像を研究する最大の資料が、著作の『五輪書』であり、あの有名な自画像であろう。『五輪書』には、読んでいても謎のくだりがあったのだが、アジアジに薦められて読んだ高岡英夫先生の『宮本武蔵は、なぜ強かったのか?』では、かつてない解釈でわかりやすく説明されている。
 筆者の想像だが、おそらく刃牙シリーズの作者である板垣恵介先生も、この作品をお読みになっているのではないかと、『刃牙道』に登場する武蔵の表情を見て思う。
 おそらく宮本武蔵は、武芸において人類史上誰もたどり着いたことのない境地に、60歳までに到達した唯一の人物ではないか。やはりその実像は計り知れない。



2017.3.23

第二百五十回 『宮本武蔵』に三度目の挑戦 

世間的には評価が高いのに、自分としてはそれほどいいとは思えない作品がある。作品というのは、文芸(文学)、映画、漫画などの、芸術のことである。
 これは相性の問題であり、人それぞれだから、べつに良さがわからなかったとしてもそれだけのことだ。
 たとえば筆者は、推理小説では、松本清張の面白さがわからない。有名な『点と線』など、「まさかこういう手段を用いたんじゃないだろうな」と思っていたら、結局それがメイントリックだったので驚いた。それがトリックとして通用すること自体に驚いたのである。作品の中では刑事が靴底をすり減らして苦心していたが、これがもし本当の警察官なら、その可能性を疑わないわけがなく、たちどころに解決しているだろう。
 社会派ミステリーでなくても、西村京太郎、山村美紗、内田康夫といった売れ線の、どこら辺が面白いのかわからないのだ。ファンの人は怒るかもしれないが、筆者の感覚のほうがマイノリティというだけのことである。
 何年か前に大多数の子どもが観ていた『アナと雪の女王』も、そして先ごろ流行った『君の名は』も(これは映画を観ておらず、生徒に貸された本を読んだだけだが)、なぜこれほどヒットするのかわからなかった。
 そして(前置きが長くなったが)吉川英治もそうなのだ。
 とくに代表作といわれる『宮本武蔵』は、筆者の友人も好きだし、江口師範も好意的な評価をされていたし、大山総裁の愛読書でもあったことは知られている。門下生が唱えている極真会館の道場訓も、大山総裁が吉川英治の元に持ち寄り、監修を受けたことは有名だ。
 面白いと思えないのは、相性が合わないから、としか言いようがない。『三国志』にしても、いちおう読んだが、主要登場人物がいつ死んだのかもわからなかったので、よほど作品世界に入れなかったのだろう。
『宮本武蔵』も、たしかに文体は流麗である。修辞にも富んでいる。作者には漢文の素養があるのではないかとも思った。でも、どこかぬるい。
 おつうさんという美女に言い寄られて逃げるのに、待ち合わせていた橋の欄干に「ゆるしてたもれ ゆるしてたもれ」などと彫ったりしているし、沢庵和尚に痛めつけられ、どうだ痛いかときかれて、「ウーム。痛い」などと、平気で言ったりする。
 剣術の戦いが描かれ、若年の武蔵が暴れん坊であったと書かれていても、そんな鬼気迫る迫力を感じないのだ。この表現においては、井上雄彦の『バガボンド』のほうが成功していると思う。
 とは言いながら、過去に二回最後まで読んでいるのだが、どうにも気になって、この春、三度目の挑戦を試みた。が、3巻で挫折。読みやすいのに、読むのがしんどかった。
 おそらく作者の吉川英治先生は人格者なのだろう。よくいえば気品がありすぎる。きれいすぎる。だからこそ国民的に受け入れられている。みんなが安心して読めるのだと思う。
 作品世界は、表か裏かといえば表であり、光か闇かといえば光なのである。その光が、筆者にはまぶしすぎるのだ。



2017.3.16

第二百四十九回 ライフラインを守れ 

 現在は馬車馬のように働いている筆者だが、学生時代はグータラだった。
 短期的にアルバイトをくり返し、金が少々入ると辞めて、なにもせずのうのうと暮らした。当然、すぐに金は尽きる。仕送りだけでは生活が苦しくなる。そして……。
 こんなことを打ち明けるのは恥以外のなにものでもないが、料金の滞納によって、電話はもちろん、電気・水道・ガスといったライフラインまで断たれたことがあるのだ。いっせいにではない(念のため)。
 上京した最初の年、高校の同級生だった女友達と東京・京都間で何度か電話した結果、一か月の電話代が6万を超えて、とても払いきれなくなった。わけあってちょうどアパートを引き払うタイミングであり、料金は未納のまま引っ越した。引っ越し代がないから、友人の車で荷物を運んだ。18歳のときだ。未払いの料金は、あとで請求が実家に回って、えらく親に怒られた。
 その後も、電気・ガス・水道と、筆者はすべて供給停止を経験しているが、その中でもっとも早く止められたのは、電気だった。逆に一番待ってくれたのは、水道だ。これは生命維持に直結するかどうかの判断だろう。
 ガスを止められたとき、どうしてもコーヒーを飲みたくなって、炊飯器で湯を沸かしたことがある。コンロが使えないから、電力によって水に熱を加える手段として、炊飯器を用いたのである。
 白米を入れず、水だけでスイッチを押したのだが、たぶん読者の中でやったことがある人はいないだろう。ゴポゴポと巨大なあぶくがひっきりなしに炊飯器の内側で発生し、それが尋常成らざる様相で、気色悪くて仕方がなかった。
 そのころは京王線の千歳烏山(給田)にあるアパートに住んでいた。六畳一間の風呂なしで、家賃は3万7千円だったことを覚えている。風呂は銭湯に通っていた。
 当時で銭湯代は320円ぐらいだったように思う。その小銭を節約するために、ずっと人に会わず、アパートに引きこもった。金を節約するため、と書いたが、本当はこういうことをすればどうなるのだろう、という好奇心からくる実験的な試みでもあった。
 11日間、風呂に入らなかった。ちなみに冬場である。風呂なしアパートだから、むろんシャワーもない。部屋着のスエットも垢じみてくる。不潔にしていると精神衛生にも悪く、体よりも頭皮の脂っぽさが耐え難くなる。12日目でついに限界に達し、銭湯に行った。爽快で、清潔にするってなんて素晴らしいのだろうと思った。
 そんな中で、あるとき、滅多に開かない漢和辞典の中から3万円が出てきて驚嘆した。
 アルバイト代を稼いだとき、「いつか金に困ったときのために」と考えてページの間に挟んでいたのだ。完全に忘れていたので、とても驚き、喜んだ。その勢いで友人を誘って、烏山駅近くの居酒屋へ飲みに行ったことを覚えている。
 それにしても、あの引きこもりの期間、筆者はアパートの部屋で勉強をしていたわけでも、本をむさぼり読んでいたわけでもない。ただ無為にグータラと過ごしていたとしか思えないのだが、ほんとに何をしていたのだろう。今から思うと、羨ましいぐらいである。



2017.3.9

第二百四十八回 必殺仕舞人 

必殺ネタがつづく。
 第16作『必殺仕舞人』である。ファンの間では、必殺シリーズの顔ともいうべき中村主水が出演していない作品に対し「非主水シリーズ」という呼び方があるらしい。『仕舞人』もそのひとつで、若い娘ばかりで結成された華やかな踊りの一座が、各地を巡業しながらその地の悪を「仕舞」していく、という物語。たしかに中村主水の出る幕はなさそうだ。
 メンバーは、座長であり、踊りの師匠であり、仕舞人の元締でもある板東京山(ばんどう・きょうざん)に京マチ子。酸いも甘いも噛み分けたベテランの殺し屋・晋松に高橋悦史、博徒志願だった飛び入りの若者・直次郎に本田博太郎。いずれも必殺シリーズには初出演となる三人で結成されている(京山は『仕事人』のスペシャル番組に友情出演)。
 加えて、情報担当に西崎みどりがいる。西崎が演じる「おはな」は一座の踊り子だが、第6話で京山の殺しを目撃してしまい、あやうく晋松に殺されるところだったのを、京山が自分の預かりという形で仲間に加えるのだ。ほかの踊り子たちは裏稼業を知らない。
 この『仕舞人』、旅ものなので、全編がロケという豪華さである。映画用のフィルムを惜しげもなく使い、照明と撮影の妙で渋く深みのある映像美を醸し出している。この映像に慣れてしまうと、デジタルクリアビジョンなど軽薄すぎて物足りなくなってくる。
 人気作で視聴率も悪くなかったことを考えると、13話で終わったのは予算の都合かもしれない。金をかけ過ぎているのだ。いつも引き合いに出してしまうが『剣劇人』などとは違う。
 ストーリーも濃い。第四話『江差追分 親子の別れ』など、娘が依頼人、悪女である母が標的という設定なのだが、海べりの悲しい場面を背景に葛藤が描かれ、結局は哀れむべき立場でもあった母を娘は憎みきれず、京山たちは「仕舞」せずに終わるのである。
 その板東京山、必殺ファン1000人を対象に行われたアンケートによると、必殺シリーズの殺し屋の中で、人気が第一位だったらしい。
 わかる気がする。これはもちろん京マチ子の魅力だが、仕切人のお国ではダメなのだ。
「これは業だ。あたしの業なんだ。業ならいっそ、阿修羅に成り代わって、この世で晴らせぬ恨みつらみを晴らせてみせよう」
 悪辣な男の手によって我が子を亡くした過去を持つ彼女が、第一話ではこういうセリフを口にして、ふたたび修羅の世界へ舞い戻るのだ。
 必殺シリーズには数々の女殺し屋が登場するが、板東京山の魅力は(見かけも一番べっぴんさんだが)、何といっても殺しの場面における普段とのギャップだろう。
 いつもは一座の座長として厳しくも優しく、おっとりとした育ちのいい話し方をする彼女が、いざ「仕舞」となると忍者のような黒装束に身を包み、切れ長の目が別人のように冷たく、長かんざしで悪人の延髄を容赦なく一突きにする。ときには体の柔らかさと合気道を駆使したアクションを見せることもある。
 そして「仕舞」が終わると、また可愛らしい笑顔に戻る。実際こんな可愛らしいおばさんは見たことがない。そういえば中村主水も、殺しのシーンの凄味とズッコケた日常とのギャップが極端だった。人気作になる所以はこのあたりにあるのかもしれない。



2017.3.2

第二百四十七回 秀さんの歌 

『必殺仕事人』には、のちに中村主水とならんで仕事人の主要キャラクターになる飾り職人の秀(三田村邦彦)が初登場している。
 秀は最初、血の気の多い若者という役どころだった。駆け出しの仕事人で、自分たちの仕事の意味と重さがわかっておらず、感情で依頼を引き受けようとするところもあった。ベテランのクールさを見せる後年とは大違いである。
 翳りのある美貌と、現代の髪型、銀のブレスレット、ジーンズを貼り合わせた衣、といった時代劇とは思えないスタイルが受けたのか、これまで必殺シリーズの視聴者層ではなかった女子高生のファンが急増し、視聴率もどんどん上がっていったらしい。
 そして、ついに作中で挿入歌『いま走れ!いま生きる!』を歌うことになる。歌に合わせて秀だけをとらえたショットが続くなど、アイドル化されていることがわかる。これまでも市松や又右衛門など、美形の殺し屋はいたが、このような扱いは初めてだろう。
 ちなみに『いま走れ!いま生きる!』は、歌詞がどうもおかしい。というのは、曲にきっちりと合っておらず、あまり歌謡曲に使われないような表現もまじっているのだ。と思っていたら、作詞が三田村邦彦だった。「秀さん」自身による作詞なのである。素人くさい歌詞といえばその通りだが、かえってそれが駆け出しの仕事人の青い感じと合っていてよかった。
 ちなみに三田村邦彦は歌がうまい。仕事人の続編である『新 必殺仕事人』では、主題歌の『思い出の糸車』、そして挿入歌『涙の裏側』も歌っている。筆者はこれを「レコード」で持っていたが、シングルのA面とB面だった。
『仕事人Ⅲ』の二時間スペシャル番組、現代版『仕事人VS暴走族』では、主題歌の『冬の花』を、主水、秀、勇次、加代の四人がカラオケで歌う場面があった。中条きよしは言うまでもなく、三田村はわざと下手な歌い方を演じ、藤田まことも俳優だけに演技力に通じるような歌唱力を見せ、その三人で『冬の花』を持ち歌にしている鮎川いずみを食っていた。
 筆者は高校生の時、カラオケで『自惚れ』を歌ったことがある。父に連れられていったスナックだった。そこのママさんが「この歌、難しいよ。みんな途中で歌えなくなるもの」と言っていたが、理由は明らかだ。『自惚れ』は『仕事人Ⅳ』の挿入歌で、番組内ではいつも仕事人たちが殺しに向かう前に流れるのだが、メロディが三段階で変わり、その二段階までの部分しか流れないのである。筆者はこれもレコードで持っていたから、曲の流れを知っていたが、途中で歌えなくなった人たちは、たぶんテレビで『仕事人Ⅳ』を観ていて、全部を通して聴いたことがなかったのだろう。
 サラリーマンの頃、同僚と入った居酒屋で『涙の裏側』が流れていた。
 懐かしくなって、思わず同僚に「これ、仕事人の挿入歌だよ。知ってる?」ときくと、近くにいた店員のお姉さんが、「お客さん、よくご存じですね。でも、これ主題歌ですよ」と言って話に入った。思わぬところで同好の士に会ったものだ。
 実際は『思い出の糸車』が主題歌で、『涙の裏側』は挿入歌なのだが、雰囲気が似ているし、番組内で流れるので耳に残っていたのだと思う。
 あのお姉さんも、かつて秀さんのファンの「女子高生」だったのだろうか。



2017.2.23

第二百四十六回 必殺仕事人を見た 

  必殺シリーズ第15作『必殺仕事人』を、ついに全部見終えた。おととしの5月からテレビ放映と同じように毎週見続けてきて、先月の末、とうとう最終回に行き着いたのである。
 なにしろ全84話におよぶシリーズ最長作品だ(ちなみに最短は『必殺剣劇人』で、たったの8話。10分の1以下である。江口師範も筆者もこれを「必殺」だとは認めていない)。
 最後まで骨太な作りであったが、長期作品だけに、途中で元締や必殺技の変化もあった。
 元締は最初、鹿蔵(中村雁治郎)だったのだ。『新・仕置人』の元締が「虎」だったことを考えると、同じく動物の名前が入っていることで、この作品に投じられた気合いがわかる。いい味を出していたのだが、惜しくも降板。
 その後、元締の役が山田五十鈴に変わるのだが、後のシリーズで殺しを担当する「おりく」さんではなく、別人物の「おとわ」であるところがややこしい。その山田五十鈴も降板し、六蔵(木村功)という影の薄い人物が元締になる。外見の特徴に乏しいうえ、木更津にいるという設定で、ほとんど出てこないのだ。
 情報担当で、加代(鮎川いずみ)がここから登場し、三島ゆり子も「おしま」という、そのまんまの役名で最終回まで出演。『仕留人』では「なりませぬ」だった口癖が、『仕事人』では、ほぼ毎回口にする「許せないわあ」に変わっている。これは世の悪に対する義憤からくるものではなく、自身が年増などとからかわれたことへの私的な憤りの言葉である。
 必殺シリーズの最終回は、悲劇的なものが多く、たいてい裏稼業が世間に知られてしまうのだが、解散して江戸を離れるのは穏当なほうで、レギュラー殺し屋が殉職する作品も珍しくない。
『仕事人』では、殺し屋は死なないが、仕事人の一人、畷左門(伊吹吾郎)の妻・凉(小林かおり)が悪の手によって殺害され、そのショックで娘が記憶喪失となる。左門は仕事人を引退し、すべてを忘れてしまった娘を連れて、白装束で巡礼の旅に出るのである。
 この妻・凉を演じた小林かおりの演技がよかった。
「よかった、あなたがご無事で……」と、死ぬ間際に駆けつけた夫の左門に言う。
「心配でした。……お出かけのたびに」
 そう言って息絶えるのだ。仕事人でありながら良き夫でもある左門の蔭で、彼女はけっして出しゃばることなく裏で支えるような妻であった。だが、夫がなにか危険な仕事をしていることには気づいていたのである。
 いや、逆に、狭い長屋での暮らしで、夫の異状に気づいていなければバカだろう。屋台の稼ぎだけで食べているわけではないのだから。左門だけでなく、となりの秀も、その危険な仕事の仲間であることに感づいていたのではないか、とまで思わせ、これまで脇役然として目立たなかった凉のキャラクターが、一気に実存的に浮き上がってくるのである。
 ストーリーの展開からすると、幼い娘の美鈴(この子は、たぶん筆者と同い年ぐらいだろう)も殺害されていたほうが自然なのだが、それだと残酷すぎるし、左門が旅立っていくラストにもつながらない。
 そんなわけで全話見終え、今は第16作『必殺仕舞人』にはまっている。
 


2017.2.16

第二百四十五回 B級ホラー万歳! 

バレンタインデーで思い出したが、その昔、『血のバレンタイン』というホラー映画があった。いわゆるB級ホラーに分類されるタイプの作品(では「A級ホラー」って何だろう)だが、27年後に『ブラッディ・バレンタイン』という作品としてリメイクされているからには、愛好するファンもそこそこいたのだろう。かく言う筆者も、その一人である。
 B級というのは、言い換えれば「洗練されていない」ことであるように思える。
『血のバレンタイン』でいうと、いわくのあるバレンタインデーに、炭鉱夫の姿をしたシリアルキラーが、つるはしを武器に人々を襲っていくのだが、ここでの2月14日というのは『ハロウィン』の10月31日や、『13日の金曜日』の13日の金曜日と同じで、忌まわしい出来事のあった日として、新たな惨劇が行われる特定の日付が欲しかっただけである。炭鉱夫の格好をして顔をガスマスクで隠しているのも、やはりブギーマンのハロウィンマスクやジェイソンのアイスホッケーマスクと同じように、キャラクター造形として従来の作品の手法に乗っ取ったわけで、とくに新しさはない。
 だが、それがいいのだ。その一種の泥臭さが魅力なのである。ところが、リメイクされた『ブラッディ・バレンタイン』は、B級どころか、殺人鬼(犯人)の正体まで謎としてラストまで引っ張り、ホラーファンが求める要素を惜しげもなく詰めこんだ特級作品だった。
 ほかにもB級ホラーといえば、一度テレビ放送で観て、「なんじゃ、こりゃ」と思った『血に飢えた白い砂浜』というのがある。海水浴客で賑わう砂浜に、蟻地獄のような漏斗状の窪みができ、人が吸い込まれる事件が多発するのだが、その原因というのが、地下に棲む未知の怪物だったのである。
 子どものころ映画館で観た『地獄のモーテル』も、まさに堂々たるB級作品だ。自家製の美味しい加工肉で知られるモーテルの経営者が、実は裏の畑で「人間栽培」をして肉を作っていたという話だが、これは本編よりも、ポスターのほうが怖かった。実写の映像より、絵のほうが気色悪いということは、ままある。
 B級B級と言いながら、これまでのところで挙げた四つの作品を、筆者は市販のDVDで持っているのだが、まだ購入していないものに、『地獄の謝肉祭』がある。タイトルから想像できるようにゾンビもので、これも本編よりポスターのほうが怖い。
 ほかにも、DVDが欲しいと思いながら入手していないものに、『ファンタズム』と『バーニング』がある。
『ファンタズム』をご存じだろうか。続編もできているようだが、筆者がここで書いているのは、第一作の、刃物がついた鉄の球が飛んでくるやつである。ずっと昔にテレビで一度観たきりだが、B級とは言えないほど新感覚だった記憶がある。
『バーニング』もテレビで一度観ただけなので、また観てみたい。カヌーの場面が印象的だった。これも大バサミを振りかざす殺人鬼が出てくるのだが、宣伝では「バンボロ」という名前だったのに、本編ではその名前が使われていなかったのはなぜだろう。
 筆者はシングルレコードで、そのサントラを持っていた。映画を観てもいなかったのに、つまり曲も知らないのに買ったのだ。80年代とは、それほどホラーに浮かされた時代だった。



2017.2.9

第二百四十四回 共通点がある 

 綺麗事ではない。教える側が、「生徒から学ぶことがある」というのは事実なのだ。
 一年や二年の間、面倒を見ながら観察することをくり返していれば、どんな子が合格してどんな子が不合格になるのか、そこに普遍的な法則を見出せる。もちろん、しっかり勉強するという当たり前の大前提は別として。
 これは空手にも当てはまるし、ほかの習い事や、その他なんでも個人が向上したいことに通じており、応用が可能であると思われる。
 その具体的な内容を数え上げれば、今回だけでは終わらないので、忘れていなければいつか別の機会に書くことにしよう。
 逆に、教える側にも共通点が見受けられる。
 まず、学校や塾の先生でも、ピアノなどの習い事の先生でも「下準備」を怠らないことは必須条件である。あらかじめ指導内容を組み立てておくことだ。
 前にある家庭教師センターで、教材研究なしでの飛び入りという案件があった。そこの受付嬢は「学生の先生のほうが勉強してきた記憶が新しいから、飛び入りでもできる」と言っていたが、これはとんでもないド素人の勘違いである。プロほど念入りに下準備をするものだ。筆者は結局、ここでの仕事はお断りした。
 江口師範のご指導も、師範稽古に出ている人はおわかりだと思うが、当日のテーマが明らかで、まちがいなく入念に事前の組み立てをされていることがわかる。
 そして、目配り。いい先生は、よく見ている。でないと異状があっても気づかない。
 わかってなさそうな顔や、タマシイが別世界に飛んでいる顔は、一目瞭然である。中にはこっそりお菓子を食う輩もいる。
 江口師範も目配りは鋭く、とくに少年部へのフォームチェックなどは非常に細かい。
 ただし、体調不良の場合は、見極めが難しい。
 以前、4年生の女子で、授業中「ちょっと具合が悪そうだな」と思った子がいたのだが、そのまま板書していたら妙な音が鳴り、ふり向くと、彼女は嘔吐していた(それからが大変だった)。こちらが目配りしていても、本人ではないのだから、どれだけ苦しいかわからないのだ。どうか限界まで我慢せず、吐く前に自分から言って欲しいものである。
 武道の世界では、上下関係が確立している中で、疑問や不満があっても口に出せないかもしれない。が、それでいい。とにかく先生の言うことに従うのが強くなる早道だから。
 でも、口に出せないと、どうしても合わなければ辞めるしかなくなるが。……まあ、そのぐらいなら相談したらいいだろう。
 さて、今回は道場生の立場で僭越ながら江口師範のご指導について語ってしまったが、今は月曜日と金曜日の夜のクラスが、江口師範のご指導になったことをご存じだろうか。
 筆者はこの前の月曜日に、たまたま余裕があったので出席し、師範に直接キックミットを持っていただいた。ミットの位置がめちゃくちゃ正確で、道場生同士で持ち合う比ではなかった。
 月と金である。江口師範の説明はわかりやすく、ユーモアも利かせてくれる。火木の試合クラスは敷居が高いという人も、この機会に師範から教わる機会を得てみてはいかがか。



2017.2.2

第二百四十三回 冬の乱歩 

 引きつづき乱歩ネタだが、今回の内容には『透明怪人』と『宇宙怪人』のネタバレが含まれていることを、あらかじめ申し上げておきます。ジュブナイルの両作品をこれからお読みになる方はたぶんいないと思うが、もしその可能性がある場合は、今回の文章を読まないことをオススメしたい。
 乱歩は面白いと言いながら、やはりどうしても突っ込みを入れたくなる部分もあって、そのあたりにも触れたくなったのである。
 たとえば『透明怪人』だが、ほかの作品と同じく、これも序盤から相次ぐ怪奇現象に、作中の少年のみならず、読者である自分もワクワクドキドキを禁じ得なくなる。
 少年が後をつけた怪しい人物が、(なぜか)服を脱ぎ出すと透明人間だった、という怪現象が出てくるのだが、このオチというのが、怪人二十面相のヒマな手下たちが上から糸で衣類を操っていたのだった。いい大人が、子どもを驚かせるために大サービスをしてくれているのである。
『宇宙怪人』では、東京の上空に突然、空飛ぶ円盤の大群が押し寄せる。それが大ニュースになって政府を騒がせ、都民たちを恐怖のどん底に陥れる。『妖怪博士』や『青銅の魔人』や『夜光人間』や『鉄人Q』、『電人M』などなど、乱歩の少年シリーズを読んできた筆者も、ここにきてとうとう宇宙規模での事件が出てきたか、と胸を高鳴らせたものだった。
 で、そのトリックというと、なんと「鳩」だったのである。円盤の模型を、おびただしい鳩の脚に糸で結びつけ、飛ばせた。というのがオチ(いや、トリック)だった。
 んなもんぐらい見抜けよ、政府。おかしいと思わないのか。羽ばたくのに合わせて、円盤の上下の「揺れ」がすさまじかったはずだろう。おびえるなよ、都民も。と思わず突っこみを入れたくなるが、これは時代がおおらかだったのだろう。
 それでも寒い冬の午後などに、家にこもって乱歩を読んでいるのは本当に楽しかった。そのせいか、年中読んでいたはずなのに、筆者にとって江戸川乱歩は冬の作家なのである。
 少年探偵団が出てくるシリーズは、いつも名探偵・明智小五郎が、怪人二十面相をやっつけるというパターンだが、これを読み続けていくと、次々に新しい怪人が出てきても、結局は怪人二十面相であることがわかってくる。エンディングも「明智探偵バンザーイ!」ばかりだと、やがて飽きるし、鼻白んでくる。
 それを見越したかのように、ポプラ社のシリーズにも、後半には『蜘蛛男』『幽鬼の塔』『三角館の恐怖』『赤い妖虫』(原題は『妖虫』)など、陰惨な殺人事件や屈折した心理の出てくる作品がラインナップされている。ここで「善意のエンターテイナー」である怪人二十面相は退場を余儀なくされるが、明智小五郎は依然として登場し、たとえば「蜘蛛男」とも対決する。子ども心にもこれらが放つあやしい魅力は大きく、『死の十字路』(原題は『十字路』)など夢中で読んだものだ。
 小説家の作風に光と闇があるとしたら、鬼才・乱歩はまさに闇の側に存在している。
 乱歩の本当の味は、大人向けに遠慮なく書かれた闇の作品にこそあり、それを読み進んでいくと、『踊る一寸法師』や『芋虫』や『蟲』など、暗い猟奇の果てに行き着くのだ。



2017.1.26

第二百四十二回 土曜日の乱歩 

小学四年生の秋、筆者が西宮の夙川に住んでいたころ。
 ある日、学校から帰ってくると勉強机の上に一冊の本がおかれていた。
 江戸川乱歩『怪人二十面相』。白い背表紙に「黄金仮面」のマークがついた、ポプラ社から出ているハードカバーである。なぜか頼んでもないのに母が買ってくれていたのだ。
 それから筆者はポプラ社の乱歩シリーズを次々にむさぼり読んでいった。今の子どもたちが、どんなシリーズをきっかけに読書好きになるのか知らないが、まあ、小学生にとってこんな面白い読み物はないだろう。
 ただ、違和感もあった。「ハンカチ」が「ハンケチ」と表記されていたり、怪人二十面相がへばりついている塔の壁などをさして、人々が「あっ、あすこ」などと言ったりするのである。また少年探偵団のメンバーのうち「電話のある団員の家に連絡して」というようなくだりもあって、「いつの時代や」と思ったりもした。個人が電話を携帯している現在なら、子どもの読者には通じないかもしれない。
 少年探偵団といえば小林少年だが、その容貌についても、よく「リンゴのようなほっぺたの可愛い少年」と描写されているのだが、それを可愛いと思うのは大人の視点であって、小学生の読者にとっては、そんなやつ、むしろ気色悪いとさえ感じたものだ。
 それでも面白かった。ドキドキハラハラする展開や思わせぶりな語りがやみつきになっていた。子ども向けのシリーズは、乱歩が実際に書いたのではないという説もあるようだが、今さらそんなことを言われても、そう簡単に乱歩作品という認識は揺るがない。
 よく読んでいたのは、土曜日だった記憶がある。学校から帰って(今の若者たちは知らないだろうが、昔は土曜日もお昼まで学校があったのだ)、適度に外で遊んで、のんびりと夕食を待っている時間に、よくコタツに入って読んでいた。まったく、今から思うと、羨ましくなるほど優雅な至福の時間である。
 もうひとつ記憶にあるのは、友達の習い事についていったときだ。
 マンションの管理人さんの息子が、阪急電車でひとつとなりの西宮北口まで水泳を習いに行っていた。彼は後年、阪神大震災で生き埋めになったあげく救出されることになるが、それは後の話。当時、ピープルという水泳教室が、西宮北口の大きなビルの中にあったのだ。
 その行き帰りが一人だとさびしいので、ついてきて欲しいという。6年生のころだったが、我ながら、よくまあ、こんな要求に応えたものだと思う。
 プールの上の階には、ガラスを隔てて観覧席が設けられていた。ビルの中の高層階だというのに、大規模な設備である。水泳のイベントがある時のためか、通っている子どもを待つ保護者のためなのか、よくわからない。
 筆者は保護者ではなかったし、試合でも何でもなく、ただ泳ぐだけの練習を見ているだけでは、さすがに退屈だった。で、同じビルの中にある本屋さんへ寄って、乱歩の『夜光人間』を買い、ガラ空きの観覧席で読んでいた。そして練習が終わると、いっしょに帰るのだ。
 そんなことが何回か続いたか。やがて筆者は、その行き帰りの付き添いをやめた。どうせなら家でコタツに入って読むほうが快適だということに気づいたのである。



2017.1.19

第二百四十一回 九度山で牙を研ぐ 

地方出身者にとって、年末年始に帰省できないのは侘しいものである。筆者は今年も帰れなかった。そこで久々の紀州(和歌山)ネタを。
 高野山の麓、紀ノ川のほとりにある九度山は、地元でこそ知られているが、一般には去年の大河ドラマ『真田丸』に出たことで、初めて知った人も多いだろう(そしてもう忘れられているだろう)。
 大河ドラマといえば、長い歴史の中で、これまで真田幸村を主人公にした作品が制作されなかったのは意外である。ビッグネームを持ってくるのは、たいてい視聴率が低迷しているときなので、ここしばらくの作品が思わしくなかったのだろう。主人公の名前は、人口に膾炙している「幸村」ではなく、「信繁」と表記されていた。そのほうが正しいのだが、「ゆきむら」と「のぶしげ」、どっちが格好いいと思ってるんだ、という気もする。
 筆者も年末に放送された総集編を録画し、今年になってから視聴したのだが、三谷幸喜氏の脚本が軽妙で、非常に面白かった。というか、筆者が知っているかぎり(総集編を見ただけの感想だが)これまでの大河ドラマで、もっとも洗練されていたと思う。
 主演の堺雅人も合っていた。ミスキャストだと、その時点で映像作品は失敗である。政宗(渡辺謙)や秀吉(竹中直人)と並ぶほどのはまり役だったのではないか。
 ちなみに筆者は、池波正太郎の『真田太平記』全12巻の11巻を今、読んでいるところである。流行に少し後れるのが筆者の特徴かもしれない。
 で、紀州九度山だが、ここは関ヶ原の戦いで西軍についた真田昌幸と幸村が家康に蟄居を命じられ、14年間も過ごすことになる地である。『真田丸』では、「日本昔ばなし」のような風景で映っていたが、それも無理はない、現代でも田舎なのだから。
 筆者も六年ほど前、九度山に行ったことがあるが、彼の地について驚いたものだ。
 なにがって、その狭さにである。去年の真田丸ブームで少しは観光地化されたのかどうか知らないが、少なくとも筆者が訪れた時は、まず場所を見つけるのに苦労した。車で向かったのだが、どこから入っていいのか道がわからず、ようやく小さな幟を見つけてたどり着いた記憶がある。そして見つけたのが、賃貸マンションのようなスペースだった。
(こ、こんな狭いところに……!)
 あの有名な真田親子が、14年も暮らしていたのか、と思った。
 14年間とは長い! しかも幸村にとっては、34歳から48歳まで。壮年の働き盛りともいえる期間だ。あふれる能力を発揮する機会もなく、無為に送る日々はどれほど無念だっただろう。
 だが幸村はここで、来たるべき日のために牙を研いでいたに違いない。人生には不遇の期間がある。幸村にとって紀州九度山はその代名詞だったのだ。
 ちなみに、幸村ならぬ氏村も、このところブログの更新をすることもなく電脳空間に「蟄居」していたのだが、これもどれほど無念だっただろう。14年ならぬ22日ぶりの更新である。
「サボってたな」と心ない言葉を投げつけるのはやめて欲しい。年末年始とパソコンのネットワーク接続不良が重なった結果なのだ。あれこれやってみたが原因が特定できず、ついにシステム復元で解決を図るまで、一週間ばかりインターネットが使えなかったのである。



2016.12.29

第二百四十回 本陣殺人事件 

コロコロコロコロシャーン!
 この擬声語が何のものであるかピンときた人は、ミステリがお好きか、あるいは横溝正史のファンではないだろうか。かの名探偵、金田一耕助の最初の事件『本陣殺人事件』で、明け方に鳴り響く琴の音である。新婚初夜を迎えた旧本陣の跡取り、一柳賢蔵とその新婦・克子が寝ている離れへ一行が駆けつけると、夫婦は折り重なって絶命していた。
 襖と障子で構成され、西洋式の鍵がかからぬ日本家屋は、推理小説の世界で、密室トリックが不可能と言われていたらしい。
 ところが離れの周辺は雪が積もり、入った足跡しかない。つまり完全な密室の状況。
 侵入者が隠れていたわけでもない。ということは、新婚夫婦が初夜に心中したのか? だが、凶器に使われた日本刀は庭に垂直に突き刺さっており、周囲の雪には足跡がなかった。
 こんな面白い設定があるだろうか! 筆者が最初に『本陣殺人事件』を知ったのは原作ではなく、子どものころに見たテレビドラマだった。当時は横溝ブームで、古谷一行が金田一耕助を演じる横溝正史シリーズが土曜日の夜に放送されていたのである。
 小学生だったから細かいことはよくわからない。のちに原作を読んで、この事件の動機がものすさまじく特殊で面白いと思ったが、まずテレビで見て、密室トリックに度肝を抜かれた。
 最終回の金田一耕助が謎解きを実演する場面で、びっくりし、かつ非常に感動したのだ。ここでネタバレはしないが、「男の子ゴコロを刺激する」トリックだったことは付記しておく。
 この『本陣殺人事件』の映像化作品を、筆者はドラマと映画で三作品見たが、1983年にテレビドラマで放送されたものが一番よかった。94分にまとめられていてダレないし、セリフがいい。脚本は必殺シリーズでもおなじみの安倍徹郎である。
 ラストで、すべての謎を解きあかした金田一耕助が村を去ろうとしたとき、一柳家の鈴子(賢蔵の妹)が一人、門前に裸足で正座し、呆けたようにお手玉をしている。
 鈴子はちょっと知恵おくれだが、琴にかけては天才的な技量を持っている。まだ十代後半なのに、難病の脳腫瘍に冒され、長くは生きられない宿命を背負った薄幸の少女である。
「おじさん、どこ行くの?」「帰るんだよ。うちに」
 短いやり取りの後、金田一耕助が去ろうと立ちあがった瞬間、鈴子は反射的に、パッと耕助の外套をつかむのだ。全編を通じてほとんど感情を見せなかった彼女が、ここで初めて、自分を馬鹿にせず優しく接していた金田一耕助に「行かないで」という激しい思いを見せる。
 この心情描写がいい。金田一耕助は再びしゃがみ、先の長くない鈴子を強く抱きしめる。鈴子の目から涙がこぼれ落ちる。
 ひと気のない駅で、金田一とパトロンの久保銀造が汽車を待っていると、激しく吹きわたる風の中に幻聴のごとく琴の音が鳴り響く。この物語では琴が重要な役割を果たしている。
 金田一「琴の音、聞こえましたね」
 久保氏「琴? ……風だよ。ありゃ、風の音だよ」
 このラストシーンがいいのだ。今まで、この83年版『本陣殺人事件』のDVD化を渇望していたのだが、今年の4月に実現したのは嬉しかった。



2016.12.22

第二百三十九回 握手にまつわる話 

前回の稽古が終わった後、帰り際に、H氏が手を差し出してきた。
 それに応じて握手をすると、手の甲に口づけしようとするではないか。慌てて振りほどいた。
 まったく何をされるかわかったもんじゃない。聞けば、今そんな挨拶が道場内で流行っているそうだが、あまり妙なことを流行らせないでいただきたいものだ。筆者は「淑女」ではないのだから、かように西洋式の礼を尽くされても困るのである。
 握手といえば、筆者の教え子で、ある日の帰り際、玄関で待っている子がいた。6年生の女子である。筆者が帰ろうとすると、後をついてくる。なにか話したいことがあるのだろうか、と思ってきくと、べつに相談ごとはないらしい。ただ、今日は自分の誕生日なのだという。
 その子は、筆者の「カノジョ」を名のっていた。もちろん言葉だけの話である(念のために強調)。子どもの言うことだから、こっちも大まじめに否定はせず、好き勝手に言わせていた。それにしても、年齢差も甚だしいのに、なぜ「対等の感覚」なのか、よくわからない。
 とにかくその子を駅まで送ってあげたのだが、なぜ誕生日だと待っていたのか、これもよくわからない。なにかして欲しいことがあるのだろうか、と思って、駅構内で別れ際にきいたら、「握手」だと言う。
 誕生日でして欲しいことが、「握手」……なんか可愛かった。
 一方で、握手を拒否されたこともある。
 どこの塾でもやっていると思うが、1月の最後、受験に送り出す締めくくりの会があり、最後に一人ずつ握手をしていくのだが、それを拒否して素通りする子がいたのだ。
 冬期講習会の最中、四、五人の女子グループが連日トイレに集まり、下ネタで盛りあがっていたのを筆者が叱ったのである。緊張の糸を張りつめていくべき時期だった。いわば弓を引き絞っていくようなもので、受験直前に弛ませては、矢が的(目標)に届かない。
 で、喝入れできつく叱ったら、何人かに逆恨みされた。こっちも握手したいわけじゃないから、拒否は一向にかまわないのだが、誰のために叱ってあげているのかと思う。
 入試応援でも握手をする。これは筆者の経験ではないが、信じられないことに、笑って逃げていく女子がいたという。このように握手に過剰反応するのは、たいてい女子である。
 この話を聞いたときは、正直、バカじゃないかと思った。気合いを充実させながらも平常心で臨まないといけない時に、なにをチャラけているのだろう。目前の大勝負へと意識が向いていない。これだけで、もう結果は見えている。
 だいたい先生たちは、早朝6時ごろから正門の近くで待っているのだ。一年でもっとも寒い時期の、もっとも寒い時刻、冷えきった路上で、握手する瞬間のために待っているのに、激励される側が笑って逃げるなんてどうかしている。自分のために来てくれているという想像力も働かない程度の頭脳が、変化球をくり出す入試問題に対応できるはずもなかろう。
 さて、H氏の握手からここまでネタを引っ張ってきたが、握手といえば(これは筆者にとって究極のカミングアウトなのだが)、実は大山総裁に握手していただいたことがあるのだ。
 詳しい経緯は書かない。若い頃だから感激もひとしおだった。
 AKBのファンもそうなのだろうか。その日、手を洗わずに寝たことは言うまでもない。



2016.12.15

第二百三十八回 ファッショナブルではない男の独り言 

今年は(といっても、まだ終わっていないが)、筆者個人の支出において衣類に1円も使わなかった。
 もともと同じ服を何年も着ており、衣服には金をかけない方なのだが、それにしても靴下ひとつ買わず、まったく金を使わなかった一年というのは珍しい。カジュアルになると「服装が若い」と言われるわけだ。
 オシャレといえば、最近、街中で帽子をかぶっている男性を何人か見かけた。丸縁で黒っぽい、同じようなタイプの帽子だったので、流行しているのかもしれない。だとすると、意外な流行である。
 子どものころは、筆者も夏によく帽子をかぶっていた。球団のマークが正面に入った、ひさしのある野球帽だ。
 筆者は野球に関して無知だったが、阪神や中日の帽子をかぶっていたことを覚えている。でも、それは野良仕事における麦藁帽子と同じで、ファッションではなく、日ざしをさえぎるためという実用的な理由からだった。
『アンタッチャブル』など、アメリカの禁酒法時代を背景にしたギャング映画を観ていると、登場人物たちが一様に帽子をかぶっているのだが、今はそれほど一般的なファンションではなくなっている。こういうことって、なにをきっかけに、どこらへんで変わるのだろう。
 たとえば、マントもそうである。今では街中でマントを羽織っている人など見かけたことがない。
 漫画の登場人物でもブラックジャックしか思いつかない。アニメだとデスラー総統とかガッチャマンとか、特撮だとゴレンジャーなど(例が古いですか)戦隊モノの五人組ぐらいである。
 中世だと、カトリックの宣教師や、彼らにそれを贈られた織田信長。そして、よく知らないが中原中也や太宰治がマントをつけた姿で写っている写真を見たことがあるので、これも戦前では珍しくなかったのだろう。
 帽子以上に見かけなくなっているが、今でもどこかで売っているのだろうか。実用的にはどんな便利さがあったのだろう。
 今のファッションで、変わって欲しい(というか廃れて欲しい)と筆者が思うのは、ネクタイである。
 クールビズの概念が広まったおかげで、夏の暑い盛りにつけなくてもよくなったのは助かるが、改まった場に出るときは着用しなければいけなくなる。それが暑がりの筆者にとっては息苦しいのだ。
 応対する相手にとっても、真夏は炎天下を歩いてくるのだから、スーツにネクタイを締めた服装を見せるのは暑苦しく、好印象とは思えないのだが。
 冬でも首を絞められるようで窮屈だ。筆者だけかもしれないが、結ぶのにモタついて出勤が夏場より遅れてしまう。よほどの場合の礼装としてならともかく、日常でいちいち結ぶのは、とても面倒だと感じる。
 帽子やマントのように、ネクタイが懐かしまれる時代になって欲しい。



2016.12.8

第二百三十七回 アラレちゃん登場 

なんでも今、車のテレビCMにアラレちゃんが起用されているらしい(というウワサを聞いた)。
 筆者は大晦日と帰省した時ぐらいしかテレビを見ないので、実際にどんなCMかは知らないが、実写とアニメとの合成かと思われる。
 とにかく、CMを通して今の子どもたちもアラレちゃんを知っているわけだ。
 知らない人のためにいうと、アラレちゃんというのは、鳥山明の漫画『Drスランプ』に登場する主人公で、則巻アラレという。Drスランプこと則巻千兵衛なる博士によって作られた精巧なアンドロイドなのだ。
 といってもSFではなく、完全にギャグ漫画だった。
 たしか、第一話で「博士の顔が変に見える」とか言って、千兵衛が「それはいかん。目が悪いんだ」と、ロボットなのにメガネをかけさせた。両サイドに羽のついた帽子とならんで、アラレちゃんのトレードマークである。
 特技は、なんと「地球割り」。地面を叩いたらパカッと地球が割れてしまう。空手家もびっくりである。ロボットだから怪力で、パトカーにぶつかっても壊れるのはパトカーのほう。「子どもが車をはねた」と言われて、二人組の警官に恐れられる。
 とにかくメチャクチャ面白くて、筆者は子どものころ夢中で読んでいた。コミックの新しい巻の発売が待ち遠しく、買ったときにワクワクしたことを覚えている。連載誌である『少年ジャンプ』の読者プレゼントで、ペンギン村の地図をもらったこともあった。
 鳥山明の『ドラゴンボール』の前の作品で、これが作者のデビュー作なのだが、当時の子どもにとって『Drスランプ』の登場は衝撃的だった。
 なにがって、まず舞台となる「ペンギン村」の世界観がぶっ飛んでいる。
 タキシードを着て度の強そうなメガネをかけた豚さんが、木の上に立ち、マイクで「コケコッコー」とアナウンスして朝を告げるのである。もうそれだけで大受けだった。
 太陽が歯磨きしているし、ウンコが笑顔(!)。そのウンコを、可愛い女の子のアラレちゃんが木の枝でつつく(それが趣味だという)。
 しかもご存じの通り、鳥山明の画力がすごい。大友克洋や井上雄彦など、絵がうますぎる漫画家さんはいらっしゃるが、鳥山明の絵は、とくにメカの描き方に丸みがあり、しかも精緻で、ほかに見たことのないタッチだった。
 ギャグも面白かった。ブビビンマンというハエ型の宇宙人がペンギン村にやってきた回を覚えている。宇宙人といってもかぶり物をしたオッサンなのだが、アラレちゃんと勝負して、ことごとく負ける。「次は相撲で勝負だ」「相撲ってなに?」と訊かれて、(ワシほんとに宇宙人だろうか)と思いながら、日本の国技を説明したりする。最後はアラレちゃんがつつくウンコのにおいに反応し、(ハエだから)「こ、これはなんという食べ物ですかあっ!」と真顔でたずねるシーン(たしか一コマ使っていた)で爆笑した。で、自分の星へ帰るのに「持ち帰り」を注文したりするのである。
 と、こんなことを書いていたら、また読みたくなってきた。昔持っていたコミックはもうないので、1巻から買い直すことにする。36年ぶりの再読である。



2016.12.1

第二百三十六回 80年代は熱かった 

筆者の手元には、ネットで買った『心に響く唄』というCDがある。
 昭和のヒット曲を40曲も収録した二枚組のCDで、一枚目だけでも、たとえば『異邦人』『青春時代』『初恋』『カリフォルニア・コネクション』『秋桜』『悲しい色やね』『カモメが飛んだ』『なごり雪』といった名曲が連ねており、しかもカバーではなく歌っていた当の歌手、たとえば『木綿のハンカチーフ』なら太田裕美による歌が収録されているのである。
 聴いていて、『異邦人』だと、あの異邦人らしき人がふり向くCMを思い出したり、『カリフォルニア・コネクション』だと『熱中時代 刑事編』のオープニングが蘇ったりした。また、このメロディラインは、日本をこえて世界レベルでの名曲であるように思った。全米ヒットチャートというやつを席巻してもまったく不思議ではないほど素晴らしい曲がいくつもあるのだ。
 一発屋さんのヒットもあるかもしれないが、それは歴史に残る一発だった。
 70年代にまでさかのぼるとあまり知らないが、『北の宿』や『津軽海峡冬景色』は子どもながらに名曲だと思ったし、『勝手にしやがれ』や『傷だらけのローラ』は、学校の帰りに友だちと口ずさんでいた。
 懐古趣味かもしれないし、筆者が芸能に疎いから思うのだが、最近の歌謡曲よりも80年代までの曲のほうがいいような気がする。
 アニメでも、筆者がよく引き合いに出すような作品って、今はないのではないか。
 と言えるほど知らないのだが、知るかぎりではどうも小粒になっているように思えるのだ。いやいや、知らないのなら語るべきではないか。
 本家ブログの美幸先生の文章によると、プリキュアは内容が濃いようだし、今のアイドル・グループも、江口師範が感心するほど練習を積んでいるらしい。
 となると、筆者の80年代文化への偏愛は、ノスタルジックな感傷のせいか、あるいは単に自分の感受性が鈍っているだけの話かもしれない。
 そういえば80年代は、ちょうど筆者の青春時代と重なっている。
 時代の空気というのはもちろんあるわけで、80年代の文化というのは、なにかに浮かされているように熱かった。
 子どもは当然、それに影響を受ける。バブル以降に青春を迎えた世代とは、ここがあきらかに異なるところだろう。
 筆者が高校時代をすごしたのは、和歌山南部の地方都市だったが、そこの繁華街……ご多分に漏れず「地方都市名+銀座」という名称だった。なんとショボい「銀座」だろう! そういう銀座は日本各地にあるのだが、やや恥ずかしく思うと同時に、どこか微笑ましくもあるネーミングセンスである。……とにかく、その和歌山南部の「銀座」の通りを歩いているときに、歩道の上に設置されたスピーカーから、いつも流行歌が流れていた。
 それが心に残っている。時代が、流行歌とともにあった。
 そういえば、当時は『ザ・ベストテン』という歌番組があって、自分らはその番組を通して歌やアーティストを知っていたのだが、今の子たちはどのようにして時代の流行歌に出会うのだろう。



2016.11.24

第二百三十五回 エイリアンなんて、ありえん 

 前回のつづきのようなネタを。
 つまり宇宙人の話だが、「宇宙」という言葉に対して、「地球も宇宙だ」と突っこまないでほしい。そういう人は地球の海を航海する船を「宇宙船」だと認識しているはずである。
 さて、古来よりSF作家たちは様々な宇宙人(異星人)のイメージを描いてきた。
 映画でいえば『エイリアン』のような「メタリックな有機体」というデザインは、昆虫のように変態したり寄生したりするという生態の設定とともに斬新だった。あれは制作者か監督か、誰かスタッフの夢に出てきた怪物の姿だという話を聞いたことがあるが、うろ覚えである。
 ちなみに英字タイトルの『ALIEN』を、筆者は小学生の時、「ありえん」とローマ字読みしていた記憶がある。たしかに「ありえん!」と思えるような話ではあった。
『インディペンデンスデイ』や『スターシップ・トゥルーパーズ』のような昆虫型は、劣悪な環境でも生存できるという意味では理にかなっているが、あの体で高度な文明を築いているのは不自然な感じがする。
 筆者はぐにゃぐにゃした軟体系の宇宙人が好きで、SF小説だと、古典だけれどウエルズの『宇宙戦争』に出てくるタコ型火星人などは秀逸だと思う。『宇宙戦争』の原題は『The War of the Worlds』といい、刊行が1938年、まだ第一次世界大戦の前であることを考えると、この題名は興味深い。もちろん冷戦の構造のように主義と主義との対立が顕在していなかった中で、地球外からの侵略との戦争に対して、こういう題名をつけたのだ。
 スピルバーグの『宇宙戦争』(トム・クルーズ主演のほう)は、映画館に観に行ったけど、宇宙人のサイズが大きすぎたせいか、これも高度な科学技術を駆使する知的生命体という感じがしなかった。スピルバーグといえば、筆者はいまだに『E.T』を一度も観ていない。
 来訪する理由は、なんといっても侵略がいい。クラークの『幼年期の終わり』とか、ハインラインの『人形つかい』に出てくるタイタンから来たナメクジ型の生命体、人に取り憑いて乗っ取るやつが、おぞましくていい。
 ジャック・フィニィの『盗まれた街』(映画『ボディ・スナッチャー』の原作)の莢をつくるやつも不気味な「乗っ取り系」だが、この作者にはリリカルな味もあって、原作のラストシーンなどは美しくさえあった。
 軟体系といえば、『マックイーン絶対の危機』、その第二弾『人喰いアメーバの恐怖』、さらにリメイク作の『ブロブ』などは、ぐにゃぐにゃ生物の極みだろう。筆者は三作ともDVDを持っているが、『マックイーン絶対の危機』という題名はないと思う。役名ではなく、俳優の名前ではないか。これじゃスティーブ・マックイーンが危機に陥ったみたいだ。
『宇宙戦艦ヤマト』だと、肌の色が違うだけで地球人類と変わらない二足歩行の宇宙人が登場するが、あれは艦隊戦をおこなうためのストーリー上の必然である。
 さらにつけ加えると、『ウルトラセブン』に登場する宇宙人たちのデザインも魅力的だ。
 とくにビラ星人やチブル星人が好きだが、エレキングもすごい。特筆すべきは、目がないところと、回転する角、そしてあの色彩だ。ゴジラ型の体型はレッドキングを始め珍しくないが、それをホルスタイン牛のように白と黒で彩るなんて、前衛芸術のようである。



2016.11.17

第二百三十四回 遠くエウロパを想う 

今度は小沢先生のブログに触発されて、地球外生物のネタを。
 木星の第2衛星エウロパで、水蒸気の噴出が確認されたとのこと。せせこましいニュースが世間を騒がせる中、このようなスケールの大きな話題に想いを馳せるのもまた一興ではないか。
 筆者が思うに、まず生物はいる。たぶんだけど。
 でも、半ば断言。もちろん想像の域は出ないが、水があるところには、いないほうが不自然だと思う。
 もっとも、その形状および生態は、想像力のおよぶ範囲をこえているだろう。
 それは、宇宙という大自然の環境が想像できないレベルにあるからだ。
 恒星で例を挙げると、オリオン座のベテルギウスは、大きさが(変動するが)太陽の二千倍もあるという。白鳥座のデネブなどは、明るさが太陽の一万倍だとか。
 絶対等級で全天一、太陽の一万倍の明るさなど、見当もつかない。小沢先生のブログにあったが、エウロパでは水蒸気の噴出が地上200キロにもなるそうだ。いったいどんな「大自然」だろう。
 我々は地球の中で、それも同じ日本の同じ地域に住んでいて、暑いとか寒いとか言っている。地軸の傾きで北半球が太陽に近いか遠いかどうかで、夏はうだるように暑く、冬は凍えるように寒いのだ。先週だって、金曜日はジャンパーが必要なほど寒かったが、土曜日は半袖の人もいるぐらいの陽気だった。
 地球上でも、アマゾンやガラパゴスなど、ちょっと環境が変わるだけで、そこにいる生物を「珍しい」と感じる。深海となればさらに神秘的だ。空間だけでなく、時間軸で考えても、ジュラ紀や白亜紀、そして古生代の海などは、異様な生物であふれている。
 まして、惑星レベルで環境が変われば……。
 映画の『スター・ウォーズ』シリーズのように、軽自動車を駆るような感覚で惑星間を行き来できれば、こんな素敵なことはない。けれど、惑星が違えば、重力はもちろんのこと、自転や公転の周期も違う。砂漠の惑星タトゥーインも、氷の惑星ホスも、森の惑星エンドアも、すべて地球でロケされているのだ(といったら夢がないか)。
 となれば、その恒星系に棲む生物もしかり。形状や生態が、ちょっと想像できる領域を超えているのではないか。現時点で、我々はまだ地球外の生命体に第三種接近遭遇しておらず、思い描く生物の見本は、すべて地球内のものだからだ。
 だから夢があるともいえる。
 エウロパの場合、公転周期が3日と13日だそうで、その世界がどんな環境なのか想像を絶するし、水棲生物というのが、またイメージをそそる。首長竜のたぐいやモササウルス系の海獣を現物で見ることができれば夢のようだが、もちろん叶わぬ夢である。たぶんカンブリア紀の海のような奇怪な形状の生物だろうなと思うが、その発想自体が地球内の枠を超えられていないのだ。
 ちなみにSF映画『エウロパ』を、筆者は見ていない。



2016.11.11

第二百三十三回 同い年だった 

だった、と過去形で書いたが、もちろん現在でも変わらない。なにがって(小野先生のブログに触発されて)アイドルの話である。堀ちえみという名前を目にして懐かしくなったのだ。
 思えば、筆者らが青春を過ごした80年代はアイドルの全盛期だった。アイドル産業の形態が今とは異なっており、○○隊と呼ばれる3名ほどのチームは複数あったが、グループというよりは個人で活動する人が多かった。そう、おにゃんこクラブが登場するまでは。
 初めて部屋の壁に貼ったポスターが何だったかを考えてみたが、筆者は中学の時に映画小僧だったので、映画館で買った外国のSF映画のポスターを貼りまくっていたのが最初だろう。
 アイドルだと、倉沢敦美を貼っていたことを覚えている。なつかしや、『わらべ』のかなえちゃんである。
 現在のAKBなどは、握手会の券を入手すれば実際に本人と会って握手できるというのが、かつてない戦略で、ファンにとっては、あこがれのアイドルと実際に会えるのだから、これは身近に感じられるどころではない。
 アイドルとファンとのやりとりにSNSなども使われるようになっており、親しさを勘違いするファンが現れて事件にもつながっている。
 一方、筆者らの頃は、アイドルといえば完全に別世界の存在だった。田舎に住んでいたから尚更のこと、はるか遠くの東京という大都会で華やかに活動しているきらびやかな人たちだったのだ。
 中学の修学旅行で初めて東京へ行き、東京タワーなども見学して、バスがテレビ東京の前に停まっていた時、なんと、すぐ近くを松田聖子が通って大騒ぎになった。
 後部座席の者たちは「生聖子」を見て、「むっちゃ(めちゃ)可愛い」と、ものすさまじく興奮していた。その余韻は布団を敷いて寝る段になっても残っており、まだ「恋心がうずくよ?」と言ってる者もいた。ちなみに筆者は要領が悪く、バスの後ろのほうにいたのに「えっ、どこ? どこ?」と探したあげく「生聖子」を見ていない。
 そのように特別でありながら、彼女たちが身近に感じられる一面もあった。
 それは「同い年」だったことだ。
 堀ちえみ、石川秀美、菊池桃子、薬師丸ひろ子、などなど、ほんの少しだけ年上だったが、そのうちタメのアイドルもデビューするようになっていた。自分は和歌山の片田舎で、とくに何をするでもなく無為な日々を消化するだけの高校生活を送っている一方、同い年なのに首都でスポットライトを浴びて、もう「仕事」をしている少女たちがいる!
 この「天上人でありながらクラスの女子」みたいな、遠いけれど近いようでもある矛盾したバランスが刺激だった。
 また中学生ぐらいの頃だと、ファンというより、ごく普通に恋の対象にもなり得るものだ。初めてアイドルの「レコード」を買った時は緊張した。買いたい。むっちゃ(めちゃ)欲しい。でもレジに持って行ったら、「この子が好きだって店の人にばれてしまう」とさえ思った記憶があるから、つまり「本気」だったのだろう。我ながら初々しいことよ。結局は買ったけど。



2016.11.3

第二百三十二回 声優さんのお仕事 

 国民的人気アニメ『ドラえもん』で、かのジャイアンの声を担当していた声優のたてかべ和也さんが亡くなったのは、去年だった。
 そして先月、今度はスネ夫役の肝付兼太さんの訃報を聞いた。
 肝付さんは、スネ夫が有名だが、
『銀河鉄道999』の車掌さん
『怪物くん』のドラキュラ
『サイボーグ009』の007
『ジャングル黒べえ』の黒べえ(主役)
『ハゼドン』のプーヤン(知ってますか?)
『ドカベン』の殿馬(そういえば)
 などなど、これでもほんの一握りで、膨大な数の作品に出演されていたようである。
 ちなみに、たてかべ和也さんは、ジャイアンのほかに、
『はじめ人間ギャートルズ』のドテチン
『ど根性ガエル』のゴリライモ
『ヤッターマン』のトンズラー
 など、やはり演じる対象の傾向が似ており、いずれもキャラクターの「体格」に共通点が見られる。お二人とも、声だけを頼りにその役を演じ、どれもはまり役のように思えるのだからすごい。
『ドラえもん』は筆者らが小学生のころから見ていたが、声の出演が自分の親の世代よりも上の方々だとは、まさか思わなかった。
 しずかちゃんの声などはきれいで、同い年でも通じるほどだったから驚きだ。声優の方々が、いかにすばらしい演技力で楽しませてくれていたかということである。
 日本のアニメは海外でも人気らしいが、『ドラえもん』が翻訳されても、これほどの才能が集まって演じられることは、まずあり得ないのではないか。
 訃報を聞いてさびしくなったり、友人のあいだで話題になったりするのは、子どものころに夢を与えてくれたことへの感謝があるのかもしれない。
 それにしても、筆者はいまだに「おぅ、のび太ぁ」というジャイアンの声も、甲高いスネ夫の声も、しずかちゃんの上品な「のび太さぁん」も、のび太が救いを求める「ドラえも~ん」も、もちろん大山のぶ代の「こんにちは。ぼくドラえもんです」も、耳に残っている。これは筆者にかぎらないのではないだろうか。
 筆者は今のアニメは知らないが、『ヤマト』だと、古代進の「波動砲発射用意」や、徳川彦左衛門が重々しく告げる「エネルギー重点120パーセント」、『ルパン』だと山田康雄の軽妙なノリや、石川五右衛門が渋く自嘲する「またつまらぬものを斬ってしまった」や、『999』だと星野鉄郎が叫ぶ「メーテル!」などの声が鮮やかに思い出せる。
 顔は知らないのに、亡くなった後も、その声が大勢の人々の記憶に残りつづけるなんて、すごいことだ。そんなお仕事は、ほかにないだろう。



2016.10.27

第二百三十一回 ギャグとユーモア 

 ギャグとユーモアは違う。では、どう違うのかというと、筆者の手元にある辞書を引いたところ、ユーモアの項目には「上品なしゃれ」と出ている。複数の辞書で調べても「上品」という一言が共通しているので、これは定義に要する言葉といってもいいだろう。
 ギャグは手段を選ばない。たとえば、お尻を出して笑いを取るのもアリなのだ。
 ユーモアのほうは、筆者の感覚でいうと、「言葉重視」のような気がする。捨て身の手段も含まれるギャグに対し、言葉による笑いは必然的に上品で、かつ知的にならざるを得ないだろう。また、緊張を和ませる働きがあることは言うまでもない。
 そう、ユーモアを使うには、ある程度の知性が必要とされるのだ。またユーモアを解するほうにも同じことがいえる。アホには使えないし、わからない。塾でも、ちょっと気の利いたジョークを言っても、下位クラスの子はポカンとしている。上位クラスの生徒ほど反応がいい。
 ちなみに、ユーモアが理解できるには、子ども時代の会話の多寡が影響するらしい。幼少期の会話によって言語に関する知性が鍛えられるという話を聞いたことがある。
 さて、ユーモアといえばイギリスが有名だが、映画の007シリーズでも、主人公のジェームズ・ボンドがウイットの効いたユーモアを連発する。
 ロジャー・ムーア主演の『ムーンレイカー』で、ロシアの女性スパイが持っていた小道具のサンオイルを手に取り、ポンプを押すと、小型の火炎放射器になっている。
 で、一言。「日焼け用だな」
 同じくボールペンを取り、ノックを押すと、先端からピシッと針が飛び出てくる。
「遺言でも書くか」
 こういう気の利いたセリフだけでも作品を面白くしている。
 フィクションではなく、現実でも、ユーモアの精神は発揮されている。
 有名な例で恐縮だが、第二次大戦中にドイツ軍のV2ロケットの空爆を受け、入口を破壊されてしまったロンドンの店舗が「当店は入口を拡張しました」との看板を出したこと。一種、自虐的とさえいえるが、不幸を逆手に取るしたたかさが精神的な余裕を感じさせる。
 イギリスといえば、これも有名な話だが、マーガレット・サッチャー元首相が、国会で野生動物保護に関する法案を通そうとしていた時のこと。野党のあまりの野次の激しさに、
「お静かに。この法案が可決して、真っ先に恩恵を被るのはあなた方なのですよ」
 これじゃ、誰も野次を飛ばせない。なるほど、咄嗟にこういう切り返しができるのは、頭が良くなくてはできないだろう。また、この可笑しみが理解できない人には面白くないのだ。
 身近な例をひとつ。筆者が審査会のお手伝いに行くことになった時だ。
 アジアジに場所をきいたら、「東京体育館」という返信が来た。そこまで行くの? 府中総合体育館だろ、と確認のメールを送っても、アジアジは一つ覚えに思い込んでいるので自分のまちがいに気づいていない。で、恐れ多くも江口師範にメールでお訊きした。返信は、
『惜しい。集合時間は合っていますが、場所は大阪府立体育館です』
 もっと遠いじゃないですか!
 一瞬、ドキッとしながらも面白かった。日常で知的なユーモアに接した瞬間である。
 


2016.10.21

第二百三十回 『極真空手50年の全技術』 

極真会館の総本部長であり、城西支部長も務められている山田雅稔先生の御著書『極真空手50年の全技術』が発売中されている。
 50年といえば半世紀である。人生の中で占める時間としては長いが、格闘技の歴史としてはけっして古くはない。どころか新興勢力といえる。
 古代ギリシャや中国では紀元前からの記録が見られるし、日本でも同じころに「角力」はあったとみられる。垂仁天皇の時世に野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)の対戦が『日本書紀』に記されているのは、ご存じの通りだ。角力と言っても、蹴速というからには蹴り技の名人だったのだろう。つまり打撃系の武術が存在していたとみていい。
 そういうものと比べ、この50年という「短い」期間の中で、極真会館ほど格闘技界に刺激と影響を及ぼし、技術を変遷させてきた団体はないのではないか。
 途中、無惨な分裂騒動はあったが、そういった組織の事情とは別に、大会に出場する選手たちは無心に研鑽を続けてきた。
 その技術の推移を、ご自身も選手として活躍されながら、第3回から全日本大会をご覧になってきた山田先生がお書きになっているのだ。思いついて一朝一夕にできる仕事ではなく、50年の集大成といえる大業なのである。
 山田先生の御著書には、ほかにも『能力開発と目標達成』があり、筆者は20代のころ、これを5回くり返し読んだ。凹んでいる時に読むと、やる気が出るのである。2冊持っており、アジアジが欲しがっていたので、1冊あげた。
『極真空手50年の全技術』に話を戻すと、筆者は毎日、少しずつ(平均2、3ページのペースで)じっくりと読んでいる。山田先生は極真会館の本部長であり、一介の道場生である筆者から見ると雲の上の存在なので、その著作について語ることすらおこがましいのを承知で申し上げると、非常に緻密で、かつ面白く、わかりやすい。
 たとえば、中段廻し蹴りの冒頭だが、ルールで掴みが禁止になってから中段が効果的になったなんて、考えたこともなかった。まず、その時代を知らない。
 逆説的だが、なるほどルールによって限定されることで、実戦性と引きかえに技術が発達することもあるのだ。今年だってすでに足払いの技術が取り入れられ、道場には畳が敷かれている。
 さて、技術といえば、高度な話ではなく、筆者はたまに、道場に通っている10代や20代の若者とスパーリングをする際、普通に打ち合っていていいのだろうか、と思うことがある。
 スタミナ比べをしてどうするんだ、と思う。大人なら、もっと別の戦い方をするべきではないだろうか。このまま同じように張り合っていても無理が生じる。
 なんというか、筋力ではない空手を目標とするべきなのだが、それだと極真ではなくなってしまうし、かといって年齢差を考えると、打ち合っている自分はあまりに「芸がない」というか、スマートでないように思えるのである。
 でも、まあ、まずはコンスタントに道場に通うことが先だろう。今は絶対的に稽古量が不足しているのだから。



  2016.10.13

第二百二十九回 女子力とは何か? 

岩倉流につづいて、今度は「女子力とは何か?」である。
 なんなのだ、この言葉は。
 出版不況が叫ばれる昨今だが、新書の勢いは衰えていないらしい。その題名に『○○力』とやらが多いのも相変わらずで、よほど効力があるのか、まだ世間の人々に飽きられてはいないようだ。しかし、その『なんとか力』の洪水の中にも、『女子力』というのは見かけたことがない。
 直訳すれば「女子の力」ということになる。が、もちろん筋力や体力など、フィジカルな意味でのパワーではないだろう。
 ちなみに、ここでいう「女子」がさす年齢層の幅は相当に広いらしく、上は40、50代、下は小学生でも意識が向けられており、
「○○ちゃんが、休み時間に、女子力を高める本を読んでたよ」
 などという報告を聞いたことがある。
 子どもながらにそういうことに興味があるのだろう。
 女子力もいいけれど、筆者としては、できれば「漢字力」や「語彙力」や「記述力」も高めて欲しいものだ、とは思っている。
「女子力って、なんやねん」
 と、ストレートに意味を訊いてみたところ、
「女子としての魅力」
「女の子らしさの度合い」
 という解答が返ってきた。
 その場で大まじめに辞書を引く子もいたが、むろんそんな語が(広辞苑にだって)載っているはずもない。筆者の感覚としては、なんとなくだが、後者のほうが、より端的にその本質を表しているように思える。
 というのは、クラスで「女子力の高い子」を実名をあげて示した子がいるのだが、そこで名指しされた数名の子たちには、いずれも「おしとやか」という共通項があるように見受けられたからだ。
 さらには、料理や裁縫などの能力の高さや、細やかな気配りといった、見た目の派手さとは別の、一種、家庭的な要素が重視されているようでもあった。
 ところで、この言葉が面白いと筆者が思ったのは、対義語ともいうべき「男子力」がない点である。こだわりに、あきらかな性差があるのだ。
 これはなぜなのだろう?
 って、ほんとは別にどうでもいいのだが。
 今回、パッと思いついたネタを、テキトーにキーボードを叩きながら、無理やりここまで引っ張って書いてきたのだが、本音を言うと、こんなこと、まったくどうでもいい。まったくどうでもいいまま、オチをつけてしめくくるべくもなく、設定した枚数まできてしまった。
 ので、いきなりここで終了。



  2016.10.6

第二百二十八回 割れるのなんの 

 なにが割れるって、教室の窓ガラスである。
 前回、一人の不良がいきなりキレて、教室の窓ガラスを椅子で全部割ってしまったことを書いた。もちろん現在ではなく、筆者が中学一年生のころだ。尾崎豊『15の夜』の「夜の校舎 窓ガラス壊して回った」どころではない。真っ昼間の授業中なのだ。
 その時にかぎらず、非常によくガラスが割れる学校だった。
 なにかあると、すぐ割れる。筆者も休み時間に友だちとふざけていて、友だちを押した拍子に、彼の背中に当たったガラスがあっけなく割れた。
 ひとつ付記しておくと、「ガラスの材質が脆かった」ことも理由に挙げられる。
 普通の学校で使われている厚みのあるものではなく、薄手の磨りガラスだったのだ。
 ちょっと圧力が加われば簡単に割れてしまう。学校も、中学生が集う教室に、なにを考えてあんな脆いガラスを備えていたのだろう。
 そんな状況なので、学校側は「古新聞回収」という苦肉の策を編み出し、実施していた。
 毎週月曜日、生徒の家庭から古新聞を集め、それを金銭に換えて破損したガラス窓の修繕に当てるのである。
 月曜日の朝、律儀にも古新聞の束を片手に提げた生徒たちが通学路を歩いていく光景は、暴力学校の風物詩のようであった。筆者は一度もやったことがないけれど。
 さて、生徒が教師の目の前で意図的に窓ガラスを叩き割るという蛮行を前に、当の教師は「おい、やめろよ……」と小さくつぶやくだけだった、ということも書いた。筆者は一番前の席だったからその言葉を聞き取ったが、後ろの席では聞こえないほどの小声だった。
 これは無理もないことだろうか? 前回のブログを書いて、あらためて考え直してしまった。
 彼は、このブログの読者諸兄のように、空手の心得がある先生ではない。技術科の担当だが、細身で銀縁メガネをかけた、ごく普通の(推定)30代男性教師だった。
 筆者たち生徒が驚いたように、その教師も驚いたはずだ。生徒が椅子をぶん回して教室の窓を次々に割っていくという予想もしない出来事に、驚きが行動を抑制したことも考えられる。キレていて迫力はあったし、我が身も大事である。巻き込まれたくはなかっただろう。
 そう考えると、彼の非力は無理もないのかもしれない。ただし、他の生徒が見ている以上、その影響を鑑みると、教師としての適性があるとは言えない。
 ちなみに、「松田聖子のマネをするから、静かにしてください」といった教師は、あだ名が「ポンチ」といった。由来は覚えていない。
 マラソン大会の時のことだ。走り終えた筆者は、ゴール付近で体育座りをして休んでいた。
 やがて、同じクラスのイタニ君が戻ってきた。待ちかまえていたポンチ先生が「よくがんばった!」と声をかけると、イタニは「だまれ」と一言。ボソリとめんどくさそうに言って、ゴールを通過していった。
先生「よくがんばった!」 生徒「だまれ」  一度なめられると、こうなるのである。  


2016.9.29

第二百二十七回 先生なんて信じられない? 

子どもが、先生という立場にある大人に対し、いつ頃から疑問を持つようになるのか。
 もちろん個人差はある。たいていは思春期および反抗期か、あるいは一生そんな疑問とは無縁の人もいるかもしれない。
 筆者の小学校五、六年の担任は、中高年の婦人だった。運動会の練習で、筆者はこの先生に「もっとまじめに走りなさい」と言って怒られた。手を抜いて走ったつもりはないので理由がわからなかった。やる気のなさが自然と出ていたのか、それとも単に遅かったのか。
 この先生が一度、筆者の家へ訪ねてきたことがある。
 夕方で、しばらく母と玄関先で話していた。どんなことを言われているのかと、なんとなく落ちつかなかったが、どうやら筆者のことではないらしい。でも、教師が生徒の自宅を訪れて、生徒のこと以外に、いったい何を話すというのだろう。
 選挙のことだった。当時、西宮市の選挙区からは、土井たか子(日本社会党)が出馬しており、「女性の力」云々に賛同して、女性の一人である担任女史も力になろうと、生徒宅を訪問していたのである。早い話が「一票入れてくれ」ということだった。これより以前、筆者はこの先生と個人的に話した記憶がまったくなかったのだが。
 中学にあがると、もっとひどかった。
 筆者らの頃は、校内暴力の時代だった。  とくに筆者らが進学する公立中学校は荒れていた。教師が生徒におびえていた。
 一度、技術科の時間に、一人の不良がいきなりキレて、「うおーっ」と叫びながら椅子を振りかざし、教室の窓ガラスを全部叩き割ったことがあった。
 授業中である。女子は家庭科のクラスへ移動していて、その教室にはいなかった。
 技術科の先生は完全に気圧されていた。それを見ても叱らず、止めようとせず、いや教壇で身動きすらせず、「おい、やめろよ……」と小さな声でつぶやくだけだった。経験を積んで年齢を重ねてきた大人が、中一の子どもを相手になにをビビッているのだろう。
 筆者はどこかで「先生」に指針を求めていた。だからこそ、不甲斐なさが許せなかった。
 三学期になると、クラスは今でいう学級崩壊の状況を呈していた。
 生徒が勝手に立ち歩き、紙ヒコーキが飛び交う教室で、
「松田聖子のマネをするから、静かにしてくださいっ」
 と媚びて、一時的に喧噪を静めようとする教師もいた。
 二年生になると、筆者も授業中に喉が渇いたら、教室を出て水を飲みに行くようになった。
 見つからないように身をかがめて、後ろのドアからこっそりと脱け出したのではない。我が家の台所を横切って冷蔵庫へ向かうように、ふつうに立ち歩いて出ていった。
 一人でだ。友だちを誘うこともなかった。何の気負いもなく、むろん教師に断りもしない。
 筆者は不良ではなかった。ごく普通の生徒だった。そのごく普通の生徒が、教師を舐めきっていた。心の底からバカにするようになっていた。
 ……そして今現在、筆者は逆に、生徒から見られる立場にある。かつての筆者のように「先生」に関心を持ち、容赦なく挙動を観察する子どもの視線にさらされている。



2016.9.22

第二百二十六回 水泳の試合で散った 

夏の練習の成果を出す試合だったから、9月だったと思う。
 たぶん6年生の時。西宮市の小学校で、水泳の対抗試合が開かれたのだ。
 よく覚えていないのだが、その対抗試合のために、夏の間だけ水泳部が設けられていた記憶がある。5、6人の選手が選ばれて、その中に筆者も入っていた。
 覚えているのは、この時の「我が校に勝利を」という意気込みだ。思い返すと自分でも嫌なのだが、若い頃の筆者は自分の所属している団体に対する帰属意識が強かった。
「絶対に、ぼくらの学校が優勝しよう!」と、この時も燃えていた。
 学校なんかちっとも好きではなかったのに、不思議なものである。
 筆者はそれなりに自信があった。転校と同時に岩倉流からは離れていたが、スイミングスクールには通っていたし、スピードもあげていた(と思う)。高校生になっても、体育の水泳の授業で競争したらいつもコースで1番だったことを覚えている。50メートル潜水もできた。
 この対抗試合は、よその小学校のプールで行われた。
 各コースに選手が並んで、25メートルを泳いで、また戻ってきて(つまり50メートル)タッチすると同時に次の選手が飛びこむ、という対抗リレーである。
 筆者は一番手だった。そして二番手は、筆者の親友だった。のちに大阪大学の医学部に進み、今は医者として活躍している秀才のO君である。
 筆者は、自分が一着で帰ってきて、彼につなごうと思っていた。
 ところが、スタートを待っている時、思いもかけぬことが起こった。
 他校で選手が一人足りない、と先生が騒ぎ始めたのである。メンバーが欠けたらしい。
 で、列の一番前に立っていた筆者が、有無を言わせず移動させられた。その学校の列に。
 ようするに、スタート直前になって、他校のチームに入れられたのだ。
 筆者は動揺した。えっ、と思った。なんでぼくが、という感じ。はっきり言って、嫌だった。めちゃくちゃ嫌だった。断りたかった。でも、なぜか言えなかったのだ。大人に対して。
 母校チームの一番手は、ひとつ繰りあがってO君になり、筆者と争うことになった。
 結果、筆者は二着だった。一着はO君。そして、筆者らの学校が優勝した。
 帰り道、優勝に盛りあがる仲間たちのあいだで、筆者だけが呆けたように沈んでいた。
 今から思うと、直前にメンバーを変えるぐらいだから、たいした試合ではなかったのだろう。
 移動させたのは他校の教員で、彼は選手の気持ちなんかまったく頓着していなかった。
 ひどい話だと思う。列の頭数をそろえることしか考えていなかったに違いない。
 筆者は今でもこの時の悔しさを覚えている。だが、問題はそんなことではないのだ。
 わからないのは、なぜあの時、小学生だった自分が、大人の教師に対して、はっきり「嫌だ」と言えなかったのかだ。
 もし自分の主張を通していれば、そこで終わっていただろう。記憶にも残らなかったかもしれない。だが、理不尽な処置に対する不満を口にできなかった分、鬱屈は熟成され、やがて反骨へと転化する。
 教師もあんまりたいしたことないんだな、という冷めた視点が初めて生じたのだ。



2016.9.15

第二百二十五回 ニクロム線工作よ、永遠に 

書店の店頭で、学研から出ているメタルキットを見かけ、衝動買いしてしまった。軽金属の組み立てモデルで、筆者が選んだのはカンブリア紀の海洋生物、アノマロカリス。
 同じコーナーには、「自由研究」として興味深いセットも並んでいる。なるほど、これは往年の『科学』であり、あのスグレモノの付録がこういう形で残っているのは嬉しかった。
 でも、どこらへんが「自由」研究なのだろう、とは思う。面白いけれど、制作者の手中であれこれと作っていくだけで、あらかじめ何ができるかは決められているんじゃないの。つまり、「自由」というほど、奔放な体験ではないはずだ。
 学研のフロクといえば、一年ほど前にこのブログでも書いたが、子どものころの筆者は毎月『科学』が届けられるのを楽しみにしていたものだった。その中で、たぶん四年生の夏に、ニクロム線の工作キットというものがあったのを覚えている。
 ニクロム線という言葉もそのとき初めて知ったし、パッと見は単純な道具で、最初はあまり興味を抱かなかった。緑色のプラスチックでできた電池内蔵の取っ手のような形で、端から端に金属の細いニクロム線が一本、張り渡されている。
 その取っ手を握るとスイッチが入り、電池からニクロム線へと電流が流れるという、このうえなくシンプルな構造のオモチャだった。手を離せば自動的にスイッチは切れるので、火災に発展する心配はない。
 それで何をするのかというと、発泡スチロールを切るのである。ニクロム線で。
 電流が通り、熱をもったニクロム線を当てると、発泡スチロールはその部分が溶ける。溶かすことで切断する。
 発泡スチロールを切って何をするかというと、遊ぶのである。つまり、まあ、工作だ。
 やってみると、これが面白かった。ニクロム線の触れるところ、発泡スチロールはあっさりと溶け、切れていく。たまにうっかりと自分の左手に当ててしまい、「うわちッ!」と悲鳴をあげて火傷を負うことも度々あったが、面白さのほうが勝っていたので、やめられなかった。
 筆者はこのニクロム線工作で、マッコウクジラやジンベイザメを作り、色を塗ったことを覚えている。両者の、あの何ともいえない形が好きだったのだ。
 ニクロム線工作は当時、流行っていたのだろうか。友だち五、六人と学校の体育館で共同制作した写真がある。
 作ったのは恐竜だ。どこで調達したのか、糸巻の芯に使われている厚紙の円錐を並べてトゲトゲの背中にし、体の部分は発泡スチロールをニクロム線で切って、妙ちきりんなステゴサウルスもどきの恐竜ができた。一種、前衛芸術にも似ている。学研のフロク、大活躍である。
 その写真の中で、筆者は和歌山の小学校の体育館で、完成した恐竜を前にして仲間たちと並び、横縞模様のタンクトップに半ズボンという格好で、アホみたいな半目の顔をして突っ立っている。完成して、それなりに嬉しかったはずなのだが。
 ニクロム線で発泡スチロールを切っていく作業には、まるで特殊能力を手にしたかのような「万能感」があった。市販のメタルキットを組み立てるのも面白いけれど、完成した結果は見えている。自分の手先ひとつで作品の完成形がどう転ぶかというワクワク感はない。



2016.9.8

第二百二十四回 岩倉流を学ぶ 

和歌山市では、その当時、大新プールという大型のプールで岩倉流が教えられていた。
 大新にはプールが二つあり、もちろん最初は浅いプールから練習を始める。筆者は入門した小学1年生の時点でまったく泳げなかったので、プールの縁につかまってバタ足から教わった。適度に休憩を入れながら、ひたすらバタ足をする。面白くないだけに苦行のようである。
 そのころの級や段の基準は記憶にないが、たしか赤線1本から始まって、(極真空手の帯みたいに)青や黄などの色つきの線が水泳帽に入れられていったことを覚えている。
 足がつかない50メートルプールで泳ぐのは小学生にとって最初は不安だったが、泳げるようになると、見晴らしのいい50メートルを端から端まで抜き手を切って泳ぐのが爽快だった。
 創立記念日には、宗家の先生が、甲冑を身につけて50メートルプールを泳いだ。我々生徒たち一同は、プールサイドの段々になっている観覧席に腰かけ、その泳ぎを見守るのだ。
 岩倉流は、もとは紀州藩の侍が、鎧や兜を身につけたまま紀ノ川という大河を泳いで渡る、ということを想定していたらしい。「南海の竜」と呼ばれた豪傑の初代藩主・頼宣公には、泳ぎながら瓜を剥いて部下に与えたというエピソードがあるので、それを継承する「瓜剥」もいまだ存在する。また独自の「足巻」という足技も継承され、なんと弓や鉄砲を手にして、泳ぎながら放つという「演武」もある。
 筆者は小4の夏に、400メートルを泳がされた。それで合格したので「黒線2本」をもらえたのが、筆者の岩倉流における最後の位になった。その直後の9月初めに転校したからだ。
 転校した先の街は、和歌山ほど水泳に力を入れておらず、泳げない子も複数いた。筆者は水泳帽に岩倉流の黒線2本をつけたままだったので、その学校の中では、かなり高いレベルに思われたようだ。水泳の最初の授業で、どのくらい泳げるかをテストされた。
 プールサイドに2クラスの生徒全員が並んで座り、そのみんなと先生に見られる中、一人で25メートルプールを一往復させられた。もちろん楽勝である。生意気を言わせてもらうと、岩倉流をやっていた者にとっては、普通の学校の基準などお話にならないのだ。
 岩倉流では、基本、顔を水につけない。つまりは平泳ぎでも息継ぎをせず、顔をあげた状態で泳ぐ。これが普通の平泳ぎとちがっていたので、黒線を見せびらかしている、と言われた。でも筆者にしてみれば、途中でリタイヤした身なのだ。いっしょに入門した幼なじみは、その後も岩倉流をつづけ、「波線」にまでなり(黒線の次は波形の黒線が帽子に入れられる)、後輩を教える側に回っていたのだから。
 転校先の街でも、温水プールのあるスイミングスクールに通い出した。古式泳法ではない「水泳教室」だ。小学校を卒業するまで、そこの水色のジャージを着て通った。でも物足りなかった。岩倉流のほうがよかった。こんなの武道じゃない(そりゃそうだ)という感じ。
 ちなみにスピードでいうと、古式泳法よりも競技水泳のクロールのほうが、もちろん速いのだ。世の流れで、岩倉流でも筆者が習っていたころには、クロールも取り入れていた。一方、学校の水泳でも、今は水難のおりに重宝することから、「着衣水泳」なども教わるらしい。
 筆者はクロールよりも、とくに「抜き手」という泳法が、一風変わっていて好きだったのだが……抜き手なんて言っても、あまりわかってもらえないだろうか。



2016.9.1

第二百二十三回 岩倉流とは何か? 

 大山総裁の著書『what is Karate?』ではなく、『what is Iwakuraryu?』である。
 このブログで空手以外の武道経験として、筆者は弓道のことを書いたが、それ以外にもあった。
 岩倉流とは、紀州藩に伝わる古式泳法、つまり水泳である。
「それが武道なのか?」と思われるかもしれないが、筆者が和歌山の書店で買った『岩倉流』(伊勢新聞社)によると、「もともと武士の戦闘技術・戦術・心得として……」と記されている。そもそも古式泳法(日本泳法)は、武術として発展してきた経緯があるのだ。
 水泳が武士の戦闘技術?
 そうなのだ。武芸十八般の中にも「水練」が含まれているように、歴史マニアなら御存じかもしれないが、織田信長や徳川家康なども、武将のたしなみとして水練を欠かさなかったほどである。
 紀州藩では、武芸好きだった初代藩主の頼宣公が奨励し、歴代藩主が当然のこととして学んでいた。のちに八代将軍になった吉宗公も、岩倉流に熟達していたことが知られている。
 なんせ「宗家」が存在し、段や秘伝・口伝まであるのだ。300年以上の伝統があり、無形文化財にも指定されているのだから、まるっきり古武道ではないか。
『南紀徳川史』という史料には、
「紀州は海国なれば…(略)…紀州の人にして水心なきは人々痛く恥る如きの有さまなりしされば其術諸般に冠たりと云」
 と、豪語するかのように記されている。
 泳法の「技」も興味深い。岩倉流の中からいくつか抜粋してあげてみると、足鼓法、虫泳、鯱泳、転馬、掻分、鰡飛、捨浮、鴎形、筏流、陣笠、鰹墜、瓜剥、といった個性的な名称が見られる。
 古式泳法が、一般のスイミングスクールと何がちがうかというと、基本理念として「自然の水」の中での泳ぎを可視しているところである。
 すなわち、流れのある川や、波のある海での泳ぎ、さらには急流や流木や岩場などの障害があることも想定し、危険回避や水難防止や他者の救助まで考えての泳法なのだ。武芸として発展してきたのなら当然であろう。げんに、上記の技の鰡飛(いなとび)で危機をかわした記録もある(鰡飛というのは跳び技)。
 かつては身体精神の鍛錬として、13キロの遠泳や真冬の寒中水泳までおこなわれており、戦後でも紀ノ川で稽古していたというから凄い。現在の習い事では考えられないだろう。流されて死んだらどうするんだ、と思われてしまう。
 さすがに昭和30年代にもなると、水質悪化にともなってプールで練習するようになったが、自然の水の中を泳ぐという基本理念は根底に存在している。
 岩倉流にかぎらず、このような古式泳法は日本各地に12の流派が認められている。どれも地元で受け継がれている流儀だが、子どもの習い事でスイミングの人気が高いことを考えると、都市部でも価値が認められるのではないかと思う。



2016.8.25

第二百二十二回 動物たち、暴れる 

 映画のジャンルの中で一番好きなものを訊かれれば、何と答えるだろう。
 筆者なら「動物パニックもの」になるが、このジャンルの歴史は浅いと思う。(『白鯨』は別として)古くは『黒い絨毯』や『放射能X』といった先駆けはあるが、ジャンルとして定着したといえるには、まずはスピルバーグ監督の2作目『ジョーズ』が革切りになるのではないだろうか。
 74年公開の『ジョーズ』が大ヒットしたので、今度は『テンタクルズ』という大ダコのイタリア映画が作られた。サメの映画が、JAW(顎)の複数形(上顎と下顎だから)だったので、今度は触手(TENTACLE)の複数形(八本だから)というわけだ。
 犠牲者が4人目までは、岸辺にいても背後から触手が伸びてくるというあたりがサメよりも不気味でよかったが、その後は退屈だった。
 それから全長6メートル、体重1トンの灰色熊がキャンプ場を襲う『グリズリー』。
『ジョーズ』もそうだが、『グリズリー』もポスターがいい。はっきり言って、本編よりポスターのほうが優れているほどだ。映画では、それほど大きくなかったように見えた。
 それから犬が襲い始める『ザ・ドッグ』。これは身近な恐怖だろう。アフリカ蜂の大群が襲う『スウォーム』。迫力に欠けるという意味で、駄作といえば駄作の『ピラニア』。
 気色の悪さではナンバーワンの『スクワーム』。これは家の床一面をミミズとゴカイが覆い尽くし、落ちた人が飲み込まれていくという身の毛もよだつ場面があった。ミミズとゴカイは本物を集めたそうだ。
 異色作として『吸血の群れ』というものあったが、別の意味で異色なのは『オルカ』。これは動物パニックものというより、動物(シャチ)側の目線で描かれた作品で、観客はシャチのほうに感情移入するだろう。筆者の大好きな映画である。
 80年代になっても、捨てられたペットのワニが下水道の中で巨大化して出てくる『アリゲーター』など、多数の作品が制作された。
『アナコンダ』あたりになると、あの動きの速さに白けてしまったが、人食いナメクジの『スラッグス』などは、昔ながらの正統な動物パニックものだろう。
 リメイクされた『ピラニア』も観たが、こちらはふざけた下ネタが多すぎる。ピラニアの襲撃が70年代のものよりずっと迫力があり、面白かったが、それだけにお色気シーンなど余計なのだ(ちなみに、そのノリが加速した続編まである)。
 これらの作品がなぜ面白いのかというと、やはり人間が原始からもっている「食われる恐怖」に訴えるからだろう。『進撃の巨人』や『寄生獣』の再評価でもそれはいえる。
 暗闇を怖がるのと同じで、食われるというのは、あらゆる生物の血の中に受け継がれている問答無用で絶対的な恐怖だ。人間も例外ではない。それなのに(いや、だからこそ)サーベルタイガーなどの天敵のいない現代、動物たちがスクリーンの中を暴れ回る70年代以降の作品群は痛快だったのだ。
 そして最後に動物が負けてしまう「ハッピーエンド」が、筆者には、なぜか残念でもの悲しく思えたのである。



  2016.8.18

第二百二十一回 緒形拳は悪い 

いや、もちろん本当に悪いわけではない。それどころか稀代の名優である。だが、その演技力ゆえに、緒形拳がホンモノの悪人のように思えてくるという意味である。
 このところ、『鬼畜』、『復讐するは我にあり』、『薄化粧』、『GONIN2』と、立てつづけに緒形拳の出演作品を観る機会があり、そのどれもが主演および悪役で、人を殺める役どころだった。
『鬼畜』では、愛人の子どものあつかいに困って三人兄妹の下の二人を……という内容だったが、タイトルほどの悪辣ぶりではなく、むしろ正妻と愛人のあいだで板挟みになって苦悩する優柔不断なダメ男っぷりが印象に残った。もっと残虐非道で、人の命を微塵も省みない犯罪は、世のニュースの中に幾らでも見出せる。
 ストーリーはあくびが出るほど退屈で、湿っぽくて、まれに見る駄作だと思っていたら、意外にも世評は高く、日本映画界の数々の賞に輝いているのだから不思議である。お涙ちょうだいの浪花節が受けるというか、最後の子役とのやり取りが泣かせるのだろう。その子役の演技も棒読みに近かったのだが。
『復讐するは我にあり』では、わずかばかりの金を目当てに平気で殺人を犯し、ふてぶてしくも開きなおる根っからの犯罪者を演じきっていた。筆者は原作を読んでいないが、これも実話に基づいているらしい。緒形拳の本領発揮というべきである。
 でも、中盤がダレて、どうも冗長に感じた。この映画も賞を受けている。『鬼畜』といい、世間で評価の高い作品を面白くないと感じる筆者は、こういう地味な芸術がわからないのだろうか。
 石井隆監督の『GONIN2』は、ダレる場面など皆無の面白い映画で、てんこ盛りの豪華キャストだった一作目と同じく、音楽もよかった。
 緒形拳は、女性5人の中にまじってヤクザと対立する男の役だったが、ふと思ったのは、石井監督は『必殺からくり人』を観ているのではないか、ということだ。そして『GONIN2』は、からくり人で緒形拳が演じた夢屋時次郎へのオマージュではないだろうか。
 ネタバレになってしまうので、ご覧になっていない方は読まないでもらいたいが、『GONIN2』での緒形拳の最期に、やたら鳩が出てくるのである。あそこで鳩が集まってこなければならない理由などない。そして、つづいての自爆死。
 これは、からくり人・夢屋時次郎の最期そのままではないか。
 そういえば、緒形拳は必殺シリーズの初期を支えた俳優の一人で、『仕掛人』の梅安、『仕事屋』の半兵衛、『からくり人』の時次郎と、殺し屋の役だけで三度も出演している。
 時代劇で、相手はワルで、いちおう対象は「世のため人のためにならない悪人……」という大義名分(必殺仕掛人)はあれど、人様のお命をちょうだいした数では、『鬼畜』とは比べものにならない。
 フィクションの中で数えきれないほどの人を殺め、そしてみずからも度々死んでいった緒形拳の新作を観る機会は、もうない。でも、過去の濃い作品だけで、その演技力の凄味を十二分に堪能できる。



2016.8.9

第二百二十回 海は危険がいっぱい part2 

前回は、棘や触手(刺胞)などで「刺す」やつらのことを書いたが、海にはもちろん「噛む」生物もいる。こっちのほうが、より大型で、もちろん危険である。
 岩場で泳いでいた時、眼下の海中を見ると、2メートルほど下を、大蛇かと見まがうばかりの巨大なウツボがゆら?りと移動していたので仰天した。あんなのに噛まれたら、たまったもんじゃない、と思った。
 サメは、稚魚のことは前に書いたが、成魚に出くわしたことはない。でも、それはたまたまであって、沿岸にもサメはくる。
 筆者の母は子どものころ、戸津井というところの海岸で、台風の翌日に、サメが三頭も打ちあげられているのを見たという。そんな光景、筆者も見てみたかった。
 台風といえば、危険を承知で海の近くに行って、その荒れ具合を目撃したが、防波堤やテトラに打ちつける膨大な海水の迫力たるや、筆舌に尽くしがたかった。
 で、台風一過の翌日、海に潜ってみると、岩が白くてびっくりした。
 どういうことかというと、岩についている海草や苔や藻のようなものが、海水の強力なうねりによって、こそげ取られていたのだ。そのため岩肌がまっ白になっていて、いつもの海中の景色とはちがっていた。洗濯機の中のような状態だったのだろう。台風恐るべしである。
 ちなみに、筆者の母は子どものころ、岩場でタクアンを餌にウミヘビを釣り上げたことがあるという。タクアンに食らいついたのは意外だが、別の何かと勘違いしたのかもしれない。それよりも、沖縄あたりならわかるが、ウミヘビが和歌山にまでやって来たのは驚きだ。黒潮に乗ってきたのだろうが、まあ稀有の例だろう。
 話は変わって、早朝に、裸足で岩場を歩き回っており、帰ってみると、足の裏に無数の黒いブツブツができていたこともある。その正体に心当たりがなかったのだが、ようやくウニの棘の先端であることがわかった。
 自分でも、なんでそんなことになったのか、よくわからなかった。とにかく、セッタも穿かずに岩場を歩き回っているうちに、気がつかずウニに接触していたものと思われる。
 とげ抜きで、おばあちゃんに全部ぬいてもらった。不思議とそれほど痛みを意識しなかったが、ブツブツの数を考えるとゾッとする。
 だが、筆者が海でもっとも恐ろしい思いをしたのは、生物ではなかった。
 引き潮だった。中学か高校のころだったか、一人で沖まで泳いで引き潮に当たったのである。なまじ水泳に自信があり、それが災いした。
 どんなに水を掻いても進まない。いっこうに岸辺が近づかない。それどころか、遠ざかっているような気さえした。このままのペースで岸との距離が縮まらなければ、やがて自分も力尽きるだろう。疲れてきて、今よりも泳力が弱くなる。そうなると、もっと沖に流されてしまう。げんに引き潮にあたって何人も死んでいるのだ。
 このまま死ぬかもしれない。そう思ったこの時の恐怖は今でも鮮明に覚えている。
 夢中で水を掻いて、なんとか浜に泳ぎ着いたが、「かろうじて」という感じだった。一歩まちがえていれば……と考えると、これもゾッとする。



2016.8.4

第二百十九回 海は危険がいっぱい 

なにもきれいで楽しいばかりが海ではない。自然なのだから、当然、危険がある。
 たとえば、ゴンズイ。ご存じない人のために言うと、黒と黄色の縞々模様で、ヒゲまで生やし、一見とぼけた顔の魚なのだが、背びれと胸びれに強い毒の棘があるのだ。
 筆者はさいわい刺されたことはないが、毒魚であることは聞かされていた。
 というか、被害者を見た。子どものころ、海岸の岩場で見知らぬ子どもが泣き出したので、何事が起こったのかと思っていたら、落ちていたゴンズイを踏んでしまったのだという。なんでそんなところにゴンズイが落ちているのかというと、釣り人が捨てていったらしい。迷惑な話ではある。で、裸足でその棘を踏んで泣き出したのだ。彼はすぐ親に連れられ、帰っていった。病院へ直行するのだろう。
 このゴンズイ、群れをなすことでも知られている。筆者はちょうど海に入ろうとした時、上から海面を見ると、なにか黒っぽいかたまりがあるので、なんだろうと思って潜ってみた。
 そしたらゴンズイと鉢合わせしたのだ。水の中でヒゲ面と大量に対面して、「ひゃーっ、ゴンズイやあ!」と慌てて逃げた。
 砂底で小さなアカエイの子を見かけたこともある。砂に身を隠しているので目立たないが、エイは意外とあちこちにいて、釣れることもあるのだ。このアカエイも毒の棘を持っているので、みだりに接近するのは要注意である。
 お盆になると、クラゲも出てくる。一番きついのはカツオノエボシだろう。
「電気クラゲ」の異名を持つ、捨てられたグニョグニョのビニール袋みたいなやつだ。ほんとにビニールみたいで、砂浜に打ちあげられているカツオノエボシの浮き袋を、サンダルごしに踏んでしまったこともある(そしたら裂けた)。
 ある夏、ゴムボートで少し沖に出て、海に入った途端、「イテテテテ!」となって退散した。こいつがいたのだ。浜で見ると、腕や足に触手の巻きついた痕が赤く残っている。
 このときは、アロエの先を折って、その粘液を傷口に塗った。アロエは別名「医者いらず」とも呼ばれ、クラゲの刺胞毒にも効くとのこと。効果はテキメンで、すぐに腫れが引いた。
 ちなみに筆者の妹は高校時代、ヨット部に所属していたが、ヨットが倒れたところにカツオノエボシの群れがいて、大量に刺され、熱に浮かされてしまった過去がある。
 毒クラゲは、ほかにも紅白ダンダラ模様のアカクラゲなどはよく見かけたし、悪名高いアンドンクラゲにも刺された。こいつもカツオノエボシと並んで「電気クラゲ」と呼ばれるほど毒性がきつい。両端に長い吹き流し状の脚がある凧のようなクラゲで、海中をスイスイ泳ぐ。
 筆者が、海に入ろうと波打ち際に足を踏み入れたところ、カウンターで激痛がきた(カウンターが多いな)。何事かと思って水の中を見ると、このアンドンクラゲが泳いでいたのだ。
「こんな波打ち際まで来るなっつーの!」と思った。
 クラゲの他に、俗称「ウミジラミ」と呼ばれる小さな生物もいて、これもタチが悪かった。いわゆる「ウオジラミ」とはちがう。小さな米粒みたいな形の虫で、海の中を集団で泳ぎながら機銃掃射のように刺し、素早く去っていく。刺された箇所はブツブツに腫れる。そのやり方が陰湿で、クラゲよりムカツクのだが、いまだにこいつの正確な名称を知らない。
2016.7.28

第二百十八回 夕暮れの海の怪物 

 たしかこの時は福井県の海だったと思う。つまり日本海ということになる。
 子ども時代の十年ほど、筆者が幼稚園から中学生ぐらいまで、父の同僚の家族と2泊3日の国内旅行に出かけるのが、夏休みの恒例だった。
 子どもは四人で、こちらは筆者と妹、相手方のN家は姉と弟だった。あまり意気投合しているとはいえない相手だったので、とびきり楽しみだったわけではない。
 それでも、毎年7月の下旬にどこかの海へ出かけるのは、海好きの筆者にとっては嬉しかった。どこかといっても国内限定だったし、宿泊は高級リゾートホテルなどではなく、たいてい民宿あるいは民宿的旅館だったが、子どものころはそんなことにこだわらない。
 昼間は海でさんざん遊んだ。今から思うと羨ましくなるが、泳ぎ、潜り、ゴムボートをこぎ、日光浴し……とひたすら遊び、もうええっちゅうぐらい海水浴を堪能した。
 で、その夕方。旅館のご飯を待つ間だっただろうか、子どもたち四人で、また海岸に来て、海を眺めていた。
 日暮れ時で、もうあたりは薄暗くなっている。
 海岸は砂浜だったが、部分的に岩場があった。その岩場の方を見て、N家の姉が言ったのだ。
「あそこに、何かいる」
 大きな黒い生き物の背中が見えたという。
「どこ?」
「あの岩のところ」
 声が緊迫していた。おそらくこの時、N姉は意図的に嘘をつくつもりではなく、実際に錯覚を起こしていたのだと思う。その自己暗示と、思いこみによる真に迫った恐怖が、筆者たちにも伝染した。
「あっ、いた」
 筆者の妹も言った。四人いて、うち二人が怪物を見たと言ったのだ。
 そういえば、夏の夕闇の中で、海面に露出した黒い岩は、なにやら巨大生物の背中のように思えないこともなかった。波の中で見え隠れするそれが、みずから動いているように見えた。
 あんなところに得体の知れない怪物がいる!
 自分たちは、そんなことも知らず、さっきまで平気で泳いでいたのか。正体不明の巨大な生き物が、すぐ近くまで来ているというのに!
 この時の恐怖は、今でもまざまざと思い出すことができる。本当に怖かった。なにがって、およそ正体がわからないものほど怖いものはない。『エイリアン』だって、その全貌を現すまでのほうが怖い。
 恐怖に輪をかけるのは想像力の作用である。いわば自ら脳内で生産し、拡大させたものを、自分で怖がるのだ。筆者がこの夏、夕暮れの海で見た怪物の実在を、なかば信じたように。
 まさに「幽霊の正体見たり……」だが、大人になるとあまりこういう経験はなくなる。子どものころ、世界は不思議なことでいっぱいだったのだ。
 


2016.7.21

第二百十七回 私は海になりたい! 

 和歌山県の南部に「産湯海岸(うぶゆかいがん)」という、いささかロマンチックな名称の海岸がある。水の透明度の高さが全国的にも有名な穴場スポットで、珍しい生き物も多く見かける。いつか書いたが、筆者が小学生のころ、サメの稚魚を素手でつかみ取ったのは、ここの砂浜である。
 産湯海岸は、筆者が「潜水デビュー」した海岸でもあった。
 忘れもしない小学二年生の夏、初めて水中メガネをつけて海に潜ったのである。
 潜ったといっても背の立つところだが、この時、水中メガネのレンズごしに海中の景色を見た瞬間の感動は、今でもはっきりと覚えている。
 なんて綺麗なんだろう! と思った。
 日の光が差しこむ澄みきった水の中。浅いところでも魚が泳ぎ、底には波の紋様が刻まれた白い砂が広がっている。透明度の高さが、感動に輪をかけたのかもしれない。
 下を見ながら歩けば、水の中で砂埃(?)がたって、砂底に隠れていたヒラメかカレイの稚魚が逃げていく。野生の魚が、手を伸ばせば届く距離にいて、そのくせ水中では決して捕まえられないのだ。
 といいつつサメは捕まえたが、それは水面の上からだった。
 このブログの同じ回(確認してみると、第24回『4つのホント』だった)で書いたが、タツノオトシゴも浮かんでいたので、手ですくった。
 底の砂には、見たこともない蟹もいた。小さな立方体のような形で、ハサミが平べったく、たためばそれがシールドのように、ピタッと前面を覆う。近づくと砂を煙幕のように掻きあげながら潜ろうとする。
 この蟹はどうしても欲しかったので、何度か潜って捕獲した。飼おうと思ったが、海の生き物なのですぐに死んでしまった。が、その後も乾燥させて保存し、机の上に飾っていた。
 イシダイの子もつかまえたことがある。
 そう、あの石鯛である。『釣りキチ三平』でいう「磯の王者」だが、それは成魚の貫禄であって、稚魚は可愛らしかった。
 大きさは全長3センチぐらい。まだチビっこい。イシダイの稚魚は、のちに縞々の白になる部分が黄色なのだ。そのあざやかな黄色と黒の縞模様がきれいで、熱帯魚のようだった。
 なつっこいのか、好奇心が強いのか、近寄ってきて離れない。なんか可愛いのである。で、水中メガネでそっとすくったら、簡単に捕れた。
 イシダイを捕ったのだから、そりゃ嬉しくもなる。水中メガネを水槽がわりにして、しばらく岩場において観察していたのだが、持って帰るのは可哀想なので放してやった。
 筆者はよほど海が好きだったのだろう。このころ小学校で、みんなが「将来なりたいもの」を書いてタイムカプセルに封印し、学校の敷地内に埋めるという試みがあった。
 そのタイムカプセルが近年になって掘り出されたのだが、同級生たちが「はかせ」とか「けいじ」などと書いている中で、筆者はただ一言、「海」と書いてあった。
「貝になりたい」というのは聞いたことがあるが、「海」にはどうやってなるのだろう……?



2016.7.14

第二百十六回 よい夏休みを! 

小学生だったころ、一学期の終業式の日に、『夏休みの友』とか『ワークブック』といった国語や算数の宿題をもらうのが嬉しかった。
 と書くと、「この人は、そんなに勉強が好きだったのか」と思われるかもしれないが、とんでもない誤解である。
 夏休みの到来が嬉しかったのだ。同時にもらう宿題の教材は、新品の書籍の匂いもかぐわしく、これをもらったら夏休みだ、という「夏休みの象徴」として歓迎したのである。
 なにしろ、これから40日ほどの休みが始まり、学校に行かなくてもよくて、毎日毎日遊んでばかりいられる(!)のだから、こんな嬉しいことはなかった。
 五年生か六年生の時だったと思う。夏休みの初日、友だちにしてマンションの管理人さんの息子が、雑草刈りをさせられていた。マンションの一階の駐車場・駐輪場わきのバルコニーに沿ったスペースにはびこっている雑草を、手押しの草刈り機で刈っていくのである。
 筆者もそれを手伝った。親切心というより、子どものことだから、自分もやってみたかったのだ。ひとつ年下のイジワルな女の子もきて、三人で、かわりばんこに手押し草刈り機をあやつり、雑草をジャキジャキ刈っていった。
 イジワルな女の子は、同じマンションの四階の部屋に住んでいた。管理人さんの息子は、前にも書いたが阪神大震災の時に生き埋めになって、その後救出された(こんなこと、何度も書かなくていいか)。
 このころは西宮に住んでいて、近くに夙川という川が流れており、ちょっと上流(阪急の夙川駅よりも北側)に行けば、川遊びもできた。水質は汚いはずなのだが、見かけは澄んでいて、フナやザリガニや亀などの生き物もいたのだ。
 この雑草刈りのとき、自分たち三人は、かなりハイになっていたことを覚えている。
 川遊びをしようとか、花火をやろうとか、今夜テレビでこんな映画をやるとか、そういう楽しみな話ばかりしていたし、遊びながらやる草刈りの作業が楽しかった。それに、夏休みが始まったのだから、テンションが高くなるのも無理はない。
 今は和歌山からも西宮からも離れ、ビル街の中で馬車馬のごとく仕事に明けくれている筆者だが、これが仕事を持った大人の責任というものだろう。
 わからないのは、子どもでもそれが辛くはないらしいことだ。つまり中学受験するような子たち、とくに六年生などは午前中から夜まで塾で過ごすことも珍しくない。
 精神年齢が高いのだなあ、と感心する一方で、遊びたい盛りに遊ばなくて悔いは残らないのだろうかと心配になる。いやいや、受験するのなら、そうしないと逆に悔いが残ることになる。どっちを選ぶかなのだ。
 でも、遊ぶときは思いっきり遊ぶといい。できれば海や山など、自然の中で遊んだらいい。遊びによっても頭脳は成長するような気がしてならないのだ。
 今でも夏休みの時分に、駅などで旅行に行くらしい家族連れなどを見かけると、「少年よ、楽しんでこいよ」と思う。二度とは戻らぬ、かけがえのない子ども時代の夏を満喫してくれ。
 子どもたちよ、よい夏休みを!
 


2016.7.7

第二百十五回 静かに別れる 

部活に限らない。習い事でも趣味でも、興味を持って始め、好きになって、ある程度の期間は本気で打ち込んでいたものを辞めてしまうのは何故だろう。
 その理由は複合的だ、と以前、このブログで書いた。
 筆者は高校時代、弓道に夢中になり、盆や正月もない弓道漬けの日々を送りながら、二年生の夏休み前に退部した。理由は、カケ(手袋)を雨に濡らしたことをきっかけに複数あるが、ひとつは弓道以外の余計なもの、いわば庭石につく苔や船底のフジツボのようなものがつき、純粋ではなくなってしまったともいえる。
 夏休み前のある日、筆者は顧問の先生に退部の意志を伝えた。
 もう一回よく考えて、それでもどうしても辞めたかったら仕方がない、ということを言われた。「土俵際の踏ん張り」という言葉を、そのとき聞かされたことを覚えている。
 次の稽古で、顧問の先生が帰るとき、筆者はグラウンドを追っていき、やはり辞めたいということを伝えた。しばらく話して退部を受けつけてもらった時、先生は別れ際に「ほら、みんな心配してるぞ」と言って後ろを指さした。筆者は弓道場を背にしていたので気づかなかったが、ふり向いてみると、弓道部とソフトボール部の境のフェンスに、同級生や後輩たちがずらっと並んでこちらを見ていたのだ。
 筆者は辞めようと思っていることを誰にも話していなかったが、そぶりから勘づかれていたのだろう。先生を追いかけていったので、何の話をするつもりなのか、皆わかったのだ。
 このときのショックは、みんながフェンスごしに並んでこっちを見ていた光景とともに、今でもはっきりと覚えている。
 部活を辞めて、稽古なしで過ごす夏休みのあいだ、同級生や後輩から、暑中見舞いがやたらと届いた。後輩からは、辞めてしまってとても残念とか、なんでも話せたのに、とか、ジンとくるようなことが書かれていた。
 心のこもったハガキである。だが、筆者はこういう厚意が、なぜか苦手なのだ。辞めるのなら、いっそ黙って消えていきたいと思う。親しかった人なればこそ、なおさらその気持ちがある。犬や猫が死に際にひっそりと去っていくように。
 たぶん、別れが辛いからだろう。まともに受け入れるのが耐え難いのだ。たとえば電車で別れるときに、ホームで見送られるのも、絶対にイヤだ。
 でも黙って消えていくというのは、相手にとっては失礼この上ないことでもある。逆の立場になればよくわかる。親しくしていた人が一言の挨拶もなく去っていけば、「不人情だな」と感じるのは当然である。
 おそらく筆者はこれまで、平均より多くの別れを経験していると思う。小中学生のころから転校を通じて、まわりの友だちと一気に別れてしまう経験もした。上京したときもそうだったし、仕事の上での必然もある。
 大人になれば人付き合いは選べる。嫌いなら、噛み合わなければ、縁を切ればいいだけのことだ。そう考えて、あっさりと交流してきた。だからこそ、今現在、古くからつき合いのある人は、かけがえのない縁だろうと思う。



2016.6.30

第二百十四回 弓道の会長と副会長 

県の弓道連盟の会長が同じ市内にいらっしゃって、しかも副会長が弓道部の顧問となれば、クラブ活動の稽古も必然的に厳しくなる。休日に朝から晩まで稽古することも、ざらにあった。
 学校ではなく、海べりの市営弓道場で大会が開かれた時、暑い季節だったのか、開会式で一人の生徒が倒れてしまった。筆者のすぐ前に立っていた、よその高校の見知らぬ部員だった。ぐらりと頭が揺れて、崩れるように倒れかかってきたので、筆者は反射的にかわしてしまい、彼はバターンと板張りの床に転がった。
「なんで支えてあげなかったのよ」
 と同じクラスの女子部員に非人情を責められたが、それは後から冷静になって初めて言えることであり、いきなりこっちに向かって倒れてくると、「大丈夫かっ、しっかりしたまえ」と支えるより先に、まずは「わっ、なんだなんだ」と驚きが先にきてしまう。
 それは会長の訓話の最中の出来事だった。会長は厳しく、高校生からみると貫禄や存在感が絶大で、近づき難かったことを覚えている。のちに日本弓道連盟の名誉会長にまでなったとか。ちなみに倒れた部員を見た会長の一言が「おう、弱いなあ」だった。
 会長は市内で歯科医をしており、虫歯になった同期の部員が、知らずにその医院に入ってしまったことがある。弓道部員だとわかると、説教されたそうだ。
 ……こう書くと、その会長がものすごく意地悪いようだが、会長が仕事を終えてから深夜まで弓道場にこもって稽古していたという逸話も、筆者らは聞いている。自分に厳しく、弓道に対して真面目な故の言動なのだろう。
 筆者らの弓道部の顧問も錬士(七段)の資格を持っているほどで、こう言っちゃなんだが、教師としての仕事よりも、弓道のほうに情熱を注いでいたように思えた。いや、それでいいのだ。おのれの道を追求している大人の姿から、若者たちはなにかを学ぶのだ。
 一年生の夏、合宿をやった。合宿といっても学校の道場に泊まるだけである。
 風呂は近くの銭湯に行った。男湯と女湯の仕切りが厚手の濁りガラスになっていて、近づけば体がぼんやりと映る。そして同時刻に、やはり夏合宿中の女子バレー部員たちが入浴に来ており、知っている子の声が聞こえたり、ちょっと濁りガラスに移動する影が映ったりしたので、歓声をあげる者もいた。青春である。
 その夜、夏合宿の余興らしく、肝だめしをやった。はじめに顧問の先生が怖い話をする。それを聞いてから、一人ずつ弓道場を出て、静まりかえった夜ふけの学校を歩き、北校舎の最上階まで行く。そこの階段の踊り場に顧問の先生が、ある言葉をあらかじめ書いており、それを読みとってくることで、本当に行った証明になる、というものだった。
 筆者の番になり、ひっそりとした夜の校内を歩いて、北校舎の階段の一番上まであがった。
 夏の夜空の下で、そこに書かれている『正射必中』の四文字を見た。
 どんな面白い言葉が書いてあるのだろうと思っていた筆者は、感心しながらも興ざめするという複雑な心境になった。
 遊びの時ぐらい冗談をかましてくれてもいいのに……。本当にこの先生の頭の中は、いつでもどんなときでも弓道が占めているんだなあ、と思った。



2016.6.23

第二百十三回 梅ッ酒! 

このブログでたびたび触れてきたが、筆者は紀州の出身である。
 紀州の名産といえば、蜜柑、柿、桃、そして梅。ようするに果実で、それらを使った果実酒も製造されている。
 中学生のころ、社会科の地理の授業では、全国各地の産業を学んだ。と言いながら、筆者は授業中に何をしていたのか、そういうことを教わった記憶がないのだが、ひとつだけ覚えているのは、教科書とは別に配られた『郷土のくらし』という冊子だ。
 和歌山なので、ほかの地方の知識に加えて、特別に地元・和歌山の産業をまとめたブックレットが、副教材として与えられたのである。
 その中に、梅農園の紹介ページがあった。和歌山といえば南紅梅、ようするに紀州梅である。梅農園の片隅で、梅の実がたくさん入ったケースを両手で持っている若者の写真があり、その彼はあきらかにヤンキー風だった。
 働いている最中にカメラを向けられたせいか、「なんだ、この野郎」という感じで、ちょっと睨みがちの視線をこちらに向けているのだ。
 で、クラスの一人が「ヤンキーやぁ!」と言って、爆笑になった。
 おそらく、その若者も「昔は悪かった」クチだが、卒業後すぐに就職した梅農園ではまじめに働いている。農園の人も「彼はねえ、よくやってくれるんですよ」と高校時代の先生に語っている、といったところだろうか。
 話はそれたが、梅である。
 夏が近づくと、自分で梅酒を造りたくなる。これは筆者のひそかな趣味なのだが、今ではスーパーの店頭に果実酒用の瓶や梅の実がセットで売られていて、梅酒造りの愛好者は増えているようだ(昔からだろうか)。
 竹串の先で梅の「へそ」をほじくり、取り除き、瓶に漬けて……という作業は、夏支度という感じで楽しい。
 自分で造った梅酒は、知り合いには譲らない。惜しんでいるのではなく、自信がないのである。これは料理でもそうだが、なぜか自分の味つけはほかの人には合わないのではないか、という気がして、遠慮してしまう。
 スーパーで売られているような梅酒製造セットで造れば大差ないのかもしれないが、紀州人である筆者にとって梅酒は、家庭の味でもあるのだ。家庭というか、祖母の味である。
 夏になると、ばーちゃんが必ず梅酒を造っていた。南紀湯浅の古い家で、うす暗い収納の中にどっしりとした厚手の瓶が並び、いい色がついて、梅の実がいっぱい沈んでいたのを思い出す。
 ばーちゃんは、梅酒製造セットで売られている酒ではなく、普通に焼酎を使っていた。梅はもちろん紀州産。氷砂糖の加減も独自であったはずだ。筆者にとっては、アレこそが梅酒なのである。
 と言いつつも、今年は造っていない。来年は必ず造るぞ、と思うが、この夏も梅酒がないと淋しい。市販のものを買う気はしないし、今からでも造るとするか。



2016.6.16

第二百十二回 駄菓子屋の夏 

 駄菓子屋ときくと、なぜか「夏」という感じがする。子どものころは一年中通っていたはずなのに。
 今どきの子たちも『ちびまるこちゃん』などの作品を通したり、体験学習的に学んだり、あるいは身近にあったりして、駄菓子屋というものの存在を知っているらしい。
 筆者ら「昭和の子ども」にとっては、ごく身近にあった。身近も何も、筆者の実家からは徒歩10秒、すなわち真ん前にあったのだ。
 祖母から臨時のおこづかいをもらったりすると、妹は貯金をしていたが、筆者は「宵ごしの銭をもたないガキ」だったので、その足で駄菓子屋に向かった。
 塩煎餅やカレー煎餅、干しイカ、昆布などはともかく、紐つきの飴や、カラフルなゼリーなど、いかにも体に悪そうだが、当時はそんなことなどまったく気にすることなく食べていた。
 小学生のこづかいで買えるものばかりだから、実際、食材としてショボイことはまちがいない(だから「駄」菓子屋というのだ)が、品数が豊富で、せまい店の中にこまごまと面白そうなものが並んでいるのは、にぎやかで楽しかった。
 アイスが売られるのは、今とちがって夏場だけで、バニラとイチゴとチョコの三色に色分けされているのとか、スイカの容器に入っているのとか、小さな卵型の風船に入っているものなどがあったことを今でも覚えている。
 10円アイスというのもあった。銀紙に包まれた直方体の棒アイスなのだが、濃厚なバニラ味で、かなり美味しかった。これで10円とは安いと思ったものだ。今でもあるのだろうか(あっても10円ではないだろう)。
 駄菓子屋といっても、売られているのは菓子ばかりではない。オモチャもあった。
 筆者はプロ野球をまったく観なかったので、好きな球団もなく、友だちのようにスナック菓子についている選手のカードを集めることも「アタリ」の景品を狙うこともなかった。
 そのかわり、サメの上半身(前半分)がなにかの景品として店頭に出された時は、どうしても欲しくなった。映画『ジョーズ』の大ヒットを受けて数年後のことである。手に嵌めて口を動かせるホオジロザメのパペットで、厚めのビニル製。駄菓子屋の景品としては相当に豪華な部類であった。「アタリ」が出てそれをもらった時の喜びは筆舌に尽くしがたく、お風呂で遊んだ。我ながら実に安上がりに楽しめる子どもだったと思う。
 ゴム風船とか、女の子用のビーズとか、こすったら煙が出てくるやつとか、ほかにも飽きやすいものが色々あったけど、水鉄砲も駄菓子屋の定番ともいえるオモチャだった(だから夏の印象が強いのかもしれない)。
 うす緑色の透明プラスチックでできたピストル型のものもあれば、指輪型のものもあった。
 低学年のころ、近所にいじめっ子がいた。ある日、筆者は仕返しに、水鉄砲にオシッコを詰めて、そいつの顔に向け、ピュッと発射した。後のことなど何も考えていなかったのだろう。
 彼は泣いた。そして筆者の親に告げ口をした。筆者は夕方、家の前に立たされた。
 日常の被害者がたまの反撃に出て、それで勝利を得た瞬間に、罰を受ける。この世は不条理だと思ったものだ。



2016.6.9

第二百十一回 公認(?)の公害 

 ウインドウズ10の強制アップグレードで思い出したが、ほかに「これってアリなの?」と感じることをあげてみる。
 つまり、大勢の迷惑になっているのに許されていること、取り締まられていないこと。いわば「公害」のようなものだが、もしかしたらそう感じているのは筆者だけで、ほとんどの人は疑問に思っていないかもしれない。
 たとえばガムの吐き捨て。ある駅の構内で、無数の黒くつぶれた楕円が地面に貼りついているのを見て、筆者はそれが吐き捨てられたガムだと、にわかには信じられなかった。
 あまりに大量だったからだ。中にはまだ緑色のものもあるので、やはりガムだということはわかる。また、それを剥がそうとしている業者さんの姿も見たことがあるが、それにしては数が多すぎる。合理的とは言えない作業であり、人件費である。
 場所柄からして、吐き捨てているのは、ほとんどが大人だろう。筆者は、成人してからはまったくと言っていいほどガムを噛まず、また噛みたいとも思わないので、ガムを嗜好する気持ちがわからないのである。
 駅前では、チラシ(ティッシュ)配りの姿も目立つ。あれも通行妨害ではないのか。
 配る目的といえば企業利益のためであり、つまりはティッシュにプリントされている会社の社長のために公道での通行を妨げているのだから、取り締まられていないのが不思議である。
 居酒屋の周辺にたむろしている酔客も公害だ。道場の近くにある居酒屋など、すぐ隣りに民家があるのに、道に広がって騒いでいる。迷惑だと想像できる頭がないのだろう。
 だいたいが世の中は酔っぱらいに対して甘い。筆者も酒は好きだが、酔っぱらいに対する世間の過保護に対しては、子どものころから疑問だった。自分で飲むことを選択したんだから、その結果にも責任を持つべきじゃないか、と思っていた。それで「仕方ない」と言って許されるなら、覚醒剤の服用を選択した人だって仕方ないだろう。
 それから、政治家の演説や選挙候補者のスピーカーによる騒音公害。
 当選する前から迷惑をかけている。自分の権力欲のために眠っている赤ん坊を起こし、青少年の勉強を邪魔し、市民のたまの休日を騒がせている。大音量で、聴くか聴かないかの選択ができないのだから、まぎれもない「暴力」なのだが、国によって認められている。
 街宣といっても、名前を連呼して回っているだけで、自分の志の内容などまったく関係ない。どぎついCMと同じで、ただインパクトで勝負しようとしている。ようするに有権者を舐めているのだ。
 最終日など「最後のお願いに参りました」と言っているが、筆者は、こんなみっともない言動はないと思う。そもそも投票って「お願い」するものだろうか。これから有権者のために過酷な世界に飛び込もうとしているのに。……ジョークとして古すぎる例を引き出せば、足尾銅山鉱毒事件で活動した田中正造議員ほどの覚悟がある立候補者からは「お願い」という言葉は出てこないはずだ。
 やはり当選すると、よほどオイシイことがあるのだろう。会見で号泣した人とか、このところ話題になっている人みたいに。



2016.6.3

第二百十回 ウインドウズ10への無償アップグレード問題 

ウインドウズ10への強制アップグレードが問題になっているが、読者の中で、この被害にあった人はいるだろうか。
 筆者の周辺では、一人だけいた。ちなみに七人ばかりに訊いてみたところ、自主的に更新した人は、なんと一人もいなかった。
 理由はそれぞれで、「重くなりそう」とか、「家族で使っているから自分の一存では」とか、「時間がかかる」とか、中には「そもそもパソコンを持っていない」というツワモノもいたが、ウインドウズ10の使い勝手がどういうものなのかは、結局わからずじまいだった。
 筆者といえば、被害にあったとも言えるし、あわなかったとも言える。というのは、みんなの不満のほとんどは、いったん更新が始まってしまうと途中で止められないので、パソコンを使えずに仕事ができなかった、というものだが、筆者はそのあいだ、ほかのことをしていたからだ。パソコンをつけっぱなしにしているうちに勝手に更新が始まっていたのだが、しばらく使えなくてもあまり困らなかった。その意味では、とくに被害者意識はない。ただ、観察はさせてもらった。
 まずは、「へえ~、こんな強引なやり方をするんだ」と驚いた。
 許されるんだな、とも思った。花形産業の傲慢さというか、有無を言わせないのだから、暴力的ですらある。ようはマイクロソフト社がそういう会社であるということだ(実名を出してもいいでしょう。周知の事実だし、実際に失礼なやり方をしているのだから)。
「いや~、あくどい商売してけつかるで」
 と言われても仕方ない。また、これほど執拗に勧め、強引な手段に出るということは、「10」への更新でよほど儲かるのだな、とも思った。人に訊いたところ、どうやら周辺機器を買い換えなければならないらしい。
「すでに2億人以上のユーザーが無償アップデートしています」
 といったような表示も見たことがある。これは何を伝えたいのだろう。
 意訳すると「みんなやってるんだよ、やらなきゃ遅れるよ」といったところだろうか。他者と同じでなければ不安になる人には有効かもしれない。筆者などは「そんなに大勢がやってるなら、自分までしなくてもいいだろう」と思ってしまう。
 アップデートが終わると使用承諾書が出てくる。これが素人には難解な内容で、しかも8ポイントほどの細かい文字でびっしり埋められているのは、ご存じの通り。
「読みづらいだろう。だから、こんなの読み飛ばして、とっととサインしちまえ」
 という意図が見え見えなので、最後まで熟読した。で、「拒否」をクリック。
 すると次は、「元に戻すにはまた時間がかかるし、速度の遅いヴァージョンを使うことになりますが、それでも拒否しますか?」という意味の、高飛車な確認表示が出てくる。
「その言い方が気に入らん」と、また「拒否」をクリックし、元に戻した。
 そのあいだの時間は無駄になったが、結局、筆者は、いじわるな観察をして楽しんでいたところもある。それに対して、このような魂胆が見え見えの商法を臆面もなく発案・遂行する企業の方々は、とても「わかりやすい」人たちで、善人だなあ、とも思うのだ。



2016.5.26

第二百九回 09の回だから 

 思えば、10回未満の第9回(すなわちゼロゼロナンバー)のうちに書いておくべきだった。
 なにがって、『サイボーグ009』の話である。
 また出たか昭和のアニメネタが、と思われても仕方ない。そう、ここでいう『009』は主題歌が小室直哉作曲の平成版でも、ずっと昔の白黒版でも、もちろん近年の映画化作品でもなく、昭和54年(1979年)にテレビ放映されたものをさす。主題歌が『誰がために』の(これも平尾昌晃の作曲だ)最高に気合いの入ったオープニングのやつである。
 知らない人のために作品の背景をざっと説明しておくと……敵として、戦争のための兵器を製造するブラックゴースト(黒い幽霊団)という組織が登場し、「新商品」としてサイボーグ戦士というものを開発、世界各国から人をさらってきて、試作品を9体、製造する。
 ある者は体の細胞を操作して何にでも変身でき、ある者は深海や宇宙空間でも活動でき……といったように、一人一芸の多国籍軍である。行き場のないインディアン(005)や、食い詰めて首をくくった中国の農民(006)や、落ちぶれた元俳優(007)など、社会的に不要とされたような人間を集めてくるというのが、当時少年だった筆者には驚きだった。
 彼らは、科学者アイザック・ギルモア博士の元、戦争のために使われることを拒み、ブラックゴーストに反逆、逃亡する。そして追手として差し向けられてくる敵や、さらに性能のいい新型サイボーグに対し、チームワークで応戦していく……(これは原作漫画の内容)。
 メンバーの中で、切り札として活躍するのが、イワン(001・ロシア人)である。赤ん坊だが、科学者である父親によって脳手術を施されており、高知能にして、超能力者。ほとんど眠っているのだが、ここぞという時に超能力を発揮する。
 筆者は当時、小学生だったので、なにが楽しみだったかというと、もちろんアクションシーンだった。高速飛行できるジェット・リンク(002・アメリカ人)や、全身に武器を内蔵したアルベルト・ハインリヒ(004・ドイツ人)や、主人公の島村ジョー(009・日本人)の加速装置を使った活躍を目当てに、毎週テレビに向かっていた。
 が、ある回の翌日、学校の教室で驚くべき会話を耳にしてしまう。
 この昭和版『009』の特徴は、メンバーのファッションにも凝っていることで、そのこだわりは、ジョーやフランソワーズ・アルヌール(003・フランス人)の私服姿に現れていた。
 今でも覚えているのだが、その回の冒頭で、ジョーは茶系のトレンチコートをはおり、夜の街角を、一人さびしげに愁いのある表情で歩いていくシーンがつづいたのである。
 で、翌日、クラスの女子たちが話しているのだ。
「昨日、見た? 009」
「見た見た!」
 ほう、女子でもサイボーグ戦士のアクションが好きなのか、と思っていると、
「ジョー、格好よかったあ!」
 と言って盛りあがっているではないか。
 そうか、こやつらは、そのように『009』を見ているのか! と思った。
 今思えば不思議でも何でもない。キャラクター主体の物語とはそういうものなのである。



2016.5.19

第二百八回 DVDマガジン!!! 

いつの頃からか定かではないが、書店の一画を「DVDマガジン」(たいてい隔週の刊行)なるものが占有するようになって久しい。
 読者はご存じだろうか。DVD「マガジン」というからには、映像作品を紹介する冊子が付属しているのだが、購入者の目的は、まず映像(DVD)の方である。今出ているものでいえば、東映のヤクザ映画や、円谷プロの特撮モノ、北斗の拳、松田優作、横溝正史シリーズ、必殺シリーズ、戦争映画、などなど、各種様々、華やかなものである。
 ただし、このDVDマガジン、書店のどこらへんに置かれているのか、たまにわからないことがある。
 そんなときは店員さんに訊くのだが、「DVDマガジン」と言っても、店員さんがわからない場合があり、筆者は説明しなければならなくなる。
 レジに持ってくる人がいるわけだから、店員さんも見かけたことはあるらしい。
「松田優作シリーズなんかが出ているものですか?」
 などと訊かれる。
「そうです」
「お探しのモノは、具体的に何というタイトルの作品ですか?」
「必殺仕事人です」
 筆者が購入しているのは、前にこのブログで書いた『必殺仕事人』であり、たまに古谷一行の横溝正史シリーズも、まだ持っていない作品を買っている。
 円谷プロの特撮モノは、なぜか『ウルトラQ』と『怪獣ブースカ』の二本立てで隔週出ている。『ウルトラQ』だけなら筆者は買っていたのだが、まったく姑息な商法に走ってくれたものだ。このぶんなら『怪奇大作戦』も、ほかの作品とセットで販売されてしまいそうだ。
『怪奇大作戦』は、いっそのこと、思いきってDVD・BOXを買ってしまおうかという気になりつつある。家計を圧迫するが、それほどの名作品である。
 さて、『必殺仕事人』の第一シリーズだが、これが非常にいい。なんだ、また必殺ネタか、とお嘆きの貴兄には申し訳ないが、時代劇にして正統派ハードボイルドの乾いた作風が、ぬるい作りに辟易している立場としてはたまらないのである。
 たとえば、武士を捨てて屋台のおでん屋になった畷左門(伊吹吾郎)の幼い娘・美鈴が誘拐された回で、ご近所づきあいで美鈴になつかれていた、まだ若い秀(三田村邦彦)が、強行策をとろうとする中村主水に食ってかかるシーンがある。
 秀「美鈴ちゃんに万が一のことがあったら、どうするんだよ!」
 これに対して主水が、その時はその時でしょうがない、左門も覚悟はできているだろ、というような言葉を返す。
 秀「あんた、それでも人間かよ!」
 主水「……人間じゃねえや。……人間じゃねえから、こんな仕事してるんじゃねえか」
 こういう最高レベルの脚本が、筆者を隔週の購買に走らせるのだ。ちなみに来週の火曜発売の巻は、必殺初のスペシャルドラマ『恐怖の大仕事 紀伊・水戸・尾張』である。



2016.5.12

第二百七回 ヒーロー同士が戦えば 

二人のうち、どっちが金持ちか、どっちが頭いいか、どっちが格好いい(可愛い)か、どっちが出世しそうか……。
 こういった比較は、男女を問わず行われるかもしれないが、「どっちが強いか」という評価は、とくに男性に偏った関心ごとではないだろうか。
 格闘技の話題でも、実現が望めそうにない好カードなどを出して、「フランシスコ・フィリォとウイリー・ウイリアムズ(筆者は一度も見たことないが)が戦ったらどっちが勝つか」などと、若いころは酒の席で話すことがあるかもしれない。
 その対象は人間とは限らない。
「虎と羆はどっちが強いか」
「シャチとホオジロザメなら……」
「オオスズメバチとサソリが戦ったら」
 フィクションの世界でも、「ゴジラとモスラが戦ったら」とか、「ゴジラとキングギドラでは」などなど……。こんなことを考えるのは、たいてい男性であるような気がする。
 さて、そこで前回につづいて『シビル・ウォー』の話だが、一人でもキャラクターが立っているヒーロー同士が競演し、しかも戦うとなると、目が離せない。
 しかも配役が、アイアンマンならトニー・スターク役のロバート・ダウニーJr、キャプテン・アメリカならスティーブ・ロジャース役のクリス・エヴァンスというように、それぞれの映画の主演と同じ俳優が出演しているのだから、それはもう豪華で、ファンにとってはたまらないだろう。
 ただひとつ心配なのは、往年の「子ども夏祭り映画大会」のように「力を合わせて共通の敵に立ち向かう」という路線に走るのではないか、ということだ。
 あれは白ける。たとえば『仮面ライダー VS バロム1』(←ただの例です。実際にこんな映画はありません)だとすると、本当に仮面ライダーとバロム1が対決するのではなく、「競演」という形で同じ作品に登場するだけなのである。題名は大嘘だったのだ。
 子どもでも鼻白んだのだから、もちろんハリウッドでは通じない。
 たとえば『エイリアン対プレデター』。思いきり殺し合っていた。
 たとえば『フレディ対ジェイソン』。どちらも「不死身」の殺人鬼だけに、対決は凄惨なものとなり、しかも互いに弱点(フレディは火、ジェイソンは水というように、彼らの死因に関するもの)がはっきりしているので、そこを突くという面白さがあった。
 こいういった「夢の対決モノ」の中で、筆者にとっての究極の作品といえば、山田風太郎の長編小説『魔界転生』である。映画にも二回なっているが、対決シーンの迫力は、原作に及ばない。活字が映像をこえているのだ。
 あの隻眼の名剣士・柳生十兵衛が、この世に転生した宝蔵院胤舜や柳生兵庫(如雲齋)、柳生但馬守(親子対決)天草四郎、はては宮本武蔵とまで戦うのである。
 迫力満点にして、驚きと納得の決着。筆者が今までに読んだすべての小説の中で、一番面白いと感じた作品である。



2016.4.28

第二百六回 ヒーローたちのファッション 

このゴールデンウイークから『シビル・ウォー キャプテン・アメリカ』が劇場公開されているので、もう観にいった人もいるだろう(筆者は行けそうにないが)。
 なんでもアイアンマンとキャプテン・アメリカが戦うとか。といいつつもキャプテン・アメリカに関して、筆者はまったく知らない。今回の映画の広告で初めて知ったヒーローである。
 それにしても、ヒーローの外見って、どうしてあんなに風変わりなのだろう。
 不思議なことに、映画の中で観ると違和感がないのだ。アイアンマンもスパイダーマンも、ストーリー上、ごく自然に(あるいは必然的に)あのような外観になっている。アイアンマンのスーツなどは、むしろ洗練されているように感じる。特撮はすぐれているし、アクションも派手だし、ストーリーだって息もつかせぬ展開で、ヒーローの活躍は手に汗握る面白さなのだが、電車の中吊り広告などで、つまりストーリーと外観だけ切り離して見ると、「なんだ、こりゃ」と思ってしまうのは何故なのか。
 バットマンやデアデビルはまだいいが、スーパーマンの赤と青のコスチュームにいたっては、あの健全すぎる笑顔とあいまって、変態的ですらある。とても世界の(いや、アメリカの)平和を守っているとは思えない。
 これは日本の特撮モノやアニメのヒーローにも言えることで、幼少期に好きで観ていた作品でも、ヒーローたちの格好だけを見ると、やはり変だと思う。
 仮面ライダーは、オートバイに乗るときはヘルメットをかぶるものなので、意外と自然に見えるほうだ。『宇宙刑事ギャバン』をはじめとする宇宙刑事シリーズは、『ロボコップ』のはしりのようだが、口元だけ露出している点でロボコップのほうが斬新だろう。
 バロム1は、あのタイツがいけない。上半身は隆々と盛りあがっているのに、下はいかにも脆そうなタイツ履きで、しかも薄緑色と黄色のヴァージョンがある。
   ゴレンジャーなど、戦闘スーツを統一せず、あえて5色のカラフルな仮面に色分けして、変な(それぞれの武器をモチーフにした)黒い模様が入っている。
 ガッチャマンも、いい年をした大人(に当時は見えた。まさか16歳だったとは!)がそれぞれ鳥の形をかたどったヘルメットをかぶって、鳥のマントをはおってカッコいいと思っているなんてどうしたことか……と子どもながらに感じた。
 デビルマンは、パンツをやめてほしかった。まるでプロレスラーのようである。パンツ姿ということは、どこかでそれを「はき替えた」わけだから、変身して一瞬で変わる姿としては非常に違和感がある。永井豪の原作では下半身が獣毛に覆われており、目元の隈取りや頭部の形も合わせて、はるかにすぐれたデザインだったのに。
 かようにヒーローたちのコスチュームは風変わりなものが多いが、それを確信犯的に掘り下げて、滑稽味まで演出しながらヒーロー愛を扱った作品が『キック・アス』だろう。
 そう、ヒーローたちの外観は「非現実的」でいいのだ。なぜって、能力が普通じゃないのだから。普通なら、背広を着てネクタイをしめて……という格好になるではないか。
 と、ここまで書いて、ごく普通の背広姿で過激なアクションをこなすヒーローが一人いることを思い出した。英国紳士のジェームズ・ボンド(007)である。



2016.4.28

第二百五回 弓道バカ一年 激闘編 

部活でもスランプに陥ることはある。
 悪い癖がついてなかなか直せなかったり、今までどおりにやっているつもりなのになぜか調子が出なかったりして、その状態から脱しようとあがくのだ。
 弓道部員だった筆者は、高校一年の秋に一時的なスランプ状態に陥った。
 流派によって呼び名は異なるかもしれないが、弓道には「会」というものがある。
 弓を大きく引き分け、びしっと矢先を的に向ける体勢になった時、すぐさま射ち放つ(離れという)のではなく、そのまま静止する。
 これを「会」と呼ぶ。気力の充実を図り、集中力を維持するためで、高校生のレベルでおよそ10秒ほどだったように記憶している。
 筆者は静止できなくなった。つまり「会」の状態がない。引き分けた瞬間、即座に「離れ」に転じてしまう癖がついたのだ。
 恥ずかしいことである。もちろん直すための努力はした。
「引き分けた時、肩に手をおいてくれ」
 と、筆者は友人の一人に頼んだ。
 友人は、筆者が引きしぼった弦のあいだに手を差し挟むことになる。こうなると矢を放つことができない。もし射れば、弦が激しく友人の腕を打ちつけ、傷を負わせてしまうのだから。
 頃合いを見て手を離してもらい、そこで初めて射る。そうすれば「会」の状態を保てる。友情と信頼を利用した、一種、梶原一騎ふうの熱いスランプ克服法である。
 それは実行され、友人が肩に手をのせた。
 そして筆者は弓を引きしぼり、普通に射た。
 バチィン! と弦が友人の腕を打ち、ギャンと金属音が鳴って、矢は芝生に突き刺さった。筆者は弓を離してしまい、友人の「痛あッ」という悲鳴と、板張りの床に弓が転がる音が響いて、みんな何事が起こったのかとこっちを見た。
 友人には呆れつつも怒られた。むろん筆者は一言もなかった。
 こんなことを思い出していると、二年生の夏に辞めることになるのは当然の結果ではないかと思えてくる。ちなみに、この友人は、筆者よりも先に辞めてしまった。
 詳しい状況は忘れたが、矢が上に飛んでいったこともある。普通に弓を引いていれば起こりえないことだ。
 この時、矢は的場の屋根をこえ、その向こうまでヒューンと飛んでいった。
 さすがに血の気が引いた。誰かに刺さったらシャレではすまない。
 その矢は、陸上部の友人が持ってきてくれた。
 走り幅跳びの練習をしていたら、いきなり矢が飛んできて砂場に刺さったのだという。見れば、羽根のあたりにフエルトペンで筆者の名前が書いてある。で、持ってきた。
「殺す気かあ!」
 と怒られた。
 一言もなかった。



2016.4.22

第二百四回 「俺の酒」という謎 

4月のこの時期は、年末の忘年会シーズンと並んで、飲み会の季節である。
 新入生や新入社員などの歓迎会がおこなわれるからだ。飲み屋の外に群がっている有象無象が名残り惜しんですぐに帰りたがらない光景は、平和ニッポンという感じで微笑ましい。
 さて、漫画やドラマなどのフィクションで描かれる酒席の場面では、よく「俺の酒が飲めないのか」というセリフが出てくるが、あれを実際に耳にしたことはあるだろうか。
 筆者は、ある。新卒入社した企業で、研修を終えて配属された部署の歓迎会の席だった。
 こちらは新人の立場だったし、場の空気もあるので、できるだけ勧めに応えて飲むようにしていた。のだが、きりがない。すべてに応じていると潰れてしまう。で、限界がきてついに「もう飲めません」と断ったのだが、ここで「俺の酒が飲めないのか」が出た。
 これには驚いた。フィクションの世界限定のセリフだと思っていたので、まさか現実にそんな言葉を口にする人がいるとは思えなかったからだ。
「はい」と筆者は素直に答えた。
 こう書くと、読者の中には「生意気な新入社員だ」と思う人もいるかもしれない。だが、筆者はけっして相手を軽んじたのでもからかったのでもなく、本当に酒量が限界だったために断っただけで、他意はなかった。つまり「俺の酒」でなくても、誰の酒であってもアルコールはもう受けつけられませんという、言葉どおりの意味である。
 怒られるかな、と思ったら、相手は意外な反応をした。
 拗ねたのだ。顔を横に向けて「傷ついた」という感じで、うなだれてしまった。
 ますます理解不可能だった。なんなのだこの世界は、と思った。その人は目立って仕事ができない人だったが、もし自分がバカにされたと勘違いしたのなら大変な誤解である。
 そもそも「俺の酒」とは何だろう。「俺がこうやって勧めている酒」の略で、それを断るのは好意を無視することなる、という意味だと推量できるが、なんとも無意味なやり取りだ。
 ちなみに「俺の酒」を現実世界で聞いたのは、あとにも先にもこの時だけである。
 人は、なぜ他者に酒を勧めるのか。見ていると、どうもコミュニケーションの下手な人が多いように思える。そういう筆者も人づき合いは苦手で社交的とは言い難いが、不器用であることを自覚しているので、一人で勝手に飲むほうを選ぶ。しきりに酒を勧める人というのは、とにかく相手と交流したい、でも話題や方法がないので、「酒を勧める」という形でそれを代行(というか、本人はそれがコミュニケーションのつもり)しているようである。
 淋しがり屋なのかもしれないが、滑稽な姿でもある。会話といえば「飲め。とにかく飲め」と言って酒を注ぐだけで、なにかについて話し合うわけでもない。しかも自分は飲んでいない。これでなにが「親睦」と言えるのだろう。
 酒は楽しく飲むべきだ。幸いにも極真の飲み会では、無理な強制はない(というか、みんな進んで飲んでいる)。バリバリ体を動かしているのに、悪しき体育会的なノリはない。
 江口師範は日本酒の味に詳しく、肴との相性や、筆者の知らない美味しい飲み方なども教えてくれるので、自分の経験でいうと、極真(国分寺道場)の飲み会のほうが、サラリーマン社会の飲み会よりも、はるかに文化的で有意義でスマートなのである。



2016.4.14

第二百三回 二○三高地 

アジアジと飲んでいる時の話題が、たまに社会的・政治的なネタに発展することがあるのだが、できれば筆者としてはそれを避けたいと思っている。
 アジアジの地声が大きいからだ。周囲の耳をまったく意識していない。しかも酔うほどに滑舌が回らなくなり、口から白い食物の破片を飛び散らせ、ときには店内に轟くほど爆笑しながら話す内容が、まわりの客に聞こえまくるのである。
 意見が一致しないこともある。ひとつ挙げるなら、乃木希典が名将か愚将かという評価についてだ(この唐突な話題の飛躍はどうだろう)。
 念のために言うと、乃木希典というのは、日露戦争で旅順の二○三高地を攻略した陸軍の大将である。その乃木の将軍としての実力を高く評価するのがアジアジで、筆者は否定的なほうだ。その後、常識破れの戦法をもちいてソッコーで落とした天才将軍・児玉源太郎こそ、もっと評価されてしかるべき人物だと思うのだ。
 語るまでもないことだが、旅順のロシア軍要塞は、当時の最新性能をもつ機関銃を650近くも備え、難攻不落であった。が、それにしても効果が認められない同じ突撃戦法を延々とくり返しているようでは、無能の烙印を押されても仕方がないと思う。
 と、このようなことを言うと、乃木希典には熱烈なファンがいて激しく反論される。アジアジがそうだし、今は亡き祖母もそうだった。
 筆者の父方の祖母は、幼少期の教育ゆえか、乃木将軍の信奉者といっていいほどのファンだったのだ。筆者が大学生のころ、帰省している時に、祖母が何の拍子か「東郷(平八郎)より乃木希典のほうがえらい」ということを言い出し、筆者が「東郷のほうが立派だ」と言うと、勢い込んで反論された。乃木将軍の評価は、なぜか人を感情的にさせるのである。
 乃木が名将という意見の根拠は、その作戦術というより、人格に対しての評価であるようだ。日本軍だけでなくロシア兵の墓標も立ててニコライ二世を感動させたとか、終戦後の写真撮影においては、敗軍のロシア兵とともに写るのは相手に恥をかかせることになると言って世界のマスコミから賞賛されたとか、たしかに高潔な人だったことはまちがいないと筆者も思う。
 乃木自身も悲劇的な運命の人であったことに異論はない(映画『二百三高地』で乃木役を演じた仲代達矢の悲愴感あふれる風貌はよく合っていた)。
 ところで、筆者の母方の曾祖父は、日露戦争に出征し、この旅順攻略戦に参戦している。
 機関銃の弾丸が嵐のように掃射される中を突撃していくのはどんな気持ちだったろう。筆者などは、想像しただけで身の毛がよだつのだが。
 ちなみに曾祖父は、ロシア軍の放った弾丸に耳と目のあいだを撃ちぬかれている。よく生きて帰ったものだと思う。ちょっと角度が違っていたら、筆者も生まれていないではないか。
 その貫通したほうの片目は義眼で、幼いころの母は、たまにそれを冗談まじりにカポッとぬいて見せられたそうだ。生きていれば詳しく話を聞かせてもらいたいのだが……。曾祖父が参加したのは、はたして乃木作戦だったのか、児玉作戦だったのか、気になるところである。
 それにしても、国力で10倍以上にもなる相手との戦争で、敵将のクロパトキンに「黒鳩金」などと当て字をしている日本軍の感覚に、なんともいえぬ妙な余裕すら感じるのだ。



2016.4.8

第二百二回 つながりを煽られる大人たち 

過去の国語の入試問題を解いていると、たまに興味深い文章に出会うことがある。市川中学校あたりの過去問だったか、『つながりを煽られる子どもたち』土井隆義(岩波ブックレット)という文章が面白かったので、ネットで注文して取り寄せた。
 今の子どもたちは、友達とのつながりから外れることを非常に恐れている。というと一見、協調的であり、人づき合いなどどうでもいいと考えているほうが反社会的な性向が強いと言えないこともない。が、SNSなんかだと「既読表示」というものがあり、読んだのにスルーしていると顰蹙を買ってしまうので、嫌われないように、仲間はずれにされないように、強迫観念に駆られたように片時もスマホを離さずチェックして、それがストレスになっているという。
 学生の世界では、学食や教室で昼食を一人で食べるという行為が、孤独で恥ずかしいことになっているという話も聞いたことがある。一人で弁当を食べているところを見られないように、トイレの個室にこもって食べる子もいるとかいないとか。
 にわかには信じられないのだが、もし本当だとすると、アホじゃないだろうか。
 第一、臭いではないか。トイレなんて、もっとも食事に適さない場所のひとつである。もし隣りのボックスに誰かが入ってきたら……どうするんだろう。そのほうが一人で昼食を食べるより最悪だと思うのだが。
 時代が違うと言われればそれまでだが、筆者らの子どものころは逆だった。本にも書いてあったが、むしろ群れから外れることがステイタスだったのだ。
 もっとも、つながりを煽られているのは子どもばかりではないらしい。
 いい年をしたオッサンまでがスマホをいじりながら歩いているのを見ると、なにか「奴隷」という感じがする。まず、自分でその行為を「みっともない」と感じない知性が面白い。
「お前に必要な情報が、どれほどあるというのか」
 とも思う。実際、のぞいてみるとゲームなどしているのである。
 何年か前、ファミレスで本当に見た光景なのだが、近くのテーブルに家族連れがいた。両親と小学生らしき息子の三人。ふと見ると、母親が席を立っている。残された父親と息子が何をしていたかというと、向かい合ったまま、互いにせっせとケイタイをいじっているのである。
 バカだねえ、と思った。わざわざ食事にきているのに、同席している生身の人間(それも家族)と会話せず、端末を通して電脳空間の相手とのコミュニケーションを求めている。そのスカスカの知性が面白かった。
 筆者自身はというと、メールはパソコンが中心。ケイタイのメールチェックはズボラなほうだ。いつも出勤時にするので、前夜に着信したものには返信が遅れてしまう。そもそも在宅時はケイタイを携帯していないし、それで十分なのである。
 でも、それで怒るような人は、交友範囲にはいない。もし筆者が今どきの中学高校生だったら、たちまち仲間はずれにされて、友だちをなくしてしまうかもしれない。そうなったら、それはそれで仕方ない、と開きなおって、一人で本でも読んでいるような気がする。
 つながりを煽られている子どもたち、そして大人たちは、自分だけの貴重な時間を浸食され、拘束されてまでつながっている関係を、わずらわしいと思わないのだろうか。



2016.3.31

第二百一回 何もないけど発信したい 

「ガラケー」という言葉をアジアジが知っていた。
 筆者は最近まで知らなかったのだが、なんでも「ガラ」は「ガラパゴス」の意味であり、すなわち「ガラパゴス携帯」の省略形であるらしい。ということは「ガラケー」とは「独特の進化を遂げた生態系を有するケータイ」のことだろうか?
 いや。簡単にいうと、スマホがこれほど普及している中で、時代に取り残されたかのような旧式の携帯電話を揶揄した表現なのである。
 筆者はまだ、この「ガラケー」を使っている。もう四年目になるので、そろそろスマホに替えてもいいのだが、若いころならいざ知らず、それほどの必要性を感じていない。電話はほとんどしないし、メールもパソコンで十分なのだ。
 そういえば、いつから電話が嫌いになったのだろう。
 若いころは筆者も電話が好きだった。とくに異性とは毎日のように何時間でも話していた時期がある。……などと恥ずかしいことを書いてしまったが、これは筆者にかぎったことではなく、若い時期というのは、誰でも似たり寄ったりなのではないだろうか。
 それが今では、やりかけの作業を邪魔するひどく傍若無人にして失礼千万なアイテムに感じられ、むしろ遠ざけ、鳴っても出ることすら稀になっている。
 メールは、パソコンなら便利だから活用しているが、一本の指でちまちまと文章を打つガラケーでのメールは、面倒だからあまり好きじゃない。キーボード入力でないと、まだるっこしくてやっていられないのだ。
 そんな調子だから、よくみんなSNSなんかにはまれるものだと思う。あんなものをやり出したら、時間を取られて、ほかのことが何もできなくなってしまうと思えるのだが。
 それだけ何かを発信したい人が多いということか。だが、発信している内容といえば、他者にとってどれほど有意義なものだろう。
 筆者は個人情報の保護という意味からも、そういったものが好きではない。余計な一言かもしれないが、この国分寺道場のページにも、ブログや稽古風景の写真など不要だと思っている(当ブログも含めて)。
 先日、ある人と話していると、いきなりその人にスマホで写真を撮られてしまった。
 話している最中に、だしぬけに撮られたのである。飲んでいる時もやはり不意に取りだしたスマホで撮影されたことがある。それを自身のSNSなどに載せるらしい。
「発信者になりたい人」は意外と身近にもいるということだ(ちなみに、被写体の当人が載せないでくれ、と言った写真を載せることは、法的には「肖像権の侵害」になる)。
 残念ながら、本来は適性のない人物が発信を心がけたところで、そのコンテンツはたかが知れている。……自分だって何か情報を発信したい。みんなに注目されたい。感心されたい。すごいぞ、って思われたい。自分にはきっと人とは違う何かがあるはずだ。あれ、でも発信できるものが見当たらないぞ。とりあえず、これから食べる料理でも撮るか。今話している人も撮ろう。何か載せなきゃ、自分には何もないって認めることになるもんな。……こんなところだろうか。そこから垣間見えるのは、そら恐ろしいばかりの劣等コンプレックスである。



2016.3.24

第二百回 JRのアナウンス 

「扉が閉まります。次の電車をお待ちください」
 と言われると、筆者は電車に乗るのをあきらめる。
 でも、ドアはなかなか閉まらず、飛び込み乗車する人のために開放されている。
(閉まるって言ったじゃん)
 山手線などはこれが顕著で、閉めるといっても閉めないことを人々のほうでも知っているから、次々に乗り込んでいく。アナウンスはややヒステリックに、「扉を閉めます! 無理なご乗車はおやめください!」と何度もくり返している。
 ああ、バカだなあ、と思う。閉めりゃ乗らなくなるのに。
 乗客のほうでも「そういうものだ」という共通認識ができてあきらめる。それを飛び込み乗車する人のほうに合わせているから、いつまでも変わらない。エネルギーの浪費だ。本当に合理的に運行したいなら、一回のアナウンスの後で容赦なくドアを閉めてやればいいのだ。
 また、テロ防止のためなのか、
『危険物の持ち込みは、固くお断りしております』
 というアナウンスも聞いたことがある。
 それで思いとどまるかぁ、とツッコミを入れたくなる。
 あえて危険物を(たとえば爆弾などを)持ち込もうとしている人物は、いわば確信犯である。いざ実行段階にきて、そのアナウンスを聞いて、
「そうか。これ、持ち込んじゃいけないのか」
 と、きびすを返すことがあるはずもない。つまり抑止力としての効果が疑わしいのだ。
 国分寺駅のトイレ付近では、目の不自由な人のために、男子トイレと女子トイレの音声案内が流れている。が、筆者はよく聞き取れなくて、「ガキのおトイレです」と聞こえるところがある。まさかそんなことを言うはずがないし、あれは正確に何と言ってるのだろう。
「よい子の皆さん。手すりの外に顔や手を出すのは、危険ですよ」
 これは、国分寺駅のエスカレーター付近で流れているアナウンスである。
 夜更けでも、その内容は変わらない。
 筆者が帰宅するのは、午後の11時ぐらいである。「よい子」はどこにいるのだろう。エスカレーターに乗っているのは、ほとんどが勤め帰りのサラリーマンたちだ。
 スーツを着て、ネクタイを締めた「よい子」たちの群れは、そのアナウンスを聞きながら、黙々とエスカレーターを昇降していく。これも、やや異様な光景である。
 だが、筆者が一番おどろいたアナウンスは、バスから出たものだった。
 アジアジと飲もうとしていた時だ。ある駅前で飲み屋を探していると、停留所に入ってきたバスが外部マイクで声を発したのだ。
『押忍!』
 ズッコケそうになった。まさか、近づいてきたバスに、マイクで「押忍!」と挨拶されるなんて、夢にも思わないではないか。
 見ると、運転席には、見覚えのある顔が……!



2016.3.3

第百九十九回 銀河鉄道199回 

 筆者らの子ども時代、リアルタイムで放送されているテレビアニメといえば、『宇宙戦艦ヤマト』のシリーズ、『宇宙海賊キャプテンハーロック』、『1000年女王』、そして『銀河鉄道999』など、松本零士作品の全盛期だった。
 筆者もとくに『ヤマト』と『999』は夢中で観ていたが、松本零士の作品に登場する主要メカの特徴は、「最新にして最高の性能と、アンティークな外観」という一見ちぐはぐな組み合わせではないだろうか。光速を超える波動エンジンを搭載した宇宙戦艦が、かの「戦艦大和」であり、アンドロメダまで行く最高級の銀河鉄道の外側が蒸気機関車であったりするのである。
 むしろ、『ヤマト』では白色彗星帝国のナスカやバルゼーの光速空母、ゴーランドのミサイル艦隊、それに駆逐艦、『999』だとほかの「777号」や「555号」のほうが、男の子ゴコロを惹きつけるデザインだったように思う。これはガンダムでも、ザクをはじめとするジオン側のモビルスーツのほうがデザイン面ですぐれているのと同じである。
『999』に話を戻すと、未来の地球は、機械化人間(大金持ち)と生身の人間(極貧)とで構成された貧富の差が極端に激しい社会になっており、主人公の星野鉄郎が「機械の体をただでくれる星」をめざして旅をするというストーリーである。主題歌にあるように、いわば青い鳥を求める旅であり、メーテルという名前もメーテルリンクから取ったものだろう。
 情感あふれる青木望のBGMにのって、星々のちらばる宇宙空間をゆくSLという構図は、それだけで詩情ゆたかであるが、その途上で鉄郎が出会う人々は悲劇的なまでの運命を背負い、経験する旅は過酷なものであった。
 途中で下車する星々は、それぞれ好奇心や怒髪や怠け心や自己中心といった、人間の心のメタファーとも解釈できる。荒れ地を開拓して現在は危険な自由主義となっているタイタンなどは、アメリカ社会を象徴しているのではないだろうか。
 ちなみに筆者は夏休みに劇場版も観にいったが、映画のクライマックスでは、テレビより先に「終着駅」を知ってしまうことになった。999号の終着駅が「機械化母星メーテル」であり、そこで明かされる「機械の体をただでくれる」という本当の意味が、小学生にとってはショックだった記憶がある。
 テレビ版だったか劇場版だったか覚えていないが、ある人物が鉄郎に「おまえは自分の夢かメーテルを取るかで死ぬほど迷って、メーテルのほうを取るだろう」と言うセリフがあり、ひどく違和感を覚えた。鉄郎ほど自分の夢の実現に執着している主人公は珍しかったからだ。
 が、今になって「メーテル=家族」と考えてみると、それは少年が大人になって、家族を養っていくために夢を捨てることを暗示かもしれない……と解釈できるのだ。
 さて、このブログが999回までつづくことはないと思うので、今回(199回)に『銀河鉄道999』ネタを書いたのだが、次回でとうとう200回を迎えることになる。
 100回の時は、100の怖い話の後で本当に恐ろしいことが起こるという怪談の「百物語」にちなみ、同じ枚数内でショートホラーを書いた。
 が、200となると、それにちなんだものが思い浮かばない。
 200……200……何かないだろうか?



2016.2.25

第百九十八回 弓道バカ一年Ⅲ 

部活を一年もやっていれば後輩というものができる。
 二年生に進級すると同時に、もはや新人ではなくなるわけだ。
 一年生の新入部員たちは、最初、例のひたすら立ち続ける「立ち稽古」に明けくれる。
 ある日、新入部員が勢ぞろいして立ち続けている前を、二年生になった筆者は落とし物を探して歩いていた。そしたら、どこかのバカが落とし穴を掘っていて、筆者はそれにズルッと片足をはめてしまったのだ。こっちを向いて立っていた一年生たちは、当然みんな吹き出して笑った。先輩の威厳もなにもどこへやら、という感じである。
 新入部員たちも部に慣れてきたころ、一人の後輩男子が、ソフトボール部との境になっているフェンスの手前でうずくまっているのを見かけた。
「ソフトボールが落ちてきて、肩に当たったんです」
 と、そばにいたもう一人の後輩が説明する。
 見ると、なるほど体操服の肩が、こんもりと丸く盛りあがっている。ボールが直撃して、肩が腫れあがったというのだ。弓道場はソフトボール部と隣接しており、的場の近くは、たまにフライ球の「流れ玉」がフェンスごしに落下してくる危険地帯でもあった。
「だ、大丈夫かっ」
 と、同級のタケダ君が本気で心配したが、筆者は「ふんっ」と白けていた。
 のちに後輩は、このときの筆者の反応を、「タケダ先輩は本気で心配してくれたのに、氏村先輩は冷たい」と語ったが、体操服の肩がソフトボールの形に盛りあがっているのを見て、どうやって心配しろというのか。
 中にボールを入れていることは一目瞭然。悪戯なのは明白ではないか。それを鵜呑みにして本気で心配しているタケダ君も人が好すぎるというか、どうかしている。
 一方、女子の後輩といえば。
 ある夏の日。昼過ぎの稽古だから、たぶん土曜日だったと思う。
 筆者はみんなより早く道場へ行って、射場のシャッターをあけた。
 射場と的場のあいだには芝生が植えられていて、その芝生に面した側にシャッターがある。稽古前にあけるのは、本当は一年生の役目だが、なにしろ暗いし暑いので、自分のために筆者はシャッターをあけた。
 そして誰もいない道場の床に寝転んでいた。弓道場の床は板張りだから、夏はひんやりとしているし、爽やかな初夏の風が吹き込んできて、心地いいのだ。
 そこへ一年生の女子四人組が入ってきた。この子たちは、先輩である筆者のことを、名字ではなく下の名前で呼び、たまに「先輩」ではなく「君」づけになる。なついている女子の後輩は、なんか妹みたいで可愛いのだが、たまに度が過ぎた行動を取ることもある。
 道場の床にうつ伏せになっている筆者に、ワーッと四人で寄ってきて、全身をくすぐり、一人は背中にまたがって、上に乗っかるではないか。
 弓道も武道系の部活だから上下関係は厳しいはずなのに、この規律のなさはどうだ。筆者の先輩としての威厳は、やはり落とし穴に片足を突っこんだ瞬間に霧消していたらしい。



2016.2.18

第百九十七回 新・弓道バカ一年 

 極真の試合でもそうだが、日曜日や祝日はスポーツ関係のイベントが多く、運動着にスポーツバッグをさげた若者たちの姿を目にすることがある。
 そんな中、和弓を包んだ細長い袋を片手に、矢筒を肩にかけて歩いている集団が、やけに目立っている。弓道をやっている人たちである。
 高校時代を和歌山県の南部ですごした筆者は、参加した弓道の試合も、海べりの市営弓道場でおこなわれたものがほとんどだったが、一度だけ大阪まで遠征にいったことがある。二年生になってすぐのGWあけぐらいの頃だ。
 弓道の試合競技には、キンテキと遠的がある。「キンテキ」と、あえてカタカナで書いたのは、空手における「金的」を連想してくれる読者がいるのではないかと期待したためだが、「遠的」と並べていることからもおわかりのように、正しくは「近的」である。ついでにいうと、弓道にも射た後の姿勢で「残心」がある。
 さて、近的。近い的といっても、だいたい30メートルぐらい離れていて、鯉のぼりの目玉のような白と黒の的(直径30センチぐらい)を射場から狙って射る。これが普段から稽古でやっているやつで、遠的というのはその倍、つまり60メートルも離れていて、狙う的も新装開店の花輪のような巨大サイズである。
 大阪遠征での種目はこの遠的で、住吉大社でおこなわれる有名な大会だった。試合は朝から始まり、日帰りでは行けないので、東大阪のホテルで一泊する。弓道の試合に出るために、学校を一日休むのだから、ずいぶん大げさなことではある。
 ちなみに、この休んだ日にかぎって、当時バラエティ番組にレギュラー出演していたタレントが母校を訪れ、朝礼で挨拶したらしい。同じ高校の出身だと初めて知ったが、なにも筆者らがちょうど休む日に来てくれなくてもいいと思う。
 JR紀勢本線で紀伊半島を北上し、大阪に入ってからは弓をかついで、宿泊するホテルまで繁華街の中を移動した。見かけたことがあるかもしれないが、弦を張っていない状態の和弓というのは、えらく長い。あれを片手に自転車に乗るのも一苦労だが、ビルの中を歩くのも慣れないだけに危なっかしい。
 大阪市内のホテルに移動する途中のエレベーターで、筆者はあろうことか、弓の上下をつっかえてしまった。上端が天井、下端が足元の段に当たり、固定されたのだ。
 エレベーターに乗っている最中である。あれっと思ったときには、弓はもう撓みはじめていた。あわてて引っぱったが、抜けなかった。
 サーッと鳥肌が立った。くどいようだがエレベーターに乗っているのだ。上昇に合わせて弓はどんどん撓んでいく。見ているうちに状況は悪くなる。一度目で抜けなかったなら、二度目はもっと外れにくい。最悪の場合、試合の前に、こんなところで弓が折れてしまうのだ。
 二回目の渾身の引きで、なんとか外れた。ほーっと安堵した。それまでの人生で、もっとも心臓が縮んだ一瞬だった。
 こんな調子だったから、試合も散々。あっさり外して、あっさり敗退。学校まで休んで、なんのために大阪まで行ったのかわからない遠征だった。



2016.2.11

第百九十六回 好き嫌いしたい 

 本家ブログで江口師範がお書きになっていたことに触発されて、ここでもそのネタを。
 筆者が子どものころ、日曜日の昼間に『奇人変人大集合』というテレビ番組が放送されていて、その中に「ゲテモノ食い」のコーナーがあった。
 思えば、悪趣味の極みといっていい番組である。ご存じない方は想像していただきたい。たぶん、その想像は外れている。
 今だったら確実に放送禁止。当時だって苦情が殺到したにちがいない。アンナモノやコンナモノまで食べるところを生放送で流すのだから、トラウマ発生レベルのおぞましさなのだ。
 筆者は、食べるのでなければ、昆虫採集は好きだった。トンボやカミキリムシ、そしてもちろんカブトムシやクワガタを捕ることに、ほかの子と同じように夢中になった。
 だが、高校生のころ、和歌山南部の田舎道を自転車で走っていて、道を横切るムカデの大群に遭遇したときは悲鳴をあげたくなった。川べりの道だったが、山側から川にかけて「なんか黒いな」と思ったら、それが数千匹にもおよぶムカデの大移動だったのだ。
 正体がわかったのは、自転車で接触した後で、「うぎゃー」と思いながらもそこで止まるわけにいかず、タイヤでブチブチと轢き潰しながら、おびただしい群れの上を突っ切っていくしかなかった。今から思えば、あの大移動は何だったのだろう。
 さて、前述の『奇人変人』で放送したゴキブリやウジ虫のように、あきらかに不衛生なものは別だが、昆虫とはいえ伝統的に食されてきたものを「ゲテモノ」と呼ぶのは、その食文化圏の方々に対して失礼といえるかもしれない。
 ウナギやナマコだって、調理される前の姿かたちだけ見れば、相当グロテスクである。レバーやホルモンなどの内臓料理は、それ以上だ。
 筆者の友人はタコやイカが駄目だった。あんなに美味しいのに、と思ったが、軟体動物がよくて昆虫はゲテモノだ、というのも(ミスター・スポック風に言うと)論理的ではない。
 というのは綺麗事で、やっぱり筆者も食用としての「虫」は受けつけない。生理的感覚は論理ではないからだ。
 とは言いながら、ここでカミングアウトすると、筆者はイナゴも蜂の子も、一度だけ食べたことがある。「あんた、どっちやねん」と突っ込まれそうだが、かつて飲み屋で「こんなのあるけど」とタダで出されたのを、その場のノリと好奇心で食したのだ。
 喜んで箸をつけたわけではなく、やはり内心で勇気がいった。
 まず、内部までしっかりと火が通っていて、柔らかい「生」の部分がないこと。噛みしめて、口の中でプチッと体液が弾けるようなことが絶っっっ対にない、というのが条件だった。
 イナゴは、よくわからなかった。佃煮になっていて、そのタレの甘味が優っており、素材本来の旨味まで感じ取る余裕はなかった。ただ、脚が取れていて、皿にポツンと落っこちたそれがゴキブリの脚みたいで嫌だったことは覚えている。
 見かけでは、蜂の子のほうに抵抗が大きかった。筆者はなにが嫌いかって幼虫のたぐいほど苦手なものはない。が、そのとき出された蜂の子は、ほんのりと焦げていて、見かけはマシだった。こちらのほうが濃厚で美味だった記憶がある。二度とは食べたくないけど。



2016.2.4

第百九十五回 弓道バカ一年 

中学・高校時代の教科書を保存している人はいるだろうか。
 筆者は実家に一冊だけ残している。高校一年生のころに使っていた『現代社会』の教科書だが、愛着があるどころか、全教科の中でもっとも退屈な授業だった。捨てなかった理由は、およそ全ページにわたって書き込まれたラクガキが面白いからである。
 当時の筆者は、熱に浮かされたように必殺シリーズを視聴しており、その影響で、教科書の各ページに掲載されている写真の人物の首には三味線の糸が巻きついていたり、背後に簪をくわえた秀さんが立っていたりと、それはもう必殺ネタのオンパレードなのである。
 もうひとつは弓道ネタだ。弓の絵、矢の絵、的の絵、描きまくっている。
 頭の中は必殺と弓道だけ。授業など、まったく聞いていなかったことがわかる。
 実際、お盆と正月と定期テストのほかは、弓道漬けだった。一年のうち350日以上は稽古していた。祝日でも朝から晩まで稽古。市営弓道場で暗くなるまでひたすら弓を引いた。
 ある秋の祝日など、筆者が誰よりも多く矢を射たことがあり、その一日だけの本数にかぎってなら、もしかしたら日本で一番だったのではないかと悦に入ったこともあった。
 段も早く取れた。これは筆者に限らない。四月に入部した者が、みんな一年後に昇段審査を受けて初段になったのである。
 一年で段を取るなんて極真では考えられないが、稽古の日数(回数)を単純に換算すると、一年で三、四年分ぐらいはこなしていたのではないだろうか。
 だが、情熱が冷めることもある。それほど熱中していた弓道を、筆者は2年生の夏に辞めたのである。つまり、在籍していたのは一年と三ヶ月ぐらい、ということになる。  部活でも極真の空手でも、ある時期まで一生懸命やっていた人が辞める理由というのは何だろう?
 むろん、それぞれ各様なのだが、なんとなく思うのは、たったひとつの明確な理由によって辞める人は少ないのではないか、ということだ。複合的なもの、つまり幾つかのマイナスの要因が併合されて、退部なり退会なりに繋がるように思えるのである。
 筆者の場合、きっかけは「カケ」を濡らしたことだった。カケというのは、弓を引くときに右手に嵌める手袋のようなもので、親指と人差し指と中指、そして手の甲を覆う。中国は雲南省に生息する鹿の革で作られており、値段は3万以上もした。これは湿気厳禁で、常に乾燥剤を詰めて保管しなければいけないのだが、あろうことか、筆者がカケを入れた布製の手提げを自転車の籠に入れて走っているとき、急に夕立が降ってきたのである。
 土砂降りだった。体操服で自転車に乗っていたので懐に隠すこともできず、畑の中の道で避難できる屋根の下もなかった。気づいたときには手提げがビシャビシャになっていた。
 当然、中のカケも再起不能。泣きたくなった。何とも愚かな話だが、三万以上するものを新しく買い直してくれと親には頼めず、一気に熱も冷めた。同じタイミングでほかの理由が複合的に発生した。高校生なので、面白いことが幾らでもあったのだ。
 辞めることは事前にほかの仲間に話すと止められるので、いきなり顧問の先生に申し出た。
 辞めるのを思いとどまる理由。それはつまるところ人間関係かもしれない。



2016.1.28

第百九十四回 魔の1月26日 

 ハプニングは突然おこる。まるで周到に用意されていた不幸の芽が、時期を得て地上に吹き出してくるかのように。
 3年前の1月26日、妙に体がだるかった。温かくして眠ったのだが、その翌日、アジアジと長時間飲んでいるあいだも、いつもより熱っぽく、しんどかったことを覚えている。
 病院で診てもらったら、インフルエンザだと言われた。
 ショックだった。小学校の高学年以来である。数十年という単位でかからなければ、もう一生インフルエンザなどとは無縁だろうと思いこんでしまう。それがここにきて(塾でいえば)受験の直前に罹患してしまったのだ。
 当然、一週間ほど家の中に引きこもって過ごした。
 一昨年の1月26日は、国分寺道場の新年会だった。
 この時は道場に集まり、みんなが酒などを持ち寄って鍋をした。
 筆者は日本酒が好きである。空きっ腹にぐいぐい飲んだのがいけなかったのだろう。急激に回り、酔っぱらった。
 お開きの段階になって、寺嶋先輩とT君が立ち話していたので、床に倒れていた筆者は、ゴロゴロ転がってTの足を蹴りにいったところ、Tもふざけて上からのしかかってきた。
 泥酔していた筆者は何の防御もとれず、床で後頭部を打った。これまで経験したことのない感覚で頭の中がジーンと痺れ、
(これはヤバい!)
 と思った。立ちあがれなかったのだ。大変なことになったんじゃないか、という嫌な感覚は、今でも生々しく記憶に残っている。
 翌日になっても治らず、まっすぐ書いたつもりの板書の文が斜めに流れていたので、これは本格的にまずいことになったんじゃないかと思った。
 身近な人には話しているが、事実、この代償は大きかった。言うまでもないがTに罪はない。100%筆者のせいである。
 そして、去年の1月26日。使用中のパソコンがいきなりプツンと弾けとび、それっきり使用不能となった。よってこのブログも更新できなかった。かろうじてデータは復元できたのだが、焦ったのなんの。詳細は一年前のブログに言い訳がましく書いている通りである。
 これらは全部、1月26日ではないか(と、ふと気づいた)。
 なんなんだ、この暗合は。
 洒落にならないマイナスの出来事が三年連続で同じ日に起こっている! そこには何らかの法則性があるのだろうか。とすると、今年も……!
 いや、そんなのは科学じゃない。もちろん意味などないし、何の根拠もない。ただの偶然だ。そうに決まっている。……と自分に言い聞かせつつ、「今年はどんな不吉なことが起こるのだろう」と戦々恐々と1月26日を迎えたのだった。
 というのは嘘で、完全に忘れていた。いろいろやらなきゃいけないことがあるから。
 もちろん、なにも起こらなかったのである。



2016.1.21

第百九十三回 空手以外の武道経験 

国分寺道場の門下生(少年部をのぞいて)の中には、過去に空手以外の武道、またはスポーツを経験している人が多い。
 筆者の場合は、弓道である。といっても高校時代の部活なので、ずいぶんと前の話だ。
 入学してすぐの四月、どの部活に入るかを考えて、剣道か弓道かで迷った。
 剣道部を見学に行くと、先輩が「やめといたほうがいいよ。きついから」と言う。
 これは「入部するなら、それだけの覚悟がいるよ」という意味で、本気度を測っていたものと受け取れるが、そのときの筆者は、単純にも先輩が消極的な言葉を口にしていることに良い印象を持たず、弓道部に入った。
 武道では、「立ち方三年」と言われる。弓道もしかり。入部してまず教わったのは立ち方だった。
 腰に手を添えて、ひたすら立ち続けるのである。もちろん私語は厳禁。
 弓道は人気の部活で、入部者は男女合わせて三十人ほどいた。それだけの新入部員たちが、四月の放課後、ときどき休憩をはさみながらも、暮れてゆく夕空の下で無言の立ち稽古をつづけているのだ。
 これは数あるクラブ活動の中でも、異様な練習風景だっただろう。
 立ち稽古の期間が終わって実際に弓を引かせてもらえるようになっても、すぐ射場に立てるわけではない。まずは巻き藁に向かって射る。空手だけではなく、弓道にも巻き藁の稽古があるのだ。
 もっとも、その形状はまるで違う。米俵のように太くまとめられたものを横置きにし、その断面に向かって至近距離から射る。まずは正確な射の型を身につけるための稽古である。
 あるとき、筆者は巻き藁から矢を引きぬいた後、その矢を思わず、ブンッと下に振った。
 これは中村主水が刺した刀をぬいた時、血のりを払う動作なのである。意識してマネしたのではなく、ごく自然にそうしていたのだが、これに同級生の部員が目ざとくも気づいた。
「あーっ、おまえ、それ主水のマネやろ!」
 なにしろ必殺シリーズの視聴率がピークを迎えていたころである。巻き藁から矢をぬいた弾みで、無意識のうちに主水の動作を演じる筆者もどうかしているが、それにまた気づく同級生も同級生である。
 いよいよ射場で練習できるようになった頃、同級生の女子が二人、新たに入部してきた。
 ある日、筆者が射た矢を取りに行くと、その二人が的場の横に並んで腰に手を当て、例の立ち稽古をしていた。
 射場に戻って矢を放ち、次に取りに行ったら、なんと、その一人が倒れているではないか。
 ほかの部員が取り囲んでいる中、地面に横たわっていたので、びっくりした。なにが起こったのだろうと思った。
 弓道場の横はソフトボール部が使うグラウンドだった。なんたる偶然か、バッターが高々と打ちあげたフライ球がフェンスをこえて、ひゅーんと落下し、無防備に立ち続けている彼女の頭を直撃したのである。



2016.1.14

第百九十二回 子泣きジジイの真実 

 去年の後半には有名人が相次いで亡くなったが、筆者はその中で、水木しげるの訃報がもっとも衝撃だった。
 およそ我々が抱いている妖怪のイメージは、水木しげるの絵による影響が計り知れないほど大きいのではないだろうか。まったくの架空の妖怪(という言い方は変だけど)ではなく、古来より日本の各地で伝承されてきた物の怪たちを、ほかのどの漫画家ともちがうタッチで描いてきた人なのだ。
 それらは恐ろしくもどこかユーモラスで、愛敬さえ感じさせる姿だった。人外の世界に棲む異形の数々を、忌むべきものとしてではなく、身近で愛すべきものとして描いたところが、もっとも偉大だと思う。また『日本妖怪大全』という分厚い著作など、民俗学の面から見ても名著なのではないだろうか。
 妖怪だけではない。たとえば「水木しげるのサラリーマン」というだけで、多くの人にそのビジュアルが通じるほどの共通認識になっているのはすごい。
 代表作といえる『ゲゲゲの鬼太郎』は何度もアニメ化されており、近作では「萌え」に走るあまり、かの猫娘まで美少女化されているというから驚きに耐えないが、筆者が知っているのは、吉幾三が主題歌を歌っているのと、その前の白黒のやつだった。
 前者はひどい駄作だった記憶がある。後者はずいぶん古い作品で、何度目かの再放送で見ていたが、「牛鬼」の回とか、「あか舐め」と東京湾の底で戦う回など、けっこう怖かった。「オバケは死なない~」と主題歌で歌われながら、鬼太郎はけっこう死にかけのピンチに直面することも多かったのである。
 話は変わるが、ずっと前に国分寺道場で、江口師範に意識による体の変化を教わった。意識の切り替えで、上から押さえてきた相手の腕をすっと持ちあげることができたり、力んでつかまれたのを外したりする身体操作である。
 その中で、人が誰かを背負った場合、背負われた者の意識の有無によって、重さが変わるという現象があることを知った。たとえば、ただオンブするのと、気絶した人や酔っぱらって正体をなくした人を背負うのとでは、あきらかに負荷として体感する重量が変わるのである。人体の神秘というか、じつに不思議なことである。
 それを知ったとき、筆者は場違いにも思ったのだ。
「ははあ、これは子泣きジジイの原理だな」と。
 子泣きジジイとは『鬼太郎』に登場する仲間の主要妖怪キャラクターの一人で、ご存じのように、しがみついているうちに重量が増すジジイである。これなどは前述の原理を、昔の人が妖怪の仕業としてとらえた結果の産物ではないだろうか。
 ほかにも、たとえば「一反木綿」などは、昔の単位でいう一反(約11メートル×36センチだから相当長い)ほどの白い布が、風で飛ばされるかしたのを、たまたま見た人がいたのだろう。それを命あるものの姿としてとらえたのが発端ではないだろうか。
 じゃあ「小豆洗い」は? といえば、ただ小豆を洗っていた人が元ネタではないかと思う。
 じゃあ「ぬりかべ」は? 「砂かけババア」は? と訊かれると大いに困るのだが。



2015.12.24

第百九十一回 あと10回? 

「毎回、よくネタがつづくよね」
 とアジアジに言われるこのブログだが、筆者の引き出しだって、もちろん無尽蔵というわけじゃなく、ネタもいつかは尽きる。
 つまり最終回が来る。では、どのタイミングで終わればいいのか、となると、やはりキリのいい数字の回にしたほうがすっきりしていいと思うんだがな、筆者としては。
 たとえば200回とか。
 ということは、おお、この回を含めてあと10回だ。次の木曜日は大みそかなので、一回とんで更新は年明けになるでしょう。
 江口師範のひと言で始まったこのブログも、なんだかんだで200回もコンスタントに書いたとなると、さすがにもういいのではないかな、筆収め(筆じゃないけど)しても許されるのではないかな、と思ったりしつつ、2015年も暮れようとしている。
 2015年といえば、録画してあった『必殺仕事人2015』をようやく観たのだが、江口師範はご覧になったのだろうか。
 またその話題かよ、と当ブログの読者諸兄には思われそうだが。
 ジャニーズで固められた仕事人なんか観る気もしない、と思って拒んでいた筆者だが、思いきって観てみると、意外によかった。
 たしかに映像から骨太さは失われていたが、平尾昌晃のBGMが健在で、随所に『新仕置人』や『仕舞人』、『新仕事人』など過去のサントラが「新作」の中に流れると、それだけで嬉しくなる。
 それに、エンドクレジットに出ていたが、監督が石原興だったのだ。
 この人は撮影を担当し、照明の中嶋利男と共に、ずっと必殺シリーズを支えてこられた人なのだ。テレビドラマなのに、映画用の16ミリを惜しげもなく使ったあの光と闇の映像美を演出された(それこそ)仕掛人なのである。当然、往年のシリーズのいいところを知り尽くしているわけだ。
 ちなみにミニ特番『必殺を斬る』のインタビューで、「必殺についてひと言」と言われた石原氏が、ぽつんと「青春を返せ」と口にされていたのがやけに面白かった。
 でも、そんな名職人の石原氏だけに、昨今の時代劇の軽薄なデジタルクリアビジョン画面についてはどうお考えなのだろう、とも思った。なにもかもクリアな画像は、深みのある時代劇には合わないと筆者などは思うのだが。
 ……と、こんなふうに必殺をネタにするのもいいが、残された作品も限られている。話題を元に戻すと、このブログはいつになったら終わるのだろう。
 本音を言うと、ネタはつづくと思う。たぶんだけど。元々たいした内容を書いてるわけじゃないし。……となると、別の要因で終了することになるかもしれない。たとえば氏村が誰であるか、正体がバレてしまうとか。……それじゃ、まるで必殺の最終回だ。
 そんなこんなで今年も終わります。
 よいお年を。(大谷先生ふうに言うなら)201回目がないことを祈りつつ……。



2015.12.17

第百九十回 終わりにて候 

 必殺シリーズの魅力の半分は個性的なキャラクターにあるといっていい。直情径行の熱血漢、クール、向こう見ず、軟派、硬派、人情家、主水のようなすれっからし……まで、多様である。その中でも随一の異色の殺し屋といえば、第4作『暗闇仕留人』の糸井貢(いとい・みつぐ)ではないかと、筆者などは思う。
 どのように異色かというと、インテリなのである。秀才の蘭学者。こういうタイプはシリーズ中でもごく数人しかいない。その中でも、もっとも知性を押し出したキャラクターなのだ。
 糸井貢を演じるのは、石坂浩二。高野長英の門下生だったという設定で、師匠の逃亡を手助けした罪で追われる身でもあり、今は芝居小屋で三味線を引いて表の生計を立てている。
 前髪を額に垂らし、書生風の着流し姿で、いかにも線が細い。知的で繊細な風貌からして殺し屋(仕留人)には見えず、貢という名前からして現代的である。なるほど、石坂浩二はこの役にうってつけの俳優だと思える。
 作品の背景は幕末であり、海上には居並ぶ黒船が遠望できる。
「どうも世の中の動きってのは、俺たちが考えてるよりずいぶん早いらしいな」と主水さえ言っているのだから、この『暗闇仕留人』自体がシリーズ中の異色作であろう。
 最終回「別れにて候」で、貢は内面の葛藤を仲間たちに吐露する。
「何のために生きてるのか。何のために、今まで人殺しをしてきたのか」
「けっ。ちょっとばかり学があるからって、訳の話からねえことぬかしやがって。何のために生きてる? 決まってるじゃねえか、食うためだよ」
 と、怪力坊主の大吉などは、こんな悩みをはなから受けつけない。
「前から考えていたことなんだ。俺たちは今まで何をしてきたんだ。世の中は動いている。少しでも世の中良くなったか? 俺たちに殺られたやつらにだって、妻や子がいたかもしれないし、好きなやつがあったかもしれないんだ」
 蘭学を学んだ身であり、激動する日本の未来を案じる貢は、ここにいたって自分たちがやってきた仕留人稼業に疑問を抱き、幕府の要人を標的とする次の仕事にためらいを見せる。
「今度殺ろうという相手、松平玄蕃守、その身辺はたしかに清廉潔白とはいえないかもしれない。しかしな、彼の幕閣における見識、国を開こうという勇気は、今の幕府にはなくてはならぬものなんだ」
 気乗りしないながらも「これで最後にさせてもらう」という条件で引き受けた貢。だが、最終回のクライマックス、寝込みを襲った殺しの現場で、松平玄蕃守が土壇場で言い放つ。
「わしを殺せば、日本の夜明けが遅れるぞ!」
 この言葉に、貢は思わず手を止める。そして、その一瞬の隙を突かれ、返り討ちに斬られてしまうのだ。必殺シリーズ初となるレギュラー殺し屋の殉職である(島帰りの竜は生死不明)。
 リアルタイムで観ていた視聴者はショックだっただろう。松平玄蕃守はその後すぐ中村主水に斬られ、父をなくした娘(西崎みどり)は、雪の降りしきる江戸の街を旅立っていく。
 玄蕃守の娘である彼女は、貢が絵を教えていた生徒でもあり、演じる西崎みどりが歌う主題歌『旅愁』がここで鎮魂歌のごとく流れる。西崎はこの回がゲスト出演だった。



2015.12.10

第百八十九回 マクドナルドの老婆 

 マクドナルドの凋落がとまらない。
 ファーストフード店の代名詞のような存在だったのに、今年のうちに190店舗も閉鎖してしまうというから驚きだ(ちなみに、このブログは次回で190回である。関係ないけど)。
 筆者が知っている店も二つ潰れた。国分寺でも北口にあった店が再開発の流れで取り壊され、それ以降も復活する見通しがないのだから、ちょっと淋しい。
 もっとも、中国産の鶏肉の事件は、食品産業としては致命的だったと言える。信用とは一回きりのもの。あんなことが発覚しては、誰もチキンタツタなど食う気にならないし、鶏肉以外の食材にも杜撰な管理が類推できるというものだ。
 それと「職業体験」とやらで小学生を厨房に立たせるマックアドベンチャーという企画。最初聞いたときはびっくりした。まさか一般の客に出すんじゃないだろうな、自分なら絶対に嫌だけど、と思ったら、さすがに親が責任を持って食べるらしい。それにしてもママゴトじゃあるまいし、みずから価値を下げているとしか思えないのだが。
 と言いつつ、筆者も年に七、八回ほどの割合でマック(関西では「マクド」という)を利用している。筆者の年齢だと、神戸でマクドを初体験したころの、あこがれと感激の記憶があるのだ。今では、ハンバーガーもポテトも、あの大ざっぱな塩分の加減がいい、チープさが売りだ、と思っているのだが、これじゃけなしているのか褒めているのかわからないか。
 今はなき国分寺店で、ずっと前にお婆さんの店員さんを見かけた。バイトといえば若い女性のイメージがあるせいか、制服を着たお婆さんとマックの組み合わせが珍しかったので覚えている。彼女の、パート先にあえてマクドナルドを選んだという、その心理が面白かった。
(仕事のほうは大丈夫かな。ちゃんと運んでくれるだろうか)
 と思って待っていたら、案の定、運んできたのはいいが、番号札をおいたテーブルの横をヨロヨロと素通りしていった。やっぱり大丈夫じゃなかったみたい(笑)。
 これは別の店だが、筆者が席に着こうとしたとき、となりの席に座っていた上品なお婆さんが、ニコリと微笑んで会釈したことがあった。0円のスマイルは店員のものだけではなかったのだ。
 筆者も会釈を返した。それから食事して、席を立つとき、ふと気づいた。
 となりのお婆さんは、依然として姿勢よく座っている。狭いテーブルの上には何もない。ハンバーガーやドリンクも。番号札も。トレーや食べ終えたものすらない。ただ座っているだけ。
 これはどういうことなのだろう? 店を出てから、やや気になった。
 もしかすると、あのお婆さんは、生まれて初めてマクドナルドに入ったのではないだろうか。そうして普通のレストランのように「店員が注文を取りに来る」のを、ただ待っていたのかもしれない。それなら、筆者は声をかけて教えてあげるべきだったのではないか。
 ファーストフード店を利用するには、彼女は育ちが良すぎたのだ。隣席の見知らぬ客にも会釈するほどに。
 中学校の国語の教科書にも載っている吉野弘の詩『夕焼け』の「娘はどこまでいっただろう」ではないが、お婆さんはあのままいつまで待っていただろう。



2015.12.3

第百八十八回 言葉が通じないのは何故か 

 前回の文章が途中で切れていたことにお気づきだっただろうか。最初「他山の石」のところで終わっていたので、変だと思われたかもしれない。その後訂正していただき、今アップされているのは完全稿になっている。
 前回といえば、かつてのタケルのような「言葉が通じない」人は大人にもいる。むしろ大人のほうが多いようにも思われる。もちろん外国人のことではない。音声を認識でき、母国語である日本語の意味を理解できるのに、話す内容が通じない人のことだ。
 ひとつ思い出すのは、筆者が昔、友人に紹介された居酒屋でのことである。
 ある時、カウンターで飲んでいると、そこのマスターが、「となりの人に話しかけろ」と言う。
 フレンドリーな雰囲気で、常連客同士が気楽に語り合う店だったが、筆者はべつに見知らぬ人との触れ合いを求めているわけではなかった。
 一人で飲むのが好きなだけで、もちろん淋しくもない。むしろ触れ合いなど、わずらわしいと思うほうだ。
「考えごとをしながら飲んでるから、人と話さなくていい」
 と言っても、それがマスターには通じない。
「いい人だから」
 と、何度も言う。厚意のつもりで提言してくれているらしい。
 いい人だから話しかけろと言うのは、しかし理解できない論理である。正直言って、アホじゃないかと思った。
 くり返すが、筆者は一人で飲んでいても淋しくはなかった。むしろ孤独を楽しんでいた。基本的に自己完結できてしまう人間なのである。ほかの人に話しかけないのは、単にその欲求がないからであり、また失礼にならないよう遠慮しているだけだった。逆に自分が見知らぬ人に気安く声をかけられたら不快に思うタイプだから、というのもある。
 そのことを、言葉を尽くして説明したのだが、まったく通じなかった。
 うっとうしくて、もうその店には行かなくなったが、見方を変えれば、そこは「触れ合いの場」かもしれず、だとすると筆者のほうが異物であり、場違いだったとも言える。
 言葉が通じない理由は、独りよがりな思いこみのせいだろう。
 マスターは筆者のことを「この人は、人と話したいのに、話しかけられないのだ」と思いこんでいたのだ。そしていったんそう思いこんだら、もう論理は通じない。
 よく言われるように、人は「自分の信じたいことを信じる」らしい。
 この例でいうと、マスターが信じたかったのは「自分の親切」、すなわち「いいことをしている自分」であろう。だから言葉による筆者の主張は耳を素通りし、真実をさしおいても、孤独な客に仲立ちしてあげているという「善意」で頭がいっぱいになっていたのだと思う。
 そう、善意の勘違いである。悪気はない。が、こういう人が真の味方にはなりえることは、まずない。尊重がないからだ。噛み合わないのは、相性が合わないからである。
 ただし、若い人にとって親は例外だ。親の思いこみはむしろ当然で、若いころはわずらわしくても、結局、余程のことがないかぎり見捨てることは(たぶん)ない(と思う)。



2015.11.27

第百八十七回 こんなやつがいた3 

 もう7、8年ほど前の話だ。手に包帯を巻いている生徒がいたので、どうしたのかと理由を聞いてみると、「空手のスパーリングで怪我をした」と言うではないか。
 塾の近くに極真(別派)の道場があり、彼・タケル(小6・男子)はそこに通っているという。なんていう先生に教わっているのか聞いたら、筆者の知っている人だった。
 その指導員の先生は、江口師範の後輩に当たる方で、たまに近くで顔を合わせたときには、しばし立ち話をして「江口先輩はお元気ですか」などと聞かれることもあった。
 思わず懐かしくなり、「その先生、知ってるよ」とタケルに話した。もちろん休み時間、個人的にである。でも筆者が空手をつづけていることは、生徒から見ると専任の先生じゃないように思われそうなので、仕事に支障が出ぬよう、もう辞めていることにしておいた。
 ところが、このタケルには通じないのである。人の話をまったく聞いていない。
 筆者はその当時、緑帯だったが、タケルは勝手に黒帯だと思いこんでいた。人前で授業などをしていると、立派なように見えるのかもしれない。人間の思いこみの力というのはえらいもので、ちがうと言っても通じない。
「そんで、どこの道場に通ってるの?」と、また平気な顔で聞いてくる。
「だから今はやってないって言ってんだろうがあ!」
 と思わず大声を出しそうになった。もう訂正せずに黙っていたが。
 こちらの話す言葉が、ことごとく聞き流されるのである。もちろん授業内容もだ。こんなにイライラさせられることはない。
 得意技は何か、と聞いたら、「ナントカナントカナントカ蹴り」と、まったく聞いたことのない複雑で長い蹴りの名称を、真顔で答えた。そんな子である。
 だが、このタケルのお父さんは、とある大企業の重役であり、なんでも「統括部長」という役職に就いているそうで、タケルはそれが自慢だった。
 で、みんなの前で誇らしげに語ったのだが、やはり本人は正しく認識しておらず、
「僕のお父さんはね、トンカツ部長なんだよ」
 と言って、みんなの爆笑を買ったのだ。マンガのような話だが、実話である。
 タケルは、それこそトンカツのように丸々と肥えた顔で、きょとんとしていた。笑いものにしちゃダメだ、とみんなを責めることはできない。誰だって笑いたくもなるわ。
 感心されるはずが、爆笑されて意味不明のタケルは、なぜ笑われてしまったのか理解できなかったのだろう。家に帰って、お母さんにそのことを話した。
 そしたら、お母さん、どうしたと思いますか?
 なんと、会社の組織図を書いて、息子に持たせたのである。プライドのより所である統括部長がどれほどエライ立場なのかを、皆に知らしめずにはいられなかったものと思われる。
 さて、このトンカツ部長の息子からも、我々はなにか学べることがあるだろうか。「我以外皆師」であり、「他山の石」という言葉もある。
 なにか学べることが……………………どこかに………………………………………………………えーっと  …………………………………………………………………  ………………………………………………………………………。



2015.11.19

第百八十六回 こんなやつがいた2 

「2」があるということは、当然「1」もあったわけで、このブログをさかのぼってみると、2年前のちょうど今ごろ、第84回に書いていた。そのシリーズの2年ぶりの第2弾。
 念のためにいうと、リアルタイムの出来事は避けている。個人情報保護のため、もちろん本名は伏せているし、5年から10年を経た賞味期限切れのネタである。
 といっても、たいした内容じゃない。名前は、ひさの(仮名)。小5のくせに茶髪の女子。そして鋼の神経の持ち主である。
 筆者が廊下を歩いていて、出会うと、なぜか後をついてくる。歩きながら話しかけてくるのだが、それが他の教室に入ってもつづく。平気な顔でよそのクラスにまで入って話しつづけるのである。よくこんなことができるものだと思う。
 授業中も、一番前の席から話してくる。学校でこんなことがあったとか、私はこういうことが好きだとか、授業内容とまったく関係のないことをだ。
 授業後に生徒が教室に残って、話を聞いてほしがることはよくあるが、この子の場合、授業中に、ほかの生徒をまったく無視して、自分と筆者しか見えていないような話しかたをする。
 手紙のやり取りはもちろん厳禁だが、この子はどういう神経をしているのか、筆者に渡したことがある。問題演習の最中、一番前の席から、下を向いて問題を解いているふりをしたまま、パッと教卓に折りたたんだ手紙をおいた。あけてみると「今日は私の誕生日です」……云々といった他愛のない内容だ。
 注意しても、まったく聞かない。授業前に「今日やったら島流しだから」とあらかじめ宣告したこともあった。島流しというのは、ほかの子の迷惑になるような場合、一番うしろのポツンと離れた席に移動させて反省を促す、という措置である。
 神妙にうなずいていたのに、授業になると、やっぱり話しかけてきた。すぐ忘れてしまうというより、自分をコントロールできないらしい。で、予告どおり「島流し」にした。  普通ならこれだけでも消沈し、反省するのだが、ひさのはうしろの席で、いっぱしのお姉ちゃんのように足を組んで、手の甲をこちらに向け、指をくねらせていた。
 まったくこたえていないのだ。というか、全然平気。「島流し」にされている自分の立場がわかっていないようである。これには呆れを通りこして、失笑するしかない。
 したたかで、ふてぶてしいという言い方もできるが、このワイヤーのような神経の持ち主であるひさのからも、なにか学べることがあるかもしれない。「我以外皆師」であり、「他山の石」という言葉もある。
 人は苦境にあるとき、落ち込みがちになる。かりに運命に人格をもたせたとき、人はその運命の神を呪うだろう。だが、落ち込めば好転からは遠ざかる。
 これはいじめっ子の心理を考えてもわかる。余計にイジメはエスカレートする。格闘技でも効いたそぶりを見せれば、さらに攻められることを我々は知っている。
 皮肉なことに、悪いことをした子でも、萎縮するより、カラッとして悪びれない子のほうが印象がいいのである。ならば「運命」に対してもそうできたら……とはいっても、ひさののように強靱なハートで世の中を渡っていくことは、普通、なかなか難しいのだが。



2015.11.12

第百八十五回 華岡青州の家 

去年は、和歌山市出身の作家・有吉佐和子の没後30年とかで、彼女の作品がいろいろ売り出されていた。筆者は同郷なのに、いまだ読んでいなかったので、この機会に何冊か買い、そのうちの一冊『華岡青州の妻』(新潮文庫)を今月になって読んだ。
 華岡青州は、和歌山(紀州藩)出身の医者だが、なにをしたかというと、江戸時代に、世界で初めて全身麻酔による手術を成功させた人物である。
 だが、この本は名医・華岡青州の伝記ではない。
 題名からもわかるように、青州の妻・加恵が主人公である。その加恵はなにをしたのかというと、封建時代のことだから、ほかの多くの女性のように、ただ夫の仕事を支えたのだった。
 が、その支え方がすごい。華岡青州が開発した麻酔薬「通仙散」(劇薬成分を含む)の効果を確かめるため、なんと、みずから人体実験の試験体になったのだ。
 さらに、加恵には強大なライバルがいた。青州の母であり、加恵にとっては姑にあたる於継である。於継もまた実験体を希望する。こんな形で、嫁と姑の戦いが展開するのだ。
 かつて『2時のワイドショー』で、よく「スイカをぶつける鬼嫁」ふうのサブタイトルが(今でもやってるのだろうか)あったが、それどころの話ではない。加恵は八日間も意識を失って寝たきりになる。そこまでして、自分のほうが夫(もしくは息子)の役に立とうとするという、すさまじくも風変わりな意地の張り合いなのである(この意味でラストは象徴的である)。
 有吉佐和子は、一作書くごとに倒れて入院するほど入魂のエネルギーをつぎ込んで執筆した作家だが、読んでみると、意外に一般ウケしそうなメロドラマ風の展開だった。メロドラマでなければ、少女マンガだ。天才外科医・華岡青州をめぐる妻と姑との「女の戦い」が、緻密な心情描写たっぷりに描かれていて面白い。一般受けといえば、市川雷蔵(青州)、若尾文子(加恵)、高峰秀子(於継)という豪華キャストで映画にもなっているらしい。
 世界初の全身麻酔手術の成功で、華岡青州の名声は不動のものとなった。ラスト近くでは、杉田玄白からの手紙も紹介されている。すでに80歳になっていた大家の先達が、53歳の青州に対して「教えを乞いたい、交流を持ちたい」という旨の内容を丁寧に書いており、有吉佐和子は「謙虚」という言葉で評しているが、筆者には、この向上心と研究欲こそ杉田玄白の凄味であろうと思われる。青州も感激したようで、玄白からの手紙は華岡家の家宝のように保存されたらしい。ちなみに筆者は、この手紙の実物を見たことがある。
 ええッ、どこでだ? と思われるかもしれないが、なんのことはない、和歌山市の郊外にある「華岡青州の里」に、愛用していた日用品の数々とともに展示されているのである。資料館の近くには、青州の自宅(および診療所)もあり、これも見学することができた。  広くて、驚くほど機能的な家であった。仕事のため合理的に活かせるよう、あらゆるところに独創的な工夫が見られる。やはり、ただ者ではないのだ(当たり前か)。
 それにしても、もし手術のときに麻酔がなければ……と考えただけでもゾッとする。筆者が知っている人の中で、麻酔なしの手術をみずから希望したのは、江口師範だけである。そんなことができない普通の人のために、世界に先駆けてやってのけた華岡青州の研究と仕事は、あらためて偉業であると思う。



2015.11.5

第百八十四回 世界大会を2倍楽しむ方法 

 本家ブログの江口師範の文章に触発されて、ここでも世界大会ネタを。
 試合そのものはもちろんだが、世界大会にはもうひとつの楽しみ方がある。
 出場選手の名前である。なんせ、世界中から集まるのだから、日本人にとっては「変!」と感じるような響きの名前を目にすることも珍しくない。
 ずいぶん前で、どこの国の人かも忘れたが、「ジャッキー・チョン」という選手がいた。
「ゼッケン○○番、ジャッキー」
 と、声高々にその名が呼ばれ、つづけて、「チョン」とアナウンスされた瞬間、会場がいっせいに笑いに包まれたことを、筆者は覚えている。
 失礼じゃないか、人の名前で笑うなんて。
 かのアクション・スターをちょっともじったような名前が、そんなに可笑しいのか。日本まで海をこえてやって来て、いざ試合場にあがるというその時に、自分の名前で観客に爆笑された人の気持ちにもなってみなさい……とは言えない。筆者もつられて笑ってしまったから。
 失礼といえば、「ビル・ポリクロノプロス」の名前をアナウンサーがなめらかに読めず、舌をもつれさせてしまったことである。
「ビル・ポリクロノプロス」……たしかに、トリケラトプス(恐竜)かロプロス(バビル二世のしもべ)みたいで、日本人には馴染みのない人名だが……。舌を噛んだことを「ご愛敬」と感じる反面、プロが事前に練習していなくてどうする、とも言いたくなる。
 そういうあんたは言えるのか、と問われれば、ええ、筆者は言えます。会場でひそかにつぶやいていたから。
 変な名前をみると、なぜか口ずさんでしまいたくなるのである。よって前回出場した「イウヌソフ・スルタナメトカン」の名前もそらんじられる。今回のネタで、過去の大会に出場した選手の名前は、何も見ずに書けるほどで、こうなるともう「変な名前マニア」である。
 人の名前を笑いのネタにすることが上品な行為ではないことを承知の上で、さらにつづけると、ほかにも「ゲオルギ・ゲオルギエフ」という選手がいた。このブログの伝記の回(第119回)でも触れたが、ガリレオ・ガリレイみたいな名前である。
「ユーゲウズ・ダディズダグ」も忘れがたい。舌を噛みそうな名前だけでなく、スキンヘッドにぼうぼうたる顎髭という風貌も個性的だっが、黒澤浩樹(先生)との戦いを前にみずから「戦意喪失」を表明し、棄権してしまった。
 今回のトーナメント表を見ると、「アイルトン・マルティンコレニャ(14番)」「バツシグ・ムンクエルディン(22番)」「ファルーク・トゥルグンボエフ(32番)」「モハマド・ベジャティアルデカニ(39番)」「クリスティアン・ヴァレリウラドゥ(64番)」「キザケダトゥ・モハナンサナル(122番)」あたりが、アナウンサー泣かせの名前であろう。()内はゼッケン番号である。
 ほかにも個人的に面白いのは、「アミン・アジミ(130番)」。「アジアジ」ならぬ「アミアジ」である。それと、また出た「ガリレオ・ガリレイ」風の「マクシム・マクシマウ(135番)」。
 このように、世界大会は、試合のほかにも出場選手の名前で楽しめるのだ。
 観戦に行かれる方は、彼らの活躍と名前をお楽しみください。



2015.10.29

第百八十三回 10月の最後の日 

 10月も終わろうとしている。
 ブラッドベリが愛した「たそがれの国」。その晦日は万聖節前夜、すなわちハロウィンである。この時期、街を歩けばショッピングモールはカボチャをくりぬいた異様なデザインの装飾であふれている。
 ここで話は映画の『ハロウィン』にうつる。1978年製作。ジョン・カーペンター監督のホラー映画だ。
 これは、不死身の殺人鬼を登場させた最初のホラー映画ではなかろうか。
 もしかしたら、もっと前にもあるかもしれないが、とにかく初めて見たときは新鮮だった。映画館ではなく、テレビの洋画劇場で見たのだが、ラストでゾクゾクした記憶がある。
 思えば、80年代というのは、ホラー映画の円熟期でもあった。70年代に『エクソシスト』や『オーメン』や『サスペリア』や『ゾンビ』といった新境地が開拓され、さらに不死身の殺人鬼を扱ったシリーズ物が制作され始めたのが80年代だった(ように思う)。
 不死身の殺人鬼といえば、『13日の金曜日』シリーズのジェイソン・ボーヒーズ。『エルム街の悪夢』シリーズのフレディ・クルーガーと並んで、この『ハロウィン』シリーズの「ブギーマン」ことマイケル・マイヤーズが有名だが、筆者はブギーマンが一番好きだ。
 なんといっても、あの不気味なマスクがいい。目の穴がぽっかりとあいた白いハロウィンマスク。凶器はシンプルに長大刃のナイフ。ジェイソンが何作目からアイスホッケーのマスクをかぶるようになったかは知らないが、『13金』は、やはり1作目がダントツだと思う。大部分の流れは平凡だが、どこが秀逸かは、ご覧になった人ならおわかりだろう。
『ハロウィン』の1作目も、ほとんどは平坦に進んでいく。10月の末日が近づくと、街角に白いマスクをかぶったマイケルの姿がちらつき、それがブキミで徐々に緊張は高まっていくが、大きく展開するのは終盤、ハロウィンの夜になってからである。
 家に侵入したブギーマン(マイケル)を、主人公の姉弟はかろうじて倒すが、もう大丈夫だという姉に、幼い弟がひと言「ブギーマンは死なないんだよ」と言う。伝承の怪人としてそうなっているだけで、なぜ不死身であるかの説明は一切ない。それが、かえって怖い。
 そして、抱き合って恐怖の余韻に耐える二人の背後で、倒れていたはずのブギーマンが、むくりと上体を起こし、白いマスクをかぶった顔をこちらに向けるのだ。
 もうひとつ特筆すべきは、音楽である。印象的な曲が多いホラー映画のサントラの中でも、筆者にとってはこれがベスト。『ハロウィン』が魅力的なのも、この音楽の力によるところが大きいのではないか。しかも、この曲、なんとジョン・カーペンター監督がみずから作曲しているという。
 ところで、『ハロウィン』は周知の通り、子供たちがお菓子をもらいに近所の家庭を回るという西洋の行事をモチーフにした作品だが、日本ではそれをもじって、秋田県の伝統行事を題材にした『なまはげ』という映画を作ったらどうだろうか。
 大みそかの夜、赤いなまはげ仮面をかぶった怪人が各家庭を回り、悪い子を食べていく。……ヒットしないこと請け合いである。



2015.10.22

第百八十二回 どこまでがイジメか 

 筆者が中学二年生のとき、クラスで「画鋲おき」が流行った。
「画鋲おき」というのは、席を外しているクラスメイトの椅子の上に、さっと画鋲をおいておく悪戯である。画鋲は、教室の後ろの掲示板からぬき取って使う。
 流行ったといっても、ほんの一時期だけ、男子のうち何人かが、はしかにかかったようにこの遊びに熱中していただけで、ほとんどの者はくだらないと思って見ていたはずだ。
 遊び、というには、しかし語弊があろう。椅子に画鋲をおかれ、それに気づかずに座れば、とがった先が尻に刺さってしまう。当然、痛いし、わずかだが傷を負う。
 そう考えると、悪戯と呼ぶには、悪質すぎる。実際、普通なら、れっきとしたイジメにちがいない。少女漫画の世界でも、「シューズに画鋲」は嫌がらせとして描かれる。笑いごとではすまされないのである。
 不思議なのは、同じことをやっていても、その場の空気、互いの心的距離、そして相手の受け取りかた次第で、冗談にもイジメにもなるという点だ。
 なんだか「セクハラ」に通じるものがある。それじゃ、やらないにこしたことはないのだが、そこは中学生のオスガキたちである。異様に盛りあがっていた。
 たとえば、Aという男子が、ある生徒Bの椅子に画鋲をおいている。Aはバカだから、Bの反応が気になって仕方がない。気づかずに座るかな、とニヤニヤしながらBを眺め続けているが、そのAの席には、すでに誰かが画鋲をおいているのだ。Bのほうに気を取られながら、後ずさりして自分の席に座ったAは、飛びあがっていた。それを見ていた皆は爆笑。
 重ねていうが、画鋲おきは本来イジメである。このような愚行がブームになっていた教室は、例外的なパターンだと思っていただきたい。
 こんな状況だから、当然、椅子に座るときは気をぬけない。  休憩時間ばかりではなく、授業が始まる直前、「起立」「礼」のタイミングで、うしろからサッと画鋲をおかれることもあるので、座るたびに確認しなければならない。まさに生き馬の目をぬく教室であった。
 といいながら、筆者もやった。標的は前の席の女子だった。「あんたはこんなことをしてるけど、こうしなさい」というように、なにかにつけていつも説教してくる憎たらしい子なので、この際だから報復のターゲットに選んだ。となりの席の友だちが「おまえ、それはヤバイだろ」と言っていたが、「起立・礼」のタイミングで、パッと椅子においたのである。
 さて、前の席の女子はどうなったか?
 実は、どうにもならなかった。彼女が腰を下ろす瞬間、筆者もヒヤヒヤしたが、いったいどういうわけか、何事も起こらなかった。つまりまったくの無反応だった。
 理由はわからない。授業中ずっと考え続けたが、答えは出ず。  もしや無痛症だったとか。それとも、座る拍子に、スカートで画鋲が弾き飛ばされたのだろうか。でも床にも見当たらなかった。遠くまで転がった可能性も否定できない。あるいは、ものすごい確率で、ちょうどケツの穴に収まっていたのだろうか。
 真相は藪の中。いまだに謎のままである。



2015.10.16

第百八十一回 文学の秋 

 天高く、氏村肥ゆる秋。……というのは、ただの稽古不足か。
 とにかく秋が深まっている。
 芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋、という言い方は、もう死語かもしれないが、今回のネタは、読書の秋ということで、有名な文学作品の書き出しに触れてみることにする。学生時代に、文学史の授業などで紹介されたやつである。

「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」(夏目漱石『草枕』)
 普通、山道を登りながら考えることといえば、「腹減ったなあ」とか「頂上はまだかいな」とか「おっ、やばい。蜂だ」……といったところだが、さすがに明治の高等遊民はちがう。山登りしながら、こんな哲学的な、難しいことを考えている。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」(川端康成『雪国』)
 あまりにも有名な一節。筆者の妹はこの冒頭を読んで、「なんで『そこは雪国であった』にしないのかな」と言っていたが、冗談じゃない、そんなことをしたらブチコワシである。

「永いあいだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言い張っていた。それを言い出すたびに大人たちは笑い……(略)」(三島由紀夫『仮面の告白』)
 三島なら実際にあり得そうに思える。ちなみに筆者の学生時代、往年の三島と東大で同級生だった教授が聞かせてくれたエピソードによると、ナントカという難しい講義のノートを平岡(三島の本名)に借りたところ、なんと、その講義内容を古文に直して書いてあったという。

「私は、その男の写真を三葉、見たことがある。」(太宰治『人間失格』)
 若い頃の三島に「僕は太宰さんの文学が嫌いなんです」と面と向かって言われた太宰だが、なるほど、ともに自伝的要素の強い作品でありながら、誕生の瞬間によって世界が開ける三島とは対照的に、写真の描写から人物の内面に向かうという導入を取っている。

 同じく太宰の『走れメロス』では、
「メロスは激怒した。」
 と、のっけから短いセンテンスの中でまともに心情語を用いるという大胆さだ。「なんで激怒したんだ?」と読者の興味を引く手法であろう。ちなみに、似たような書き出しに、
「山椒魚は悲しんだ。」(井伏鱒二『山椒魚』)がある。

 だが、とにもかくにも、もっとも強烈なインパクトを与える冒頭は、これである。

「山手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした。」(志賀直哉『城の崎にて』)
 さらりと書いている。……超人だ!



2015.10.1

第百八十回 CD大量投棄の謎 

これは自分の生活圏内で遭遇したミステリーである。
 かなり前の話だ。一年はたっていないが、今年の2、3月のことだったと思う。
 その日、筆者はマンションの一階にあるゴミ集積場で、CDが大量に捨てられているのを見つけた。手提げの紙袋に入れて「燃えないゴミ」のコーナーに置かれている。
 聴かなくなったCDを整理し、まとめて処分することなら、べつに不思議ではない。
 だが、それらは新品だった。どれもパッケージングされたままの、つまり封もあけていない状態。しかも、すべて同じアルバムで、数えてみると100枚以上ある。
 これはどういうことだろう。業者なら専用のルートで処分するはずだ。
 新品のCDを100枚以上買い、一度も聴かないまま開封もせずにごっそり捨てるとは、いったいどんな事情があってのことなのか、筆者は考え込んでしまった。
 読者には、この謎が解けるだろうか。ちなみに、このCDは、AKB48のアルバムだった。と書けば、「なるほど」と納得する方もいらっしゃるかもしれない。
 筆者は、なんとかこの真相を解明しようと考えていたのだが、どうしてもわからずじまいだった。一枚持って帰って聴いてみようかとも思ったが、なんとなく薄気味悪かったし、日ごろから歌謡曲を聴く習慣もないので、結局そのまま放置しておいた。
 ところが、この話を道場ですると、スガイズムとキャニオンがたちどころに答を出したのである。
 筆者がどれだけ推理してもわからなかった謎を、聞いた瞬間に当たり前のように解かれては甚だ面白くなかったが、「握手会」の知識がなかったのだから無理もない(と自分を弁護)。
 いや、握手会というものがあることは知っていたが、そのシステムについては疎かったのだ。
 ご存じない人のためにいうと、AKB48の握手会に参加すれば、メンバーと握手ができるのだが、それには参加券というものが必要になる。その参加券がCDについている。パッケージが破られていなかったので、たぶん包装の外側にあるのだろう。
 AKB48といえば、筆者でも知っているほどの国民的アイドルグループだから、ファンの数を考えると、CDについている参加券だけでは足らず、抽選が行われるはずだ。それで選ばれる可能性を高めるために、熱心なファンは100枚でも買うのだ。
 うーん、なんとボロい商法だろう。CDは、よほどの高額所得者でなければ、安い買い物ではない。そして普通は(聴くだけなら)2枚もいらない。それを100枚も購入する人がいれば利益も跳ねあがる。
 ファンにしてみれば、願ってもないイベントだと思う。あこがれのアイドルと至近距離で会い、握手して、ちょっと言葉も交わせるのだ。人は満足のためには金を惜しまない。
 企画した側は、コスト的には無料にも等しい参加券を封入しておけばいい。労働するのはメンバーの女の子たちだ。たかが握手といっても、相手は何百人もいるし、いわば長時間の接客である。対人の労働は消耗するもの。心身ともに大変な仕事にちがいない。
 これは筆者たちが、石川秀美がどうだ菊池桃子がどうだ、と言っていた頃にはなかったシステムである。アイドルの形態も変わったものだ。……って今ごろ思うのは遅いか。



2015.9.24

第百七十九回 好きなアニメキャラは? 

 筆者が高校生のときである。
 英語のグラマーの授業で、「○○ほど、○○なものはない」という構文が取り扱われたとき、担当の教師が、「○○ほど可愛いものはない」という例文を作ってみるように言った。その○○のところに、自分が一番可愛いと思う女の子の名前を入れろ、というのである。
 共学校だったが、ほとんど男子生徒向けのウケ狙いであり、今ならクレームスレスレの出題かもしれない。
 筆者は、ふと隣の席でせっせと鉛筆を動かしているF君のノートをチラ見した。
(なに? N…A……U…)
 誰のことだろう、と思った。
 NAUSICAA。
 F君が書いていたのは「ナウシカ」だった。
 宮崎駿のアニメ『風の谷のナウシカ』の主人公(ヒロイン)である。
 同じクラスでありながら、ほとんど会話らしい会話を交わしたことがないF君だったが、英語教師の気まぐれな出題に「ナウシカほど可愛い女の子はいない」と答えた彼は、おそらく「本気」だったのではないかと推測する。なにしろスペルを知っているぐらいなのだ(筆者はこれを書くにあたって調べた)。
 この世に実在する異性など眼中にない。二次元の美少女キャラクターこそ恋の対象。……という、このF君の感覚は、今でいう「萌え」の走りだったのかもしれない。
 アニメのキャラクターで誰が好きか、というような話題は、若いころなら酒の席で持ち出されることもあるだろう。
 こういう場合、筆者は「どう答えたらウケるか」という観点から答えるので、いささか本音とは異なる結果になる。
 たとえば、男性キャラクターなら、「タラン」と口にしてしまうのである。
 しかし「タラン」と聞いて、いったい誰がピンとくるだろう。『宇宙戦艦ヤマト』に登場するデスラー総統の側近なのだが、デスラーの横に立っているだけでほとんど個別の出番がなく、忠実さが売りの人物なので個性を発揮する場面も皆無に近い。だが、同じ脇役でも「シュルツ(ガミラス冥王星前線基地司令官)」とか「ミル(白色彗星帝国監視艦隊司令)」といっては「狙いすぎ」であり、あくまでも「タラン」というあたりが絶妙な匙加減なのである。
 女性キャラクターも、やはりウケ狙いで答えてしまう。
 たとえば「スターシア」はどうか。ほとんど出てこないではないか。最終回近くでようやく本編に登場するが、大半は宇宙空間に浮かぶ正面からとらえたバストアップの静止画なのである。これも「テレサ」と言っては駄目で、やはり「スターシア」でないと面白くない。
 あと、「003」という手もある。『サイボーグ009』のヒロインだが、固有名詞で「フランソワーズ・アルヌール」と答えるよりも「003」というほうが面白い。なにしろ「数字」だからな。……などとバカなことを書いているうちに今回も枚数が尽きた。
 読者の方なら、同じ質問にどうお答えになるだろうか。



2015.9.17

第百七十八回 漫画のキャラクターの年齢は!?

このブログを書いている筆者(氏村)は、いったい何歳なのかと、たまに年齢を訊かれることがある。前回のネタは昭和の遊びであり、話題に出てくる漫画やアニメも古いものばかりなので、ある程度は推測できるだろう。
 筆者が漫画・アニメの『ちびまる子ちゃん』より年下だといえば、子どもたちは驚くが、これは主人公のまるちゃん(小学3年生)より年少という意味ではもちろんなく、作者であるさくらももこ氏の3年生当時として明確に設定されている時代背景から割り出したものであることは言うまでもない。
 もっとも、漫画・アニメの登場人物は基本的に年を取らないので、見始めたころは年上だった『サザエさん』の磯野カツオや、それとほぼ同い年と思われる『ドラえもん』の野比のび太などは、たちまち追い抜いてしまった。
 だいたい、漫画やアニメのキャラクターは、みんな若すぎる。
 以前、天野ミチヒロさんと飲んでいて『ガッチャマン』の話題になり、主要登場人物たちの年齢を聞いて、その若さに驚いたものだ。
 皆、十代後半なのである。高校生(ジュンペイをのぞく)にあたる年齢の「少年少女」たちが、学校にも通わず世界の平和を守っているのだった。
『ヤッターマン』のガンちゃんとアイちゃんなら中学生というのもわかる。ああいう絵柄だから(それでもボヤッキーは二十代半ばらしい……)。
 だが、『ガッチャマン』のような渋い劇画タッチでは、ケンはともかく、コンドルのジョーなどは、小学生のころに見ていると、ひどくダンディーでオジサンじみていた。
 あんな高校生がいるのか、と思う。ましてやミミズクのリュウなど、完全に中年だと思っていたのだが……。
『宇宙戦艦ヤマト』の古代進や島大介も、宇宙戦士訓練学校の学生という設定上、十八歳であるらしい。筆者が小学生だった当時は、大任を背負いながら成長していく若者として見ていたが、彼らの年齢をとっくに追いこした今になってみると、相当に違和感がある。
 かの『ルパン三世』に登場する銭形警部は29歳とのことだが、あの貫禄で二十代とは驚きである。だいたい29歳で警部に昇進していることからしてすごい。 『カリオストロの城』では、銭形をさして「さっすが昭和一ケタ」というルパンのセリフがあったが、現実世界に照らし合わせると、銭形警部の年齢は、今年で80歳から89歳までのあいだということになる。
『マカロニほうれん荘』のトシちゃん25歳も、連載当時はかなり大人に思えたが、これも通りこした。その次の目標(?)となると、同じく『マカロニ~』のきんどーさんと後藤熊男(苦悩する40歳)であり、そのまた次はエンディングで41歳の春を歌われた『天才バカボン』のパパが浮上してきたのであるが、さらに先となると、もう見つからないのである。
 と思っていたところ、筆者は見たことがないのだが、子どもたちに人気の『妖怪ウォッチ』に出てくる「コマさん」というキャラクターが、なんと300歳をこえているらしい。
 これはさすがに追いこせそうにないな……。



2015.9.10

第百七十七回 昭和の遊びアレコレ

意外なことに、今どきの小学生も「メンコ」を知っているらしい。
 といっても、駄菓子屋で売られているのを買って、路上や公園で日常的にバシバシやり合うというのではなく、「体験学習」を通して知るらしいから、感覚としては、遊びというより「教養」に近いのだろう。どこそこの施設から借りるとなると、メンコを二枚重ねて張りつけ、より強化するズルい工夫など、知らないにちがいない。
 筆者は昭和の当時、再放送をくり返されていた『ドロロン閻魔くん』を持っていた記憶があるが、今のメンコにはどんな絵柄が描かれているのか興味がある。
 一方、爆竹を知っている子どもは少ないので、これは禁止されたらしい。小さなダイナマイトをつなぎ合わせたような形状が男児には魅力的だと思うが、たしかに近所迷惑にはちがいない。
 使用例といえば、無情にもこれをカエルの口もしくはケツに挿入して「爆殺」する同級生もいたが、筆者はそれが嫌だったので、いらなくなったプラモデルを吹っ飛ばすぐらいが関の山だった。
 禁止されたといえば、ローセキも今の子は知らないようだ。漢字では「蝋石」と書くのだろうか、地面に書く白い棒状の石(のようなもの)である。
 ようするに、女の子が地面にマルを書いて「ケンケンパッ」をして遊ぶのに使ったやつだ。落書き自体を見かけなくなったので、これも禁止になったものと思われる。
 筆者は小学3年生の時、家の前からスタートして、近隣のブロックをローセキの絵で一巡するという「大作」を完成させた。何を描いたかというと、人体の消化器官だった。
 すなわち、口から入って、しばらくは食道を下り、大きなスペース(胃)に入ると溶けないうちに早く脱出し、ぐねぐねと曲がりくねった小腸、少し太めの大腸を通って、最後はみんなでウンコになってキャーキャー言いながら肛門から出てくるという遊びである。
 我ながら、ろくなことを思いつかない。子どもの遊びとはいえ、門前に胃や腸などを描かれて、ご近所の方はさぞ迷惑だっただろうと反省する。ローセキも禁止になるわけだ。
 スーパーカー消しゴムも流行った。あれは誰が最初に発見し、始めたのか、シンナーの瓶につけて、一晩寝かせておくと、どういう理屈か知らないが、キュッと二回りほども縮んでしまうのである。しかもカチカチに固くなっている。
 その変化がフシギで面白かった。この固く縮んだスーパーカー消しゴムを、スイッチ操作で飛び出すボールペンの尻で弾き、机の上から落とし合うのだ。シンナーはすぐ子どもに売られなくなったから、つかの間の流行だった。
 ガチャガチャのカプセルも昔からあった。汚い話で恐縮だが、これにおしっこを詰め、空に向かって放り投げる。どこに落ちてくるかわからないので、みんなでワーッと言って逃げる。地面に落ちて炸裂し、運悪く足にかかってしまう子もいて、このスリルがたまらなかった。
 こうやって思い返してみると、昭和の子どもたちは、遊びの道具をそのまま使うのではなく、自分たちでなんらかの工夫をほどこして遊んでいたことがわかる。
 まあ、ろくな工夫じゃないにしても。



2015.9.3

第百七十六回 まぼろしのブルートレイン

 いつのまにか、ブルートレインがなくなっている。
 正確にいつ廃止されたのか知らないが、これでひとつ、子どものころに抱いていた「ブルートレインに乗る」という夢がなくなった。
 もっとも、その夢自体ずっと忘れていたぐらいなので、今さら悔しがることでもないのだが、そんなささやかな夢ぐらい、大人になってから実現させておくべきだったとも思う。
 筆者には小学生のころ、ブルートレインの追っかけをしていた期間がある。友だちに誘われて始めたのだが、自分の中では珍しくまともな趣味だった。
 ご存じない方のために言うと、ブルートレインというのは「寝台特急」のことで、青い車体に白いラインが引かれ、長距離間の移動に使われる寝台つきの列車である。
 その当時、筆者は兵庫県の西宮に住んでいた。最寄りは阪急の夙川駅だが、線路でいえばJRのほうが近い。駅はないが、マンションからJR山陽本線の線路が見えるのである。
 そして一カ所、今はもう無理だと思うが、そのころは線路内に立ち入れる穴場があった。
「あさかぜ」や「さくら」、「はやぶさ」「みずほ」といった東京から九州に向かう列車は、かならず兵庫県(山陽本線)を通る。よって、筆者と友だちは、草木も眠る深夜の一時すぎ、カメラをもって、線路の脇に待機することになるのである。
 通過する時刻の見当は、時刻表をもとに算出した。
「大阪をこの時刻に発車すると、西宮のこの地点を通るのは何時何分ぐらいかな」
 その計算は当たっていた。くり返すが、あたりが寝静まった深夜。一時をこえていたことは記憶している。二人して固唾を呑んでスーパースターの到来を待っていると、はるか彼方まで見通せる線路のずーっと向こうに、ぽつんと輝くヘッドライトが見えてくるのだ。
「来た! あれは、何時何分に大阪を出た『はやぶさ』や!」
 この時のドキドキ感は今でも覚えている。
 我々は興奮しきって撮影したが、後から考えると、フラッシュをたいているので、運転士さんには迷惑だったことと思う。プワァン、と音を鳴らされたが、あれは子どものファンに対するサービスだったのか、それとも警告だったのか。
 そのころは全国的にブルートレインのブームで、撮影に躍起になるファンの行動が社会問題にもなっていたそうだ。筆者たちの学校でも、線路に置き石をするバカがいて、それが問題になり、危険だということもあって電車の撮影は禁止された。
 近づかなければいいだろうと思って、線路に近い友だちの家の窓辺に腰かけ、夕方に通る『明星』や『彗星』といった特急列車を撮影していると、たまたま下の通りを歩いていた校長先生と目が合ってしまい、気まずくなったこともあった。
 そんなこんなで情熱が冷めかけた九月の朝、大型の台風が接近しているとかで学校が休みになって、筆者は友だちと、線路わきの公園で遊んでいた。
 すると、いきなり『さくら』が通っていったのである。いつもなら学校にいる時間なので、午前に通るとは知らなかった。予期せぬ出現によるサプライズと、ヘッドマークをまともに近くで見た興奮もあって、大感激した。これが、筆者の最後に見たブルートレインとなった。



2015.8.27

第百七十五回 ひと夏だけの別荘

最近の子どもは「蚊帳」を知らない。
「トトロで見た」などと言うので、宮崎アニメを通してどういうものかは知っているようだが、現物を見たり、触れたり、中で寝たりした経験はないらしい。
 蚊帳で思い出すのは、前に書いた湯浅の祖父母がもっていた別荘である。
 母方の祖父母はとくに裕福ではなかった。定年まで缶詰工場で日々働き、贅沢とはほど遠い暮らしをつづけていた二人だった。その祖父母が別荘を持ったのである。
 場所は湯浅のやや南方、由良か戸津井と呼ばれるあたり。見あげると、山沿いの大きな道路が通り、展望台のような円形のドライブインがあって、夜はハワイアンが流れていた。当時の田舎の道路には、こういうトロピカル風のドライブインがよくあった。
 ある年の夏、筆者は妹と、そして最近たびたびこのブログに登場する神戸のイトコ姉妹といっしょに、保護者である祖母に付き添われて、その別荘で一泊したのだ。
 別荘、と聞いてどんな建物を想像されるか知らないが、おそらくその想像は外れている。
 いやもう、ボロッボロの、二分後に倒壊してしまいそうな家屋だった。
 平屋の木造で、築年数は見当もつかない。戦火をくぐり抜けてきた可能性すらある。ガスはもちろんプロパンで、電気や水道も果たして通っていたかどうか……というレベルの「別荘」なのだ。おそらくは知り合いから、タダ同然に譲り受けたのではないかと思う。
 それでも楽しかった。やさしいお婆ちゃんがいて、子ども四人で泊まるのだから。
 田舎で思いきり遊んで、スイカを井戸で冷やして、蚊取り線香をたいて、蚊帳の中に並んで寝て……という「昔ながらのニッポンの夏」そのものの過ごし方である。
 井戸の水はキンキンに冷たくて、スイカはよく冷えた。そんなに冷たいのに、上からのぞき込むと、イモリが何匹も赤い腹を見せて泳いでいたのを覚えている。
 それにしても、子ども心に、蚊帳はなぜあんなに楽しかったのだろう。家の中でテントのように張られ、中に蚊が入らないよう、すばやく滑りこむ。それだけで盛りあがった。一種の基地遊びやママゴトに近い感覚だったのかもしれない。
 夏を存分に楽しめた一泊だったが、この別荘にはひとつ、重大な問題があった。
 トイレがなかったのだ。
 ほんとに、いったいどういう了見で建築された家屋なのか、今さらながら知りたくなる。
 で、どうするのかといえば、外でするしかない。片手にトイレットペーパー、片手に小さなスコップを持ち、夏草の生い茂るすき間の土に自ら穴を掘り、用を足し終えると、土をかぶせて埋める。自分の始末は自分でつける、というわけだ。
 筆者は男だし、小学校低学年だから平気だったが、従姉妹たちはけっこう育ちがよく、とくに姉のほうは高学年だったから、これにはかなり抵抗があったようだ。
 無理もない。ハワイアンの流れる円形のドライブインの客に見下ろされていては、落ち着いていられないだろう。
 ちなみに、この別荘、利用したのは一回だけで、翌年の夏には話題にものぼらなかった。
 早くも祖父母が手放したのか、それとも…………やはり倒壊してしまったのか。



2015.8.20

第百七十四回 今年の夏も甲子園

 実家に帰省していたので、久々にテレビを見た。
 夏の甲子園をやっていた。
 高校野球100年目に当たるとかいう今年、大物ルーキーとしてひときわ話題にのぼり、注目されていたのが、早稲田実業の清宮幸太郎選手である。
 早実といえば国分寺の学校だから、街中でたまに野球部員を見かけることもある。それもあって、今年の夏は高校野球を観戦した。
 夏の甲子園といえば、筆者が小学生のころは、和歌山県の強豪校として箕島高校が有名だった。
 そのころのは、野球のルールや用語をよく知らなかったし、ピッチャーのマウンド上での動作が不可解だったので、さほど熱心に見ることはなかった。
 ピッチャーが、ベンチやキャッチャーのサインに対し、首をふったりうなずいたりするやり取りを見ると、小学生ながら不遜にも「早く投げろ」と思っていたのだ。
 今では、前述の清宮などが打席に入ると、相手のピッチャーの表情から心理をさぐる楽しみまで心得ているのだが、当時は野球というスポーツの面白さを、よくわかっていなかったのである。
 だから、野球を見るより、釣りに行くほうが好きだった。
 ある年の夏休み。叔父さんの車で釣りに向かう時、ラジオで高校野球の中継をやっていた。地元・箕島高校の試合だった。
 海について、さんざん釣りを楽しんだ。
 で、帰りの車の中でラジオをつけると、まだ箕島が試合をしている。
 とんでもない長丁場のシーソーゲームになっているらしい。
 祖父母の家についてもまだ終わっていなかった。9回はとっくにこえているのに、片方が打ったとなると、また打ち返すという粘りに粘る展開で、なかなか終わらない。食事に入りながら、延長18回でようやく決着がついた。
 これが甲子園史上の伝説になっている、石川県の星陵高校との試合である。野球に無知な筆者でも、これはすさまじいと思った。延長18回って、2試合分ではないか。
 箕島の試合は、西宮に住んでいた頃に、甲子園球場で見たこともある。
 夏休みで、母と妹と三人で行った。あれが球場に足を運んで野球の試合を生で見た初めての機会だった。
 阪急の夙川という街に住んでいたので、甲子園は阪神電車に乗ってすぐなのだ。開会式の日など、風に流されて飛んできた風船が、マンションのベランダから見えたことを、今でも覚えている。
 東京に戻ってくると、仕事にあけくれているし、またテレビを見なくなったが、早実は準決勝まで進んだそうな。
 このブログを提出する今日、20日は、決勝戦がおこなわれる日でもある。筆者はこれから出勤する。まだ試合は始まっていない。



2015.8.12

第百七十三回 70年目の夏

 戦後70周年ということで、山岡荘八の『小説太平洋戦争』という本の改訂版が講談社文庫から刊行されている。分厚いやつで、全6巻。それをやっと読了した。
 山岡荘八といえば時代小説の書き手で、筆者はそれほど好きな作家ではない。代表作と言われる『徳川家康』が未読だから何とも言えないが、この『小説太平洋戦争』は、これまで読んだ他の山岡作品とは、まるっきり濃度とテンションがちがっていた。
 なにしろ、明治40年生まれの山岡氏は、従軍記者として戦地に赴き、実際に自分の目で見聞きし、関係者と顔を合わせ、体験したことまで書いているのだ。今後、かの戦争を書く作家がいたとしても、当時の空気を肌で知ったうえで紡がれる作品はもう出てこない。
 それだけに濃く、かつ重かった。ただでさえ筆者の読書スピードは遅いのだが、この作品を読むには、ことさら時間がかかった。文章がサラリと喉を通らず、苦労して細かくかみ砕き、やっと飲み下していくといった感じだった。
 とくに最初から開戦までがイライラして、一度挫折したぐらいだ。「小説」とわざわざ銘打ってはいるが、エンターテインメント性は極力抑えられ、ほとんどノンフィクションと言っていい。史実をたどりながら、鑿で岩盤に文字を刻むかのような入魂の筆致で書かれている。
 それでも、真珠湾からマレー沖海戦、シンガポール、ミッドウエイ、ガダルカナル、ビルマ、ニューギニア戦線、レイテ海戦にサイパンの玉砕、硫黄島、沖縄……そして原爆投下と終戦まで、しんどい思いをしながら読んでいった。
 そして、ふと思ったのは、今の若い人たちは日本が好きこのんで戦争を始め、世界の平和を乱したと教えられているのではないだろうか、ということだ。そうだとしたら、可能なかぎり戦争を避けようとしていたことぐらいは、ぜひ知って欲しい。さらに、それでも相手側が積極的に戦争をしたがっているなら、悲しくも開戦は不可避であるということを。
 真珠湾攻撃にまで追い込まれた状況を例えていうなら、周囲のいっさいの商店が食料を売ってくれなくなったようなものである。
 つまり、「死ね」と言われているのと同じ。人は、国家は、食べなければ生きていけない。
 で、仕方ないからパンを盗んだ。そのとたん、「あっ、泥棒だ。お前は罪を犯した」と言って犯罪者の烙印を押されてしまったのだ。ここでいう食べ物を「石油」に置きかえてみれば、そのまんまなのである。
 なおかつ「今後、お前だけ重税で、意見具申はいっさい認めないし、我々の言うことにはすべて従うこと」という文書に署名を求められた。インドのパール判事がいみじくも言ったように、「こんなものを突きつけられては、モナコ共和国でも開戦にふみきるしかない」。
 いわば、戦うか、奴隷になって調和を守るかの二択で、前者を選んだのだ。
 ……自分としては右でも左でもなく、ごく普通の感覚のつもりの筆者だが、これ以上は書かずに、小説の本文から一節を引用して今回のしめくくりとする。
『徹底的に戦った民族は、曖昧に革命を行なう民族よりは、はるかに高い再興率を持っている。歴史ははっきりとそれを証明しているのだ。』
(山岡荘八『小説太平洋戦争』ミッドウェー海戦(四)より)



2015.7.30

第百七十二回 夏の街

 和歌山県の有田郡に湯浅町という小さな街がある。
 筆者の母の出身地であり、お盆の帰省時にいつも二泊三日で泊まっていたので、湯浅といえば筆者の中では、「夏」のイメージが強い。
 興味のある方は皆無だと思うが、もしお暇なら、「和歌山 湯浅」で検索してみると、熊野古道の宿場でもあった古い町並みをごらんになることができる。
 昔ながらの瓦屋根、白い土塀がつづく通り、格子戸の家並み。古きよき日本という言葉が浮かんできそうな情景である。
 この町は、醤油でも知られている。詳しいことは知らないが、醤油らしい醤油が日本で初めて作られたのが湯浅だとか、その近くだとか聞く(が、よくわからん)。
 もうひとつ、金山寺味噌という名物もある。これは知る人ぞ知る「おかず味噌」で、そのままご飯にのせてオカズにしてもいいし、キュウリやレタスにつけて食べると、格好の酒の肴になる。もともと栄養満点のうえに、野菜とは全般的に相性がいい。
 筆者は実家に帰って、これを見つけると嬉しく、手に入る場合はかならずもらってくる。ただ、風変わりな味なので、好みが分かれると思い、あまり誰にでもオススメはしていない。
 それはともかく、祖父母の家は築年数の想像もつかない、古い木造建築の二階建てであった。ボロボロで、トイレは今どき水洗ではない。
 そのかわり小さいながらも庭があり、盆栽やら何やらの鉢が並べられ、一部が菜園になっていて、キュウリやトマトやヘチマやヒョウタンまで採れた。火鉢(昔の暖房器具)を水槽にして、金魚も飼っていた。
 この庭、面積自体はたいしたことないが、うっそうと茂った植物がひしめいているので、子どもの頃は、さながら『水曜スペシャル』取材班のような心持ちで分け入ったものだ。
 祖父母も今はこの世にいない。7年前に祖父が倒れ、3年前には祖母も亡くなった。筆者が最後に祖父母の家に泊まったのは、2007年の夏、やはりお盆の時期だった。
 昔そうしたように、情緒ある町並みを散策した。Tシャツにセッタ履きの軽装だ。そんな時、ある魚屋さんの店頭に、タコがおかれているのを見かけた。
 茹でられたタコが、ザルのような浅い籠に入れられ、無造作におかれていたのだ。
 パックなどされていないから、蠅がたかることもあるだろう。こういう売られ方だと、衛生面から、東京では誰も買わないのではないかと思った。そもそも東京では、魚屋さん自体あまり見かけない。魚といえば、スーパーで、パックされた切り身などを買うのが一般的なのだと思う。
 だが、この町、湯浅では、こうして昭和の頃のように売られ、お客さん(おそらくはお婆ちゃん)が買うのだ。近海で取れたタコだから、新鮮さでいえば東京のスーパーで売られているものとは比べものにならない。昔のままの売買が、ここにあった。
 2007年の夏、むき出しのまま魚屋さんの店頭にポンとおかれている茹でダコを見たとき、筆者は、湯浅に対する言いようのない感慨を覚えた。
 それはさびれた街に対する哀切の想いであり、同時に生じた慕情でもあった。



2015.7.30

第百七十一回 肝だめしの夜

 古風な夏の風物詩「肝だめし」を経験したことがあるだろうか。
 筆者は子どもの頃に、二回ある。最初は小学生の時で、お盆の夜、近所の公園でやった。
 言いだしたのは、筆者の父だった。
「あの公園には、昔からお盆の夜にオバケが出る。よく光る一つ目で、白くてふわふわしていて、子どもを食らうバケモノだ。行ってみる勇気があるか」
 筆者にはイトコが六人いるが、このとき遊びに来ていたのは、学研の回で書いた神戸のまじめな姉妹であった。我々はたちまち興味を示し、肝だめしは実行されることになった。
 母と伯母は晩ご飯の片づけをし、伯父は家でテレビを見ているというので、言い出しっぺである筆者の父が、公園まで子ども四人(筆者・妹・イトコ姉妹)を連れていった。
 公園の大きさは、学校の運動場ぐらい。木登りできる木と、飛び歩けるキノコ型の足場が幾つも突き出ている砂場と、ブランコと、小型のプールまであって、けっこう広い。
 そして奥のほうに、輪切りにした円柱を重ねたようなコンクリートの巨大すべり台があった。円柱は上にいくほど小さく、簡単にいうとバベルの塔を平べったく押しつぶしたような形の構造物である。それがデーンとそびえているので、向こう側は見えない。
 肝だめしのルールは単純で、入口から二人組になって公園内を歩き、ミニ「バベルの塔」を反時計回りに一巡して、またスタート地点に戻ってくる。それだけだ。
 チーム構成は、妹とイトコ姉、筆者とイトコ妹、という組み合わせになった。
「一つ目のオバケに気をつけてな」
 という父の忠告に送られて、まず妹とイトコ姉のコンビがスタートした。
 和歌山の夜は暗い。そんなに遅い時刻ではなかったが、公園には自分たちのほかに誰もいなかった。妹&イトコ姉は遠ざかり、やがて例の巨大すべり台の向こうに消えていった。
 遠くから悲鳴が聞こえたのは、その時だった。妹たちの声だ。
「オバケが出たな」と父がつぶやき、筆者とイトコ妹は、思いもよらぬ展開に緊張した。
 なにかがあったのだ!
 すでに悲鳴は消えていたが、妹とイトコ姉のコンビは、それからも戻ってこない……。
 そして、第二陣として、筆者とイトコ妹も出発した。オバケなど信じてはいなかったが、ミニ「バベルの塔」に近づくと、いやでも緊張は高まってくる。妹たちの声は途絶えたきり、戻ってこないのだから。
「ほんとに一つ目のオバケがいるのかなあ」
 あやしくて暑い、真夏の夜。学研のフロクには興味がないと豪語するイトコ妹も、この時はまだ幼く、いささか弱気になっていたのは無理もない。
 だが、本当に現れたのだ。ギラギラと一つの巨眼を光らせた白いふわふわしたオバケが。
 父の話はウソではなかった。オバケは「うら~」と木陰から襲いかかってきた。
 さすがにビックリして、筆者たちは逃げた。すべり台の片隅で笑って立っている妹たちの姿を横目で認めたが、それでもわざとらしく悲鳴をあげて逃げるしかなかった。頭に懐中電灯をかざし、その上に布団のシーツをかぶった伯父が、まだ追いかけてくるのだから。



2015.7.24

第百七十回 ○○字以内で説明しなさい

 夏期講習会の季節である。受験生にとっては大きな山場だが、こんなときになっても、「物語文はどうやって解けばいいのですか」というトンチンカンな質問をしてくる子がいる。
 ひと言やふた言でぱぱっと説明できないから、毎回の授業で、実際の長文と設問を扱いながら細かに教えているのだ。これは「きいてはいけない質問」であり、これだけで、いかに今までのことが身についていないかがわかってしまう。
 ひと言で説明できないから、というのは、設問そのものに対してもいえる。説明文の要旨なり、物語文なら登場人物の心情なりを、「○○字以内で説明しなさい」というアレだ。
 小説家の宮本輝におもしろいエピソードがある。
 息子さんが家で国語の問題を解いていたところ、なんと、宮本氏の小説『泥の河』からの出題があった。「登場人物の行動理由を200字以内で書き表しなさい」とあるので、作者ならわかるだろうと考え、お父さんにやってもらうことにした。
「200字以内で説明できないから、この小説、書いたんだけどな」と思いながら、宮本氏が解いたところ、点数は意外にも36点。小説を書いた当の作者本人が、登場人物の行動理由を答えて、その点数なのである。
 まるで笑い話だが、これはどういうことかというと、問題を解く際に対決する相手は、文章を書いた人(作者)ではなく、「作問者」だということなのだ。よって、出題の意図を読みとって答えないと正解にはならない。
 とすると、何のための出題であり、読解なのか。だいたい書き手が言葉を選んで綴った本文を変換し、作問者が設定した文字数でまとめることに、どんな意義があるというのか。
 少なくとも作者は、そんな「作業」を求めていない。宮本輝の「200字以内で説明できないから、この小説、書いたんだけどな」という嘆息が、すべてを表している。
 小説には、まるごと一冊を通してはじめて伝えられる世界が、論理以外の部分で、「物語というかたち」を通すことでしか表現できない世界が、まちがいなくある。ブルース・リーではないが、「考えるのではなく、感じるもの」なのだ。
 いや、物語に限らない。説明文だって、要旨をまとめるだけなら、それは「標語」という形態ですむのである。
 受験勉強というのは「試験に合格するための勉強」だから、そのへんはパズルのようなものだと割りきってやるしかない。長文の読解にかぎらず、記号選択問題は本文との徹底した照合によるまちがい探しであり、文法問題などは分類わけの作業みたいなものだ。
 以前、国語は苦手だけど国語の授業は好き、という子が、授業後にいつも質問にきて、筆者はそのたびに、40分ほど残ってつき合っていた。毎回、例外なく質問にくるのである。
 みていると、たしかに小さなミスの多い子で、国語の成績はふるわないのだが、受験の結果、さいわいにも第一志望校に合格した。
 その子は、卒業後の春休み、筆者に手紙をくれた。伝えたいことが、こちらの心に非常によく伝わってくる文面であった。学科の国語は苦手でも、その子の国語力は抜群だと感じ入った次第である。



2015.7.17

第百六十九回 一掛け、二掛け、三掛けて

 宣伝がくり返されていたので、ご存じのかたもいらっしゃると思うが、5月下旬からDVDマガジンで『必殺仕事人』の刊行が始まった。隔週刊で、7月16日現在、5巻まで出ている。
 必殺にかぎらず、どんな長期シリーズにも、やがてはマンネリの危機が訪れる。制作側はそれを打破するため、異色作と銘打って、これまでとは極端にカラーの異なる作りを試るが、いずれにせよ、その後につづくのが「原点回帰」である。
 必殺シリーズ第15作『必殺仕事人』は、オカルトにはしった前作『翔べ、必殺うらごろし!』で視聴率が低迷し、原点回帰をこころがけた結果、1年8ヶ月以上もの放送(全84話)というシリーズ中もっとも長く人気を維持した作品となった。
 この成功によって、のちに続々と仕事人のシリーズが作られ、現在のSP番組にいたるまで、マニア以外の人にとって「必殺」=「仕事人」というイメージを確立させることになる。
 では、原点回帰とはどういうことかというと、シリーズが進むにしたがって付属した数々の試みを一掃することだ。あたかも長い航海でこびりついた船底の貝殻を落とすように……。
 必殺シリーズの原点といえば、第一作『必殺仕掛人』。殺し担当はたった二人、鍼医者の梅安による延髄刺しと、浪人侍の西村左内による剣技だ。
『仕事人』にも、奇抜な殺し技は出てこない。中村主水がもちろん刀、浪人の畷左門(伊吹吾郎)も刀で、武器がかぶっている。ただし左門の刀は、知る人ぞ知る剛刀・胴田貫で、剣技も豪快であり、その点が差別化といえばいえる。
 もう一人、のちに必殺の主要キャラクターになる錺職人の秀(三田村邦彦)が、この作品で初登場する。武器は、まだかんざしではなく、初期の頃はノミを使っていた。延髄を一突きにする技は最初から変わっていない。
 以上のように、殺し技はいたってシンプルである。この点、やはり第一作の『仕掛人』を意識したものと思われる。と言いたいところだが、左門の殺し技が途中から変わるのだ。
 奇抜な殺し技が出てこないどころか、両親指で相手の背骨を折り、体を二つにたたんでしまう「腰骨はずし」が、第29話から登場する……らしい(筆者はまだ見ていない)。
 この左門の妻・涼を演じる女優さん(小林かおり)は、なにげに薄幸の翳りがあっていいのだが、最終回で命を落としてしまうらしい。これもまだ観ていない。
 元締の鹿蔵(中村雁治郎)もいい。第一話で標的となる極悪人兄弟の狼藉を、同心でありながら「相手が強すぎらあ」と見て見ぬふりをする中村主水。その後ろから「いくら強くても、悪い奴は悪い奴」と声をかける小柄な老人が鹿蔵だ。主水を闇の世界へと復帰させる。
 もうひとつ面白いのは、仕事人の仲間に入った秀の、血気さかんな若者ぶりである。『仕事人Ⅲ』では、クールな大ベテランとして、ひかる一平に教えを説いていく秀が、この作品では、かけだしの仕事人として葛藤し、傷つき、成長を見守られていく。
 オープニングもすぐれている。七五調のナレーションと凝った映像もいいが、バックに流れる平尾昌晃の曲「仕掛けて殺して日が暮れて」がすばらしく、筆者にとって全必殺シリーズ中、もっとも好きなオープニングである。
 そのわりに、この『必殺仕事人』を、これまでほとんど観る機会がなかったので、DVDマガジン刊行は大歓迎であり、隔週ごとに書店で買い求めている(そしてそれが当分続く)。



2015.7.9

第百六十八回 学研の付録はスグレモノだった

 先日、書店で学研の箱入り模型が売られているのを見た。夏休みの自由研究用だけでなく、大人向けのものもあり、興味を引かれると同時に、子どものころ定期購読していた学研の『科学』と『学習』を思いだした。
 あれはなにが素晴らしいかって、付録である。とくに『科学』の付録は、子どもにとって毎回オドロキとコーフンにみちみちており、学校から帰って机の上に本誌と付録がおかれているのを見ると、心が躍ったものだった。
 たとえば「カブトエビの飼育セット」。小さな水槽つきだったから豪華なものだ。カブトエビというのは、爪ぐらいの大きさの甲殻類で、昔は田んぼなどで見かけた。それの乾燥させて粉末状になった卵が封入されており、水槽に入れた水に溶かしておくと、やがて本当にカブトエビが孵って泳ぎ出すのである。驚くべき「付録」ではないか。
 古銭のモデルもあった。永禄銭など数種類の古銭の枠型に石膏を流し込んで固め、付属の絵の具で着色する。緑青まで塗って表すリアルさだが、硬貨偽造にはならないようだ。
 鉱石標本にも驚いた。紫水晶や雲母など、カラフルな鉱石がケースに収まっていて、「これは宝石じゃないのか。こんないいものをホントにもらっていいのか」とさえ思った。
 カブトムシの模型も作った。電池を入れると、本物のカブトムシと同じ足運びで動くのだ。
 ほかにも、ブラキオサウルスの骨格プラモデルなど、小学生のオスガキにとっては垂涎ものの付録である。夢中で作り、完成したものを玄関先に飾ったものだ。
 これらによって科学に対する興味が刺激されたことはまちがいない。が、信じられないことに、女の子にとってはそれほどでもないようなのだ。
 筆者には、神戸に姉妹のイトコがいる。ものすごく上品で真面目な姉妹である。どのくらい真面目かというと、たとえば小学生の頃、いっしょに本を買いに行っても、筆者が漫画の最新刊を手にしている横で、『聖書物語』を選んでいるくらいである。
 その妹のほうが、やはり『科学』と『学習』を定期購読しており、ある年の冬、彼女らの家へ遊びに行った時に、付録をくれることになった。イトコ・妹は付録には興味がなく、手つかずで残しているというのだ。「本誌に夢中だから」というのが、その理由だった。
 筆者とは正反対だ。付録のほうが大事だった。とくに勉強中心の『学習』などは、本誌をろくに読みもしなかった。だいたい世の子どもというものは、グリコのキャラメルにしてもビックリマンチョコにしても、オマケが目当てで買うのである。よってイトコ・妹の言い分はにわかに信じがたかったが、物置に積まれている手つかずの付録の箱を見た時、そしてそれらを全部もらった時は、宝の山を掘り当てたかのような感慨に浸ったものである。イトコ・妹は学年がひとつ下なので、付録の中身もかぶっていない。夢ではないかと思った。
 ここまで書いて、そういえば学研のテレビCMもやっていた、と思いだしたのだが、それが、
「まだかな、まだかな~。学研の、おばちゃん、まだかな~」
 という子ども目線の歌だったのか、それとも、もの悲しいメロディーの
「学研のおばちゃん今日もまた~、笑顔を~運~んでいるだろな」
 だったのか、思い出そうとして、しばし迷ってしまった。
 答は前者である。後者は「学研」ではなく「ニッセイ」だった。



2015.7.2

第百六十七回 たまには必殺ネタをどうぞ

 必殺シリーズ第8作『必殺からくり人』は、中村主水が登場しない「非主水シリーズ」で、この作品で必殺初登場となる山田五十鈴(花乃屋仇吉)がチームを仕切っている。
 毎回、冒頭に現代のシーンが挿入され、第5話「粗大ゴミは闇夜にどうぞ」ではゴミ問題、第9話「食えなければ江戸へどうぞ」では就職難など、社会問題と関わらせているのが特徴。
 メンバーはほかに、藤兵エ(芦屋雁之助)、仕掛の天平(森田健作)、情報担当の仲間に、とんぼという女の子(まだ初々しいジュディ・オング)がいる。彼女が『魅せられて』で日本レコード大賞を受賞し、大ブレイクするのは、このドラマより三年後のことである。
 そして、仕掛け枕を販売する「眠らせ屋」の夢屋時次郎(緒形拳)。殺し担当のリーダー格で、仇吉をサポートする強力な助っ人である。藤枝梅安、半兵衛につづいて、必殺で三度目の出演となる緒形拳だが、この「からくり人」では衝撃的な最期を遂げることになる。
 また対立する組織の元締として、「曇り」という不気味な名前の人物を、必殺ではおなじみの怪優・須賀不二男が演じている。「曇り」は、からくり人のチームにとって、執拗な圧迫感と凄味をもつ悪役で、最終回「終わりに殺陣をどうぞ」では仇吉と一騎打ちをし、相打ちとなって共に果てることになるほどの強敵である。
 だが、特筆すべきは、前述の時次郎(緒形拳)の最期だ。
 最終回のひとつ前の第12話「鳩に豆鉄砲をどうぞ」で、時次郎は塔の中に潜み、鉄砲で幕府の要人・鳥居耀藏の暗殺を試みる。
 印象的なのは、塔にあがってから標的の一行が現れるまで、待つ時間がやけに長いことである。周辺に鳩が群れつどう塔の中で、時次郎はひたすら待つ。握り飯を食い、水筒の水を飲み、弾丸をいじりながら、決定的瞬間にいたるまでの無為の時をただすごす。
 どのみち死は覚悟している。成功したとしても、警護の者たちからは逃れられない。いわば相打ちでの奉行暗殺なのだ。この倦怠感さえともなう待ち時間を、稀代の名優である緒形拳が演じるのである。
 やがて、鳥居耀藏の一行が現れる。「妖怪」と呼ばれて恐れられた実在の人物だが、必殺シリーズでは悪役としてたびたび登場する。演じるのは岸田森。怜悧な風貌が合っているのか、彼は他のドラマでも耀藏役を演じており、筆者も鳥居耀藏といえば岸田森の顔を思い出すほどだ。
 額に汗の粒を浮かばせ、鉄砲の狙いをつける時次郎。だが引き金を絞ったその瞬間、なんたる偶然か、たまたま弾道を横切った一羽の鳩に弾が命中してしまう。
 画面が赤く染まり、鳩の羽が周囲に舞い散る。一行は騒然となって、たちまち耀藏は保護され、時次郎の居場所は発見される。暗殺の失敗を知った時次郎は茫然とし、大量の火薬に点火して、壮絶な自爆を遂げるのだ。
 必殺シリーズでは、殺し屋の殉職は珍しくない。ドブ川で数人にめった斬りにされて、ゴミのように息果てる赤井剣之介(必殺仕業人)の最期も『灰とダイヤモンド』のようで衝撃的だったが、この夢屋時次郎の死にざまは、それ以上にショックだった。
 今さらながら、緒形拳の演技力、恐るべしである。



2015.6.25

第百六十六回 夏といえば

 夏といえば? と訊かれたら、どんなものを連想するだろうか。
 子どもからは「映画」という答が返ってくる。なるほど、小学生にとって夏というのは、映画を観に連れていってもらえる季節なのだ。
 筆者なら、子どものころは月並みに「海」と答えたにちがいない。でも、もう何年も海やプールに行っていない気がする。かき氷やアイスキャンディーも馴染みがないし、当たり前だがカブトムシやクワガタを捕りに行くわけでもなく、祭りにも行っていない。つまり季節感が乏しい。せいぜい思いつくのは「ビール」ぐらいか。
 さて、道場の子どもたちにとって「合宿」は大きなイベントだろう。一般部の大人にとっても、道場の合宿は夏の風物詩であるといえる。
 合宿というのは、ふだんの日常と離れた(文字どおり物理的に生活圏内から距離をおいた)空間で、ある目的のために、それに専念する環境に身をおくよい機会である。
 どんなことをするのか不安だ、知りたい、という人は、先生や先輩に質問しましょう。
 このブログでも、第22回と、第70回・71回のところに、2012年と13年の合宿の模様を書いているので、スクロールすれば確認していただける。重複になるので、詳しい内容は、もう書きません。
 今年の一般部の合宿は、長野県の茅野でおこなわれるらしい。
 茅野といえば信州。7月下旬の暑い季節、例年の合宿先よりも稽古しやすい環境ではないかと思う。体育館が蒸し暑かったり、汗をかきすぎてバテることもないだろう。
 スケジュールに関する詳細は知らないが、ちょっと想像してみよう。
 宿泊先は、湖のほとりにあるログハウス風のコテージで、稽古場の体育館までは白樺の並木をぬける小径を通っていく。蝉時雨に包まれた体育館の戸を開放すれば、避暑地ならではの涼やかな風が入り、稽古で火照った体を癒してくれる。
 宿に戻ると、蓼科山を遠望できる大理石ばりの露天風呂にゆったりとつかり、その後は冷えたビールと、地元でとれた食材を使った美味しい料理を堪能する。
 日が暮れれば、広間のバルコニーから湖の対岸の灯と、湖岸の道路に連なる車のヘッドライトを遠望しながら、節度をわきまえたささやかな酒宴の始まりだ。
 翌朝はたぶん6時起床。爽やかな高原の冷気に触れてシャキッと目覚める。
 早朝稽古は皆で体育館へ移動して、師範による「体の使い方」(これは今年あるかどうか不明)を教わる。帰り道では、白樺の木漏れ日が林道に落ち、葉影は風にそよぎ、のどかな野鳥のさえずりが聞こえる。
 ちなみに、蚊はいない。道着のくさい人や前夜の酒が残っている人もいない。窓から猥褻語を叫ぶ人もいない。よってホテルの従業員の態度が翌朝から手の平を返したように冷淡になることもない。何から何まで充実した一泊二日ではないか(以上はあくまでも想像です)。
 そういうあんたは行くのか、と言われると、一年でもっとも仕事を休めない時期で、どうしても参加できないのである。代講も立たない。幾分のわびしさを覚えながら答えると、筆者にとって、夏といえば「夏期講習会」なのである。



2015.6.18

第百六十五回 「本当の」強さとは

「困ったときに助けてくれるのが本当の友だちだよ」
 というように、よく「本当の~」がつけられる言い回しがある。
 しかし「本当の」があれば、一方で「ウソの」もあることになる。ウソというのが言いすぎなら「本当ではない」ものでもいい。このちがいは何だろう。
 使われ方をみると、前者は本質的というか精神的というか、あるいは抽象的だったり形而上だったり観念的だったりして奥が深そうなのに対し、後者は表面的もしくは即物的な意味で使われていることが多いように思われる。
 たとえば、「本当の価値」という言葉。「あいつには○○の本当の価値がわからないんだ」というと、表面ばかり見て内在的な本質を見落としていると言ってるようだ。
「本当の理由」とくれば、これは建前ではない本音であり、それだけに人には打ち明けられない秘密めいた雰囲気がともなう。
 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』ではないが、「本当の幸せ」といえば、お金や地位や名誉といったものより、貧しくても精神的に満たされた状態があげられることが多い。
「本当の自分」などという珍妙な言葉もある。どうやら、インドに行けば見つかるらしい。
「強さ」はどうだろう。これも、非常に「本当の」がつけられやすい言葉である。
「本当の強さ」とは耐えることだとか、優しいことだとか、その他諸々、いろんな人が語っているが、やはりメンタルな内容が多く、正直、あまりぴんとくる答には出会わない。まるで空手家が追求している強さが「本当ではない」もののようである。
 世の中には不条理な暴力というものがあり、きれいごとではおさまらない現実を知っている大人からみると、上記は噴飯ものの理屈であることが多いのだ。問答無用で家に押し入ってきた強盗に、そういった「本当の強さ」で対処できるだろうか。「話せばわかる」と言って暗殺された人もいる。
 では、本当の強さとは何なのか。
 組織においては、その長を見ればわかるように「権限」の大きさとしてとらえることもできる。経済的に社員の生殺与奪の権限を握っている社長などは、社内において最強かもしれない。核保有国の国家元首は言うまでもない。「力」=「権力」と言い換えてもいい。
 だが、権力もテロという暴力には万全ではない。
 筆者が、これまででもっとも納得した強さの定義は、『範馬刃牙』で主人公の父親が語った「条件に左右されぬ力。自らの意志を希望する通りに実現させる力」というものだ。
 作者の板垣恵介氏は、強さについて考えぬいてきた人なのだと思う。なるほど、あらゆる条件に当てはまるのではないか。
 ふと思ったが、大山総裁は「本当の強さ」について言葉を残されているのだろうか。筆者は寡聞にして知らないのだが……。
「きみぃ、本当の強さとは、空手が強いことだよ」
 これぐらい言い切ってくれていたら爽快である。
 では、江口師範なら、なんとお答えになるだろう……と思いつつ締めくくる。



2015.6.12

第百六十四回 私だけでしょうか

「~なのは私だけでしょうか」という言い方がある。
 あまり大真面目な内容(社会問題など)で使われることは比較的少なく、どちらかというとちょっとユーモラスに、日常で見聞きした些事に関して、他者に賛同を求める場合に用いられることが多いのではないかと思う。
 筆者も真似して何題かか考えてみる。いくつ同意していただけるだろうか。

 小学校の時、音楽の時間に習った「パパからもらったクラリネット」というクラリネットの歌(題名は知らん)で、「こわれて出ない音がある」というから、一つか二つのように思っていたら、「ドとレとミとファとソとラとシの音が~出な~い」とのこと。それじゃ、全部だ。まったく音が出ないということではないか、と思ったのは私だけでしょうか。

 筆者は歌詞に対するツッコミが多いようだ。同じく『ドレミの歌』。終わりの「さあ、うーたーいーまーしょ~う」のところで、「今うたったやんけ」と思った小学生は私だけでしょうか。
 さあ、これから歌いましょう、という歌詞とは裏腹に、現実ではちょうど歌い終わろうとしていることに矛盾を感じた次第である。

 これも歌だが、『瀬戸の花嫁』で、「幼い弟~」のところが、幼い「お父(おとう)」とはいかなるものか、と思ったのは私だけでしょうか(あんただけだ、と言われそうな予感)。

 金八先生が「人という字は~」支え合い、助け合って生きている形を表しているのです、と言っていたらしいが、ゴシック体ならともかく、明朝体や教科書体で、一画目(左側)を、二画目(右側)が一方的に支えているように見えるのは私だけでしょうか。つまり、右側が倒れてしまえば、支えを失った左側も必然的に倒壊することになる。
 人間関係とはそういうものか。あるいは、支える側と、その上にあぐらをかいてのさばる人間に分かれているという社会の縮図を表しているのか(正しくは、「人」は象形文字です)。

 宮沢賢治のどの作品かは忘れたが、ある欲の深い登場人物が、最後に猛毒を飲んで、
「あぷっといって死んでしまいました」
 と書かれた箇所を読み、例の「ひでぶっ」や「あべし!」と叫んで息絶える『北斗の拳』の悪者を連想したのは、私だけでしょうか。

 最後に『浦島太郎』の歌の三番か四番だったと思うが、竜宮城からもとの村に戻ってきたところで、「戻ってきたら、こはいかに~」の「こはいかに」が「怖い蟹」に聞こえてしまったのは私だけでしょうか。様相の変わり果てた故郷を見て「これは、どうしたことか」と驚きの心情を表した歌詞だが、いかんせんメロディが朗らかすぎて合わないのである。この違和感はたぶん、私だけのものではないと思う。



2015.6.4

第百六十三回 VS女子高生

 そういえば、かの『ヤッターマン』で、ボヤッキーが「全国の女子高生の皆さ~ん」というお決まりのセリフを口にしていたが、いったい「じょしこおせー」とは、「女子の高校生」をさすのか、はたまた「女子校の生徒」のことなのか、どっちだろう、と子どもゴコロに考えたものだ。念のためにいうと、むろん前者である。
 なぜ、こんなことを書いているのかというと、筆者は先日、道ばたで見知らぬ高校生(らしき少女)から、「キモい」と言われたからである。
 仕事帰りの夜道だった。筆者が府中から国分寺方面へと向かう幅広の歩道を歩いていると、前方から自転車でやってきた女子高生(推定)が、
「シャツイン、キモい~」
 と言って、通りすぎていったのである。
 あたりには、ほかに人がいなかったから、筆者をさして言ったことはまちがいない。
 シャツインとは、「Shirt」が「IN」していることだ。すなわち、ワイシャツの裾がズボンの中に入っている状態をさす。それを「キモい」とは何事か。仕事帰りなら当然ではないか。どこの世界にズボンからワイシャツの裾を出して歩いている社会人がいるというのだ。
 うしろから追いかけていって、
「(そんなことを言う)お前のほうがキモい!」
 と言ってやりたかった。
 女子高生といえば、これはずいぶん前のことだが、八王子のゲームセンターで二人組に声をかけられた。
 筆者はUFOキャッチャーが得意である。箱入りの玩具や大型のぬいぐるみを手に入れたことが何度もある。この時も、移動時間があまったのでゲーセンに入り、UFOキャッチャーでさっそく大型のぬいぐるみを獲得した。さらにクレーンを操作していると、
「ねえ、うまくない?」
 と後ろで声がする。二人組の女子高生だった。その二人に100円玉を差し出され、「これであたしたちにも取ってくれませんか」と頼まれたのである。
 もちろん断った。100円(つまり一回)で取れるとは限らない。第一こういうものは自分で取るから面白いのだ、と説明したのだが、「失敗してもいいですから」と彼女たちも譲らない。
 で、気乗りしないまま100円玉を投入し、十代の子のお小遣いを無駄にするのではないかというプレッシャーを感じながら、食い入るようにクレーンの動きを見守った結果、見事にハズレ。なんだか申し訳ないような気がして、先に取ったぬいぐるみを、その子たちにあげた。
 すると二人は、また語尾を上げる特有のイントネーションで、「やさしくない?」と言っていた。どうやら、互いに「~ない?」という補助形容詞を用いた付加疑問形で確認し合うのが、彼女たちの口癖のようであった。
 もうひとつ。国分寺の某総合クリニックでのこと。筆者は足の裏の皮がめくれ、気になって診察を受けに行ったのだが、ひとつ前が女子高生だった。
 そしたら、お医者さん、診察時間が長いのなんの。こちとら予約して時間どおりに行ったのに、45分も待たされた。ちなみに筆者はその日の最後だった。
 そりゃあ、たしかにオッサンの足の裏なんか診察したくない気持ちもわからないではないが、だからといって女子高生に長く時間をかけすぎである。45分も何を事細かにやり取りしていたのだろう。筆者の番になるとすぐ終わったぞ。
 以上の例から考えるに、どうやら女子高生とのかかわりは、筆者にとってマイナスに作用するようだ。
 念のために言わせてもらうと、足の皮の異状は水虫ではありませんでした(強調!)。角質異常というものなので、もし道場で筆者の足の裏が変だと思ってもご心配なきよう。
(今回、三つエピソードをあげた結果、文字数オーバーです)



2015.5.28

第百六十二回 ヒーローは高いところで苦悩する

 ヒーローは高いところで苦悩するものらしい。
 これは筆者が見たヒーローものの映画・アニメなどの主に映像作品における統計上の観測結果である。
 具体的にいうと、『バットマン』のシリーズ、『スパイダーマン』、『デアデビル』など、ハリウッドの作品だと、なぜか枚挙にいとまがない。
 ものすごく古い日本のTVアニメでも『デビルマン』や『ミクロイドS』のオープニングやエンディングなどで、そんな場面があった。そんな場面というのは、ヤンマやデビルマンが、高層建築の一部らしき鉄骨に腰かけて、もの淋しげな表情を見せているシーンである。
 なぜだろう。これだけ似たようなシチュエーションが共通していると、その理由が興味深くなってくる。
 背景は、夕焼けの空であったり、雨の中だったり、都会の夜景であったりする。あまり晴れ渡った昼間、というのは見かけない。
 これは情景による心情描写である。表だった華々しい活躍を「動」とすれば、「静」の一面。それをあらわすことによって、ヒーローがただの活劇機械ではなく、一般人と同じように内面的な繊細さをもった存在であることの暗示にもなる。
 常人とはことなる特殊能力をもつがゆえの苦悩や葛藤。そこには、ほぼ無償奉仕といっていい自分の活動と、それが世間に本意ではない受け取られかたをすることへの疑問やジレンマもあるだろう。それゆえに、彼らは「自分が守っている都市」を俯瞰して、物思いにふけるのだ。
 超人は人外の能力をもつことで、必然的に異端となり、孤独を背負う。
 その証拠に、チームで活動する『ガッチャマン』は、各自が生身で(というか、マントで風を切って)空を飛べるのに、鉄骨などに腰かけて黄昏れているような、哀愁と孤独感のただよう場面がない。
 余談だが、『ガッチャマン』といえば、「白鳥のジュン」の下着チラリが不必要なまでに多かったのはなぜだろうか。これでもか、というぐらいあった。派手なアクションシーンは言うまでもなく、エンディングで、ただ立っているだけの場面でも短いスカートの裾から白パンがのぞいているのだ。
 むろん男性視聴者を意識しての演出だと思うが、筆者が『ガッチャマン』を見ていたのは思春期を迎える前の年齢だったので、少しも嬉しくはなく、むしろその逆で、「アホやな~この女」とか「いちいちパンツ見せんな」と、ジュンをバカにすることしきりであった。
 話を元に戻す。ヒーローは高いところで苦悩するということ。
 え、元祖アメリカン・ヒーローの『スーパーマン』はどうなのかって?
 そういえば……筆者は、ジョン・ウイリアムスがテーマ曲を作曲した最初のやつと、三悪人と対決する続編(冒険編)しか見ていないのだが、その2作に限っていえば、なかったような気がする。
 まあ、「あの人」は苦悩や葛藤とは無縁ですから。



2015.5.21

第百六十一回 現役であること

 ボクシングの漫画は世にあまたあるのに、空手の漫画が比較的少ないのはなぜだろう? 
 それは、ボクシングのほうがルールが確立しているからだ(と思う、たぶん)。
 ルールの異なる団体が乱立し、試合競技としての歴史が浅い空手に比べて、ボクシングはスポーツとして世界共通の厳格なルールが定められている。
 ルールは、いわば制約である。その制約の枠組みがしっかりしているほど、ドラマが生まれやすいことはまちがいない。
 もっと言うなら、野球やサッカーなどの球技だ。確たるルールのもとでどれほどドラマチックな展開が生じるかはご覧の通りであり、そのぶん漫画などでも、作品として成立しやすいのではないだろうか。
 筆者は野球を観戦することがまずないが、サラリーマンになりたての研修期間、一人の先輩に、「好きな球団ぐらいないと、取引先と話ができないぞ」と言われたことがある。
 先輩といっても五十代半ばの人だったから、新入社員からみると、かなり年上である。研修の期間に、いろんな人について営業先を回り、仕事ぶりを見て学んでいくのだが、その人からは好きな球団を訊かれ、ないですと答えて、そんな話になったのだ。
 まあ、話題を探してくれていたのだろう。それから、その人は、自分の子どもの話を始めた。どこどこの大学に入って、どんな活動をしている、といった内容だ。
 筆者は新入社員のブンザイだから、感心したように相づちを打ちながら神妙に受け答えしていたが、内心では「この人は、なんで自分の子どもの話をするのだろう」と思っていた。ありていに言うと「あなたの息子さんのことに興味ないんだけどな」と感じ、もっとハッキリ言うと「この人、カッコ悪いな」と思った。
 言っちゃ悪いが、その人は仕事のできない人だった。そのせいなのか、関心が自身の向上ではなく、次の世代に向かっているように見えたのだ。
 出世をあきらめていることがカッコ悪いのではない。それならそれで、自分自身が好きで楽しんでいることはないのか、というもどかしさに似た感情を覚えた。
 若者の、カッコ悪い大人に対する評価は、狭量で容赦がない。将来の自分の姿として重ね合わせ、それを否定し、排除したがるからだ。当時若者だった筆者もそうだった。  ところでボクシングの漫画には、必ずといっていいほど、老トレーナーが出てくる。かつて華々しく燃えた過去を持ち、今は才能のある若手を発掘して、世界チャンピオンにまで育て上げることに情熱を注ぐという、丹下段平の系譜をひくキャラクターたちだ。
 現役を退いたあとで後進の指導にあたるのは、ごく自然なことである。でも、競技者としては引退しても、人生は現役だ。つまり、まだ生きている。それなのに自分以外の者(たとえ我が子であっても)に最大の目標を託す生き方というのは、ちょっとわからない。
 我々は、江口師範というお手本を身近に見ている。その影響もあるだろう。また空手には競技ではない面もあるから、生涯にわたって修行はつづいていく(らしい)。
 いや、空手以外のすべてのこと、仕事でも遊びでも、自分自身が打ち込んでいないと「面白くない」、「やってられない」と思うんだがな。次の世代なんかに託していられません。



2015.5.15

第百六十回 神戸まつりの季節

そろそろ神戸まつりの季節だろうか。毎年、5月の半ばごろだったと記憶している。
 筆者は小中学生の4年間を兵庫県の西宮ですごしたので、神戸まつりを見物する機会も何度かあった。サンロードや三宮の大通りをさまざまな山車が通り過ぎてゆくパレードは圧巻であり、また盛りあがった雰囲気も子ども心に新鮮だった。
 まず、祭りのような特別なイベントでなくても、和歌山から転校してきた小学生にとって、神戸という街は魅力あふれる大都会だった。
 ある日曜日、三宮の楽器屋さんの店頭にステージが設けられ、若い女性のエレクトーン奏者が『ルパン三世のテーマ』を弾いているのを見て、カルチャー・ショックを覚えた。
 わざわざ特設のステージが設けられているのだ。そこで、洒落た服装のお姉さんが、いとも軽快に、なじみのあるアニメの曲を弾きこなしている。
 日曜日のビル街に流れるエレクトーンの音色。筆者は、「ああ、都会に来たんだなあ」と感じ入ったことを覚えている。
 転校したのは4年生のときだったが、和歌山の友だちとは、それからも誕生日にプレゼントを贈ってくれたりする大切な関係だったことはまちがいない。
 1・2年生のころ、同じクラスに寄田君という子がいた。
 顔は青白く、ちょっと腺病質なところのある子で、うちに遊びに来てトイレに入ると、手を洗った水道の蛇口を、「肘で」閉めようとするのである。いかにも汚いものを扱っているようで、いい気はしなかった。
 ある日、寄田君の家に遊びに行くと、彼は艦船のプラモデルを作りかけだった。
「なつぐも、なつぐも」と、しきりに言っている。その船は海上自衛隊の護衛艦で「なつぐも」というらしい。宇宙戦艦ヤマトが大ブームだったから、筆者も戦艦大和のプラモデルは当然のように作っていたが……。
 そう、まずは「大和」や「武蔵」だろう。それがなけりゃ「長門」や「信濃」だろう。空母でも「赤城」や「瑞鶴」など、いくらでもあるだろうに……。
 数ある艦船の中から、なにを好きこのんで、わざわざ「海上自衛隊の護衛艦」などというマニアックなものをあえて選んだのか、その心理はうかがい知れなかった。
 筆者はこの寄田君がちょっと苦手で、転校してからは交友が途絶えていた。4年生の時点で同じクラスではなかったので、引っ越し先も教えていなかったと思う。
 さて、転校して最初の神戸まつりは、家族で見に行った。神戸(阪神地区)にきたのだから、神戸まつりぐらい見ておこうというノリだったのだと思う。
 華やかなパレードを見送る人混みの中で、目をむいてこちらを指さし、横にいる親の服の袖を必死に引っ張っている少年がいた。
 寄田君だった。筆者に会うつもりで神戸に来てくれたという。連絡先もわからないのに、そこは子どもである。阪神に引っ越したのだから、とにかく神戸。この時期だから神戸まつり。そんな感じだったのかもしれない。
 ところが、雑踏の中でばったり出会った。こんな偶然もあるのである。



2015.5.9

第百五十九回 『泥の河』を観なかった二人

筆者が中学二年の初夏、ちょうど今時分のころである。
「○○ちゃん(筆者のあだ名)、タダ券あるんやけど、映画見に行けへん?」と言って、辻本が映画のチケットを持ってきた。
 タダで映画が観られる。もちろん「行く」と即答した。
 辻本というのは、2年生になって同じクラスになり、筆者が転校するまで一番親しくしていた友だちである。
 さて、肝心の映画だが、SFかアクションか、はたまたホラーか、どんな面白そうな映画だろうと思ったら、『泥の河』という聞いたことのない日本映画だった。
 しかも、白黒である。いかにも地味で、文芸作品の映画化という感じ(事実その通りだが)で、中学生男子の好みではなかったが、タダで誘われている立場としては贅沢は言えない。実際、映画を見に行けるので喜んでいた。
 次の日曜日に辻本と神戸の三宮に出た。当時(震災前)の三宮の駅構内はドーム型になっていて、神戸の映画館で上映している作品の予告編をエンドレスで流していた。
『泥の河』は、アンコール上映であるらしく、予告編はなかった。モノクロなのは古いせいではなく、わざとレトロな雰囲気を出すためで、アンコール上映といっても公開されたのは最近であるらしい。
 そのころ、6月6日6時に生まれた悪魔の子ダミアンをめぐるオカルト映画の完結編が上映中で、筆者としては、そちらのほうに関心があった。
 辻本も同じ気持ちだったのだろう。こぢんまりとした映画館に来て、『泥の河』のポスターや立看板を見ているうちに、「この券を売ろう」と言いだした。売ってべつの映画を観よう、と言うのだ。
 賛成である。大人の料金より100円安くして売れば買ってくれる。自分たちも、買う人も、お互いにトクをすることになる。というわけで我々、急きょダフ屋もどきに変身。
「カップルに売ろう」と辻本は言った。「なぜなら、男は、いっしょにいる女の前では、カッコつけようとするからだ」というのが、彼なりの理由だった。もとより一枚ずつ交渉するより、二枚いっぺんに持ちかけるほうが手間も省ける。
 で、都合いいことに、ちょうどやってきた若いカップルに声をかけた。
 チケットには「非売品」と印刷されている。そのせいか、男性のほうは気乗りしないようだったが、女性のほうが我々を見て「ねえ、買ってあげようよ」と言ってくれた。
 結局、買ってくれた。それから、筆者と辻本は意気揚々と例のダミアンの3作目を見に行ったのだが、これがまれに見る超駄作で、結論から言って大失敗。
 知っている人には説明不要だが、『泥の河』は宮本輝の小説を原作にしている。筆者はその後、大学生のときにビデオ・レンタルでこの映画を観た。終戦まもない大阪を舞台に、少年たちのつかの間の交流を描き、かなり泣かせる映画だった。原作も三回は読み返した。
 中2のときに見ていれば、また感想もちがっていたかもしれないが、少なくともあの666完結編より感動したことはまちがいない。運命には素直にしたがったほうがいいということだ。



2015.4.30

第百五十八回 望郷の旅 

 サブタイトルは必殺シリーズ第三作『助け人走る』の主題歌と同じだが、同作について書くわけではない。筆者は『助け人』は一回も見たことがないからだ。そのくせ主題歌は知っている。
 必殺では『風の旅人』もそうだが、ふるさとを恋う歌が目立つ。
 明治や大正に作られた短歌にも、東京にいて望郷の思いをうたった歌は多いが、筆者はその気持ちがわからなかった。生まれた土地への愛着を感じるどころか、若いころはむしろ蹴立てて離れてきたようなところがあった。
 筆者の出身地は、和歌山市である。
 だいたい和歌山の出身者は、和歌山にこだわりすぎるように思える。
 大相撲の力士だと、栃乃和歌や和歌乃山の四股名、演歌歌手の坂本冬美は『紀ノ川』、作家だと、中上健次の『枯木灘』は言うまでもなく、有吉佐和子はやはり『紀ノ川』に『有田川』、津本陽や神坂次郎など時代小説の書き手でも和歌山の人物を取りあげている。
 中上は紀州の風土を特異なものとしてとらえ、土地の呪縛とまで語っている。
 紀州は本当に特異なのだろうか。そんな感じはする。でも、自分の故郷だからそう感じているのかもしれない。ほかの故郷を知らないし、客観視できないので答は出せない。ただ自分としては、その後に住んだ西宮と比べると、やはり紀州のほうがアクが強いと感じる。
 筆者には故郷に対する愛憎のようなものがあって、ずっと紀州から離れて暮らしてきた。
 正月に帰省するようになったのは、五年前からである。
 東京出身の人には、こういう気持ちがわからないだろうか。
 ふたたび帰省するようになったのは、年齢的に角が取れたこともあるだろう。でも、自分の土台を作った風土への関心も否定できない。
 筆者は小学四年生で故郷を離れているから、同窓会などの連絡は届かない。帰省したときに電話帳をみると、小学生時代の友だちの名前が載っているのを発見する。もし会うとしたら、自分からその連絡先に電話をかけるしかないだろう。
 その後も転校が続いたので、中学でも高校でも、同窓会の連絡が来ることはないはずだ。別によいが、子どものころの友だちと縁が切れているというのは、何となく物足りない。
 それが関係しているのか、子どものころのあだ名で呼ばれてもイヤではないのだ。
 筆者は小学生のころ、友だちに「○○ちゃん」と「ちゃん」づけで呼ばれていた。
 これは中学でも高校でもつづいて、大人になってからも変わらず、ごく親しい人に限って今でも(道場の仲間・先生や先輩にも)そう呼ばれている。
 いい年をして「ちゃん」づけだって? と思われるかもしれないが、北島三郎だって「サブちゃん」なのだ。子どものころの呼び名がつづいていることは悪い気がしない。
 さて、自分はいつか故郷に帰るのだろうか。そんなことをたまに考える。
 引っ越しをくり返しているし、今住んでいるのは賃貸のマンションだが、いつか終の棲家として故郷に居を構えるのだろうか。東京でのつき合いもあり、空手も今の環境でしか考えられないし……。これも、まだ答は出せないでいる。



2015.4.23

第百五十七回 三原村に死す その2 

「み、水……」  と、杖をつきながらヨロヨロ歩く。二十一世紀の日本で、まさかこんなことになるとは。
 前夜に四合、朝食で三合の飯を平らげ、急激に体重を増やしたあげく見舞われた食あたり。
 一晩に九回の下痢と嘔吐に加えて、水分を供給できないことで脱水症状に陥っていた。
 歩きたくないが、歩かないわけにいかない。その晩テントを張ったのは遍路道から外れたキャンプ場跡の広場だったので、人が通らないのだ。衰弱した体に鞭打って歩かないと、この山中で人知れず死んでしまう。『北斗の拳』ふうに言うなら「死あるのみ」である。
 東京なら、ほんのちょっと歩けばいたるところにジュースの自動販売機を見かけるが、ここ三原村の13キロの道中には、まったくない。
 途中、農家のおばさんが庭の植木にホースで水をまいているのを見かけ、たまらずに水を所望した。ホースから手に受けて飲ませてもらえればそれでよかったのだが、おばさんは、山からくんできた湧き水を冷やしていると言って、ペットボトルを持ってきてくれた。このときの感謝と、飲んだ水の美味しさは筆舌に尽くしがたい。
 やがて忘れもしない「たけうち商店」にたどりつく。なんということのない普通の雑貨屋だが、飲み物を入手できない遍路道においては、オアシス以外のなにものでもなかった。
 アイスを食ったが、そんな冷たいもの、弱りきった胃が受け付けるはずもない。でも渇きが癒せないので、そこから先は自販機に出会うたびにジュースを飲み、そして戻した。汚い話で恐縮だが、バニラアイスを食えば白の、コーラを飲めば黒の、Cooオレンジを飲めばオレンジ色の、というように、七色のゲロを吐きながら歩いた。下痢も治まっていないので、山中に捨てられたような崩れかけの廃屋に入って、塀の裏側でするしかなかった。
 そうこうしているうちに、ひと気のない山道から道路に出た。生まれて初めてのヒッチハイク。トラック野郎のおじさんが「乗んな」と言って、次のお寺まで乗せてくれた。
 その日も腹が治っていないので野宿なんかしていられない。すぐにトイレに駆け込めるように、ビジネスホテルを探して泊った。睡眠不足でもあり、衰弱しきっていて本当は歩ける状態じゃないのだが、この日は結局、三原村を中心に16キロ歩いたことになる。
 その翌日、観自在寺というお寺に参った。小雨が降っていた。体調は回復していない。
 山門のわきにある椅子に座って、ぼーっとしていた。
 しめやかな雨の降る春四月。見知らぬ土地のお寺の山門わきで無為にすごす時間。
 静かなお寺だった。限りなく無音。雨の音ぐらいしかしない。今まで先を急いであくせくと歩いてきたような気がした。一人きりで体を休めていると落ち着き、気がつくと一時間半もそうしていた。
 車遍路のおばさんに話しかけられ、体をこわしていることを話すと薬をくれた。正露丸を持っているので断ったが「正露丸なんかよりよく効くから」と言われ、いただいた。
 またビジネスホテルに泊る。聞いたことのないファミレスが街道沿いにあり、入って雑炊を注文。どのメニューも東京より二百円ばかり安かった。
 雑炊ひとつが、40分かかっても食べきれない。二日ぶりの食事だった



2015.4.16

第百五十六回 三原村に死す 

 水木しげるの『日本妖怪大全』に「ひだる神」という項目がある。餓鬼と同じもので、旅先でこの妖怪に取り憑かれると、空腹でだるくなり、歩けなくなってしまうという。旅が徒歩だった時代、行き倒れる旅人も絶えなかったに違いない。
 筆者がお遍路で四国を歩いたときも、そういった石仏群をあちこちに見かけた。1200年ほどの年月のあいだ、四国路のいたるところで、飢えて倒れ、野垂れ死んだ人は数知れない。
 お遍路では、道ばたで弁当を開くときなど、箸でほんのひとつまみのご飯を、かたわらの野辺においておくのが作法である。それによって餓死者の魂を鎮めるというのだ。
 筆者の行程は基本的に野宿だったが、ひどく疲れていて、ちゃんとした食べ物が恋しくなった時には、安い旅館に泊まることもあった。
 たとえば、足摺岬。四国の西南のはしっこ。ここまでの道のりが、お遍路の中でもっとも長く、その名も、昔から旅人たちが足を摺ってたどりつくと言われれたことに由来している。
 筆者はこのとき、ありえないほど空腹だった。連日の野宿で、風呂に入れるだけでもありがたく、開放感もあった。腹がペコペコだったうえに、ちゃんとした料理に今度いつありつけるかわからないので、食い意地も張っていた。で、お膳を部屋にもってきてもらったのだが、それが美味しくて、お櫃の中のご飯を全部たいらげてしまったのである。
 およそ四合だろうか。国分寺南口の「スタ丼」の大盛りで三合だから、あれより多いことになる。我ながら異常な量である。道中で「ひだる神」に取り憑かれていたのかもしれない。
 食い過ぎは翌日の歩行にテキメン影響した。体が重く、足が進まないのだ。
 高知の足摺岬から愛媛に向かう道は二通りあり、筆者は山中に入って、三原村という村を通過していくコースを選んだ。
 お遍路を勧めた友人からは、三原村には十キロぐらい飲み物を買える店がないから、水を十分用意して、途中で休まず一気に踏破したほうがいい、とアドバイスされていた。
 でも、足が重く、体調も悪くて、予定よりも時間がかかってしまった。
 歩きだから、地図を見て、その日に野宿するポイントを考える。このままだと、三原村で夕暮れを迎えるだろう。だが、村の途中にキャンプ場がある。そこにテントを張れば、少なくとも水は得られる。水さえあれば何とかなる。そう思って三原村へ向かった。
 ……なかった。キャンプ場。
 地図は五年前から改訂されておらず、その間にキャンプ場は閉鎖されていたのだ。
 最悪にも、水なしの夜を過ごすことになった。もっと最悪なことに、食あたりである。昼に食べた弁当が傷んでいたらしい。体調が悪かったわけだ。
 その夜、一、二時間ごとに起きた。テントから出て、吐き、下痢をした。ノートの記録によると、それを一晩に九回、くり返している。もちろん眠れるもんじゃない。
 異郷の山の中でひとりぼっち。携帯の電波も通じず、誰の助けも呼べない。しかも食あたり。氏村、ピーンチ!
 下痢と嘔吐で脱水症状だが、水はない。気温が十度以上さがっていて、テントの中でガタガタ震えた。よりによって悪い条件が一夜に重なってしまった。



2015.4.10

第百五十五回 神童たちの黄昏 

 もう十年以上前のことである。筆者の同僚に、裁判官を目指して司法浪人をしている青年がいた。家の方向が同じだから、何度かいっしょに帰ったことがあるが、不思議だと思ったのは、電車の中で彼が口にする内容だ。
 わずか二駅のあいだに、いつも同じことを話す。TOEICかTOFELか忘れたが、とにかく英語力を測定する試験で高得点を取っているらしく、その点数を大声で執拗に聞かせるのだ。
 前に聞いた、もうわかったよ、と内心、辟易していたが、ある時ふと気づいた。
 彼はどうやら筆者だけではなく、「周囲のほかの乗客」にも聞かせるために話しているようなのである。
 TO…の点数が、よほど自慢なのだろう。地元では「神童」と呼ばれていたことも聞いた。
 筆者の高校の同級生にも、幼いころ「神童と呼ばれた多く」の一人がいた。
 彼はときどき理解しがたい言動を見せた。たとえば、何かのコンクールで自分が落とされてほかの者が入選したりすると、机に筆箱を叩きつけて怒っているのだ。
 筆者は絵や音楽で入選したことがないが、作文や標語のコンクールでたまたま選ばれたりすると、彼に「俺のほうが、お前より才能あるのに!」と、はっきり言われたので驚いた。
 たしかに筆者は国語の成績がよかったわけではないが……それを根拠に、堂々と見下すのである。だいたい、たかが作文や標語のコンクールで、才能うんぬんは大げさすぎる。なぜそこまでヒステリックに熱くなれるのか、理解できなかった。
 彼は「誰かがプレゼントをくれると、それを目の前で壊してみたくなる」とも言っていた(面白い分析ができる言葉である)。また、幼いころに神童とたたえられて、次に取った行動は「自己否定だった」と話したこともあった。
 神童といっても、彼の出身町は人口4500あまり、最寄り駅はJRの普通列車しかとまらない無人駅という、南紀のド田舎でのことである。それが何のステイタスにもならないことはわかっていても、幼いころに刷り込まれた「神童」の束縛から逃れることは難しかったようだ。
 自分は他者よりすぐれている、という自意識は、蜜の味がするにちがいない。
 誰だって進んで否定したくはないだろう。だが、現実に目をやれば、それですまないことぐらい、よほどのバカでないかぎりわかってくるはずだ。
 世界が広がるとともに、自分以上の能力にゴマンと出会い、越えられない壁にもぶつかる。そんな時「こんなはずじゃないんだがな」と思っても、「自分はすごい」という評価が間違いだったと認める勇気は、なかなか出せないのだろう。
 大人が「褒めてのばす」のもいい。だが、「失うものを持たない強み」と反対の重荷を背負って、幼少期に人生の最盛期を迎えた結果、大人になって電車の中で見知らぬ乗客に「俺ってすごいんだぞ」という情報を発信しつづけるなんて、悲劇としか言いようがない。
 過剰に褒められた子は、やはり勘違いしてしまう。無理もないことで、これは大人の罪である。
 高校時代の同級生が言った「自己否定」の内容が具体的にどんなものだったかは知らないが、いき過ぎた賞賛に、本能的な危機感を覚えていたのではないか、とさえ思う。



2015.4.2

第百五十四回 駆けていった犬 

 ウサギ、猫……と書いて、今度は犬のネタ。
 実家に帰っていた期間、筆者が走っていた時のことだ。
 夏の朝の市街地で、野良犬が民家の外のゴミ袋をあさっていた。
 食べ残しの生ゴミは野良犬にとって格好の餌になるが、ビニールが噛み破られると、ゴミが散乱する。よって、野良犬のほうでも、見つかると駆逐される立場にあることはわかっているらしく、いかにも卑屈な様子でゴミあさりをしていた。
 もっとも、筆者には、犬を驚かせる意図などまったくない。走るのが目的だから、彼らの朝食に介入するつもりもなかった。
 その犬は夢中だったせいか、筆者の接近に気づかなかった。
 間近になって、すぐ脇を筆者が通ろうした時、初めて気づいて、仰天したらしい。磁力で弾かれたように、パッと大きく跳ねのいた。
 そして……。偶然としか言いようがないが、それを見計らったようなタイミングで車がそばを通りすぎ、跳ねのいた犬は、その車の側面にぶつかったのだ。
 ケガをするほどの当たりではなかったが、犬にとっては二重の驚きだったのだろう。まず筆者の接近に驚き、逃げたところ車に接触。
 これ以上は何も起こらないのだが、驚きが冷めやらず、また事態を整理するだけの頭がないので、もう何が何だかわからない、という感じで、慌てふためいて、ひたすらまっすぐ走りだした。
 百メートル以上あるだろうか、遠くまで見通せる直線道路である。そこを、犬は遙か彼方まで、果てしなく駆けてゆくのだった。その混乱ぶりがおかしかった。
 もうひとつ。これは東京でのこと。筆者が前に住んでいたマンションまで、道場から歩いて帰っていた時のことだった。
 後ろから、太り気味の男性が、鼻歌を歌いながらスキップしてやってきた。
 スーツを着た大人がスキップするのを、筆者はこの時初めて見た。
 ちょっと、おかしな男性かと思われる。ずっとスキップして、筆者を追いこしたところで、普通に歩き始めた。
(ここでやめるな、ここで)
 どうせなら、どんどん先へ行って欲しい。
 そしたら、その人、曲がり角で、犬を連れた婦人とはち合わせしたのである。
 うわっと子どものように悲鳴を発し、飛び上がるほどの驚きぶりを見せると、そのまま一目散に駆けだした。
 もう、驚きは過ぎたはずなのに、彼はとまらない。果てしない彼方まで、ずっと走っていくのだった。
 ……以上、二つの事例には、何の関連もない。
 ただ、どちらにも「犬」が関わっていることと、「果てしなく駆けていった」ことだけが共通している。



2015.3.27

第百五十三回 猫と遊ぶ 

 俳句の季語に「猫の恋」というのがある。
 季節は春。ちょうど今頃の、ようするに猫の発情期を表したもので、かしましく鳴くことからつけられたものだろう。
 前々回も書いたが、猫という動物は、見ていてとても面白い。
 筆者が大学生のころ住んでいたアパートの周辺には、猫がたくさんいた。
 雪が降った翌日である。アパートの塀には三センチほど雪が積もっていて、見ると、その上を猫が歩いていく。足の裏(肉球)が積雪に当たるので冷たいらしく、そろ~りそろ~り、と一歩ずつ脚を慎重にあげながら歩いているのが面白くて、思わず手をのばしたら、パニクって脚を滑らせそうになって逃げた。
 これも同じ時期。銭湯の帰りの夜道。修繕中のアパートの下に、猫が丸くなっているのを見つけた。
 筆者は、その猫に向かってダッシュした。
 なんで? と訊かれると困る。理由はない。単なるおふざけである。断っておくと、この時は連れといっしょだった。一人では、さすがにしない。
 いきなり突進されて、猫は動転したのだろう。逃げた先は、前でも後ろでもなかった。
「上」だった。つまり走ってくる人間(筆者)と反対側がアパートの塀だったので、その塀の上にジャンプしたのだ。
 そして狭い塀の幅を走り出した。すぐ先が曲がり角だ。L字型にアパートを取り囲む塀で、猫はその曲がり角を猛スピードで曲がった。
 修繕中のアパートだったことはすでに触れたが、どうやら塀の上に作業の道具が置かれっぱなしになっていたらしい。
 ガンガラガッシャーン、パリーン!
 まともにぶつかったものとみえる。何が置いてあったのかは暗くて見えなかったが、こちらも思わぬ展開に、その場から早々に立ち去った。
 前々回に書いた、筆者のアパートにやってくる猫には、暇な時にヘッドホンで音楽を聴かせたことがあった。
 これも理由はない。しいて言うなら、反応を見たいという実験的試みである。
 ちなみに、聴かせた曲は、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』。ショルティ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるもの。かの『地獄の黙示録』で、米軍のヘリの襲撃シーンに使われた曲だといえばおわかりだろうか。
 結果といえば、予想通り、猫は嫌がってさっさと逃げてしまった。猫でなくても嫌だったかもしれない。
 もう一度断っておくと、これらの行動は、今現在のものではなく、いずれも筆者が二十歳前だった時のことである(強調)。
 さらに断っておくと、これを動物虐待だと受け取らないで欲しい。
 筆者は、猫と遊びたかったのだ。



2015.3.20

第百五十二回 春の乱 

 1995年3月の朝、寝坊して9時前に起きた筆者が、午後出社するという電話を会社に入れると(最低のサラリーマンだ)、同じ職場の先輩女子社員に「電車は何線を使ってるんだっけ」ときかれた。妙なことを聞くもんだ、と思いながら路線名を答えたら、「今日、地下鉄で事故があったから。それじゃないんだね」という。
 それから、メシを食いながらテレビのニュースを見ていると、なにやら緊迫した雰囲気で地下鉄の事件が報道されている。どのチャンネルもそのニュースばかり。どうやら大事件であるらしい。
 でも、そのわりに、何があったのか全容がつかめなかった。特定の駅や区間で脱線があったとかいう内容ではなく、これまでにない質の事件のようで薄気味悪かった。
 3月20日の地下鉄サリン事件である。
 筆者はこの時期、ある企業の広報室という部署に所属していた。
 広報では、社内報を作るといった内部向けの仕事のほか、新商品が出た時に流すテレビCMも担当するので、そのCMを作る広告代理店が二社、出入りしていた。
 いつも仕事の打ち合わせをしているわけではなく、世間話が大半なのだが、その日、片方の代理店の人と立ち話をしていると、当然ながら朝の地下鉄事件の話題になった。
 むろん、まだ犯人はわかっていない。「誰がやったんでしょうねえ」という感じでしゃべっていた。その時、代理店の彼が言ったのだ。 「オウム真理教の犯行というウワサもありますよ」
 断っておくが、事件が発生した当日、夕方の会話である。
 教団の幹部が逮捕されたのは翌月のことだった。広告代理店の情報収集力とはこれほどのものか、と後になって感嘆した
。  もうひとつ。筆者は大槻ケンヂ氏の著作をたまに読む。『筋肉少女帯』のヴォーカルとしての彼よりも、著述家としての大槻氏のほうが好きである。で、『くるぐる使い』という本を持っているのだが、その巻末に、糸井重里との対談が載っている。
 話題は、超常現象・オカルト・超能力などにかかわるおかしな人々で、大槻ケンヂはそういうネタが好きなのだ。
 筆者はむろん信じていない。のだが……。
 自称・超能力者たちのトンデモ言動が面白おかしく羅列された後、糸井氏が「その人たちが一様に一九九五年が大変だって言ってて」と話しているのだ。
 後になってみると、たしかに阪神大震災、地下鉄サリン事件、警視庁長官狙撃事件。そして駅の異臭騒ぎやら郵便物の爆発やら、これまでにない騒動が頻発し、一年中オウムの不穏な話題に引っかき回されたのは周知の通りである。
 ちなみに、その対談は『広告批評』という雑誌の94年2・3月号に収録されたものであり、筆者が持っている『くるぐる使い』ハードカバーの初版発行も94年11月なのだ。
 衆目を集めるために不安をあおるというのはよくある手であり、偶然にすぎないのだが、若かった筆者が一抹の薄気味悪さを感じたのも事実である。



2015.3.13

第百五十一回 訪ねてきた猫 

 その時、筆者は大学一年生。和歌山から東京に出てきて、ボロアパートの部屋で一人暮らしを始めたころだった。
 朝、布団の中でまどろんでいると、手に毛皮のような感触があった。
 ん? なんだ、これは。こんなものを昨夜近くにおいて寝ただろうか。まったく心当たりはない。見て確認する前に、意地でも思い出そうとしたが、どう考えてもわからなかった。
 で、その毛皮を押してみた。すると、「ミャ」という声が。
 跳ね起きて見ると、猫がとなりで気持ちよさそうに寝ているのだった。
 その猫には見覚えがあった。
 雨が降る夜、部屋の縁側(裏側)で雨宿りしているのを見かけ、サッシを開けてみたが、泰然として逃げるそぶりもない。
 トラ猫で、面白いことに、額に三日月形の傷があった。猫同士のケンカでつけられたのだろう。『じゃりン子チエ』という漫画に出てくる猫の「小鉄」と同じである。三日月の形も、額の真ん中という位置も同じ。
 それが面白くて、部屋にあげて缶詰を食べさせてやった。
 以来、何度か訪ねてくるようになり、ついには布団にまで忍び込んでくるようになったのである。メスなので「ふしだら」な猫ちゃんだ。部屋は一階だったから、勝手に網戸をあけて入ってきたものと思われる。
 そりゃ外の固くて冷たい路上で寝るより、布団で寝る方が心地よいのはわかる。さすが快楽主義者である。可愛いことは可愛いが、野良猫なのでダニがついていないか気になった。
 この猫にはいろいろ食べさせた。一番喜んだのは、意外にも魚介類ではなく、乳製品のチーズだった。喜ぶどころか、目の色を変えて飛びついてきた。筆者が立ったまま、スライスチーズをブラブラさせると、ジャンプして一瞬の早業で奪い取ったのだ。
 焦ったのはこっちだ。チーズはまだセロファンを外していなかったので、取ってやろうとしたが、猫はチーズを奪われると思ったのか必死で逃げ回り、結局そのままムシャムシャと食べてしまった。
 どうなったのだろう。後から腹痛を起こしたのではないか。野良猫だから病院で診てもらうこともなく、その点は心配だった。
 昼に訪ねてくることもあった。友人がうちに遊びに来ている時、その猫が現れ、後足立ちになって、「手」で網戸をからりと開け、我々の眼前をトコトコと横切り、ひょいと押し入れの上の段に飛びあがって、布団の上で悠々と寝始めたのだ。
 我が家のように、無人の野をゆくように、こっちはまったくシカト。友人も呆気にとられて苦笑していた。
 そのころから急に、ほかのいろんな猫が、筆者のアパートを訪ねてくるようになった。
 猫は密会をしたり、言葉を交わし合うなどという話もあるが、それが本当なら、「あそこの部屋へ行ったらエサをもらえるぞ」と話していたのかもしれない。でも、そのわりには、ほかの猫とかち合った時、怒って追い返していたけど。



2015.3.6

第百五十回 『仕事人Ⅲ』を再放送して欲しかったのは氏村 

 必殺シリーズはいつ頃から堕落していったのだろう。
 すなわち、新しい試みに挑む気概をなくし、守りに入った時期はいつ頃なのだろうか。
 必殺ファンで知られる作家の田辺聖子さんは、「仕事人Ⅲ」で、受験生という設定のお坊ちゃんキャラクター西順之助(ひかる一平)なる登場人物が加わった頃に、そういった危惧を抱いたというが、まことにもって慧眼だと思う。
 その頃から見始めた筆者などは、『仕事人Ⅲ』は愛着のある作品なのだが、当時は視聴率がピークを迎え、劇場版や特別スペシャルも制作され始めた黄金期であったといえる。
 もっとも、それはあくまでも視聴率としての黄金期であって、第一作の『必殺仕掛人』からご覧になっている江口師範からすると、内容の充実度としての黄金期は、やはり前期になるであろう。
 ちなみに前期後期というのは、『必殺仕事人』をはさんで分けた見方である。
 ここで初めて飾り職人の秀(三田村邦彦)が登場し、女子高生の人気をさらって一気に視聴率が跳ね上がることになる。そして続編の『新仕事人』から『仕事人Ⅲ』、『仕事人Ⅳ』まで、秀と三味線屋の勇次(中条きよし)という、キャラクターや殺し技は対照的だが、二人の美形の仕事人が中村主水とコンビを組むことで、必殺シリーズの人気を不動のものにしていったのである。
 この頃(新~Ⅳ)の仕事人は、たとえば「Ⅳ」の24話『秀、空中で戦う』や同じく30話『勇次、投げ縄使いと決闘する』で見られるように、殺陣でも凝るようになった。
 勇次と戦う投げ縄使いは、かの倉田保昭である。ご存じ『Gメン75』の香港空手シリーズで、白いズボンのマッチョマンと繰り広げる格闘アクションを楽しみにしてた人は多いだろう。
 大山道場時代の師範代でもあった石橋雅史(先輩)もよく必殺シリーズに出演されているが、本格的に空手の修行をした役者さんのアクションは、やはり迫力がちがう。
 倉田保昭の出演では、千葉真一が服部半蔵に扮した時代劇『影の軍団』でも、第二話で競演を果たしている。千葉真一のアクション演出に対するこだわりは尋常ではなく、同作では、同じ伊賀の出自ながら、目的を異にするために戦わざるを得なくなっていく同胞として、両者の友情と、ラストでの迫力満点の戦いが印象的だった。
 必殺に話を戻すが、娯楽に偏重する時期があったのは、それはそれで楽しかった。筆者はケーブルテレビなどがない時代に、『仕事人Ⅲ』を再放送してくれないかと待ち望んでいたくらいである。が、なまじ人気が出ただけに、その後も同じ路線を踏襲するすることになったのが、衰退の原因であったことはまちがいないとも思う。
 読者にとってこんな話題は退屈だろうか。それでも筆者は、このブログが始まってから一年間は必殺のネタを封印してきた。
 この3月上旬で、当ブログも4年目に突入する。よくもまあ性懲りもなく3年も書いてきたものである。それも、あと一年でキリのいい200回。大谷先生ふうに言うなら、「五年目がないことを祈りつつ……」。



2015.2.27

第百四十九回 一兎を追う二人 

二兎を追う者は一兎をも得ず、ではなく、これは一匹(一羽)のウサギを二人して追いかけた話である。
 筆者は小学校高学年のころ、西宮のマンションに住んでいて、そこの管理人さんの息子Kとよく遊んでいた。Kの家、つまり管理人さん宅はマンションのすぐ下にある。筆者宅は三階だったから、行き来するのに一分もかからない。めちゃくちゃ近所である。
 そのKの家ではウサギを飼っていた。Kのお父さんは設計の仕事をしており、いつも留守だったが、図面などがおかれた仕事場は我々が勝手に入ってはいけない禁断の部屋だった。
 ウサギはそれを知っていたのだろう。筆者とKは、よくそのウサギをつかまえようとして追いかけていたのだが、仕事場に逃げこめば安全だと学習していたようである。
 ウサギは意外に素早く、後足でバッと床を蹴って、タンスの曲がり角をあっという間に曲がり、おじさんの仕事場へ駆け込んでいく。なかなかつかまえられない。
 角を曲がって約30センチほどのところが仕事場の入り口であり、そこには横にスライドするドアがあって、いつも開け放されていた。
「このドアを閉めておいたらどうなるかな」と、ある時、筆者とKは話し合った。
 ウサギは猛ダッシュして曲がり角を曲がる。いくら反射神経がよくても、勢いがついているので、止まりきれないのではないか。それとも、瞬時に気づいて方向転換するだろうか。
 実験することにした。ドアを閉めておいて、ウサギを追いかけたのだ。
 いつもどおりの猛スピードでウサギはタンスの角を曲がった。
 瞬間、ゴンッ! と鈍い音がして、まともに激突。ウサギは鼻をひくひくさせていた。何が起こったのか、わけがわからなかったのだろう。もはや無表情で逃げるのを観念しており、我々はようやく「一兎を得た」のである。
 このウサギは、のちに不慮の死を遂げてしまう。Kの家では犬も飼っており、死因はマンションの庭でその犬にじゃれつかれてのショック死だった。
 春休みで、筆者はその一部始終を三階の手すりから見ていたが、犬にはたぶん悪気はなかったと思う。遊ぶつもりでじゃれついたのを、ウサギは襲われる、食われる、と思いこみ、逃げようとしたが、ショックのあまり小便を漏らして心臓停止。
 それから、Kのおばちゃんのやった弔いがすごかった。発泡スチロールの箱で「棺桶」を作り、花と共にウサギの死骸を納めて、夙川という近所の川に流したのだ。
 おばちゃんを弁護するなら、この人も悪気はなかった。ちょっと(かなり)ズレているがロマンチストなのである。乙女チックなことが大好きで、この時も少女のノリだった。
 が、そんなものが海にまでたどり着くはずもなく、かならず途中で止まるかひっくり返るかしている。大迷惑である。ノリはともかく、やっていることは動物の死骸の不法投棄であり、れっきとした犯罪なのだが、乙女チックなおばちゃんにその自覚はない。「かわいそうなウサちゃん」と瞳をうるうるさせ、お花をいっぱい箱に詰めての、それは〈水葬〉だった。
 ちなみに、そのマンションは阪神大震災で倒壊し、Kは二時間ほど生き埋めになったが、幸いにも救出された。「ウサギ追いしあの家」も、今はもうない。



2015.2.20

第百四十八回 キャンディとオスカル 

 国分寺道場のスガイズムが『エースをねらえ』にはまっているらしい。極真で黒帯を締めている大男が少女マンガに夢中かよ、とツッコミたくなるが、その気持ちはわかる。
 筆者には妹がいたので(今でもいるが)、子どものころはTVアニメを通して少女マンガに触れる機会が多々あった。サリーやアッコやメグやララベルといった魔法少女ものをはじめ、『アタックNO1』や『花の子ルンルン』や『ときめきトゥナイト』も見ている。
 現代の子どもには想像もできないだろうが、昔は「チャンネル争い」というものがあったのだ。兄妹ともなれば、男の子向けと女の子向けの番組で見たいものが異なり、それを同時刻に放送されると争いが生じる。たとえば月曜日の夜7時だと『ガンバの冒険』と『魔女っ子メグちゃん』がかち合い、結果、各週ごとに交替で見るという妥協案が遂行されることになる。よって筆者は小学生のころ、異性が見る番組にも詳しくなっていたのである。
 ヨーロッパでも日本のアニメは大人気だが、中でも『キャンディキャンディ』と『ベルサイユのばら』は、「これを日本人が作ったなんて信じられない」と思われているらしい。
 女の子モード全開のキャンディと、男装の麗人オスカル。主人公は対照的だ。
 が、ともにオープニングが秀逸である。ほとんどの登場人物を無理やり詰めこんだオープニングが多いアニメ作品の中で、『キャンディキャンディ』はあくまでも主人公だけ。ほかのキャラクターをいっさい出さず、キャンディの一人舞台で、ファッションショーのように次々と衣装を替えていく。あきらかに、そう意図したつくりである。主題歌も、中盤「ひとりぼっちでいると~」のところで、メロディラインが長調から短調へ大胆に変わるという斬新さ。
 ちなみに、アニメの30分番組では、コマーシャルをはさんで挿入される短いカットがあり、たとえば『ルパン三世』第2シリーズだと、ルパンが横から車に飛び乗ろうとして反対側にずっこける「ルパン・ザ・サード」「あい」とか、『機動戦士ガンダム』だと「ダダダン……ダダダダン……シュー」とか(なんのことを言ってるか伝わっているだろうか)、『一休さん』だと「一休! 一休! 一休! は~い、あわてないあわてな~い、ひと休みひと休み」というような、そういうやつが『キャンディ』の場合は、くるくる回る日傘の向こうから「キャンディ! フゥゥ~」といって、キャンディがニコッと笑ってふり向くのである。
 お調子者だった筆者は、雨の日に学校でこれのマネをした。廊下で傘(パラソルではなくアンブレイラだが)をくるくる回し、「キャンディ! フゥゥ~」と言ってふり向いた。
 かなりウケていた。女子の視聴率はやはり圧倒的だったが、男友だちの中にも笑っているやつがいたから、筆者と同じように女兄妹がいて見ていたのだと思う。
 一方、『ベルサイユのばら』は、小学生の頃、面白さがあまりわからなかった。ストーリー以前に、フェンシングでチャンチャンチャンチャーンとやる女が苦手だったこともある。これは『ベルばら』にかぎらず、『リボンの騎士』といい、そしてもちろん『ラ・セーヌの星』もそうだが、なんというか、あの剣戟に「負けそう」な感じがして嫌だったのである。
 今見るとやはり素晴らしく、無邪気さゆえに悪意なく周囲をふり回していくマリー・アントワネットのキャラクターが、危なっかしくて面白い。これ以上なく本編に合った主題歌『薔薇は美しく散る』が先日は頭から離れず、一日中「りりしい気分」になっていた氏村である。



2015.2.13

第百四十七回 『少年チャンピオン』がチャンピオンだった頃 

前回書いた『エコエコアザラク』が連載されていた頃の『少年チャンピオン』は、水島新司の『ドカベン』がよく巻頭を飾り、鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』、山上たつひこの『がきデカ』、そして手塚治虫の『ブラックジャック』といった人気作品が同じ一冊の中に詰めこまれているという豪華さだった。
 手塚治虫がまだ健在で、『ブラックジャック』の新作が毎週読めたのだから、なんとも贅沢な話である。のちに『ジャンプ』にその座を奪われることになるが、当時は『チャンピオン』が、その名どおり週刊少年漫画雑誌のチャンピオンだった。
 その『ブラックジャック』だが、実家にあるのを読み返していると、「よくこれを週刊連載していたものだな」と感じ入る。各話のクオリティの高さ、しかも、ほかにも複数の連載を抱えながら毎週コンスタントにそれを描いていたのだから、おそるべし力量である。
 手塚治虫の作品は、しかし子供心にショックを受けることが多かった。小学校の三、四年生のころに読み始めたので、えぐい描写にも慣れていない。
 たとえば、コミックの第2巻に「ナダレ」という話がある。ナダレというのはブラックジャックが脳手術した大鹿の名前だが、その鹿が高度な知能をもったばかりに攻撃的になり、山を削りにきた工事人足を殺戮するのである。堂々と立ったナダレの枝分かれした巨大な角に、人足の体が貫かれている場面があり、それが衝撃だった。
 まだ日野日出志を読む前だったし、今なら何ほどでもない描写だが、当時は歩いていて本屋さんが見えてきただけで、「ああ、あそこに、あの恐ろしい場面がのっている本があるんだ」と思っていたので、よほど強烈な刺激だったのだろう。
 ストーリーの面でも、天才外科医でも治せない人間の心の闇、残酷さや不条理が、子ども向け作品の予定調和的なハッピーエンドに慣れていた感性にとってショッキングだった。それら毒の強さに辟易しながらも読むのをやめられなかったのは、きれい事じゃなくて、現実にはこういう無慈悲なことも起こりえるのだと感じたからだ。
 一方、『ふしぎなメルモ』などは性教育的な側面があって、それはそれでキツかった。
 これはアニメで見たのだが、人間が、胎児と呼べるその前の段階で、サカナやサンショウウオのような形をしていることを初めて知り、絶句してしまったことを覚えている。
 赤いキャンディを一粒食べると10歳若返り、青いキャンディだと10歳年をとる。主人公のメルモはその不思議なキャンディを使って「大人」の世界を体験し、命の秘密を垣間見ていく。
 最終回は実際にメルモが大人になっており、赤ちゃんを産むために苦しむ場面があった。これは、いっしょに見ていた妹もショックを受けていた。
 ちなみに、妹は後年、長女をわずか15分で出産する。心配は杞憂に終わったといえる。
 それにしても、15分とは異例の短時間である。念のためにいうと妹は安産型とは正反対の痩せ型で、子供を三人産んだ今でもその体型は変わっていない。よって、なぜそんなにあっさりと産めたのかわからないのだ。かつては便秘で、毎朝20分もトイレにこもっていたことを思うと、うんこよりも楽々と出産したことになる……(妹はこのブログのことを知らないが、もし今回の内容を読んだら激怒するだろう)。



2015.2.6

第百四十六回 エコエコアザラク 

先週送れなかった分とあわせて、今週はこれで3回分の更新になる。
「サボリやがったな」というミもフタもないメールが某アジアジから届いたが、そのようにお考えの方は、2回前までスクロールして「いいわけ」の回を読んでほしい。

 さて『エコエコアザラク』である。何のことかわからない読者は、きっと若者だと思う。
 かつて『少年チャンピオン』に連載されていた古賀新一のホラー漫画だ。ホラーで4年にもおよぶ連載とはそれだけでも驚異的だが、これは黒魔術を題材にした異色の作品で、『エコエコアザラク』というのは、主人公の黒井ミサが唱える呪文なのだ。
 人目を引く美少女・黒井ミサは転校をくり返し、その美貌ゆえ不良から強引に言い寄られたり、ほかの女子生徒の嫉妬を招いたりと、常にトラブルに巻き込まれる。そしてそのたびに水晶球やタロットカードを駆使して黒魔術を使い、時には邪魔者を消し、悪を抹殺していく。
 そう、平気で人を殺すのだ。冷たい美貌で「ホホホホホ」とあざけるような高笑いを残し、悪党に対してはいっさいの慈悲をかけない。美しさと残酷さを併せ持った一種のアンチ・ヒロイン(?)とでもいうか、彼女のゆくところ学園に次々と死体が転がっていく。
 連載が進むにつれてコメディの要素が混じり、ミサの性格もまるくなっていくのだが、筆者は小学生のころにコミックを集めていて、初期の黒井ミサの容赦のなさが好きだった。
 そして再読をくり返しているうちに、彼女が使っているタロットカードが欲しくなった。
 デザインに惹かれたのだ。大鎌を抱えたガイコツの「死神」や「悪魔」や「吊された男」など、異様な絵柄のカードにどんな意味があるのだろうと思うと、欲しくてたまらなくなった。
 だが、どこを探しても売られていない。西洋のもので、日本では手に入らないのかとさえ思った。そういえば黒井ミサは「魔女」なのだ。子供心にもタロットカードに神秘的なイメージを抱き、禁断のアイテムを買おうとしているような気持ちだったので、親にも聞けなかった。
 そんなある日の暮れ時である。ついに「これじゃないか」と思うものを見つけたのだ。
 薬局の前の自動販売機だった。見たこともない地味な小型の販売機で、箱形の見本が三つ並んでいた。人目を忍ぶようにひっそりと売られていて、いかにも怪しげである。
 もしや、これがタロットカードか。黒魔術で使うぐらいだから、やはり公然と販売されるたぐいのものではないのだろう。みると、「正しい家族計画を」と書かれている。
「ははあ、タロットで占って、正しい計画を立てろってことだな」と思った。冗談みたいな話だが、小学生だった筆者は本当にそう考えたのである。
 でも、なぜ薬局の前に? それに黒井ミサが使っていたカードは、もっと縦長だったような気がする。ほんとにタロットカードなのか?
 さんざん迷った末に、結局、筆者は「それ」を買わなかった。タロットカードだという確信がないまま、やがて熱がさめてしまったのだ。
 買わなくてよかった。もし、あのとき買っていたら……。
 箱を開けて「?????」となり、さらには親に問い詰められたに違いない。
 ちなみに、タロットカードは大人になってから購入し、今でもどこかにあるはずである。



2015.2.4

第百四十五回 決戦は日曜日 

2月1日といえば、東京や神奈川といった首都圏の中学入試本番。小学6年生たちが、これまで勉強してきた成果を発揮せんと、決死の覚悟で第一志望校の受験に臨む日である。
 それが今年は日曜日に当たっている。ドリカムのヒット曲に『決戦は金曜日』というのがあったが、決戦は日曜日なのだ。
 受験業界では、2月1日が日曜日と重なることを、「サンデーショック」と呼ぶ。
 どういうことかというと、ミッション系の学校(主に女子校)が、キリスト教では日曜日が安息日であり、礼拝をするため、入試を行わないのである。そういう学校はけっこう多い。
 これによって、本来なら1日にミッション系を受験するはずだった子たちが、そうでない学校に流れ込む。当然、混乱が生じ、例年どおりの併願の予測が立てにくくなる。
 もっとも、そうでなくても入試は毎年ドラマチックで、とんでもないことが起こる。
 そして筆者はいつも思うのだ。本番で力を発揮できる子と、そうでない子の、資質のちがいは何だろうか、と。
 このブログでは、今年の事例はもちろん、近年の出来事にも触れないことにしているので、ずっと過去の話になるが……。
 こんなことがあった。双子の姉妹が同じ学校を受験したのである。
 双子といっても二卵性で、外見も個性もまったく似ていない姉妹だったが、共通しているのは、二人とも素直で明るく、気のやさしい子だったこと。学力も同じぐらいで、同じクラスに在籍し、そして第一志望校も同じ。二人そろって同じ学校に通うことを目指していた。
 この姉妹を大変な試練が見舞うことになる。
 2月1日の受験で、妹だけが合格したのである。
 運命の皮肉としか言いようがない。考えてもみてほしい。二人は同じ家に住んでいるのだ。
 妹は喜びたかっただろう。第一志望校に一発合格したのだから。本来なら、その日は晩ごはんの席で大祝賀会が開かれるところだ。でも、お姉ちゃんが不合格なので、大々的に喜ぶわけにはいかない。両親だって気をつかう。
 姉は大泣きしたと思う。同じ学校を受けて妹だけ受かり、自分は落ちた。家の中で喜びを抑えきれない妹の様子を見ている。第一志望なので妹の受験は早くも終了だ。自分は翌日も母といっしょに、真冬の早朝、厳寒の中を受験に行く。妹は家に残っている。
 そして姉は二回目も不合格だった……。
 12歳の少女にとって、こんな過酷な修羅場があるだろうか。地獄を見たといっても過言ではないだろう。
 3度目の受験で、お姉ちゃんは合格した。
 よくぞ、と筆者は思った。よくぞあきらめずに受験した、エライぞ、と思った。
 悲嘆にくれて3度目の受験を放棄していたら(そんな子もいるのだ)、彼女はその後、劣等感を味わい、卑屈になっていたかもしれない。勇気を出して最後のチャンスをつかみ、その結果、4月から妹といっしょに第一志望校に通うことになったのだ。
 今年は6年ぶりのサンデーショック。筆者は、また泣いた。毎年のことだけど。



2015.2.3

第百四十四回 いいわけ 

いきなりだった。キーやマウスの操作中ですらなかった。
 パチン! と音がしたかと思うと、それっきり。もうまったく動かない。電源すら入らない。再起不能である。
 何のことかって、突如、パソコンが壊れたのだ。
 このブログを毎週木曜日に提出すると触れておきながら、今回、金曜日になっても土曜日になっても更新されなかった理由(いいわけ)がそれである。
 パソコンに詳しい知人の話では、原因は「電源」ではないか、とのことだった。経年劣化もあるだろう。もう5年3ヶ月も使っていたので、そろそろ買い換えなきゃいけないとは考えていたのだが、いくら寿命でも、なんだかおかしいな、という前兆すらなく、パツンと鳴って、はい、すべてオシマイというのでは、対処のたてようがない。
 さすが聞いたこともない三流メーカー。デスクトップのやつで、買った当初から動作がスムーズにいかず、音がうるさいのでカバーを取り外して使っていたぐらいである。今だったら仕事で使う道具に投資を惜しまないけど、当時は安さにつられて買ったのだ、粗悪品を。
 このように、事故は突然起きる。悔やんでも仕方ないので、どうすればいいかを考えるしかない。
 ネットから切り離された期間は一週間に満たなかったが、パソコンがないと、ホント、どうしようもなかった。メールもできず、仕事にも大いに影響する。スケジュール管理もパソコンでしているので、勝手が狂うことしきりだった。
 それでも筆者の場合、使うのは文書作成とメールとインターネットぐらいで、エクセルとかグラフィックデザインとか、ゲームとか何だかんだといった機能は必要ない。投資は惜しまないといっても、必要最低限のものさえ入っていればいいので、余計な機能がゴテゴテと盛り込まれて値が張るようなものはいらないのである。
 詳細は伏せるが、幸いにもネット環境は整い、こうして再びブログを書いている。消失したかに見えたデータは、ハードディスクが壊れたわけではないので、コピーできるコード型の装置を買ってきて復活させることができた。これが何より幸いだった。
 それにしても我々現代人が、いかにパソコンに依存した日常を送っているかということである。かつて「2000年問題」が騒がれ、また彗星の超接近によって全世界のコンピュータのデータが消失するという仮説が囁かれたのも、依存しているがゆえの脅威であった。中国の軍隊が電脳ハッカー集団に力を入れているように、相手国のコンピュータを攪乱させることは、この上なく有効な軍事的活動でもある。
 便利な道具だから依存するのは仕方ないが、せめて面倒がらず、こまめにバックアップをとる手間は省くべきではないと改めて認識した次第。
 まあ、このブログを待ってくれている人がいるとは思わないから、更新できなかったことに謝罪するというのもおこがましい話だが、自分で決めたことが果たせなかったのは確かなので、2回分はアップしようと思う。
 まずは、この「いいわけ」の回がひとつ。明日また追加分を送ることにします。



2015.1.22

第百四十三回 グラップラー刃牙 

 国分寺道場生のあだ名ではなく、板垣恵介先生の人気格闘マンガのことである。
 筆者はマンガ好きだが、連載雑誌には手を出さず、もっぱら単行本化されたコミックを買って一日一話ずつ読んでいく、ということを、4年ほど前から始めている。
 本家ブログで戸谷先生がお書きになっていた『グラップラー刃牙』、続編の『バキ』もその例に倣ってコツコツ読んできたのだが、あまりに面白くて、一気に読んでしまいたい衝動を抑えるのに苦労した。そして去年、とうとう第三部『範馬刃牙』を最後まで読み終えた。
 刃牙シリーズの魅力を一言でいうと、「驚き」だと思う。この作品には、常に驚きがある。読者はその驚きの波に乗せられて次々にページを繰っていく。
 もう、めくるめく展開なのである。超人たちのとんでもない戦い、奇抜なアイデアが、これでもかというほど、惜しげもなく読者の前でくり広げられる。
 登場するキャラクターたちは、みんな型破りで濃密である。個性が強すぎて、各自を主人公にしたスピンオフ作品まで派生するほどに。
 セリフも凝っている。たとえば空手家の愚地独歩と柔術の渋川剛気の対戦で、相手の力を利用する柔術に対し、愚地独歩が静止して構える場面がある。このままだと戦いは硬直し、渋川剛気から仕掛けなければストーリーは進まない。ここで、
「おぬしの技とワシの技、どっちが上でも構わんと言うには、この渋川」
 と、選手の中で最高齢の渋川剛気が、突進しながら言うのである。「若すぎるッ」
 なんという上手いセリフだろう。みずから仕掛ける必然的理由と同時に、渋川剛気の人物造形まで合わせてやってのけている。
 格闘の科学的な解説にはときに無理もある。まず、どんなタフネスでも生身の人体である以上、これだけの打撃を喰らうと続行不可能だというダメージが完全に無視されている。だが、作者が格闘技の実践者である以上、それを確信犯でやっていることはまちがいない。
 マンガに必要なことを、作者は知りつくしているのだろう。読者が求めているのは登場人物の生きざまである。よって破天荒なまでのダイナミズムを優先させ、常識など平気でシカトする。科学的な裏づけにこだわりすぎると、物語から躍動的な展開が失われるのだ。小説でも、SFが廃れていった原因がそれである。
 作者の筆さばきは驚くほど自由だ。マンガという媒体が持つ特性が最大限に活かされ、これまでに見たことのない表現方法まで開拓されている。漫画家になりたい人は、このシリーズを読むことで有意義な学習ができるのではないかとさえ思う。
 設定で面白いと思うのは、主人公の刃牙が戦う理由である。ほかの登場人物たちが地上最強を求めているのに対し、刃牙だけは「父親に勝つこと」を目的に精進する。
 父親にさえ勝てればいいのだが、その父親が地上最強の生物なので、自分も最強を目指さなければならないのである。
 TVアニメ版のオープニングでは、こんなナレーションがあった。
『男なら、一生に一度は誰でも夢見る地上最強の男』
 地上最強か。……筆者は夢見たことがないんだけどなあ。



2015.1.15

第百四十二回 20年……。 

 1995年1月17日。すでに社会人になっていた筆者は、職場におかれたテレビの映像を見て、衝撃のあまり言葉を失った。
 神戸の街が燃えている! ビルが崩れている!
 映しだされているのは見知らぬ土地ではなかった。筆者は小学4年から中2まで兵庫県の西宮市で過ごしている。クリスマスには神戸の三宮で食事をするのが恒例だったし、新年には西宮の戎神社や神戸の生田神社にも参詣した記憶がある。その生田神社の鳥居が大倒しになり、前年の正月に車で走った阪神高速が崩れているのだ。
 95年には実家がまだ西宮にあり、神戸市の垂水区には従姉妹が住んでいた。
 実家は7階建てマンションの6階で、ヒビが入ったものの倒壊はまぬがれた。
 筆者が帰ることを告げると、来なくていいという。水道が機能しないというのだ。うちの実家は前の晩に使った風呂のお湯を翌日まで抜かずに残しておくのだが、それが幸いして、トイレの水を流すのは風呂の残り湯を用いたらしい。
 さらに、筆者が小学生のころ住んでいたマンションの管理人さん一家が、行く場所をなくして避難してきており、これ以上は一人でも少ない方がいいと言うのだった。
 ちなみに、その小学生時代のマンションは、一階が吹き抜けの駐車場だったせいか倒壊し、幼なじみが二時間ほど生き埋めになって救出された。後で写真を見てゾッとしたものだ。
 神戸にいるイトコ姉妹の姉のほうは、エレクトーンの先生をしている。そこの生徒さんの家では、グランドピアノが階段をふさいでしまい、階下に降りられなくなった。脱出するためには、やむを得ずノコギリでグランドピアノの脚を切って下に落とさねばならず、切りながら涙が出たそうだ。
 筆者が帰省したのは、その年の夏だったが、マンションの前を通っている阪急電車の高架が、ぽきりと折れていたのには驚いた。倒れた阪神高速といい、ありえない光景だった。
 ちなみに、当時首相だった村山富市は、自衛隊の出動命令を即断できなかった。「前例がないから」というのが、その理由である。「前例がない事態」が起こっているというのにだ。
 そんなヘタレが最初にやったことは、財界人との朝食会だったらしい。
 国民が大惨事に見舞われているときに、財界人の機嫌を取りながら、どんな顔をして飯を食っていたのだろう。たいした内閣総理大臣である。
 この時、世界中のマスコミが阪神地方に駆けつけたが、なぜ暴動が起きないのかと驚いていた。それどころか炊き出しまでして助け合っている。かくして日本は『国民は一流、政治家は二流』と言われた。が、中には食糧不足につけ込んで、焼きそばを2千円で売りに来た輩もいたらしく、そいつはヤクザに駆逐されていたそうだ。
 筆者は某企業の広報室に勤務していた。広報室には各種の新聞がそなえられており、メンバーの仕事は、まず朝イチで、それぞれが担当する新聞の記事に目を通すことだった。
 筆者は東京で何もできないまま、毎日更新される震災死亡者の蘭を熟読した。小学生、中学生だったころの友だちの名前が載っていないか、毎日探していた……。
 あれから20年たつが、神戸在住の伯母は今でも忘れられない悪夢だと語っている。



2015.1.8

第百四十一回 1200年! 

 大晦日には久しぶりにテレビを見た。紅白歌合戦。本家ブログで小沢先生がお書きになっていたボクシングの天笠尚の試合も観たかったので、たまにチャンネルを変えながら。
 天笠選手はデビュー10年目、35試合目だという。それで初めて世界王者への挑戦権が回ってきたのだから、厳しい世界だと思う。その稀有のチャンスを逃さないため、ただでさえ苦しい減量を、さらに階級を落として挑んだのだろう。
 話を戻すと、筆者は紅白の後にやる『ゆく年くる年』の雰囲気が好きである。田舎のお寺の背景が星ひとつ見えない真っ暗な闇で、除夜の鐘が鳴って、いかにも厳か。初詣の人波の中に、たまにヤンキーの姿が散見されるのも、なんだかおかしい。
 その『ゆく年くる年』によると、なんでも今年は弘法大師(空海)が高野山に金剛峯寺を開いて1200年目に当たるそうだ。
 1200年とは、またえらい歴史である。若い人にはピンとこないかもしれないが、人間30歳をこすと、100年がたいした年数だとは思えなくなってくる。日本史をふり返っても、江戸時代なんかは、「わりと最近」という気がする。10年があっという間なので、その10倍もそれほど遠いとは感じないのである。
 でも、さすがに1000年は遠い。ましてや1200年ほど前に亡くなった空海の遺志が、現在でも連綿と受け継がれているというのがすごい。遺志と書いたが、真言宗を信じる人にとっては、空海は亡くなっていないのである。知っている人は知っているが、空海は自身の再来を予言している。そうして現在でも、この酷寒の中、紀州の山の中で僧侶の方々がストイックな修行に励んでいるのだ。
 このブログでたびたび触れたが、筆者は和歌山の出身である。高野山(金剛峯寺)は和歌山県伊都郡というところにあって、車で行くと和歌山市からは実質的にそれほどかからない。
 実質的に、というのは、ひとたび山中に入るや、感覚的には別世界の様相を呈しているように思えるからだ。
 標高がおよそ1000メートルの山中ということもあるだろう。紀州では雪が珍しいが、冬の高野山は例外。夏でもひんやりとしている。でも、そのせいだけでもないと思う。
 筆者には霊感がなく、また仏教徒でもない無宗教の身である。それでも、異様な空気を感じた。しんしんと張りつめた、まさに荘厳としか言いようのない結界。
 今までの人生で、こんな雰囲気を持つ空間を、筆者はほかに知らない。
 悪い意味ではない。突き抜けるように澄みきった霊気なのだ。
 高木に囲まれ、武田信玄、伊達政宗……とそうそうたる戦国武将たちの名が記された墓標を眺めながら参道をゆき、奥の院にたどりつく。
 その地下には、今でも即身仏となった空海(ようするにミイラ)が安置されている。お遍路をして四国を回ったことのある筆者は、空海という人類史上における桁外れの超人に最接近したことで、襟を正してしまう。
 筆者が参ったのは過去に2回、8月と5月だった。今度は一度、厳寒の雪深い高野山を訪れたいものである。



2014.12.25

第百四十回 ダメだ、こりゃ 

 国分寺北口の飲食店で、店から出た客を、店員が総出で見送っている光景に出会ったことがある。「ありがとうございました」と丁重にお辞儀をしており、とても誠意ある見送りのようであった。が、「いいことをしている」彼らはその時せまい道に広がっており、店の客ではない他の人々、通行人のさまたげになっていることには気づいていなかった。
「ここの料理はマズいだろうな」と、そのとき思った。想像力の有無が仕事に通じないはずがないからだ。
 筆者は、飲食店で出されたものが気に入らなくて、箸をつけずに店を出た経験が稀にある。というと、偏屈者だと言われそうだが、その基準はけっして高くはないと思う。
 たとえば、チャーハンの飯がゴロゴロした塊になっていて、きちんとほぐれていないなど、プロの仕事とは思えない場合だ。できあがったラーメンを前に店長が長々と電話でしゃべっていた時も食べなかった。麺が伸びることや、料理に唾が飛び入ることに無頓着な人間の作ったものなど、口にする気になれなかっただけである。
 味がどうのというより、仕事をする人の意識の問題で、そういうのが嫌なのだ。
 筆者は厳しいのだろうか。自分としては、ごく当たり前のことだと思うのだが。
 実名はあげずに、二、三軒、イケナイ店を紹介しよう。
 国分寺から西武線で一駅の小さなラーメン屋。店長と、やや知的障害がありそうな女性が働いていて、筆者が麺類をたのんでから店長が出ていった。一人で作り始めた女性店員が、どうもモタモタしている。いかにも危なっかしくて、本当に大丈夫かな、ちゃんと作れるのかな、と心配になった(飯を食いに店に入ってなんでそんな心配をしなきゃいけないのか)。
 そしたら店長が戻ってきて、その女性に一言。
「コラ、お客さんの料理には、清潔なお湯を使わないとダメじゃないか」
 ああ、もう帰りたい! すぐに店を出たい! 往年の『ドリフの大爆笑』の恒例「もしものコーナー」だったら、いかりやが「ダメだ、こりゃ」と言うだろう。
 次も同じ街の飲み屋。筆者もかつては一人でぶらりと飲みに行くことが多かった。
 店員の対応は丁寧で、とても愛想がいい。ゆるゆる飲みだした時だった。筆者の位置から一直線で見えるトイレに、その愛想のいい女性店員が、わが子を入れてシモの世話を始めたのだ。ドアを開放しきっているので、乳幼児とはいえ、ケツも排便も丸見えだった。
 そんなものを見せられながら飲食する気にはなれない。ほうほうの体で席を立った。公私混同にもほどがある。「ダメだ、こりゃ」
 壁に値札が貼られていない飲み屋もあった。これは国分寺の南口。
 割烹着姿の温厚そうなおばあちゃん二人がやっている、いかにも家庭の味という感じの店。
 でも、値札がないのは気になった。けっこう飲んで、飲み代は5千円。
 筆者は家を出るときに、一万円札だけを財布に入れてきた。その万札を渡したら、おばあちゃん、ただ平然とほほ笑んでいる。おつりを求めると、「ああ、五千円札だと思った」と、しれっとした顔で言った。こちらが泥酔して気づかないと思っているのだ。
 油断も隙もあったもんじゃない。「ダメだ、こりゃ」



2014.12.19

第百三十九回 忘年会のシーズン 

 この時期、夜に街を歩けば、居酒屋の周囲で集まっている若者たちの喧噪を見かけることが多い。12月の忘年会と4月の新歓コンパの季節などにそれを目にすると、
(おーおー、スネかじりが。……いっぱしに弾けおって)
 と思う。学生時代は自分もそうだったくせに、社会人になると飲み方が変わるからだ。
 筆者もサラリーマンの経験がある。某メーカーの広報室に勤務していた時期、たまに大学生が研究活動に使うために商品を借りたいと言って来社すると、その対応をすることもあった。
 その時、筆者は入社二年目ぐらいだったが、上司に「学生を信用したらダメだ」と言われたことを覚えている。
「商品を貸したら、まず返さないから」
 貸してもいいが、その場合は返ってこないと思っておけ、というのである。対面している時にどれだけ真面目そうに見えても、そういう点では学生を信用してはいけないのだと。
 健さんやキャニオンが聞いたら怒るだろうか。しかし実際、貸した後は音沙汰がなく、商品はそのまま返ってこなかった。
 ようするに、生活がかかっているかどうか、責任という負荷があるかどうか、という意識の差である。といった後で矛盾するようだが、無論、きちんと約束を守れる育ちのいい学生がいる一方、だらしない社会人も大勢いる。
 今年、酔って駅のプラットホームから線路に落っこちたオッサンを初めて見た。立川駅だった。都市伝説のように思っていたのだが、そんなアホが本当にいるのだ。
 また社会人になっても、学生時代のような飲み方をする場がある。
 それは、ほかでもない極真の飲み会だ(本当に「ほかでもない」な)。
 筆者は、職場の同僚と飲むのも好きである。とかく仕事の話というのは盛りあがる。とくに生徒の面白い行動などは、格好の肴になる。ただ、物足りなく感じるのは、普通の大人は酒を飲む時、あまりものを食べないこと。筆者は大いに食べ、大いに飲みたいのだ。
 道場の飲み会では、みんなよく食べる。小食の空手家というのは、あまり見かけない。飲み過ぎて吐く人は世に多くいるが、道場には「食べ過ぎて吐く」人までいる(そういえばタケちゃんはどうしているだろう……と、ここで思い出す)。
 学生のようなノリの理由は何だろうか。年齢関係なしで若者も多いから、というだけではないように思える。日ごろ叩き合っている間柄なので、かしこまる必要がないからだろうか。内部にいると身勝手なもので、悪い感じではなく盛りあがっている、と感じる。
   この前、道場の大人四人で飲んだ帰り、一人の先輩が常夜灯の支柱に蹴りを入れていると、たまたま巡回していた警官に小言を言われた。筆者より年上で、会社の経営者(つまり社長)の立場にいる人である。なんとなく、微笑ましくも面白いエピソードだと思う。
 夏合宿の宴会でも、ビールの空き缶でパンパンになったゴミ袋を残したり、窓から卑猥な言葉を叫ぶオッサンがいたりして、翌日からホテルの従業員の態度が変わったこともある。
 そんなこんなで、28日は国分寺道場の忘年会である。



2014.12.12

第百三十八回 別れのワイン 

 必殺シリーズばかりがTVドラマじゃない。筆者にだって、ほかにもはまったドラマはある。
 海外のものだが、ピーター・フォーク主演『刑事コロンボ』である。旧シリーズの制作は70年代なのでかなり古く、筆者は80年代にテレビの『水曜ロードショー』で観た。
 この作品、ジャンルでいえばミステリーなのだが、一般の推理ものとはあきらかに異なる趣向が施されている。推理小説に馴染んでいる人には「倒叙もの」で通じるだろう。
 ミステリーには、誰がやったのかという犯人さがしに重点をおいたもの(フーダニット)や、不可能に見える犯行をどうやって実行したかというトリック(ハウダニット)、または動機を中心に描いたもの(ホワィダニット)など色々あるが、『刑事コロンボ』では、最初から犯人がわかっている。動機もたいてい明かされており、殺害の場面が映るので犯行方法やトリックも(たまに例外はあるが)視聴者の前にさらされているのだ。
 そして死体発見となり、オンボロのプジョーに乗って、ロサンゼルス市警殺人課コロンボ警部の登場となるのである。
 このドラマの面白さは、コロンボがどうやって緻密に計画された犯行を暴き、犯人を落としていくかという点にある。ようするに『古畑任三郎』のパターンといえば通じるだろうか。
 犯人は毎回ちがう職業の人物だが、たいていは社会的地位が高かったり著名であったりして、エリート意識が強く、頭脳に自信を持っていることが多い。ときにはトリックにも自信を抱き、警察と勝負してやろうと意気込んでいる人物もいる。
 一方で、ピーター・フォーク演じるコロンボといえば、実にもっさりとしている。よれよれのコートにやぶにらみで蓬髪という、一向に風采のあがらない外見をしており、あまり頭脳明晰には見えない。身体能力に劣り、警察官の義務でもある射撃の訓練もサボっている。
 ところが、いざ捜査となれば、他の警官が見落としている不審点や犯人の言動の矛盾などに気づく鋭い洞察とあざやかな推理を見せるのである。そのギャップがいい。
「うちのカミさん」と毎回きまって家族の話題を出したり、帰りかけては引き返して「すみません、あともうひとつ」と思い出したように追加の質問をしたり、コートのポケットをさがしたあげく「すみません、エンピツを」と犯人に筆記具を借りたりもする。
 こういった一見、愚鈍にさえ見えるコロンボに対し、犯人は油断をしたり舐めてかかったりするのだが、ラストには論理的に逃れられないところにまで追いつめられてしまう。
 筆者は旧シリーズをすべて観たが、中でも好きなのは、『二枚のドガの絵』や犯人が蘭の収集家の『悪の温室』、イギリスが舞台の『ロンドンの傘』、なんとコロンボの上司が犯人という『権力の墓穴』(←この落とし方がいい)、暗い過去を持つ歌手の『白鳥の歌』、写真家のカメラによるトリック『逆転の構図』、陸軍学校長による犯罪『祝砲の挽歌』、豪華客船の中での殺人『歌声の消えた海』、マジシャンによる犯罪の『魔術師の幻想』、船舶会社の大物による『さらば提督』、推理作家の犯行『死者のメッセージ』などがある。はまったあげく、高校時代は学校でコロンボの真似をしまくっていたぐらいである。
 あ。すみません、あともうひとつ。本文とはまったく関係ないのに今回のサブタイトルにした『別れのワイン』も。犯人に同情できる作品であり、ラストが印象的である。



2014.12.4

第百三十七回 必殺主題歌ベスト10(後編) 

前回に引き続き、5位から1位までを。

5位『旅愁』(暗闇仕留人)
 シリーズの主題歌中、もっともヒットしたのがこの歌だという。そのため、いろんな歌手にカバーされている。なるほど一般受けするメロディーだと思う。歌っているのは最終回にゲスト出演している西崎みどり。彼女はこの後も何度かシリーズの主題歌を歌うことになる。

  4位『負け犬の唄』(必殺からくり人・ほか)
 江口師範による第1位。たしかに曲も歌詞もいい。酒を飲みながら聴きたくなる。イントロからして独特で、さびしげな舟人のエンディング映像に合っている。いきなり川谷拓三が起用されているのも斬新。必殺が次々に新しい試みを実践していたころの主題歌である。

3位『惜雪』(新必殺からくり人)
 歌はみずきあい。せつなくなるようなブルース調の名曲で、もっとヒットしてもよかったのではないかと思う。本編にはブレイク直前のジュディ・オングがレギュラー出演している。

2位『さすらいの唄・夜空の慕情』(必殺必中仕事屋稼業)
 主題歌と挿入歌だが、どちらもいい。大ヒットした『旅愁』の西崎みどりが14歳だったので、この歌手の小沢深雪も当時16歳の現役高校生。若いのに儚げな声と歌い方で翳りのある雰囲気を出していたが、なんと平尾昌晃氏と交際し、3年後に結婚して芸能活動を終えている。

1位『あかね雲・つむぎ唄』(新必殺仕置人)
 2曲ともいい。ずばり歌唱力の勝利。声の伸び方がすごい。主題歌に小学生を起用するのは『熱中時代』の『ぼくの先生はフィーバー』に先んじること2年。川田ともこはこのままいけば天才だったが、現在活動していないのは残念至極である。演歌歌手の大御所になっていても不思議ではないが、才能だけではなく運の作用も強いのが芸能界の厳しいところか。

 こうやってみると、意外なほど前期の作品が多いことに気づく。後期必殺の主題歌は『一瞬(ひととき)の愛』だけ。ということは、純粋に歌の評価というより、作品に対する好みも影響しているのかもしれない。1位と2位は、作品自体の順位も同じだし。
 実際、『夢ん中』や『風の旅人』などすぐれた曲は他にも多々ある。後期の作品の主題歌も、三田村邦彦の『想い出の糸車』や『自惚れ』を「レコード」で持っていた筆者である。
 それにしても、平尾昌晃が作曲の担当で本当によかった。『私の城下町』『瀬戸の花嫁』『カナダからの手紙』、アニメでも『銀河鉄道999』や『宇宙空母ブルーノア』などを作曲している平尾氏が、『必殺を斬る!』のインタビューで、必殺シリーズの作曲が自身のライフワークだと語っていたが、それもファンにとっては嬉しい話である。



2014.11.28

第百三十六回 必殺主題歌ベスト10(前編) 

 すべては平尾昌晃のおかげである。なにがって、必殺シリーズのBGMが充実している点だ。ファンはどれだけ、そのBGMに心を揺さぶられたことだろう。
 筆者などは高校生の頃からLPレコードでサントラを持っていたし、今でも必殺BGMのCDを全15タイトルそろえている。
 今回は、その主題歌のベストテンを選出する。もちろん筆者の主観であり、独断であり、必殺を知らない人にとってはまったく興味のないネタであることは承知の上である。
 まずは、10位から6位まで。

10位『荒野の果てに』(必殺仕掛人)
 名曲であることは疑いない。にしては、なぜ10位なのかというと、やはり使い回されていることが影響しているように思う。後期のスペシャルでも映画でも、この曲のインストルメンタルがとにかく「殺しのテーマ」に使われすぎてしまった。が、やはり曲も歌詞もよくて、今でも新しく感じるほどだ。

  9位『望郷の旅』(助け人走る)
 アップテンポでメロディーラインの変化に富んだ、いかにも平尾昌晃らしい曲。必殺では主題歌のインストルメンタルが殺しのテーマになることが多いが、これなどはそのままアレンジなしで使える。

8位『一瞬の愛』(必殺渡し人)  鏡研ぎ師の惣太役でレギュラー出演している中村雅俊の歌。例によって唇をすぼませるように歌っている。せつない歌詞が、最終回での妻との結末を暗示するかのようである。ちなみに著作権の関係なのか、この歌だけサントラのCDに収録されていないのが残念。中村雅俊のCDを買うしかない。

7位『哀愁』(必殺仕置屋稼業)
 演歌調なのに、どことなく洗練されていて斬新。歌唱力自体は他の歌手に比べてそれほど上回っているとは思えないが、エンディングの映像と合わせて聴くと、放映当時の世の中の空気のようなものを感じさせる。現在では、けっして制作されないメロディーである。

6位『西陽の当たる部屋』(必殺仕業人)
 主題歌ではなく挿入歌。第一話の冒頭、小雪の舞い散る夜更けの路地裏で、中村主水と赤井剣之介(中村敦夫)が初めて出会う場面で流れる。ハードボイルド調の『仕業人』の作風に合った曲で、主題歌の『さざなみ』よりも渋く強力である。

 というわけで、次回は5位から1位まで。



2014.11.21

第百三十五回 衝撃の訃報 

芸能ネタが続いているが、今回ばかりは仕方がない。
 高倉健が亡くなったのだから。
 公表されたのが18日。死去されたのは10日だったという。享年83歳とのことで、年齢的には不思議ではないにしても、今後も活動を続けそうな人だったから突然の死は意外だった。年齢不詳の面影があるが、80をこえていたとは驚きである。
 出演した映画の本数、実に205本。これもびっくりだ。筆者は、健さんを一躍スターにしたという一連のヤクザ映画については、まったくといっていいほど知らないが、偏愛する作品としては、『駅 STATION』がある。ほかにも『八甲田山』や『海峡』といった骨太な作品が好みである。
『駅 STATION』はテレビで初めて見て以来、もう20回以上は見ている。テレビ用にカットされていたシーンまで見たくて、市販のDVDも買ったぐらいだ。何度見ても飽きない。
 脚本は倉本聰。北海道を舞台にした不器用な刑事の物語なのである。
 昔気質な面のある三上英次(高倉健)は、警察の先輩(大滝修治)が射殺される現場に居合わせてしまう。犯人(室田日出男)は指名手配中の凶悪犯であり、逃亡の車を検閲中、目の前で撃たれたのだ。
 物語は三つのパートに分かれて進められるが、その三つ目の「1979年 桐子」の話で、北海道は増毛の小さな居酒屋を経営する女性・桐子(倍賞智恵子)との、つかの間の恋愛が描かれている。正月に故郷の雄冬に帰省する予定が、荒天で連絡船が欠航になり、たまたま立ち寄った居酒屋が桐子の店だったのである。
 ここで、実生活では下戸の健さんが、実に美味そうにコップ酒を飲む。
 その日の昼間、三上は駅で桐子を見かけていた。戻ってこない誰かを待っているようなそぶりが印象に残っていたのだ。急速に深い仲になる二人だったが、初詣の帰り、桐子の待っていた男が帰ってきた。
 気を利かせて立ち去る三上。だが、その男は、かつて先輩を射殺し、いまだ逃亡中の指名手配犯だった。それを知った時、三上はある過激な行動に出る。
 かつてオリンピックの代表に選ばれるほどの射撃の名手だった三上だが、警察官としての仕事に疲れ、辞職を決意し、故郷での仕事を求めて帰省していた。
 だが、器用な男ではない三上は、自分が警察官以外の生き方ができないことを悟り、電車を待つあいだ、増毛駅の待合室のストーブで辞表を燃やす。そして流れる『舟唄』が泣かせる。
 映像作品において、音楽の力は非常に大きい。倉本聰はおそらくそれを熟知し、この映画で紅白歌合戦まで用いて、八代亜紀の『舟唄』を流したのだろう。
 ちなみに、この映画の音楽は宇崎竜童が担当し、作中でも健さんにからんでボコられるチンピラの役で出演している。それが本当に軽薄なチンピラそのもので、オープニングに流れる美しいテーマ曲を「こいつが作曲したなんて」と思ってしまうのも、音楽・演技ともに才能にあふれているゆえである。



2014.11.14

第百三十四回 「屋根の男」有用 

 ジョディ・フォスター、吉永小百合、ときて、次はどんな美しい女優が登場するのかと思えば、「マキ」である。
 マキって誰だ。後藤真希か、堀北真希か、あるいはカルメン・マキか。女子柔道の塚田真希選手か。はたまた梶原一騎氏の実弟・真樹日佐夫先生か。そもそも何マキなんだ。名字か名前か、どっちだ。
 筆者も知らない。なぜなら、ただ「マキ」としか表示されていないから(ここまでの時点でピンとくるのは、江口師範だけだと思う)。
 男性であることは間違いない。肥満体で、細目で、しかも服を着ているところを見たことがない。いつも赤ふんどしをしめて、往来の上に張り渡された板に腰かけ、なぜか釣り竿を垂らしている怪人。そう、『新必殺仕置人』に登場する謎のキャラクター「屋根の男」なのだ。
 この男、なぜか中盤からレギュラー入りし、毎回ストーリーとは関係なしに、頓珍漢な一言を口にするギャグ担当なのである。
 たとえば正八がガールフレンドに平手打ちされたタイミングで、なぜかこの男が「痛~い」。
 雷鳴が轟き、豪雨が降る中、相変わらず釣り竿を握ったまま「暑い、冷たい、寒い~」。
 なぜかチャボを抱いて池の縁に腰かけていて、たまたま殺人の現場を目撃してしまい、「死んだ~」とつぶやくと、なぜかそのまま前のめりになって、池にザブン(爆笑必至)。
 それまでの経緯を知らないくせに「そして三年」と、ナレーション役を果たしたこともある。
 極めつけは鉄(山崎努)とのブランコだ。懸想する女性(大関優子=今の佳那晃子)とのブランコを妄想する鉄が、現実には「屋根の男」と並び、同じ赤い腰巻き姿になって屋根に腰かけている。しかも意気投合している。
 だが、最高に笑えるのは『幽霊無用』の回での全裸釣り竿である。幽霊が出たと慌てふためき、上から赤い布が落ちてきてさらに怖がりながら巳代松の長屋に駆け込んだ正八。巳代松が「おい。あれ」と上を指さすのを見れば、「屋根の男」が隣家の瓦屋根の上に立って一糸まとわぬ真っ裸(両手がちょうど股間を隠す位置に来ている)で釣り竿を上げ下げしているのである。正八も「あら~」と失笑。巳代松も素で笑っている。
 屋根の男とのかけ合いがもっとも多いのが正八(火野正平)で、次が鉄、巳代松や中村主水はあまりこの男に関心がないらしい。
 中盤あたりから登場した理由のひとつは、ふんどし一丁の裸ということもあるだろう。現に、秋口の放映となった回では、いつも関西弁なのに「寒いよ。もう耐えられないよ」となぜか標準語で言っている(今回「なぜか」が多いが、それほど謎の男なのである)。
 でも、それ以上に、たぶんスタッフの思いつきだったのではないかと思う。というのは、このマキ、正規の俳優ではなく、火野正平のマネージャーらしいのだ。変な顔だし、キャラが立っているから「いっそ登場させるか」ということになったのではないか。遊び心が満載の作品なので、それくらいのノリは普通にあるように思える。
 ちなみに、最終回のこの男の出演シーンも傑作である。「釣れた!」と言う。ハリのない竿でとうとう何かが釣れる。そして、長らく謎だった正体がついに判明するのである。



2014.11.6

第百三十三回 吉永小百合もすごい 

驚くべし。一夜にして国分寺駅北口が様変わりしているではないか。
 ずいぶん前から中央部が遮蔽されたままだったので、このまま半永久的に、たとえば「ベルリンの壁」がそうだったように、来世紀まで変わらないだろうと思っていたので、意表を突かれた。すでに階段は存在感をなくし、幅の広い通路が、文字どおり「幅を利かして」いる。
 そう。存在感がない、といえば、筆者だ。なんのことかって、その場にいてもあまり気づかれないことが、たまにあるのだ。道場でストレッチなどをしていても、後輩が挨拶もせず、目の前を素通りしていくことも珍しくないのである。
 それが不満なのではなく、むしろ目立たないことを願っている。高校生のころ、授業中に「気配を消す」ことを志していた時期があったので、その名残りか。あるいは、外見に特徴がないからか。どっちにしろ目立たなくていいのである。
 だが、俳優なら、この存在感が重要になってくる。顔がいい、スタイルがいい、というだけでは通じない世界だからして、アイドルやモデルにもいえるが、役者にとってはなおさら、演技力とならぶ絶対条件だろう。
 女優に関して、「なにか演技しなくても、画面に出ているだけでいい」と言えば、世の一部の女性たちに叱責されるだろうか。
 でも、さゆりすと(吉永小百合のファン)の立場で彼女の出演作を観ていると、そんなふうにも思えてくる。これも存在感の強さゆえである。
 もとより、吉永小百合の出演作品は膨大な数にのぼっていて、若い時期は年間10本以上も映画に出ている。テレビ番組ではなく、映画での出演で、多い年では16本にもなっているから驚きだ。一カ月に一本以上だなんて、とんでもない。
 それほどのハイペースだと、一作ごとに入魂の役作りはできないだろう(と、かばう)。結果として自然体の演技になるのは必然だと思う。
 そして、その過密スケジュールのわりに、吉永小百合は痩せていない。太ってはいないが、顔などぽっちゃりしている。
 それが新鮮なのは、最近の女優さんたちが、へんな痩せ方をしているように思えるからだ。自然に痩せているのならいいが、あごから首の辺りが筋張っていて、なんだか「無理なダイエットの結果」という感じがする。美しいという前に、どうも痛々しく見える。
 いつも恋人役などで共演している浜田光夫も、さわやかで飾り気がなく、今はあまりいないタイプの俳優である。冷戦の真っ只中で世界情勢は緊迫していたころだが、日本の映画界はほのぼのした雰囲気だったようだ。
 内容のほかに新鮮で興味深いのは、当時の東京の風景である。
 チャップリンの映画、たぶん『キッド』か『ライムライト』などで、90年以上前のロンドンの風景を見たが、これがまた驚くほど汚いのだ。モノクロの印象や撮影した場所にもよるのだろうが、それにしても……と思った。
 吉永小百合の初期の作品でも、50年以上前の東京の町並みを見ることができる。広くて、すっきりしていて、現在とはまったく異なっている。まるで去年と今年の国分寺北口のように。



2014.10.31

第百三十二回 ジョディ・フォスターはすごい 

 以前このブログで、ロバート・デ・ニーロのことを書いた。その神がかった演技力と鬼気迫る役づくりから、筆者のもっとも好きな俳優であると。
 ハリウッドは、やはり役者を生む土壌が肥えていいて、キラ星のごときスターが群れ集っている。女優でいえば、一流がひしめく中でもひときわ光る演技力の持ち主が、ジョディ・フォスターだろう。
 筆者は、かつてジョディ・フォスターの出演作と聞けば映画館に足を運び、気に入った作品はDVDを買っていた。一種の追っかけだが、演技派が好きなのかもしれない。
 演技の質の分類でいうなら、彼女は憑依型ではないように思える。
 すなわち憑きもののごとく役になりきってしまうような、日本でいうなら大竹しのぶのようなタイプではなくて、どんな役を演じていても、ごく自然にジョディ・フォスターという強烈な「個」があって、そこから外れることがないように思えるのだ。ちなみに、デ・ニーロは憑依型かもしれない。
 ただ、『パニック・ルーム』にしても、『ブレイブ・ワン』や『フライトプラン』にしても、果断な行動力をもつ女性の役が多く、それが彼女自身のキャラクターに合っているように見受けられる。
 加えて、知性的である。来日したときの会見などでは、インタビューアーの質問が終わりきらないうちから返答することが多かったという。頭の回転が早いのだろう。
 その両方の要素を合わせて演じたのが、一筋縄ではいかない女弁護士の役で出演した『インサイド・マン』だろうか。
 初の監督作品『リトルマン・テイト』では、ウエイトレスをして一人息子を養っている母子家庭の母親役だった。いささか粗野で、天才児の母親ながら教養がない、という役柄だったが、どうしても知性が出てしまっていた。
 ビジュアル的には、FBI候補生クラリスを演じた『羊たちの沈黙』のころが一番美しかったように思う。これは原作もすばらしく、映画もカンペキという作品で、アンソニー・ホプキンズ演じる天才心理学者にして食人犯罪者ハンニバル・レクターとのかけ合いが緊張感あふれていた。
 その続編『ハンニバル』も、当然クラリスの役をジョディ・フォスターが演じるものと思いこんで映画を観に行ったのだが……まさかキャストが変わっていたとは! 映画自体はよかったが、クラリス=ジョディ・フォスター、レクター博士=アンソニー・ホプキンズという配役が見事だと思っていたので、キャスティングでこれほどガッカリしたことはない。
 脚本(内容)があまりにえげつないので引き受けなかったというから、潔癖な一面もあるらしい。そんな理由で断られてしまう『ハンニバル』の原作も、筆者は傑作だと思うが、たしかに、まあグロテスクで、やりすぎ感はある。
 それはともかく、ジョディ・フォスターは十四歳のころに、『タクシー・ドライバー』で、かのロバート・デ・ニーロと夢の共演を果たしている。でも、それっきりだ。もう一度実現しないだろうか、その黄金コンビの共演が。



2014.10.24

第百三十一回 日野日出志のあやしい世界 

本やマンガは、現実の空間にぽっかりとあいた異世界への入口だ。ページを開けば、そこには日常とかけ離れた世界が、四角い枠の中に存在している。
 筆者は小学生のころ、友だちの部屋で、ときには書店の一隅で、地獄を見た。
 日野日出志。この強烈な個性を放つホラー漫画家を、今はどれほどの人がご存じだろう。
 いや~、強烈だった。いつの時代でも子どもは怖いマンガが好きで、筆者たちもいろんな作者のマンガ本を読んだが、日野日出志は別格だったといえる。
 けた違いの破壊力。もう、ダントツで怖い。絵からして怖い。
 絵柄は、たしかにグロテスクである。でも、それだけじゃない。気持ち悪さの中に、美しさと、そしてもの悲しさがある。不思議な作品なのだ。
 いくつもの日野作品に、共通して描かれている光景。それは煙突の立ち並ぶ工場の街で、孤独な少年がドブ川をながめている場面である。
 煤煙を吐きつづけるオバケのような煙突の群れ。暗くて赤い不吉な空。日々その色を変えるドブ川には、こわれたオモチャや木片や犬の死骸など、雑多なものが浮かび、ひしめき合っている。少年は川べりにしゃがみ、眼球が垂れてウジのたかった犬の死骸を、棒の先でもの憂げにつついている。
 作者の原風景なのだろうか。不気味だが、もの淋しくて悲しい光景である。
 そして始まる恐ろしい物語。日野日出志は、子どもの読者が相手でも、余計な配慮をしない。読んでいると、同い年ぐらいの小学生がバンバン死んでいく。梅図かずおの『漂流教室』もそうだが、これが怖かった。
 大人から見れば、いたいけな子どもが犠牲になるマンガなんて有害図書だ、と思うものだが、なんせ読者は子どもである。子どもが読んだときに、大人しか死なないように配慮されたマンガなど、身近に迫ってくる恐怖がない。
 実際、書店で『恐怖列車』という作品を立ち読みした時は、しばし呆然として、家に帰るのをためらう気持ちになっていた。冬で、外はもう暗くなっており、怖いことしきりだったことを今でも覚えている。
 そして子どもの心理の面白いところは、日野作品にトラウマを覚えるほどの恐怖を感じていたくせに、一方でマイルドに配慮された作品を歯牙にもかけず、バカにしたところである。
 媚びている、という作者や編集サイドの意図を見ぬき、鼻白んでしまうのだ。
 今にして思えば、子どものころの筆者は、日野作品を通して「世の中の不条理」を眼前に突きつけられ、その救いのなさと悲しさにショックを受けていたのかもしれない。
 マイルドに配慮された作品には、不条理による「真理」が描かれていなかった。だから、物語として弱かった。
 と書いているうちに、また日野日出志のマンガを読みたくなってきた。
『地獄の子守歌』『蔵六の奇病』『赤い蛇』『毒虫小僧』といった作品は復刊されていて、今でも読むことができるが、『まだらの卵』や『幻色の孤島』が手に入らないのは淋しい。紙のマンガ本での復刊を願うばかりである。



2014.10.17

第百三十回 全日本を観戦する意味 

今年も東京体育館で極真の全日本選手権が開催される季節となった。筆者は仕事と重ならないかぎり基本的に毎年観戦することにしている。
「わざわざ会場まで行かなくても、テレビで放映するんだから、それを観ていれば十分」
 とは思わない。まったく違うからだ。たとえて言うなら、音楽をCDで聴くのとコンサートで聴くほどの差である。収録され、編集されたもの、すなわち再生産されたものを部屋で鑑賞するのではなく、効果音もBGMもない観衆のざわめきの中で、選手たちと、時間と空間を共有することの迫真性がある。
 ちなみに筆者の観戦歴は古く、(毎年かならず見続けたわけではないが)はるか前の大会も観たことがある。
 たとえば、第五回世界大会。アンディ・フグも大山総裁もご存命だったことを思えば、もう大昔といえるかもしれない。
 そのころの筆者は、東京体育館に向かう電車の中で、ほかの乗客に対して「この人たちは世界大会を観に行かないのだろうか。ほかに何を観るというんだろう」などと思っていた。今は筆者よりもアジアジのほうが熱心で、観戦中は飲食すら拒むほどだ。
 第五回世界大会といえば、優勝候補だったアンディ・フグが、無名の選手を相手にやたらと苦戦していた。と思ったら、なんと、相手の上段廻し蹴りで一本負けしてしまった。
 膝から崩れ落ちるように倒れ、起きあがらなかったのだ。
 優勝候補がまさかのKO負け。もう会場は騒然である。筆者もいっしょに観ていたメンバーとパンフレットを繰って、相手の名前を確認した。
「誰だよ。聞いたことないなあ、フランシスコ・フィリォなんて」
 格闘技の歴史のページが、ぱらりと音を立ててめくられた瞬間だろう。
 この第五回世界大会というのは、記録的なまでに派手な大会で、岩崎達也選手とジャン・リビエール選手(カナダ)による、後ろ廻し蹴りのクロスカウンターという信じられないKO劇もあった。また、大山総裁の最後の演武も観ることができた。
 とにかく、会場で観るということは、その現場に立ち会うということなのだ。
 師範がおっしゃるように「最高の技術を見て勉強する」という効果に加えて、筆者などからすると、「人」を見るという意味もあるように思う。
 ボクシングなどに関しても言えるかもしれないが、観客は試合展開よりも、選手が見たいのである。もっと言うなら、「人」というより、「生きざま」が見たいのだ。
 筆者は江口師範の試合も生で観たことがある。目が釘付けになるほど壮絶な戦いぶりで、正直、心が震えたものだ。その結果、いま国分寺道場にいることを考えれば、テレビではなく会場で観戦したことは、運命的ですらある。
 くり返すが、テレビ局の人の主観によってカットされ、編集された映像を観るのと、会場で観るのは同じではない。別物と言っていい。
 新しく入門したばかりで、まだ一度も試合を観たことのない方は、この機会にぜひ会場に足を運ぶことをお勧めしたい。自分もその場にいて、日ごろ教わっている先輩や先生の試合を見とどけ、運命的な経験をしてほしいと思う。
 


2014.10.10

第百二十九回 晩飯と学力の関係 

中学受験をすると決めたら、小学生の子どもだって大変だ。塾のある日は、家でゆっくりと晩ごはんを食べることができない。
 平日なら、みんな学校が終わってから塾に来る。授業が終わるまで何も食べないとお腹がすいてしまうから、コマとコマのあいだの休み時間に、お弁当を食べるのである。
 最初は、それがかわいそうだと思った。
 よそいたてのホカホカご飯じゃないし、温かいみそ汁もない。せま苦しく机を並べた教室で、固いイスに腰かけて、団欒もなく、短い休み時間のうちに食べておかないといけないのである。受験なんかしなけりゃ家でお母さんといっしょに食べられるのにな、と思っていた。
 ところが、子どもたち自身は、それが別にイヤではないらしい。当たり前だと思っているので、平気で楽しそうに食べている。
 ほとんどの子は、お母さんが届けてくれたお弁当を食べる。作りたてで、まだ温かさの残る愛情のこもったお弁当である。
 でも、中には、そうでない子もいる。
「先生は今日の晩ごはん、なに?」
 ときいてきた子がいた。小5の女子だった。
「先生は帰ってから食べるよ」
 と言って見ると、その子の「お弁当」は、コンビニの袋に入ったロールパンだった。
 ロールパンが一個……。
 小5の女の子の晩ごはんとしては、あまりにわびしすぎないか。
 本人は平気なのだろうか。平気なわけがない。わびしさを感じていなければ、「先生の晩ごはんは、なに?」と、きくはずがないと思う。
 それほどひどくはなくても、コンビニの弁当やファーストフードの配達といった晩飯もある。カロリーが高いから、子どもにとっては、それなりに食べごたえがあるかもしれない。
 でも、気づいたのは、お弁当の充実度と学力が意外に関係している、ということだ。
 ロールパンの子は、性格はやさしくて素直だったが、やや素行にだらしないところがあり、成績といえば底辺だった。コンビニやファーストフードの子たちも似たような傾向にある。
 学力にかぎったことではなく、行動や集中力にも差が見受けられる。ひと様の弁当を観察するのもなんだが、あらためて見てみると、きちんとしている子は、栄養のバランスが考えられた手の込んだオカズを作ってもらっているのだ。
 これだけのデータで関係性を断定してしまうのは、いささか乱暴にすぎるだろう。関係があるとしても、栄養が脳に回っての結果というよりは、親の意識の問題ではないかと思う。
 子どもを通して親の姿が見えるのである。それも、実によく見える。わが子の食に無頓着な親は、ほかのことにも鈍感なのだ。そういう親のもとで育っていれば、例外はあるにしても、子どもの言動だって影響を受けるにちがいない。
 似たようなことが、キラキラネームを含む、どう読めばいいのかわからない名前の子にもいえるのだが、この話はまた別の機会に。



2014.10.3

第百二十八回 理科室のメロディ 

学校の教室の中で、理科室は他の教室とは明らかに異なる怪しげな雰囲気を醸し出している。いわば異空間といおうか。骨格標本や人体模型、厚手のガラス瓶の中で、ホルマリンに漬けられて白っぽくなった不気味な生物たち。
 かすかに薬品のにおいが漂う静謐な空間に、沈黙をもって並ぶ試験管やビーカー、フラスコといったガラス製の実験器具は、その個性的な形状が魅惑的で、たとえばフラスコの底の形にどんな意味があるのだろうと思い、使ってみたくて仕方なかった。
 筆者は子どものころ、学校の授業の中で理科と図工が好きだったが、理科が好きな理由は、もちろん実験できるからである。子どもの身で、科学者にでもなったかのように実験に必要な器具が使えるのだから、他の科目とはわけがちがう。
 小学4年生の冬、理科の実験で、試験管を用いてアイスキャンディーを作った。試験管そのままの円筒形をしたオレンジ色のアイスキャンディーは、衛生面はともかく、できた喜びに加えて、授業中にそんなものを食べられるだけで感激だった。
 だが実験の中には、解剖も入る。中2年の時には、班ごとに分かれてカエルの解剖をおこなった。方法は意外に原始的で、まずカエルの頭をクギで殴打して気絶させるという。
 誰もがやりたがらないそのイヤな役を、筆者がさせられた。
 が、叩くといってもどれぐらいの強さで打てばいいのかわからず、加減してしまった。性格の甘さとしか言いようがない。なんとなく、かわいそうになったのである。
 これが災いして、なんと腹を割いている最中にカエルが暴れだした。叩くのが弱かったせいで気絶から覚めたのだ、と先生に言われ、なんとも後味の悪い解剖となった。
 同じ中2の時の実験で、ヒトの口内の粘膜細胞を顕微鏡で観察する、というのもあった。
 当然、班の中から、誰かが細胞を提供しなければならない。
 筆者が選ばれた(いつもこうだ)。細胞を取るといっても、ガラス棒の先で頬の内側を軽くこするだけなので、痛くも何ともない。
 顕微鏡をのぞいてみると、クラゲみたいなプヨプヨした○がいくつも見られた。
 それを見た班の奴ら、とくに女子連中が「やだー、なにこれー」とか、「気持ちわるー」といった遠慮のない感想を、やたらと連発する。
「お前らにもあるやろがー!」「あんただけとちがうの」と不毛のやり取りを経て実験は終わったが、結局なんのための実験だったのかはよくわからない。
 高校の時には硫酸も使った。これもどんな内容だったかは忘れたが、「硫酸」という言葉自体が刺激的で、緊張感をもたらすものだ。
「おお、硫酸だよぉ」と思いながら作業しつつ、「なんか指がベトベトする」と言ったら、となりの子に「それ、皮が溶けてるんじゃない?」と言われ、あわてて手を洗った。
 アルコールランプを使っていて火炎が縦に伸びまくってしまったこともあるし、実験というのはどうやら失敗したもののほうが記憶に残っているようである。
 ちなみに今回のサブタイトルは、アラン・ドロンとジャン・ギャバンの共演作『地下室のメロディ』をもじっただけで、それ以外の意味はまったくない。



2014.9.26

第百二十七回 破壊神復活 

いささか時期をのがしたネタだが、今年の夏に公開された『GODZILLA』、つまりハリウッド版の『ゴジラ』の出来は、いかがなものだろう。まだ上映されているようだが、たぶんこのまま観に行けないと思う。でも気にはなっているのだ。
 今回の『GODZILLA』は重量感を感じさせる動きだが、ハリウッド版といえば、過去にもニワトリのように跳ね回る軽快なゴジラが製作されている。筆者はずっと前に、テレビの洋画劇場でクライマックスのあたりを観ただけだが、あれじゃ『ジュラシック・パーク』のTレックスと変わらないな、と思った。
 スピーディーにすればいいわけじゃない。ゾンビだって、あの遅さが持ち味なのである。大勢でわらわら出現して、すき間をかいくぐって逃げなきゃいけない、あるいは油断しているといつのまにか間近に迫っている、というのが怖いのだ。
 ちなみに、記念すべきシリーズ一作目、世界の映画監督に影響を与えた最初の『ゴジラ』を、筆者は市販のVHSでもっているが、これがまた、心が痛くなるというか、何度も観られないほど重い映画なのである。
 1954年(昭和33年)の制作だから、フィルムは白黒だし、CGを駆使した現在の映像からくらべると、特撮技術はたしかに劣っている。ゴジラが吐く放射能光線も、後年の作品なら白みがかった鮮やかなブルーだが、1作目のは蒸気か煙の噴射といった感じで、それ自体の迫力は乏しい。
 だが、怖いのだ。なにがって「炎」が。
 ゴジラの放射能光線にふれて、めらめらと燃えあがっていく木造家屋。逃げまどう群衆。それが異様な迫力を帯びているのは、スタッフの中に、まだ空襲の記憶が生々しく残っていたからだろうか。モノクロのうえ特撮技術もすぐれているとは言えないのに、およそ「炎」がこれほど恐ろしくフィルムに投影されている映画を、筆者は他に観たことがない。
 おそらくは父を戦争でなくしたのだろう、逃げまどう群衆の中で、「もうすぐお父さんのところへ行くのよ」と、幼い娘に語る母の姿もあり、「えっ、この母子も火炎の中で死んじゃうの?」とショックを受ける。
 後年の、ゴジラが子どもの味方のようになった軟弱なシリーズを観なれていた立場からすると、ゴジラがひどく残酷に思えるのである。
 しかし、ゴジラは「核兵器」の象徴なのだから、残酷なのは当然ともいえる。
 水爆実験で眠りから覚まされ、びらびらの背中やゴワゴワの皮膚も、あれは被爆によるものというではないか。なるほど核兵器なら殺戮は無差別であり、小学生だろうが赤ん坊だろうが見境はないはずだ。
 1作目は、そのゴジラ自身の最期も無惨だったし、一件落着した後も「人類が水爆実験をやめなければ、第二第三のゴジラが現れないと、どうして言いきれるんだ」と主要登場人物が苦悩し、あながちハッピーエンドとも言いきれない、苦い後味を残す終わり方だった。
 さて、今回の新作『GODZILLA』だが……。シリーズの根幹をなす反核というテーマが、核保有国であるアメリカの製作でどう処理されているのか、気になるところである。



2014.9.19

第百二十六回 信用できる情報はどこに 

 まずは、訂正から。第116回「恐るべし、国分寺常連軍団!」で書いたカナイズム氏のことだが、先日ご本人から「師範のスパーリング・パートナーなんて務まりません」という旨の話があった。
 たしかに、これは筆者の筆が滑ったといえるかもしれない。身近に指導を受けていながら、江口師範の強さを正しく認識することなど、できないのだから。最近になって師範の身体能力に関するとんでもない事実を知ったのだが、それも一端にすぎないし、格闘の強さとなると我々が想像できるレベルの上限を超えているはずである。
 たとえば、5階の加圧トレーニングの部屋で一本歯の下駄を見たことがあるが、ああいうものをいったい誰が履くのか、ということである。天狗さまの履き物ではないか……。
 そんなわけで、116回の記述は筆者の筆の誤りだったとして訂正させていただきます。
 出版物なら、校閲といって内容の真偽をチェックする専門の機関があり、編集者と校閲で赤ペンを入れ、もちろん著者自身も校正したうえで刊行されるのだが、それを経ていないウェブ上の情報など、かように心許ないもの。
 筆者は、自分の生徒たちに「新聞やテレビの情報だって、なにが正しいかわからないんだから、鵜呑みにしちゃいけない」と話している。かの朝日新聞の社長だって、東電の吉田文書について先日謝罪したばかりである(従軍慰安婦に関してはどーなんだよ……?)。
 朝日といえば不祥事続きだが、ずいぶん前も、サンゴに「K・Y」とイニシャルが彫られている写真とともに、「こんな非常識なことを誰がやったのか!」という旨の記事が掲載されたことがあった。後日、朝日の記者がその犯人だったことが判明。自分でネタ作りにやったのだ。
 筆者もまだ若く、純粋に新聞やテレビの情報を信用していたころだったので、「なるほど、そういうものなのか」と軽度のカルチャーショックを受けたことを覚えている。
 こうなると、流行語になった「空気読めない」の「K・Y」は、朝日が広めた造語ではないかと勘繰ってしまう。ようするに、検索しても、その恥さらしな事件が簡単に出てこないようにするための策略ではないか、とさえ思うのである(なんだか朝日新聞の悪口になってきた)。
 また『朝まで生テレビ』という番組があり、これも一時期は見ていたのだが、湾岸戦争で地上戦が勃発した時の回で、女性のアシスタントがすごい迷言を吐いた。
 冒頭、司会の田原総一郎が「とうとう地上戦が始まりましたね」と言ったのに対し、「ええ、面白くなってきましたね」と、思わず本音を口にしてしまったのである。
 筆者はテレビの前で吹きだした。
 ことは現実の戦争である。人が死んでいる。録画していないから記憶に頼るしかないが、田原氏はあわてて「そんなこと言っちゃいけませんよ」みたいなことを言っていたと思う。
 もちろんフォローのしようがない。普通ならカットされるところだが、生放送だったから、それが全国に流れてしまった。この番組もテレビ朝日で、今でもやっているらしい。
 必殺シリーズもテレ朝なので、あまり悪口は言いたくないが、「収録の現場なんて、こんなもんなんだな」ということはわかった。
 天下の大新聞やテレビでも、こうなのだ。ましてや氏村の発信する情報なんて……。



2014.9.12

第百二十五回 エルトゥールル号事件とは 

 9月といえば台風の季節である。
 この時期は海難事故が多い。洞爺丸の沈没は1954年9月26日。津軽海峡など、地図の上ではわずかな距離にしか見えないのに、死者1000名をこす日本最大の海難事故となった。
 洞爺丸は有名だが、エルトゥールル号事件となると、知っている読者は少数派だろうか。
 時に、西暦1890年9月16日、トルコ(オスマン・トルコ)の軍艦エルトゥールル号が、和歌山県の串本で遭難したのである(また紀州ネタか)。
 岸壁にたどり着いて助かった乗組員は70名近く。その際、地元の人々が、誰に命令されたわけでもなく衣類や食料を分け与え、台風の影響で自分たちの食べ物も十分ではなかったのに、非常時のために飼っていた鶏まで惜しまず提供するなどして、不眠不休で彼らを助けた。
 寄付金も集まり、明治天皇の即断で、遭難者を二隻の軍艦に乗せてトルコまで送り届けたのだが、この時、日本人に手厚く救護されたことを、助かった人たちが話し、トルコの小学校の教科書などにも載せられて広まったという。
 地理的にロシアに隣接するトルコは、帝政時代のロシアから圧迫されており、同じく南下を懸念する日本に、もともと親近感を抱いていた。
 ところにエルトゥールル号事件。さらに1904年、日露戦争における日本の勝利である。
 この時のトルコでの盛りあがりは空前絶後だったという。日本海軍提督、東郷平八郎の名をとって、生まれた赤ん坊を「トーゴ―」、道路も「トーゴー通り」と名づけられたほど。
 筆者の知人で、よくトルコに旅行する人がいるのだが、現在でも日本人とわかるだけで優遇されるほどの親日ぶりであるらしい。教育の力は大きいと、つくづく思う。
 さて、エルトゥールル号事件には、知る人ぞ知る後日談がある。
 1985年、イラン・イラク戦争のおり、当時のフセイン大統領が、「今から48時間後にイランの上空を飛ぶものは、鳥でも撃ち落とす」と宣言。イランに駐在している各国の外国人は、ただちに自国の空軍機によって救出されたが、当時の日本は自衛隊の海外派遣が認められず、あーだこーだと例によって議論がまとまらないうちにタイムリミットは迫りつつあった。
 その時、トルコ航空が動いたのである。200人以上の在留日本人を乗せて、トルコの航空機がイランを飛び立ったのは、フセインが宣告した時刻のわずか1時間ほど前だった。
 イランからトルコまでは陸続きで行けるので、自国民の救出には車を使い、航空機での脱出は日本人を優先してくれたのである。
 余談だが、エルトゥールル号事件の4年前にあたる1886年には、奇しくも和歌山の串本沖で、社会の教科書などにも載っている、あのノルマントン号事件が起こっている。イギリス人の船長をはじめ乗組員たちが我先にと脱出し、日本人の乗客が残されて全員死亡したという、日本にとっては憤懣やるかたない、イギリスにとってはこのうえなく恥さらしな事件である(それにしても、串本の沖って、海の難所なのだろうか)。
 ちなみに今回のネタは、実は4月に書こうとしていたのだが、その矢先に韓国から悲劇的な海難事故のニュースが飛び込んできたため、自粛した。が、もう5ヶ月近くもたっているし、ちょうど台風の季節なので書いた。



2014.9.4

第百二十四回 もしもこんな江戸時代があったら 

 筆者の本棚には、ザ・テレビジョン文庫より発行の『必殺シリーズ完全豆知識』なる書籍が上下巻で並んでいるが、その下巻68、69ページの見開きに、「これが仕切人当時の江戸の街だ」と書かれて、異様な光景がふんだんに描かれている。
 どう見ても古代エジプトの遺跡としか思えない外観の「秘羅密度」「須府印玖須」、これらをどう読むかはお任せするとして、作中では、それが江戸郊外に普通に建っており、謎の女性「クレオバ・とら」まで出てくる(第3話『もしもお江戸にピラミッドがあったら』)。
 つづく第4話では「狼男」。ハングライダーで空を飛ぶ「鳥人間大会」(第5話)。
 第8話『もしも密林の王者が現れたら』では、ターザンならぬ「他左」が登場する。他左は、新仕置人で死神に抹殺された阿藤海(快)。そして頼み人は、彼が飼っていた猿だ!
 第9話の「江戸城の菊」は、『ベルサイユのばら』をもじったものらしい。たしか当時『ベルばら』の作者のスキャンダルが話題になっていたはずだが、それを時事ネタを取り入れるというのも悪趣味な話である。
 第10話の『もしも超能力でしゃもじが曲がったら」は、もちろんスプーン曲げのパロディで、第11話では勘平を演じる芦屋雁之助に、持ち歌の「娘よ」を歌わせている。
 なんというか、時代劇なのに、もう何でもありなのだ。
 もともと必殺シリーズには、こういった無茶苦茶な悪ノリのきらいがあったが、ここまでくると、ちょっと度が過ぎているようで「たいがいにおしっ」と思ってしまう。
 そもそも各話のサブタイトルが、当時人気だったバラエティ番組『なるほど・ザ・ワールド』のエンディング「もしもタヌキが世界にいたら」のもじりであることは、第1話『もしも大奥に狸がいたら』の時点で明らかだ。
 それが面白いと思ってるのか~、と言いたくなる(にもかかわらず全話観てしまったが)。
 シリーズ第22作『必殺仕切人』とは、そういう作品なのだ。
 殺しの担当は、なんと五人もいる。『必殺仕掛人』などは梅安と左内の二人だけなのに、えらいちがいである。もっとも殺し屋(仕切人)の数が多いだけ面白いとは限らない。
 元締は、還暦を超えて、なお上品な色香を漂わす京マチ子(お国)、彼女を補佐するのが高橋悦史(龍之助)、この二人は『必殺仕舞人』以来のコンビである。
 加えて、仕事人Ⅳから続投の三味線屋の勇次、小野寺昭、芦屋雁之助がいるのだが、芦屋雁之助の殺し技が最低なのだ。プロレスのリングのようにわざわざロープを張りめぐらせて、ボヨーンボヨーンと相手を吹っ飛ばせてやっつけるという、『仕置屋稼業』の印玄に勝るとも劣らぬ必殺史上の最低技を発揮してくれる。
 ストーリー自体はけっこうシリアスな内容が多かったのに、白けるギャグが満載という、このギャップは何なのか、スタッフがどういう路線で制作したかったかわからない作品なのだ。
 さて、筆者はこの作品を受け入れるべきなのか。必殺マニアで知られる作家の京極夏彦氏は、シリーズすべて清濁併せのむ姿勢のようだが……。剣劇人ほどではなくても、筆者はそこまで寛容になれない。おそらく江口師範の評価も低いのではないかと思う。



2014.8.28

第百二十三回 道成寺の伝説 

読者には受けが悪いのではないかと思われる「紀州シリーズ」。
 前回は神社だったが、今回はお寺である。
 地元では髪が伸びる日本人形で有名な淡嶋神社よりも、道成寺のほうが全国的には知られているかもしれない。安珍と清姫の伝説で。
 美形の僧・安珍は修行のさまたげになると断って逃げているだけなのに、嫉妬に狂って彼を追いつめる清姫の執念がすさまじい。怒りのあまり蛇体と化し、日高川を自力で泳いでさかのぼり、道成寺で鐘の中に隠れた安珍を口から吐く炎で焼き殺してしまう。
 筆者は高校生のころ、遠足で道成寺へ行ったが(和歌山の高校は、遠足の行き先がシブイのだ)、その時に見た絵巻物語では、安珍の顔がのっぺりとした細目の面長で、それが級友の一人にそっくりだったので、皆で大いにウケていた。また絵巻の最後には、鐘から出され、黒こげになって横たわる安珍の無惨な姿も描かれていたような記憶がある。
 それにしても、安珍と清姫が逆の立場だったらどうだろう。男性の場合、それほどの行動に出るとは思えない。嫉妬の感情は、女性のほうが強いという傾向にあるのだろうか。
 お寺の人の説明で、清姫が日高川をさかのぼっていく姿には、鬼気迫るものがあり、長い黒髪をくねらせて川を泳いでいく様子が、上から見ると巨大な蛇に似ていたのではないだろうか、という話を聞いて、なるほどと思ったものだ。
 今では、日高川はホタルの見どころとして知られる平和な川である。お寺の境内も広々として、いかにものどかだった。701年に建てられたというから、とんでもなく古いお寺だが、山門につづく石段の前には土産物を売る屋台も並んでいて、安珍・清姫伝説は、観光の売りとなっているのであった。
 余談だが、山田風太郎の小説『魔界転生』では、この道成寺で柳生十兵衛と柳生如雲斎が対決し、釣り鐘に閉じ込められた如雲斎が、鐘の内側から刀を突き出すという離れ業を見せたりもする。
 さらに余談を述べると、筆者らはこの遠足の時、電車に乗って道成寺の最寄り駅まで移動したのだが、途中の停車駅で、向かいの座席に座っていた友人が窓から顔を出し、
「おい、少年隊が歩いてるぞ!」
 と真剣な顔でささやいた。若い読者は知らないかもしれないが、「少年隊」とは、当時人気の東山紀之を中心とする三人組のアイドルグループだった。
「マジか」と筆者も車窓から顔を出すと、黄色いヘルメットをかぶった路線工事のおじさんが、三人並んでプラットホームを歩いているのが見えた。もちろん、こっちだって最初から本気にしていない。こんなところをアイドルが普通に歩いているわけなどないのである。
 別の駅に停車した時、筆者もやり返した。
「おい、おにゃんこクラブが来てるぞ!」
 期待せずに外をのぞき見た友人は、プラットホームにたむろする老婆の集団を目にしたはずである。
 高校生のオスガキの会話など、しょせんこの程度なのだ。



2014.8.21

第百二十二回 淡嶋神社のミステリー 

8月に入ってから、紀州ネタがつづいている。
 今回もしかり。淡嶋神社の紹介である。
 仁徳天皇のころに始まるといわれる淡嶋神社は、和歌山市の北、加太の海べりにある。停車駅が八つばかり、和歌山市駅発なのに1時間に2本しか出ていないという、ローカル線もいいところの南海電鉄加太線の終着駅が加太である。
 案内所のおばさんがくれる地図にしたがって、昔ながらの面影を残す町並みを歩いていく。駄菓子屋や旅館などが軒を連ね、古い街道筋なので道ばたには江戸時代の道しるべまで現存する。濁った川の潮のにおいが強くなり、海が見えてくると、その手前が淡嶋神社だ。
 この神社、一風変わったことで有名である。
 2月の針供養、3月の雛流し。そして、人形供養だ。
 人形供養? 命あるものに対しておこなうからこそ供養なのに、人形という愛玩品を弔うというのも、考えてみれば奇妙な話ではないか。
 だが人は、ときに人間以外のものにも「人格」を認めることがある。
 動物の擬人化がそれだ。ネズミが出現すると、気持ち悪がったり怖がったりする女の子でも、それが人間らしい表情をして人語を解し、赤い吊りズボン姿で二本歩行をする、すなわちミッキーマウスなるものに変じれば、たちまち親しみが生じてくるというわけである。
 女の子たちは、ぬいぐるみや人形といった無生物にも人格を与え、さらには「友だち」として接することもある。
 それを笑うつもりはまったくない。豊かな想像力と感受性のなせる業だと思う。
 だが、愛着をもってかわいがっていたぬいぐるみや人形も、やがては損傷していく。どれだけ大切に扱っても、経年による劣化はまぬがれない。かならず別れの時がくる。
 その時、ほかのゴミを処分するのと同じように、ポイと捨てることができるだろうか。
 雛人形などもそうだ。顔の造作まで精巧につくられた人形は、もはやただの玩具や装飾品の域を超えてしまう。文字どおり「人の形」をしているから人形なのである。そして、人の形をしたものを、ただのゴミとして捨てられない感受性は、とても繊細なものだと思う。
 そのようにして人間扱いされた人形がやがて心を持つようになるというと、これはSFやホラーの領域だが、淡嶋神社は実際、ある心霊的な現象でも知られている。
 ここには「髪が伸びる日本人形」が安置されているのだ。
 地元の和歌山では有名な話だが、テレビでも紹介されたことがあるらしいので、ご存じの読者もいるかもしれない。
 いかなる故なのか、まったくもってミステリーだが、とにかくそれは実在している。
 ただし、そういうオカルト的な興味本位で淡嶋神社を訪れた人は、ガッカリするだろう。
 古くなった人形や、招き猫や十二支の干支の置物などがおびただしく(2万体になるという)並べられているのは、たしかに圧倒的な迫力があり、異様な光景である。
 が、不思議と暗い雰囲気はなかった。今年の5月、筆者が訪れた日は、明るい初夏の日ざしが満ちあふれ、境内の空気はあくまでも清明であった。



2014.8.14

第百二十一回 足の下に何かがいる! 

前回と前々回の文章が改行なしになっていて、そのかわり改行した箇所が1マスあいているのだが、原因は不明。誰のせいでもなくウェブ上の不都合だと思うが、文責が自分にある以上、こういうことに過敏な氏村です。どうか、各文のあいだの1マスあきの部分で改行されているものと思っていただきたく存じます。
 さて、今回も「まんぷく」につづいての紀州ネタを。
 和歌山市の西部に「片男波」という海岸がある。戦国時代、雑賀衆と呼ばれる鉄砲軍団が海運の港にしていたところで、現在では海水浴場になっている。
 筆者は十代後半のある夏、その片男波の砂浜で釣りをし、数人で魚を食べていた。
 釣った魚を網で焼く。または鍋に放り込む。鍋の味つけは味噌を溶かすぐらい。
 ただそれだけの、原始的なまでに簡素な調理だが、なんせ空の下、釣りたての魚をその場で食べながらビールを飲むのだから、爽快さがちがう。
 渚からやや離れたところで石を組み、網や鍋が揺れないように固定し、火を焚く。
 魚は、もちろんそのまま投入しない。ちゃんと包丁でさばき、はらわたを抜いてから焼いたり煮たりするので、そのための俎板も用意している。
 その時、筆者はさばいた魚から抜きとった内臓を、ポイポイと近くの砂浜に捨てていた。
 ちょうど波打ちぎわで、ひたすら寄せては返す波が洗いつづけるあたりである。波が引くと、色の変わった砂に、すーっと海水が沁みていく。
 ガラ空きの海岸だから、人の迷惑になるはずもない。魚の内臓など、海の生きものにとっては格好の餌なのだ。たちまち他の生物に食われて、処理されるに違いないと踏んでいた。
 そのとおりだった。一瞬、目を疑ったのだが、捨てた内臓の周りの砂が動き出したのだ。
 モゴモゴモゴ……と、下から押しだされるように盛りあがってきた。そして出てきたのが、小さな虫の群れだ。半透明の節足動物で、うじょうじょ動いて気色悪いったらない。
 何なんだこいつらは……と思いながら、ふと考えた。はらわたが落ちてから、虫どもの出現がやけに早かったが、やつらは偶然、すぐ近くにいたのだろうか?
 ためしに別の場所に放ったら、同じように周囲の砂が動き出し、虫が出てきた。
 さらに反対の位置に捨てても、やはり結果は同じ。もぞもぞと現れてくる。どこに放ってもそれは変わらなかった。とうてい、離れた場所から砂の中を移動してきたとは思えない。
 ということは、そこらじゅうにいるのだ。腐肉にたかるおぞましい虫どもは、この砂浜のいたるところに潜み、地表に落ちる血の臭いを待っているのである。
 数年前に、テレビの洋画劇場で観た『血に飢えた白い砂浜』というホラー映画を思い出した。ナメクジの化け物みたいな怪物が砂浜の下にいて、アリジゴクさながら砂に漏斗状の凹みをうがち、海水浴にきた客を地下に落としては、片っぱしから食っていくのである。
 自分が立っている地盤、そのさらに下に、飢えきった生物たちがひしめいている、という事実には、なにやら足もとが揺らぐようなゾッとする感覚をおぼえた。
 だからどうしたって? どうもしません。夏だから思い出しただけで、120回以上も書いていれば、オチのない回だってザラにあります。



2014.8.6

第百二十回 「まんぷく」VS「梨花苑」 

 極真には焼肉好きの人が多いようである。そして焼肉屋さんというのは、ほかの飲食店に比べて、行きつけの客から「日本一」と評価されることが多いように思える。そんな「日本一」が全国にたくさんあるのは、なんだか微笑ましくていい。  筆者の友人にも、ここは「日本一の焼肉屋」だと太鼓判を押す店があった。連れていかれて、なるほど美味しいと思ったが、あくまでも筆者にとっては「日本で二番」だった。  宮内洋がクールに演じる往年のテレビ番組『快傑ズバット』のように、勝手に「日本で二番」などと評価されては、その店も心外だろうが、筆者の中では、すでに「まんぷく」という日本一が決定していたのだ。 「まんぷく」というのは、筆者の故郷の和歌山市で、50年以上も前から営業している老舗の焼肉屋である。店先に立つ巨大な信楽焼の狸が目印。タクシーに乗って「まんぷく」と告げれば通じるほどで、和歌山市民なら誰でも知っている。  現在の筆者は大食いのほうだが、小学校の低学年のころは、極端な小食だった。ゆえに体つきもガリガリだった。給食もなかなか進まない。最後まで食べられず、残してばかりいたので、給食の時間が苦痛だった。  それが、3年生の時に「まんぷく」に連れていかれ、あまりの美味しさにどんぶりでご飯を食べ、それ以来、大食いになったという、いわば少年時の筆者の食生活に革命を与えた店なのである。  なにより醤油ダレが最高にすばらしい。よくこれほど美味なタレが作られたものだと思うほど圧倒的。もう神レベル。  この店では、やや甘味のある味噌ダレも売りになっており、和歌山の友人や姪っ子たちは、その味噌ダレのほうが好きだと言うが、筆者はなんといっても醤油ダレだ。  だいたい、肉と甘味の組み合わせを受けつけない筆者は、スキヤキに砂糖を入れるのも反対だし、正直に言うと、ほかの焼肉のタレで完璧だと思った記憶がない。でも唯一、この「まんぷく」の醤油ダレには、まんぷく……いや感服つかまつるのだ。  一方、国分寺南口の「梨花苑」を知ってからは、友人に紹介された店は日本第3位に格下げされた。師範をはじめ、道場のメンバー御用達の「梨花苑」は、焼肉屋の多い国分寺の中でダントツなのはもちろん、全国的にも群を抜いていることはまちがいないと思う。とくに、ここの「○メニュー」は申し分なく極上である。  では、「まんぷく」と「梨花苑」は、どっちがいいのだ? と訊かれると困ってしまう。極上対決。これは筆者にとっては、焼肉屋の全日本、すなわち日本一決定戦である。  双方に共通しているのは、よその店に比べて値は張るが、品質のいい肉を使っているということだ。たまに信じられないほど格安の焼肉屋さんを見かけるが、数ヶ月も消費期限が切れた中国産ほどではなくても、怪しくて口に入れる気にはならない。  で、判定の結果は……。本戦では決着がつかず、延長で引き分け、再延長でも引き分け、体重判定でも10キロ以上の差がなく、試し割りの枚数も同じで、どちらかに必ず旗を揚げてくださいという最後の延長戦の結果、僅差で…………。  


2014.7.31

第百十九回 伝記を選ぶ理由 

 突然だが、エライ人の人生をまとめたいわゆる伝記というものを読む時、子どもたちはどういう理由で選んでいるのだろうか。  大人なら、多少はその人物に関する予備知識がある。たとえば、ノーベルならダイナマイトを発明したとか、ナポレオンなら軍人でフランスの皇帝になったとかいう、おおまかな知識だ。そういった業績から、もっと深く人物像を知りたいと思って手に取るならわかる。  でも、小学生にとっては、エジソンや徳川家康ほどの知名度がある人物をのぞけば、まったくの「初対面」であることが多い。となると、なにを基準に選ぶことになるのか。  筆者も小学3年生の時に、クラスみんなで図書室に連れていかれ、読みたい伝記を選びなさいと言われたが、そのとき初めて読んだのは『リンカーン』だった。  顔で選んだ。  どの本も、表紙はその人物の肖像画だったのだ。さて誰にしようかと手に取ると、ベートーベンは例のしかめっ面。「トリケラトプス」みたく恐竜の一種のように思えたコペルニクスは、意外にもビートルズのような長髪で、筆者はしばらく女性だと勘ちがいしていた。  ふとリンカーンを見ると、骨ばった輪郭に、頬からあごにかけて黒いひげで覆われている。 (この人は、なんだか面白そうだ)  と思った。それに、「カーン」というあたりの冴えた響きが気に入った、ということもある。  我ながらレベルの低い理由だが、筆者の友だちのコソネ君などは、もっとひどかった。  彼が手に取ったのは『ライト兄弟』。  理由は、「はげているから」だという。  おそらくは、兄のウィルバー・ライトの肖像を見てのことだと思うが、初飛行という業績もなにもあったもんじゃない。そもそも、なぜ「はげている」ことで、その人物の生涯を読もうという気になるのか、つながりがわからない。もしかしたら、心の中で「ライト」という名前と「光」を結びつけていたのかもしれない。  名前といえば、ガリレオ・ガリレイなど、親が冗談でつけたとしか思えない名前もある。ガリレイ家の新生男児を、ガリレ「オ」と命名した理由は何だったのか。こういう名前の系譜は古今東西に見られ、剣術家なら伊東一刀斎、推理作家なら有栖川有栖、ちょっとちがうがロマン・ロラン、そして極真の選手にもゲオルギ・ゲオルギエフという人がいたのである。  もっとも、皆が名前や顔で選んでいるとは限らない。筆者が受け持っている生徒たちに訊いてみたところ、歴史の好きな子は源義経や武田信玄といった戦国武将を選んでいたし、野球をやっている子はベーブ・ルースやイチロー(今は在命の人物の伝記もあるのだ)といったように、ちゃんと興味の対象となる理由はあった。女の子たちは、たんに性別の一致だが、ナイチンゲールやアンネ・フランクやヘレン・ケラーなど、女性の偉人が多かった。  ということは、なんらかの形で自分との接点がある人物に、やはり興味をもつものとみえる。  筆者とリンカーンにはまったく接点がないので、一概に言えるものではないが、さて、こうなってくると、「はげているから」という理由で『ライト兄弟』を選んだコソネ君の「その後」が気になるところである。


2014.7.25

第百十八回 『ベストキッド』はファンタジーである 

いつだったか昼間部の稽古で、たまたま人が来ず、筆者とアジアジだけで練習したことがあった。その時のスパーリングで、誰もいないのをいいことに、アジアジがふざけて片足立ちになり、両手を翼のように左右にあげてはばたくような姿勢を取った。
 そう、映画『ベストキッド』に出てきた、あの構えである。
 ここでいう『ベストキッド』というのは、ジャッキー・チェンが出ているリメイク版のほうではなく、ラルフ・マッチオとノリユキ・パット・モリタが出演しているオリジナル版をさす。
 だいたい、新作は出来が悪かった。理由は多々あるが、まず引っこして環境が変わるといっても、国が変わったら意味がないのだ。生活習慣を同じくするアメリカのハイスクールの中でこそ、イジメというシチュエーションが生きてくる、というのが根幹にあるのに。
 では、旧作はどうなのだ? 
 ワックス・オン、ワックス・オフ。そんなことで空手が身についたら世話がないって?
 実際、主人公のダニエル・ラルーソも「ワックスがけやペンキぬりばかりやっていて、ほんとに空手の役に立つのか」と内心で疑問と不満をためている。
 そんなある夜、ダニエルは、師匠のミヤギに、この場で「ワックスがけ」をやってみろと言われる。同時に、気合いとともに突きを繰り出すミヤギ。それをダニエルは「ワックスがけ」の動きで次々に防いでいく。思いもかけぬみずからの動きに、ダニエルはポカンとする。
 我々も空手を学ぶ過程で「これにはどんな意味があるのだろう」と疑問を覚えることがあると思う。江口師範もいちいち説明はしない。いや、説明できるものではない。武道の本質とは、おそらくは言葉ではなく、修練によってしか伝えられないものであろうから。
 だが、今の時点でわからなくても、先生を信じて言われたことをやっていれば自然と身についていく。『ベストキッド』はそういった真髄を暗示した「拳と魔法」のファンタジーなのだ。
「鶴の技」にしても同じ。身につければ誰も防げない、などといえば、秘伝中の秘伝、まるで究極奥義のようだ。でも、見たところただの上段前蹴りじゃないか……。
 さて、旧大山道場の師範代だった安田英治先生は、「予告前蹴り」で有名だったという。
 今から前蹴りを蹴る、と予告し、相手は前蹴りがくるとわかっているのに、それが防げなかったらしい。「半歩崩拳大陸を制す」と言われた中国拳法の郭雲深もしかり。ひとつの技を徹底的にくり返し、修練に修練を重ね、磨きぬくことで達する制御不可能の境地。
「身につければ誰も防げない」技とは、そういう意味ではないかと解釈すれば、『ベストキッド』は、意外にも奥が深い武道映画と見ることができる。
 さて、冒頭に戻って、アジアジによる「鶴の技」だが……。
 筆者は蹴倒されて転がったのだろうか。そして、「立派だよ。君の勝ちだ」と言って、どこからともなく取りだしたトロフィーをアジアジに渡したのだろうか。
 否。中段廻しを蹴ったら、いとも呆気なくスポンと入ったのだ。
 無理もないというか、当然だろう。完全に中段がノーガード。蹴ってくださいと言わんばかりに、みずから脇腹をガラ空きにしているのだから。
『ベストキッド』はやはり(別の意味で)ファンタジーだった。



2014.7.18

第百十七回 『空手バカ一代』は実話である 

前々回の内容で、やはりグラップラーに怒られてしまった。今度ヤキを入れるとのことである。ちなみに、どの言葉に反応したかというと「キチガイ」だったが、この場合は差別表現ではなく、果敢な闘志に対する一種の評価だと受けとめるべきだろう。
 あるいは、『獄門島』の了然和尚が、花子の死体発見時に、梅の古木のそばでつぶやいたように、「き」が「ちがっている」だけと解釈していただきたい(といって煙に巻く)。
 それから、第110回のカンニングの話で出てきた中2の生徒の名前が、リコと同じ「カトウ」だったのだが、これはまったく関係ない。筆者も気づかなかったが、偶然の一致である。
 さて、「キチガイ」と同じように「バカ」もいけないらしいが、これも使い方次第で敬称にもなり得る言葉である。コバンザメが小判ではないように、修飾部が先にくるから、「バカ役者」といえばバカな役者にすぎないが、「役者バカ」といえば、演技のことしか頭にない生粋の役者という褒め言葉になるのである。
 そこで出てくるのが、大山総裁の半生を描いた劇画『空手バカ一代』。  連載当時のことは筆者も知らないが、「これは事実談であり…この男は実在する」というオープニングの文句に衝撃を受けた読者は多かったことと思われる。
 我々の世代でいえば『北斗の拳』のケンシロウが実在していると言われるようなものである。しかも劇画そのものの戦いが、絵空事ではなく、事実というのだから。
 なに、まさか氏村は、あれが実話だと思っているのかって?
 ええ、原作者の梶原一騎が「事実談」と言いきっているからには、やはり実話でしょう。
 冒頭で、進駐軍の兵士に乱暴されかかった女性を空手技で助けた大山総裁、
「ずいぶんお強いんですのね」
 と、その女性に言われ、
「ふふふ…たいしたことはありませんが、十四さいで空手をはじめ…十七さいで初段をとり…いまは二段です」
 ずいぶんお強いんですのね、という社交辞令的なひと言に対し、何歳で空手を始め、何歳で初段をとって、今は何段なのか、という細かな履歴まで律儀に答えている。この女性がナニワ娘だったら「ちょっとちょっと、誰がそこまで言えゆうてん!」とツッコミを入れることだろう。
 だが、事実なのだ。
 若き日の大山総裁が、風になびくほどの長髪だったのも事実なら、
「すまんな、置八子。ついにフウトウはりの内職までやらせることになってしまった」
 と奥さんに言いながら、庭で親指二本の逆立ちをしていたのも事実。太極拳の使い手が空中で静止し、頭を下にして突っこんできたのも事実。そう思ったほうが得をする。
 こんにちの女子柔道の隆盛を招いた一因に『YAWARA!』があり、かつて女子バレーに人材が集まった背景には『アタックNO1』の存在があった。マンガの力、恐るべしである。
 信仰からは、ときに奇跡が生じる。冷めて批判したところで何も生まれない。筆者が初めて『空手バカ一代』を読んだのは大学生のころだったが、これを小学生時代に、実話と信じて読んだ読者は、ずいぶん得をしたことだろうと思った。



2014.7.11

第百十六回 恐るべし、国分寺常連軍団! 

国分寺道場には、いろんなタイプの戦い方をする人がいる。そして強い人が多い。
 筆者がよく顔を合わせる人をあげるなら、アジアジなどはガンガン打って出るファイター・タイプである。この人の強さは、ずばり「考えないこと」にあるように思える。というと、おバカさんみたいだが、余計なことをあれこれ考えていると、そこに恐怖心やためらいといったマイナスの要素を侵入させることになる。考えないアジアジにはその余地もなく、窮地にあっても、結果として死中に活を見出している。この人と筆者は飲み仲間でもあるが、空手を離れたところでも、そういった言動は散見できるのだ。
 欠点は、顔面殴打が多いところか。まったく悪いと思っていない口調で「ああ、ゴメンゴメン。わざとわざと」と笑いながら言うのも、もう聞き飽きた気がする。
 師範稽古に出席しているスガイズムは、身長187センチ、体重も100キロは超えているだろうか。そんな規格外の巨躯が放つパワーに加え、近年はスタミナも身につけて(しまい)、えんえんと動き回れるのだからスガイ、いや、すごい。
 身長など、普段はたいして変わらないように見えても(!)、拳を交えるとその差ははっきりする。さながら「進撃の巨人」といった感じで、ガンガン前に出てくる。
 おまけにこの男、よく叫ぶのである。ただでさえイースター島に並んでいそうなコワモテなのに、肉の質量も圧倒的で、さらに気合いが入りまくって雄叫びをあげる。これぞスガイズム(菅井主義)といったところか。試合にも出場しまくっているが、筆者が応援に行くと負けるので、行かないようにしている次第。今では関東チャンピオンである。
 スガイズムといえば、カナイズム(仮名)の強さも特筆すべきだろう。どのくらい強いかというと、師範のスパーリング相手が務まるぐらいである。そんな人は、なかなかいない。
 高身長で手や足などの末端が大きく、一撃の威力も強烈。才能に加えて、空手に向き合う姿勢が非常に真摯な人だが、スパーなどをしていると、やはりもって生まれた格闘センスを感じる。筆者など歯が立たず、この人には二回、肋にヒビを入れられたことがある。ちなみに、その二回目というのは、今現在である。カナイズムにスガイズム。二人の「イズム」に囲まれてタジタジといった有様なのだ。
 常連組といえば、先日、還暦を迎えたカツイチ君も忘れてはいけない。
 外見の相似から「総裁」の異名を取るカツイチ君は、出席回数が群を抜いている。仕事をこなしながら、なかなかできることではないと思う。それだけ出席しているのに怪我が少ないのは、ボディが打たれ強いからだろう。
 いつだったか、掃除の後で手を洗おうとしたとき、直前に水道を使ったカツイチ君がそのまま立ち去らずに、通路でふり返って筆者の様子を見ていることに気づいた。挙動不審である。もしやと思って水道のレバーをあげてみると、熱湯が出てきた。
「いい大人が、リコの真似をすなーっ」と思ったが、もしかしたらカツイチ君も同じ被害にあったことがあるのかもしれない。
 ああ、やはり規定の分量があっという間に尽きてしまった。ヤスオ君や健さんをはじめ、まだ紹介しきれていない個性的な人たちが、国分寺道場には多く在籍しているのだが。



2014.7.5

第百十五回 恐るべし、国分寺レディース軍団! 

この春に入門されたメンバーには、女子が多いように思える。そこで今回は国分寺道場の女子部について書きたい。
 ……のだが、たとえばKさんには、最近お目にかかっておらず、実名を出すことも書いていいかどうかも許可を得ていないので、残念なことに紹介することはできそうにない。空手を離れると人柄もよく、見た目も温厚そうなマドモアゼルなのだが、おそるべし、スパーリングでは人の「上げ足」を取る、つまり中段を絡め取って、平然と関節をきめにくる人である。
 年少の部類には、「国分寺ブログ」で「リコは強いぞ」と書かれている、あのリコがいる。中学2年生といっても高身長で打撃力もあり、加えて熱心な子である。熱心なのは、もちろん空手に対してであって、学業についてはさだかではない。現に先週も、期末テストの最中なのに道場に来て、かかり稽古をしていた。
 通常の稽古では、江口師範が型の意味を説明されるが、その実験台として、よくN氏や健さんが相手をさせられる。技が決まり、ものの見事にひっくり返ったN氏を見て、リコは実に楽しそうに笑う。「箸が転んでもおかしい年ごろ」なのはわかるが、N氏が転がってもやはりおかしいらしい。師範がリコに「もう一回見たい?」ときくと、ためらいなく「見たい!」と答える。気の毒なのはN氏で、そのたびにひっくり返ることになるのである。
 ある日、稽古が終わって、掃除も終わって、雑巾をしぼった手を洗いに流しへ行った時、筆者はたまたまリコの次だった。なにげなく水道のレバーを上にあげると、蛇口から熱湯が出てきて「熱っ!」と声をあげた。リコの仕業だった。「立つ鳥あとを濁さず」どころではない。あとに熱湯を残して、「ひっかかったぁ」と言っている。
 美内すずえ『ガラスの仮面』の名ゼリフをもじるなら、この場合はさしずめ、
「リコ……おそろしい子!」といったところか。
 さて、国分寺の女子部といえば、その突貫ぶりから一部で「キチガイ」と呼ばれている彼女を忘れてはならない。ほんとに空手を始める前は何に時間を使っていたのだろうと思えてくるほど熱心な人である。ちなみに、先の異名は本人の耳にも入っているようなので、名づけた人は用心したほうがいいだろう。
 誰のことか、おわかりだろうか。筆者はご本人からここに書く許可は得たが、日ごろの凶暴な振るまいに自覚があるのか、本名をあかすことについては渋られたままままなので、人気格闘マンガから取って「グラップラーめぐ」としておく。偶然だが、「刃牙」の「牙」と、ちょっと似た形の漢字「芽」が使われている名前の人である。
 筆者が「グラップラー」と呼べば、「だから、つかんでないって」と、この人は言う。たしかに空手だから打撃のやり取りなのだが、まさにつかみ合いのような戦いぶりなのだ。
 そんなグラップラーめぐには、なんと自宅のバスマットを切って「受け棒」まで自作したという空手バカの一面もある。つくづく熱心なことである。だが、受け棒の練習は一人ではできない。となると、誰がその相手を務めているのか、ということになるのだが……。
 おっと、もう枚数が尽きてしまった。人物の紹介をしようとすると、どれだけ削ろうとしても、あっという間に進んでしまう。次回は男子部について触れようかと思う。



2014.6.27

第百十四回 あんた、このドラマをどう思う 

江口師範のお話では、現在TVKテレビで『必殺仕業人』が放映されているらしい。
 必殺シリーズの第7作だから、かなり古い作品である。そして、ファンのあいだでは、シリーズ中もっとも陰気な作品としても知られている。たとえば、筆者が持っている必殺サントラCD⑦『必殺仕業人・新必殺からくり人』に付属のブックレットには、
「……愛犬のために身を売る娘、近親相姦スレスレの母子愛、社会からのはみだし者の集落「隠れ里」、生き別れの息子を知らずに殺めてしまう父親、不義を成した妻を斬らんと旅する盲目の侍と幼い娘……」とシチュエーションを列挙しつつ、その暗さが強調されている。
 中村主水は、牢の管理や罪人の死体の検分などを役目する牢屋見回りといった閑職に回され、減俸されて、髪はほつれ無精髭を生やし、風貌まで貧乏くさくなっている始末。

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2014.6.20

第百十三回 1円玉を拾いますか? 

雷鳴が轟き、雹が降りそそいだ13日の金曜日。『稼ぐ人は、なぜ1円玉を大事にするのか?』という本が発売された。版元は、サンマーク出版である。
 著者の亀田氏は……って、なんか言いづらい。普段の呼び方と違うから。
 実は、筆者の友人なのである。その亀田潤一郎「君」は。
 彼の著作を当ブログで紹介するのは、初めてではない。
 さかのぼって確認してみると、第18回『金がない』という題で、前作『稼ぐ人は、なぜ長財布を使うのか?』のことを書いてあった。2年ほど前だから、かなり早い段階だ。
 おいおい、道場のブログを友人の著作の宣伝ツールとして使っているのか、まさかそれで金をもらってるんじゃないだろうな、などと勘繰らないでいただきたい。
 このブログのことは、道場の知り合い以外には、いっさい誰にも話していない。よって亀ちゃん(と呼んでいる)にも、いまだに知らせていないのである。

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2014.6.12

第百十二回 作文の「型」 

街を歩いていると、被災地の動物を支援するための呼びかけを目にすることがある。
「被災地の、ワンちゃんや、猫ちゃんに」
 という、あのボランティアの方々である。近くを歩いていた男子高校生のグループが、「あのお兄さん、必死なんだよな」と言って、声の張りあげかたを真似していた。
 筆者は、そもそも「ワンちゃんや猫ちゃん」とはいかがなものか、と別のことを思った。
 鳴き声の擬声語に基づく愛称として「ワンちゃん」とくれば、次に続くのは「ニャンちゃん」であり、普通名詞で統一するなら「犬ちゃんや、猫ちゃん」と並べるべきではないか。
 ……などと突っこめば、ボランティアの人も大きなお世話だと思うだろう。筆者も、重箱の隅をつつくように「添削」した自分に忸怩たるものを覚えるのだが、これというのも作文のクラスなどを受け持っているせいである。

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2014.6.5

第百十一回 最下位クラスの学習(逆襲) 

 たいていの進学塾では、合理的に学習を進めるため、生徒の学力に応じてクラス分けがなされている。そのレベルは地域によって差があり、校舎の規模によっても顕著に現れてくる。
 あまり教育熱心でない地域の、さらにマンモス校舎の最下位クラスともなると、あたかも濾過水槽に沈殿した不純物のような様相を呈してくるのだ。
 幕末に黒船四隻をしたがえて浦賀に来航したのが「プーチン」だとか、発電の方法に「電力発電」があるとか、それはもう異世界に迷い込んだかのような解答が頻出するのである。
 いや、かりに幾多のパラレルワールドが存在していたとしても、プーチンが黒船で開港を求めてきたり、電力によって電力を生じさせているような不条理な世界はないだろう。
 言葉だけなら、まだいい。演習中に突然、「痛ッ」と声があがることもある。問題を解きながら、どうして「痛い」ことがあるのか、よくわからない。
 平然と鼻クソをほじくっているやつもいる。なぜか、女子に多い。

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2014.5.29

第百十回 カンニング110番 

テストや問題演習の最中に、生徒のカンニングを発見することがある。
 社会なら知識の小テスト、国語なら授業内でおこなう漢字テストの時が多い。となりの子の解答を見る、または教材を隠していて正解のページをこっそり見る、という2パターンが主流だが、どういうわけか、ともに女子生徒に多く見受けられるような気がする。
 顔は前に向けたまま、黒目だけ限界まではしに寄せて、となりの子の答を懸命に盗み見ていたりする。バレバレなのがおかしい。
 むろん男子にもいる。答え合わせの段階で、まちがえた答を消して書き直すという不正行為の常習犯がいたが、彼の場合、無自覚にそうしており、叱っても本人がピンときていないような反応をしていた。
 盗みや万引きでも見られるケースだが、病的というか、そういう性癖というか、ごく自然にやっているようなのだ。もちろん中学入試などできる子ではなく、ほどなく辞めていった。

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2014.5.22

第百九回 墜ちてゆく人たち ~『ナニワ金融道』 

人の不幸は蜜より甘い、というのは本当だろうか。
 少なくとも、知り合いの場合はそうではない。まったく見知らぬ人でも、あまりに悲惨なケースだと、痛ましさが先にたって面白がる気にはなれない。べつに真面目ぶるつもりはないが、筆者は火事なども見物したいとは思わないのである。
 そういえば、筆者の高校時代の同級生に、「火事の見物が三度のメシよりも好き」という女の子がいた。
 体重が三十キロ台という痩せっぽっちの子だったから、もともと小食なのだろうが、彼女の場合、「メシより好き」というのは比喩ではなかった。夕食の途中でも、外を消防車が通ったら反射的に席を立って、そのまま家を飛び出していくほどの火事マニアだったのだ。

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2014.5.15

第百八回 植芝盛平をご存知ですか 

今回も「紀州ネタ」シリーズである。
 筆者が高校時代をすごした和歌山県南部の田辺市は、合併によって面積こそ広いが、人口8万に満たないのどかな地方の小都市である。
 そのJR田辺駅前にある石碑には、「田辺の三人」として、3人の人物画が刻まれていた。
 1人は武蔵坊弁慶。生まれ故郷ということで、駅前には僧兵姿で薙刀を構えた弁慶の銅像もあった。もう1人は、かなり前にこのブログでも紹介した南方熊楠。そして残る1人が植芝盛平である。その中で、当時の筆者が知っていたのは、武蔵坊弁慶だけだった。
 植芝盛平については、石碑に合気道創始者と書いてあり、筆者はその事実を初めて知った。
 ひとつの流儀を開いたということは、それだけでも凄いが、植芝翁が体に触れただけで相手が吹っ飛んでしまうという神技を知ったのは後年のこと。手を使わなくても、接触するだけで人が撥ね飛ぶのだから、筆者などには理解できない境地である。

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2014.5.8

第百七回 テレビを見るという非日常

今回の提出が5月8日。ゴールデンウイークが終わった直後だが、読者の方はこの連休をどう過ごされていたのだろうか。
 筆者はわけあって実家に帰っていた。実家ではテレビがつけられており、新聞も毎日届けられる。日ごろテレビも見なければ新聞もとっていない筆者にとって、それらに接することは、一種、非日常の体験といえた。
 テレビといえば、うちの父がNHKの職員だったので、今でもよくNHKの番組にチャンネルが合わせられている。たとえば、日曜日の昼にやっているのが「NHKのど自慢」。

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2014.5.1

第百六回 八代将軍吉宗

久々の「紀州ネタ」シリーズである。
 徳川幕府の八代将軍であり、享保の改革の立役者である吉宗公のことだ(前回に比べて、なんと無難なネタであることよ)。
 時代劇ファンにとっては、松平健ふんする『暴れん坊将軍』シリーズや、NHK大河ドラマ『八代将軍吉宗』などでお馴染みかもしれない。
 筆者はどちらもきちんと観たことはないが、亡くなった祖母が『暴れん坊将軍』の大ファンだった。祖母が夢中で観ていたのは、同じ紀州人の親しみもあったのだろうか。いや、紀州どころか、うちの本家(実家)の氏神様にあたる神社が、刺田比古神社といって、その昔、徳川吉宗が赤ん坊のころに捨てられていた神社なのである。

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2014.4.24

第百五回 あるこ~る警報 

書いていいものかどうか……。と若干の迷いを覚えながらも、書く。
 かつての国分寺道場の飲み会のもようである。
 ご存じない方も多いだろう。酔いが回れば脱ぐのが当たり前という、そんな時代もあったのだ。
 もちろん特定の人物に限られている。今はもう道場を去った人だし、かりにA先輩として本名は伏せておくが、その人は指導員でありながら、飲み会の「いじられ役」になっていた。
「泣き上戸」や「笑い上戸」という言葉があるが、さしずめこれは「脱ぎ上戸」とでも言うべきか。とにもかくにも、飲んだら脱がずにはおさまらないのである。
 それも上着やシャツの一枚や二枚といったかわいらしいものではない。

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2014.4.18

第百四回 あるこ~る注意報 

ずいぶん前のことだが、小田急線沿いの遊園地のポスターに、「もうこりごりだ また乗ろう」というキャッチコピーがあった。
 写真では、若い男女がジェットコースターに乗った後らしく、髪が逆立ち、引きつった表情で立っている。とんでもない迫力だったのでこりごりだが、また乗りたいと思うほど楽しかった、ということらしい。
 そのポスターに向かって、酔っぱらいのオヤジがツッコミを入れているのを、筆者は見たことがある。へべれけになってふらつきながら、ポスターを指さし、
「なぁにぃ(ヒック)……もうこりごりなのに、また乗ろうって……なんだぁ!」
 と説教をしているのである。
 ポスターと人間との区別がつかないほど酔いつぶれているくせに、論理的な矛盾を指摘しているのがおかしかった。

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2014.4.10

第百三回 廃校の夜 

お遍路で四国を歩いていた時のことである。
 歩き始めて3日目、88箇所の数ある難所のひとつ、その名も恐ろしき「遍路ころがし」を通過し、12番札所の焼山寺にたどりついたのは、お寺が閉まるぎりぎりの5時直前。
 それから山をくだって、とりあえず寝場所を探さなければならなかった。
 もちろん旅館やホテルなどではない。資金は限られているので、できるだけ倹約する必要がある。寝袋とテントを背負って歩いているのは、野宿するためだ。
 この日は、なんと廃校に泊まった。天候が荒れてきたからである。いきなりザーッと雨が降り出し、雷まで鳴っているので、雨宿りをする必要があった。でも民家すらまばらな一帯で、建物らしい建物がなく、とにかく最初に見つけた屋根のあるところが廃校だったのだ。

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2014.4.4

第百二回 読んでから観た

『ワールド空手』最新号の表紙が、いつもより洗練されている。ということでメディアの話。
 70年代のことだから大昔だが、角川書店が書籍と映画のタイアップをはじめたころ、「読んでから観るか、観てから読むか」というキャッチコピーがあった。
 読者の方は、小説が映画化された場合、原作を先に読むか、映画を先に鑑賞するか、どっちだろうか。筆者は前者だが、この場合、映画がイメージ通りでないことを覚悟しなければならない。
 でも、中には原作をきちんと理解した上での、見事なまでの映画化作品もある。たとえば『ゴッドファーザー』、たとえば『ジャッカルの日』、たとえば『羊たちの沈黙』など。
 新しい映画では『永遠の0』もそうである。筆者は、ずっと放置してあった原作をようやく読むと、12月公開の映画がまだ上映されているのを知って、ソッコーで観にいった。

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2014.3.27

第百一回 第一歩

かつてミュージシャン志望の友人Mが、ことあるごとに「俺はサラリーマンじゃない」と語っていた。大学を卒業して、某企業に入社したころのことである。
 筆者とMは新卒採用された新入社員、つまりお互いにサラリーマンであり、それ以外の何者でもない立場だったが、Mは会社勤めをしながら、その事実を認めていなかった。
「サラリーマンじゃないとして、では何なんだ?」と訊いても、答は返ってこない。さすがに社会人になったばかりの身で、夢見る中学生のような言葉は口に出せなかったのだろう。
 高校時代からジョン・レノンにあこがれ、大学時代はビートルズのコピーバンドを組んでいたMの過去を考えれば、そう言いたくなる気持ちも察することはできるが、あろうことか彼はミュージシャンになるための具体的な行動を起こしていなかった。

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2014.3.21

第百回 100物語 

「ごじゅうに……ごじゅうさん……ごじゅうし……ごじゅうご」
 50をこえた。
「ごじゅうろく……ごじゅうしち……ごじゅうはち……ごじゅうきゅう」
 なにをしてるのかって? ママがお風呂の中で、数をかぞえているんだ。
 ぼくも、今年で五歳になったからね。かぞえる数は100にのびた。
 船のオモチャで遊んで、体を洗ってもらいながらお話しして、最後に100をかぞえるまで湯船につかる。そんで、ママがいいって言ったら、お風呂から出る。
 

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2014.3.13

第九十九回 『もうひとつの独り言』99もない謎 

江口師範の最新ブログを読んで驚いた。
 走り方ひとつを取って、これだけの説明ができる師範って、よその道場ではなかなか見当たらないんじゃないか。春の入会キャンペーン期間だが、入門を考えている方は、その道場の指導内容が気になるところだろう。国分寺道場のクオリティはご覧の通りである。
 さて、話は思いきり変わって、我が家の本棚には『アガサ・クリスティー99の謎』といった本があるけれど、『もうひとつの独り言』も今回で99回を迎えたことで、初めて当ブログについて語ってみたい。
 もちろん99も謎はない。せいぜい筆者の氏村って誰なのか、とか、たまに出てくるアジアジというのは何者なのか、ランランとかカンカンとか(古い)ホワンホワンとかいたからアジアジもやはりパンダの仲間なのだろうか、といったことぐらいだろう。
 

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2014.3.7

第九十八回 このブログは仕事なのか 

何年か前、タクシーで税務署に行こうとしたら、新米の運転手さんが税務署の場所を知らず、結果として別の建物まで連れて行かれた経験がある。確定申告の時期である。
 おおかた脱サラでタクシードライバーに転向した人なのだろうが、「この時期に税務署の場所を把握していないなんてな」と閉口したものだ。
 お金を払っている側としては、当然、それなりの商品価値を要求するものだから、プロの運転手としては不甲斐なく、勉強不足だとそしられても致し方ない。
 仕事に対する責任感にズレがあったのだろう。そしてこういったズレは、職業として道場にたずさわっている先生と門下生の間にも生じることがある。

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  2014.2.27

第九十七回 おととい来やがれ、剣劇人

「なんだ、また必殺ネタか」と、お嘆きの貴兄に。
 申し訳ない。また必殺ネタです。だが、今回は「この作品はすばらしい」という内容ではなく、その反対である。
 取りあげるのは第29作『必殺剣劇人』。シリーズの長い歴史の中には『必殺渡し人』や『必殺商売人』といった、タイトルからして観る気の起こらない作品もたまにあるが、『剣劇人』など、その最たるものであろう。

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2014.2.21

第九十六回 つわものどもが夢のあと……

毎年、2月の初旬がすぎると、2、3日は「つわものどもが夢のあと」といった、一種の虚脱感まじりの醒めた感傷に囚われる。
 進学塾の講師をしている筆者にとって、中学受験の本番となる2月1日~6日あたりは、一年間の仕事の山場であり、教え子たちの決戦の時である。合否の結果が出て、難関校などの実績も出て、てんやわんやして、それが過ぎると、なにやら祭りの後のような深閑とした状態に陥るのだ。
 受験が一段落すると、生徒が校舎に集まり、先生らがジュースやお菓子を用意して歓談する合格祝勝会というものがある。中には受験に惨敗した子もいるのだが、その子に、
「や~い、落ちたのに来てやんの!」

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2014.2.13

第九十五回 寒波襲来

スティーブン・キング原作、スタンリー・キューブリック監督の映画『シャイニング』のような生活がしたい、と思ったことがある。といっても、斧をもって追いかけたり、はたまた追いかけられたりしたいわけじゃ、もちろんない。
 雪に閉ざされた館に引きこもっていたいのだ。
 本格ミステリでは、このシチュエーションは定番である。雪に閉ざされ、陸の孤島と化した山荘で、連続殺人事件が起こる。犯人はこの中にいる、というやつ。

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2014.2.6

第九十四回 「急増中」が急増中

テレビも観なければ新聞も取っていない筆者は、もっぱらネットニュースを通して世の中の出来事を認識している。ネットニュースでは、大勢に影響力のある重大事件でも些末な出来事でも見出しの大きさが変わらないので、興味のあるネタを選んでクリックする。
 そんな記事の中で、いつ頃からか「急増」もしくは「急増中」という見出しが、それこそ急増して目を引くようになった。
 ようするに「急増中」と書けば、その見出しをクリックする人が多い、ということだ。なるほど、「急増」という言葉には、いかにもこれまでの流れとは異なる新たな現象が発生しているようで、興味の喚起力がありそうに思える。でも、読んでみるとたいしたことはない。たいていは営利目的の記事に終始していることが多い。

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2014.1.31

第九十三回 帝国の崩壊

 肩がゴリゴリに凝っているのは疲労のせいだろうか。満足に読書時間がとれない中、毎日、ほんの10ページ程度のかたつむりペースで読んできた小島一志氏の著作『大山倍達の遺言』を、先日ついに読了した。
 言うまでもないことだが、大山総裁亡き後の極真の分裂状態は、惨憺たるありさまである。いったい何があったのか、どういう経緯で現在のようになったのかということを、内部にいる者として知りたくなるのは当然のこと。
 その要望に応えるのに、綿密な取材と資料に裏づけされたこの作品は十分な一冊だった。極真と関係のない人が、ワイドショー的な興味本位で読んだとしても面白く感じると思う。

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2014.1.23

第九十二回 一筆啓上、後編が見えた

引きつづき『仕置屋稼業』のネタを。第一話『一筆啓上、地獄が見えた』の冒頭、夜店の雑踏の中で、市松がヤクザの親分を暗殺するところを、たまたま中村主水が目撃してしまう。扇子で手元を隠して竹串でズブリ。同時に市松も、主水に見られたことを知る。
 殺しの腕を買って、市松を仲間にスカウトしようとする主水だが、市松はそんな主水をも闇に葬ろうとする。自分の仕置(殺し)を見た者は、生かしておけないのだ。
 しかし、紆余曲折あって主水と手を組むというのが第一話だが、そのラストシーンがまた秀逸だ。船宿で、市松が近江屋・利兵衛をあざやかに殺す。が、その庭先で、一人の少女がそれを見ていたのだ。
 殺しを見られた!

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2014.1.17

第九十一回 一筆啓上、前編が見えた

必殺シリーズのマニアの中には、当時の放映日に合わせて、毎週その回の作品を視聴するという物好きがいるそうな。
 などと他人事のように書いているが、かくいう筆者もその一人である。必殺シリーズさえあれば、ほかのテレビドラマがなくても一生観るものに困らないくらいのファンなのである。
 今回取りあげるのは、シリーズ第6作『必殺仕置屋稼業』。
 必殺の中でもベストにあげるのが、いつか書いた『新・仕置人』だとするなら、二番目が『必殺必中仕事屋稼業』と争うこの作品である。そんなわけで、DVDを全話買ってしまい、去年の7月4日から毎週観つづけて、この1月に最終回を迎えたわけだ。

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2014.1.9

第九十回 朝イチで朝市

和歌山市の西部に築港があり、12月30日の早朝にそこの朝市へ買い出しに行くのが、我が家では、年末の恒例となっている。
 早朝4時に起きて車に乗り、ガラすきの道路を飛ばして行く。まだ夜明け前だから、真っ暗で、寒い。でも市場では、すでに賑やかな声が飛びかい、熱気に満ちあふれている。
 買うのは、正月用の料理に使う魚介類である。伊勢エビやアワビ、サザエ、モンゴウイカ、鯛、マグロ、カニ……などなど、豪勢この上ない。
 これは、帰省した筆者をもてなしてくれているのではなく、大晦日から3日までいる妹の家族、もっといえば筆者の姪にあたる三姉妹のためである。ようするに、両親は孫が可愛くて仕方ないのだ。ふだんは質素に暮らしていて、ここぞとばかりに大盤振る舞いをし、筆者はそのご相伴にあずかっているわけだ。

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2013.12.20

第八十九回 じぇじぇじぇ!

なんで今ごろ「じぇじぇじぇ!」なんだ、というツッコミはおさえていただきたい。
 NHKの朝の連続テレビ小説『あまちゃん』は、とっくに終わっている。しかも筆者は観ていなかった。観ていなかったが、実家に帰った時にちょっとだけ観たら、なんとなく面白そうだったので、10月に放送された『あまちゃん 総集編』を録画し、ずっと放置していて、先日やっと視聴したのである。
 ついでに言うと、現在の筆者は仕事でエネルギーを放出して帰ると、ぐったりして、もうそれから持ち帰った仕事などをする気力はない。で、もっぱら飲食しながら必殺シリーズ等のDVDを観て過ごしている。つまり、夜は受け身になっているわけだ。

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2013.12.12

第八十八回 過去問の季節

塾講師の仕事には無償奉仕が多い。現在、中学受験生(小6)の過去問の持ち帰り添削をしているが、タダ働きのわりに忙殺されている。過去問というのは、文字どおり、志望校別に過去の入試問題をまとめた問題集が市販されていて、生徒は自分が受験する学校の問題集を買い、解いて、見てほしいと言ってくるのである。
 質問の箇所は、たいてい「○○字以内で答えなさい」と文を書いて答えさせる記述問題である。生徒は模範解答を見ても、自分の答が正解かどうか判断がつかないが、自分たち先生は、どこを押さえていればいいかというアドバイスができる。模範解答というのは、あくまでも模範であって、絶対解答ではないのである(中には「模範」とは思えないものもある)。
 記述でなくても、国語は一瞬で解けるものではなく、まず長文を読まなければならないので、それなりの時間はかかる。それから、解く手順を赤ペンでびっしりと書いていく。

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2013.12.5

第八十七回 冬がまた来る

街をゆき 子供の傍(そば)を通るとき 蜜柑の香せり 冬がまた来る

 これは、木下利玄の短歌である。「香せり」というからには、つんと酸っぱい香りのするような、まだ青い蜜柑のことだろう。この短歌が国語の問題に使われると、「冬」のところが空らんになっていて、そこに季節を表す語を当てはめなさい、と問われたりする。
 たまに「夏みかんっていうから、夏だ!」と答える子がいるが、わざわざ「夏」をつけるからには、それが柑橘系の中でも別種の果実であるからで、普通のみかんがお正月の餅の一番上に乗っているのを思い出せば、冬の季語であることは簡単にわかる(注・ただし、正月の風物は春〈新年〉の季語になる)。

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2013.11.28

第八十六回 最高のラストシーン

 今回は、不朽の名作映画『ゴッドファーザー』について書く。
 ご覧になって「いない」方はいらっしゃるだろうか。マフィアの抗争を描いた暴力映画と断じるのは早計であり、誤解である。筆者は、映画があまりに良かったから、マリオ・プーゾの原作(早川書房版)にも手を伸ばしたのだが、小説はやはり事細かに書かれていて、とくに「馬の首」のあたりの事情はよくわかった。
 もちろん、映画の完成度もハンパではない。よくこれほどの作品ができあがったものだと思う。というか、最高である。フランシス・F・コッポラは、この一作だけで映画史に永久に残る監督といえるであろう。

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2013.11.21

第八十五回 棒立ち小僧、走る!

シュンの担当が他の先生に代わってからは、余裕をもって彼の粗忽ぶりを受けとめられるようになった。
 いわば「おばあちゃんの立場」である。親の立場なら責任があるので、志望校に合格させるための指導をしていかなければならないが、別のクラスにいけば、他人事として彼のキャラクターを楽しめるようになる。そうなると、シュンは問題児にはちがいなかったが、子どもらしくてかわいいところはあった。
 筆者が彼のことを面白がっているので、同じ学校に通っている子が、学校での情報を伝えてくれる。

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2013.11.14

第八十四回 こんなやつがいた

シュンというやつがいた。いた、というのは筆者の交流圏内のことで、今でもどこかで生きている(はずだ)。どこかで鼻水を垂らしていることだろう、と思って年齢を数えてみると、もう成人していた。
 あのシュンでも大人になるのだ。誰かって、過去に受け持っていた生徒(もちろん仮名)のことである。
 このシュン、5年生の時は筆者が担当していたのだが、生徒の人数が増えてクラスを増設することになり、彼は当然、下のクラスになった。

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2013.11.7

第八十三回 全日本大会を観戦

今年も第45回オープントーナメント全日本空手道選手権大会が開催された。出場された選手の方々、お疲れさまでした。会場は、去年の両国国技館から変わって東京体育館。初日は仕事で行けず、筆者が会場に足を運んだのは、2日目の11月3日だけである。
 開会式では、松井館長が原稿を手にせずスピーチをされていた。

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2013.10.31

第八十二回 絢爛たる魔人たち

ランニングの途中で、これまでに何度か江口師範とすれちがったことがある。
 キイィィインン…とジェット機が通過したような、あるいはフウゥゥウンン…とF1が走り去ったような感じで、とんでもなく速い。まるで超人さながらの走りだが、超人といえば江口師範の大胸筋はバロム1の上半身を連想させる。「バロム1って何だ?」と若い読者は思うだろう。

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2013.10.25

第八十一回 POINT OF NO RETURN

極真会館で空手の修行をしている我々は、しかし、ただ突き方や蹴り方や防御といった空手の技術ばかりを学んでいるわけではないはずだ。武道をやっているのだから、精神面での成長をうながされる出来事が否応なくある。
 たとえば試合、たとえば審査、そして普段の稽古を通して、きついとか怖いとか痛いとか、日常では経験しないような試練に直面し、なおかつそれが避けられない、という局面だ。
 サブタイトルの『POINT OF NO RETURN』は、直訳すれば「帰還不可能点」。ここからは、もう引き返せない、という地点のことである。

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2013.10.18

第八十回 国分寺北口慕情

道場の最寄り駅、JR国分寺駅の北口が広くなっている。階段を下りた駅前が風とおしのいい空き地に変わり、フェンスで囲われていたりなんかする。
 駅前だけではない。ちょっと歩けばあちこちに空き地が見られ、パワーシャベルが土を掘り起こし、大型トラックが行き来している。
 ご存知、国分寺北口再開発のあおりである。

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2013.10.11

第七十九回 真っ赤な秋

昔は「体育の日」といえば10月10日だった。東京オリンピックが開催された日にちなんでのことらしいが、それなら7年後にも、また新しく祝日が制定されるのだろうか。
 この時期はスポーツの行事にちょうどいい気候なので、多くの学校で運動会がおこなわれる。筆者は小学4年で兵庫県の西宮市に引っ越したが、西宮の小学校では、「小体連」(たぶん「小学校体育連合」)といった組織に加盟している学校が甲子園球場に集まり、組み体操をするのが秋の恒例行事となっていた。

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2013.10.4

第七十八回 ゼロの夏

去年の夏前の当ブログで、筆者はもう何年も映画を観に行っていないという話を書いたが、今年の夏、ようやく久々に映画館に足を運んだ。
 観た映画は『風立ちぬ』である。宮崎駿監督の作品は、過去に『ラピュタ』と『もののけ姫』と『ハウルの動く城』を映画館で観ているが、『千と千尋』や『ポニョ』などは、機会をのがしていまだに観ていない。
 今回の『風立ちぬ』は、零戦をつくった堀越二郎と、同名小説の作者である堀辰雄へのオマージュでもあり、一人でもいくつもりだったが、和歌山の実家に帰省する時期と重なったので、三人の姪を連れて観にいった。

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2013.9.26

第七十七回 メディアによるトラウマ ベスト3

夏ごろ、ちまたで話題になっていた『はだしのゲン』は、筆者も小学校3、4年のころに読んだ。今読んだら別の感想があるかもしれないが、当時はショックのあまり、夜になかなか寝つけなかった記憶がある。米ソ間の核戦争をテーマにした映画『ザ・デイ・アフター』を観た時は、アメリカはこんな程度のもので震えあがっているのか、と鼻白んだくらいだ。
 その後アニメ化された『~ゲン』は観ていない。観る勇気がないのである。

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2013.9.20

第七十六回 少年の旅立ち 

先日、伝説の国語教師と呼ばれる先生が101歳で亡くなったというニュースを聞いたが、その先生は中勘助の『銀の匙』を3年間かけて読み込んでいくという、一風変わった授業をされていたらしい。私立中学校ならではの教育で、塾ではとても実行できないが、教材が『銀の匙』であることに興味を惹かれた。じっくり読み込むには、たしかに最高の選書ではないかと思う。

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2013.9.12

第七十五回 号外です! 

9月8日、日曜日。JRのある駅の構内で号外を受けとった。
 号外、という言葉に一種不穏な響きを覚えるのは筆者だけだろうか。
 緊急事態発生! 臨時ニュースをお知らせします! という、ただならぬ気配を感じる。筆者の中で、号外というのは、たとえば戦争が起こった時などに出されるイメージが強い。
 今までに号外を受けとったのは一度だけ。1991年、湾岸戦争で地上戦が勃発した時だった。どこかの駅の売店に置かれていたので取っていった。もちろん無料である。

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2013.9.6

第七十四回 夜店にて 

前々回『4つの太陽』の内容で、A二段に対して失礼だとか、ふざけているとか、顰蹙を買っているとの声を聞くこともあるが、とんでもない誤解である。前々回に限らず、このブログで書いていることなど、まず戯れ言なのである。まさか本気にする人はいないだろうと思っていたので、こちらも意識していなかった。読者の方は、どうかあまり大真面目に受けとらず、さらっと流していただきたいが、そうもいかないのだろうか。
 では、無難なネタは何かというと、筆者の「子ども時代」に関するものだろう。おバカな内容だし、昔のことだから、こんなに無難な内容はない。

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2013.8.29

第七十三回 真夏の死 

サブタイトルをご覧になって、三島由紀夫の短編を連想された方は、おそらく文学マニアであろう。だが、同タイトルの短編集『真夏の死』の表題作とは関係がない。
 三島ではなく、ドロンである。
 アラン・ドロン。かつて美男の代名詞とさえ言われた彼の出演作を、今年は立て続けに観る機会があったので、そのことを書いておきたくなった。

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2013.8.23

第七十二回 4つの太陽

太陽が4個もあるなら、『スター・ウォーズ』の砂漠の惑星タトゥーインより多いではないか。って、なんの話かといえば、猛暑日に走ったときに見下ろす武蔵国分寺公園の池や和歌山城のお堀などの水面のことである。
 4つどころじゃない。ギラギラと反射して、無数に散らばっている。太陽がいっぱい、とくりゃ、これはアラン・ドロンか。
 いや、本家ブログの江口師範の回を拝読し、日頃めったにそんなことをしない筆者も、ちょっと真似をして37度の日に走ってみたのだが、もう脳も体もオーバーヒートして、タマランチ会長。夕方なのに参った。参ったぞ、地元の刺田比古神社へ。……と、暑さのせいか今回は尻滅裂、いや、支離滅裂です。

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2013.8.9

第七十一回 2013年、夏合宿(後編)

気を引き締めて臨むべき夏合宿だが、ハードスケジュールの最中にいる筆者は、東京を離れて空手仲間とすごす1泊2日に、正直、解放感も感じていた。
 初日の稽古で大量に汗をかき、風呂に入ってさっぱりすると、さっそくビールを飲んだ。失われた水分を、スポーツドリンクではなくビールで補おうとしたのである。夕食までに、2リットル以上も飲み、酒宴でも延々と飲みつづけ、翌朝は酒が抜けきっていないという始末。本多先生はスコッチの瓶を半分あけても、翌日は普通だったが、筆者はそんなにタフじゃない。自己管理という意味で、いかがなものかと思う。

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2013.8.1

第七十回 2013年、夏合宿(前編)

  今年の夏合宿は昨年と同じつくば山中の体育館で行われ、国分寺道場からは、カツイチ君やヤスオ君やサンローラ君も参加して、一年前より盛りあがったように思う。U太郎君やシオン君など、少年部からの参加もあった。
 ただし、比較的涼しかった去年に比べて、蒸し蒸しと湿度も高く暑かったので、江口師範の指揮の下、みっちりと基本や移動の稽古をすると、終わったころにはみんな水をかぶったように汗をかいていた。その後さらに1時間もスパーリングをしてヘロヘロになるが、普段とはちがって、いろんな道場のメンバーと稽古できる機会でもあった。

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2013.7.25

第六十九回 第3の少年 

前回のブログを書いたら、もうひとつ思い出したことがあった。
 中2の2学期末にもらった通知表のことである。筆者は、中学2年の夏に転校しているので、転校先の学校で初めて渡された通知表ということになる。
 いまだに、それを広げて見たときの衝撃が忘れられない。

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2013.7.18

第六十八回 氏村は「できる」小学生だった!?  

夏休みが目前に迫ったこの時期は、子どもたちの気持ちもうわついている。
 終業式の日は嬉しいものだ。ふり返ってみると、筆者は終業式に夏休みの宿題をもらうことさえイヤではなかった。もちろん宿題をするのが嬉しかったのではない。それらの教材を手にすることで、「夏休みがきた」という実感が得られたからである。
 通知表も渡されたが、小学校低学年のころは、たしか「よい・ふつう・がんばろう」の三段階だった。

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2013.7.11

第六十七回 極真の大先輩 

『新必殺仕置人』で山崎努のことを書いたら、なぜか千葉真一のことにも触れたくなった。現在、サニー千葉と改名されているようだが、この場では、昔からの千葉真一という表記で通したい。
 千葉真一といえば演じた役は限りないが、その中でも『影の軍団』シリーズの伊賀忍群の頭領、服部半蔵。そして『柳生一族の陰謀』などで演じた柳生十兵衛が、筆者としては印象深い。とくに柳生十兵衛の役は「特級」だと思う。

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2013.7.4

第六十六回 説明無用(後) 

 前期必殺シリーズのいいところは、各作品がそれぞれ強い個性を放っていて、まったく型にとらわれていないところだ。こういうのが今受けているから同じような路線で……といったマーケティングなど、はなっから頭になかったのではないか。
『新必殺仕置人』は遊び心が満載の作品で、途中から「屋根の男」というキャラクターまで登場する。赤ふんどし一丁の裸で、高台に張り渡した板に腰かけ、何もつけていない釣り竿をずっと垂らしている、ちょっと頭の弱そうな役だ。実は最終回で正体が明かされるのだが、ストーリーには関係のない彼が、毎回なにか珍ゼリフを口にするのだから、スタッフまで遊んでいる。その遊び心が、ハードな展開がありながらも作品のカラーを明るくしていると思う。

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2013.6.27

第六十五回 説明無用(中) 

 重要なことを書いていなかった。従来の必殺シリーズとちがって、『新・仕置人』には、作品全体の大がかりな設定がある。
 それは、「寅の会」という仕置人ギルドの存在だ。表向きは俳句を読む集まりをよそおい、その実、仕置人の元締・寅(元阪神タイガースの藤村富美男)が依頼人から受けた殺しを競りにかけ、集まった仕置人たちが競り落とすという仕組みになっているのだ。寅の会には、それぞれのグループの一人が代表として参加している。

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2013.6.20

第六十四回 説明無用(前) 

複数の才能が結集し、偶発的にも神がかった傑作が生まれる、ということがあるらしい。
 なにがって、必殺シリーズ第10作『新必殺仕置人』のことである。
 必殺ファンのあいだでも、シリーズ最高傑作との呼び声が高い作品だが、筆者としては必殺シリーズどころか、いや時代劇どころか、いやいやテレビドラマ史上でのベスト作品ではないかと(自分の中では)位置づけている。観ていると、位置づけたくもなるのだ。

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2013.6.14

第六十三回 授業参観日の忘れ物 

やれ「テキストを忘れました」とか「筆箱を忘れました」などと言って生徒が忘れ物をしてきたら、当然、呆れる。(まったく、テニスをする時にラケットを忘れるのかねえ。剣道をするのに竹刀を持たないのかねえ)と思うのだが、考えてみると人のことは言えない。
 自分だって、空手の稽古をやりに道場へ行きながら帯を忘れていった経験がある。このときは江口師範に「じゃあ、僕の帯を使ってください」と完璧な切り返しをされた。
 

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第六十二回 神か悪魔かデ・ニーロか 

ロバート・デ・ニーロ。
 その名前は、数ある映画俳優の中でも特別な輝きを放っている。畏敬という言葉があるが、筆者などは文字どおり「畏れの入りまじった尊敬」を覚えるのである。
 デ・ニーロはとくに目立つ外見をしているわけではない。顔だちは整っているが、女性受けする美男の俳優なら、ハリウッドにはゴマンといる。身長もごく平均的だろう。
 

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第六十一回 鋼の尻を持つ男 

何年か前に、フィットネス・クラブの体験で、ウエイト・トレーニングの各マシンを使用したことがある。
 極真の大会に出場する選手なら、ウエイト・トレーニングは必須であろう。だが、筆者などは、そんなレベルではない。筋トレの延長ぐらいの感覚でしかなかった。
 

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第六十回 オススメの一冊とは? 

オススメの一冊とは?たまに保護者の方から、子どもに読ませるのに何かいい本はありませんか、と訊かれることがある。小学生の生徒本人から求められることもあり、真面目に答えようとすると迷ってしまう。本音を言うなら「自分で見つけてくれ」というのがその返答である。

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第五十九回 無料でも高いと思うこと 

今回、あまり愉快な内容ではない。というのは、また引き抜きの噂を耳にしたので、そのことについて触れてみようと思うからである。

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第五十八回 南半球からの来訪者たち 




5月2日、GW中の木曜日。ニュージーランド支部の方々が国分寺道場を来訪された。

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2013.5.2

第五十七回 最強の敵、その名は…… 

筆者は今、最強の敵に直面している。とんでもない奴が目の前に立ちはだかっているのである。
 その男の名は……。

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2013.4.26

第五十六回 一期一会の昼ビール 

四国を旅していたときの話である。
 4月中旬のその日は、夏のように暑かった。高知県の塚地という辺りで、トンネルの手前に塚地休憩所というのがあり、自販機の前でジュースを買おうとしていると、おばちゃんが飛び出して来て「お冷やを出すから休んでいきなさい」と言ってくれた。

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2013.4.18

第五十五回 春はタケノコを拾って

和歌山市の郊外に、大池遊園と呼ばれる公園がある。
 公園、としかいいようがないのは、大きな緑色の池が広がっていて、個性的な橋が架かっていたり、ボート遊びができたりするのだが、ほかに遊具があるわけでもないからだ。桜と紅葉の名所で、春先や秋には観光に訪れる人が多いらしい。

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2013.4.13

第五十四回 ○○が放送禁止になった理由

天野ミチヒロさんの新刊『蘇る封印映像』が刊行された。

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2013.3.29

第五十三回 どたんば勝負

 必殺シリーズはやはり前期がいい。とくに秀逸なのが、第5作『必殺必中仕事屋稼業』。大富豪の元締がおせい(草笛光子)。おせいの依頼で殺しを請け負うのが、半兵衛(緒形拳)と政吉(林隆三)である。この政吉が、実は幼いころに生き別れになったおせいの息子であることが、第一話のラストでほのめかされる。

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2013.3.21

第五十二回 ハードボイルドの一言(後編)

以前、道場のある先生から「最近どうですか、仕事は?」ときかれ、筆者はそのとき非常に忙しい時期だったので、「いや~、仕事仕事の必殺仕事人ですよ」と冗談まじりに答えると、「必殺!……カナラズ・コロス……ですか」と返された。

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2013.3.14

第五十一回 ハードボイルドの一言(前編)

ずいぶん前のことだが、電車に乗っていると、ちょっと頭の弱いオジサンが車両の中を歩きながら何やらつぶやいていた。
「中村吉衛門、中村勘三郎、中村メイコ、中村玉緒…」
 と、なぜか中村姓の有名人の名をあげながら歩いていく。

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2013.3.7

第五十回 1周年

前回のブログで、筆者が師範と同じ距離を走っていると誤解されているなら、とんでもないことである。同じなのはコースだけであって、筆者の走行距離はもっと短いです、と訂正。
 さて、3月に入って温かくなったが、これからは黄砂の季節でもあるので、ますます中華人民共和国から飛んでくる汚染物質の被害が大きくなるだろう。まったく迷惑なことこの上ない。

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2013.2.28

第四十九回 鍛錬は孤独に

冬枯れの武蔵国分寺公園。一周500メートルの円形広場のふちを2周まわって(自宅および道場に)戻ってくるのが筆者のランニングコース。この道を、道場生のHさんといっしょに走ろうという話があったのだが、結局は筆者が膝を痛めたことで延期になり、お流れとなった。

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2013.2.22

第四十八回 断続も力なり

 このブログで殊勝なことを書くと、まるで運命の神に試練を与えられるかのように、覚悟を試されるようなことが起こるので困る。
 たとえば、「自分で決めた日課はなにがあっても(熱があっても)こなす」ということを書いたら、その直後、12月に体をこわして寝込んでしまった。2日間なにも食べられなくて、稽古も休んだ。たぶんノロウイルスだったと思う。

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2013.2.14

第四十七回 思い出の2月14日

どこでもそうなのだろうか。筆者が通っていた高校では、毎年2月14日に、もうすぐ卒業する3年生を送り出すための予選会というイベントがあった。その日は授業がなく、全校生徒が体育館に集まって、2年生の出し物を見物するのである。

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2013.2.7

第四十六回 神と悪魔がせめぎ合う

前回「生徒から学ぶことがある」と書いたが、これはきれい事でもなんでもなく、言葉どおりの事実である。
 受け持ちの子どもたちの面倒をずっと見てきたうえで、入試の結果を知ると、どういう子が成功し、どういう子が失敗するか、そこに法則のようなものが見えてくる。

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2013.2.1

第四十五回 教える側が学ぶこと

現在、筆者の意識は中学受験のことで大きく占められており、このブログも受験関連の内容が続いているが、なにぶん1年間の仕事の総決算のような時期にきているのだから、ご了承していただきたく思う。
 今回は講師の経験で、ひとつ思い出したことを書く(分量は2回分になります)。

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2013.1.25

第四十四回 危機に立つ小学生 

押忍、6時起きでも仕事が回らないので、ついに5時起きに切りかえた氏村です。忙しいのは、やることを抱えすぎた自分のせいだけど、この状況がいつまでつづくのやら。
 答、2月のあたま。なんでか、中学受験が終わるから。

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2013.1.18

第四十三回 演歌の季節 

最近のこのブログ、空手の話から遠ざかっているとは感じているのだが、そうでないと続かないから、いたしかたなしだ。
 というわけで、高倉健が主演の『駅 STATION』。筆者は市販のDVDを持っているのだが、倉本聰の脚本と健さんの演技がよくて、何度観ても飽きない。映画の中で、音楽の果たす役割が大きいことは言うまでもないが、この作品では八代亜紀の『舟唄』がテレビを通して流れるという、ちょっと変わった使われ方をしている。その『舟唄』がまたいいのである。寒い季節には、しんみりとした演歌がよく似合う。

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2013.1.11

第四十二回 2013年をどんな年にするか 

ジョージ・オーウェルという作家の著作に『一九八四年』というSFがある。なんでも全体主義社会と化した不気味な「近未来」を描いた作品であるらしい。
 刊行されたのは1949年。筆者は未読なのだが、「近未来」といっても、1984年はとうに過ぎ去ってしまった。近未来を描いたSF作品には、小説・映画・漫画を問わず、こういうことが宿命的にある。

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2012.12.20

第四十一回 2012年→2013年 

今年の更新は、12月20日に提出するこの回を持って最終となります。年末年始の休みを挟んで、次回の更新は、来年の1月10日以降になる予定です。

 さて、暮れも押し詰まって、2012年も残すところあと10日ばかり。

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2012.12.13

第四十回 さらば宇宙戦艦タケちゃん 

タイトルを見て「なんだ、また昭和アニメのネタか」と思われたなら、それは違う。ヤマトではなく、タケちゃんである。国分寺道場の指導員で、先月末に故郷の三重に帰った蔀剛仁初段のことである。
 では、なぜタケちゃんが宇宙戦艦なのかというと、「波動砲」を装備しているからだ。

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2012.12.6

第三十九回 1年は12月から始まる 

もしかしたら、お気づきの方もいらっしゃるかもしれない。
 このブログ、前回と前々回の間が二週間あいている。つまり1回分、更新できなかったのである。
 ふん、開始時に毎週かならず更新するなどと言っておきながら、このザマかい、ザマアミロだ、という罵倒の声が聞こえてくる。そんな意地悪なことを言ったり思ったりする人がいるのかって?

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2012.11.28

第三十八回 祝、国分寺道場20周年! 

城西国分寺支部が発足して20周年(21周年)という節目の年を迎え、その記念パーティーが、23日金曜日、立川グランドホテルで開催された。
 ブログにあるとおり、松井館長、郷田師範、山田師範、待田先生といった方々、そして城西の各支部長の方々がお越しになり、大変な盛りあがりだった。松井館長もお若いが、山田師範のなんとお若いことだろう。還暦前だとは、とても信じられない。外見、身のこなし、話し方、すべて颯爽とされていて、40代に見えた。

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2012.11.15

第三十七回 地球空母ブルーノア 

最近の子どもは「宇宙人」という言葉に反発する。
「地球だって宇宙の中だよ。だから地球人も宇宙人なんだ」と言うのである。どこで覚えたのかはわからないが、子どもたち自身の発想ではないだろう。

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2012.11.9

第三十六回 全日本をA氏と観戦 

毎年、秋が深まって空気が冷たくなってくると、全日本の時期だな、と感じる。
 第44回になる今年の全日本選手権は、国分寺ブログにあるとおり、この前の土日(11月3日・4日)に両国国技館で行われた。出場された選手の皆様、スタッフの先生方、お疲れさまでした。

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2012.11.2

第三十五回 山寺の秋 

前回のような内容を書いている氏村さんは、子どものころからさぞ勉強ができたんでしょうね、と思われるかもしれないので、一言つけ加えておきたい。大人になって教職の仕事が当たり前になると、勉強ができなかった頃を忘れがちになる。自分のことは棚に上げて、まったくこの子たちはしょうがないな、などと思ってしまう。前回、フシギ君を揶揄するようなことを書いたが、自分だって中3の今ごろはたいして変わらなかった(あるいはそれ以下だった)。

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2012.10.25

第三十四回 フシギ君とフシギちゃん

ハロウィンをはさんだこの時期は、受験生たちの心も揺らぎがちになる。習い事を休まず受験勉強を続けている子は、思うように伸びない成績に悩み、10月や11月ごろに迷いが生じて、今からでも休会したほうがいいですか、などと言い出したりする。不注意による交通事故やつまらない怪我やいじめなども、なぜかこの時期によく起こる。

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2012.10.18

第三十三回 50年前の13日間

『13日間 キューバ危機回顧録』(中公文庫)という本を、先日読了した。
 書いたのは(口述で)ロバート・ケネディ。キューバ危機当時、アメリカ大統領の立場にあったジョン・F・ケネディの側近にして実弟である。

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2012.10.11

第三十二回 「押忍」の重さ

 まずは、どこかで聞いた松井館長のエピソードから。
 現役選手時代のある日、大山総裁に呼ばれて館長室(当時は大山総裁が館長)に行くと、
「君ぃ、いつやるんだね」
 と、いきなり切り出されたそうである。いつと言われても、何のことかわからない。
「やるのかね、やらないのかね」

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2012.10.4

第三十一回 嵐を呼ぶ男たち

「通過儀礼」という言葉がある。ある段階から、さらに上の境地に達するために経験しなければならない儀式のことで、その多くは試練をともなう。マサイ族なら一人でシンバ(ライオン)を倒す、修行僧なら断食をおこなう、などと過酷なものだが、過酷だからこそ、それを達成することに大きな意味があるのだろう。

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2012.9.27

第三十回 怪奇大作戦

若い読者にとって意味不明の内容は、まだ続く。申し訳ないことである。と言いながら、本当は申し訳ないと思っていないから書くのだが。

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2012.9.20

第二十九回 子どもたちは変身したい

竹島、尖閣に続いて、今回はロシアとの北方領土問題について書こうかと思ったが、国際情勢を語ると、筆者はどうしても感情的になってしまう。平和路線を取り続けている日本に対して、軍事大国の示す無節操な恫喝に憤りを覚えるのである。
 それに、もっと大量のページ数がないと語りきれない。またこのブログであまり重い内容が続きすぎるのも考えものなので、今回は軽いネタにしたい。

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2012.9.13

第二十八回 すぐそこにある悪意

巷で話題の領土問題part2。尖閣諸島って、日本と中国、どっちのものだ?
 1895年から日本領(沖縄県)で、中国もそれを認めていた。かつては中国の地図でも日本領と記され、日本の色に塗られていた。では、いつからゴネだしたのか。

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2012.8.30

第二十七回 国際法で解決を  

ある日突然、隣家のお父さんが我が家の庭に入ってきて勝手に線を引き、「ここまではウチの土地だから、そのつもりでね」と言ったらどうするだろう。
 1952年、李承晩という韓国の大統領が、竹島を含む海域を自国の領海として一方的に定めた、いわゆる李承晩ラインがそれである。

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2012.8.30

第二十六回 紀州の夏 一人さすらい編  

女の子が三人いると、相当にかしましい。姪たちは関西の少女なので、ボケとツッコミを知っている。二女と三女が自作の漫才をするというので見ていたら、冒頭、
三女「いや~、良い天気ですね」
次女「今日、雨やないか」
 と言って次女のツッコんだ裏拳が、モロにみぞおちに入り、三女がうずくまってしまった。続行不可能で、結局そのまま終わり。漫才よりも面白い、とひどいことを思ったが、いいかげん姪の相手にも疲れると、一人で外をぶらつきたくなってくる。で、ぶらついた。

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2012.8.25

第二十五回 紀州の夏 三姉妹編  

やっぱり人間、遊ばなきゃいけないな、と思ったのは、東京でクソ真面目な生活を送っている氏村が、帰省して久々に遊んだからである。具体的に何をしたかというと、海水浴とか、お盆祭りとか、夜店とか、ボウリングとか、スマートボールとか、動物園とか……って、まるっきり子どもの遊びだ。

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2012.8.8

第二十四回 4つのホント   

 「4つのホント」という遊びがある。
 内容は問わないが、口にした5つの言葉の中にひとつだけ嘘がまじっていて、そのひとつの嘘を言い当てるという簡単なゲームである。ここで筆者もやってみよう。
 夏だから海のネタにする。筆者の故郷は和歌山県である。下記の内容はいずれも紀州の海での、筆者自身の体験であると思っていただきたい。5つのうち、どれが嘘かおわかりだろうか。

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2012.8.8

第二十三回 聖域にして魔界   

 4年に一度、国の代表として大舞台に立つ緊張と重圧は、経験した者でないとわからないだろうが、それにしても柔道の結果は残念だった。なにがって、ロンドンオリンピックである。
 オリンピックといえば、どの大会だったかは覚えていないが、大山総裁の生前のエピソードでこんな話を聞いたことがある。出場前の実績からみて世界一、つまり金メダルは確実という前評判の高い代表選手がいたのだが、その選手の練習風景をテレビで見て、大山総裁は「○○は絶対に金メダルを取れない」と言い切ったそうなのだ。   

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2012.8.3

第二十二回 つくば2012年、夏合宿   

まずはオキテ破りの報告から。
 オキテといっても氏村が執筆の目安として勝手に決めていることですが、このブログは毎回、40字×40行の書式で1ページ分、きっかり最後の一行まで書いて、管理して下さっている方に提出しています。でも今回は合宿のレポートということで、通常の倍、すなわち2回分になるということです。

 さて、国分寺ブログでご存知のように、今年の夏合宿は、7月21日と22日にかけて、つくば山中で行われた。
 幸い両日とも涼しく、暑気バテせずにすんだが、それでも空手の動きをすれば大量に汗をかく。初日の稽古では、基本・移動・型・スパーリングと、稽古内容は通常と変わらないが、なにが違うかって、その量である。すべてにみっちりと時間を取って進められた。 

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2012.7.27

第二十一回 宇宙にとって人類とは?(小松左京一周忌)   

去年の7月26日に、SF作家の巨匠、小松左京が亡くなった。享年80歳。星新一と並んで日本のSFを切り開き、宇宙にとって「知」とは何か、人類とは何かを問い続けた人で、筆者はその壮大なスケールの作品を愛し、手に入るものは全部読んだ。
 

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2012.7.19

第二十回 受験生の夏、「停滞は後退」ナリ 

梅雨が明けて、季節は完全に夏。日差しが強く、暑く、街の風景もすっかり明るくなる。
 筆者はいまだに夏が来ると嬉しい。子どものころのように40日も遊べる休みがあるわけじゃないのに、どうしてだろう。それどころか、暑くて多忙だと大変なだけなのに。
 この季節の到来を強烈に喜んでいた子ども時代の高揚感が、心の奥底に残っているのだろうか。  

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2012.7.12

第十九回 バットマンとスパイダーマン 

なんてこった、『アメージング・スパイダーマン』がもう公開されているではないか。しかもバットマンの新作『ダークナイト・ライジング』も今月末に公開らしい。ちっとも知らなかった。今年の夏休み映画は、アメコミの代表ともいえる二つのヒーローが競い合うのだ。

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第十八回 金がない 

「都~会では~」
 と、井上陽水がギターをつま弾きながら口ずさめば、それは『傘がない』だが、氏村が電卓を叩きながら、今月中に必要な出費を弾き出して口にする一言は……「金がない」。

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