国際空手道連盟 極真会館 東京城西国分寺支部

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もうひとつの独り言 2016年

2016.12.29

第二百四十回 本陣殺人事件 

コロコロコロコロシャーン!
 この擬声語が何のものであるかピンときた人は、ミステリがお好きか、あるいは横溝正史のファンではないだろうか。かの名探偵、金田一耕助の最初の事件『本陣殺人事件』で、明け方に鳴り響く琴の音である。新婚初夜を迎えた旧本陣の跡取り、一柳賢蔵とその新婦・克子が寝ている離れへ一行が駆けつけると、夫婦は折り重なって絶命していた。
 襖と障子で構成され、西洋式の鍵がかからぬ日本家屋は、推理小説の世界で、密室トリックが不可能と言われていたらしい。
 ところが離れの周辺は雪が積もり、入った足跡しかない。つまり完全な密室の状況。
 侵入者が隠れていたわけでもない。ということは、新婚夫婦が初夜に心中したのか? だが、凶器に使われた日本刀は庭に垂直に突き刺さっており、周囲の雪には足跡がなかった。
 こんな面白い設定があるだろうか! 筆者が最初に『本陣殺人事件』を知ったのは原作ではなく、子どものころに見たテレビドラマだった。当時は横溝ブームで、古谷一行が金田一耕助を演じる横溝正史シリーズが土曜日の夜に放送されていたのである。
 小学生だったから細かいことはよくわからない。のちに原作を読んで、この事件の動機がものすさまじく特殊で面白いと思ったが、まずテレビで見て、密室トリックに度肝を抜かれた。
 最終回の金田一耕助が謎解きを実演する場面で、びっくりし、かつ非常に感動したのだ。ここでネタバレはしないが、「男の子ゴコロを刺激する」トリックだったことは付記しておく。
 この『本陣殺人事件』の映像化作品を、筆者はドラマと映画で三作品見たが、1983年にテレビドラマで放送されたものが一番よかった。94分にまとめられていてダレないし、セリフがいい。脚本は必殺シリーズでもおなじみの安倍徹郎である。
 ラストで、すべての謎を解きあかした金田一耕助が村を去ろうとしたとき、一柳家の鈴子(賢蔵の妹)が一人、門前に裸足で正座し、呆けたようにお手玉をしている。
 鈴子はちょっと知恵おくれだが、琴にかけては天才的な技量を持っている。まだ十代後半なのに、難病の脳腫瘍に冒され、長くは生きられない宿命を背負った薄幸の少女である。
「おじさん、どこ行くの?」「帰るんだよ。うちに」
 短いやり取りの後、金田一耕助が去ろうと立ちあがった瞬間、鈴子は反射的に、パッと耕助の外套をつかむのだ。全編を通じてほとんど感情を見せなかった彼女が、ここで初めて、自分を馬鹿にせず優しく接していた金田一耕助に「行かないで」という激しい思いを見せる。
 この心情描写がいい。金田一耕助は再びしゃがみ、先の長くない鈴子を強く抱きしめる。鈴子の目から涙がこぼれ落ちる。
 ひと気のない駅で、金田一とパトロンの久保銀造が汽車を待っていると、激しく吹きわたる風の中に幻聴のごとく琴の音が鳴り響く。この物語では琴が重要な役割を果たしている。
 金田一「琴の音、聞こえましたね」
 久保氏「琴? ……風だよ。ありゃ、風の音だよ」
 このラストシーンがいいのだ。今まで、この83年版『本陣殺人事件』のDVD化を渇望していたのだが、今年の4月に実現したのは嬉しかった。



2016.12.22

第二百三十九回 握手にまつわる話 

前回の稽古が終わった後、帰り際に、H氏が手を差し出してきた。
 それに応じて握手をすると、手の甲に口づけしようとするではないか。慌てて振りほどいた。
 まったく何をされるかわかったもんじゃない。聞けば、今そんな挨拶が道場内で流行っているそうだが、あまり妙なことを流行らせないでいただきたいものだ。筆者は「淑女」ではないのだから、かように西洋式の礼を尽くされても困るのである。
 握手といえば、筆者の教え子で、ある日の帰り際、玄関で待っている子がいた。6年生の女子である。筆者が帰ろうとすると、後をついてくる。なにか話したいことがあるのだろうか、と思ってきくと、べつに相談ごとはないらしい。ただ、今日は自分の誕生日なのだという。
 その子は、筆者の「カノジョ」を名のっていた。もちろん言葉だけの話である(念のために強調)。子どもの言うことだから、こっちも大まじめに否定はせず、好き勝手に言わせていた。それにしても、年齢差も甚だしいのに、なぜ「対等の感覚」なのか、よくわからない。
 とにかくその子を駅まで送ってあげたのだが、なぜ誕生日だと待っていたのか、これもよくわからない。なにかして欲しいことがあるのだろうか、と思って、駅構内で別れ際にきいたら、「握手」だと言う。
 誕生日でして欲しいことが、「握手」……なんか可愛かった。
 一方で、握手を拒否されたこともある。
 どこの塾でもやっていると思うが、1月の最後、受験に送り出す締めくくりの会があり、最後に一人ずつ握手をしていくのだが、それを拒否して素通りする子がいたのだ。
 冬期講習会の最中、四、五人の女子グループが連日トイレに集まり、下ネタで盛りあがっていたのを筆者が叱ったのである。緊張の糸を張りつめていくべき時期だった。いわば弓を引き絞っていくようなもので、受験直前に弛ませては、矢が的(目標)に届かない。
 で、喝入れできつく叱ったら、何人かに逆恨みされた。こっちも握手したいわけじゃないから、拒否は一向にかまわないのだが、誰のために叱ってあげているのかと思う。
 入試応援でも握手をする。これは筆者の経験ではないが、信じられないことに、笑って逃げていく女子がいたという。このように握手に過剰反応するのは、たいてい女子である。
 この話を聞いたときは、正直、バカじゃないかと思った。気合いを充実させながらも平常心で臨まないといけない時に、なにをチャラけているのだろう。目前の大勝負へと意識が向いていない。これだけで、もう結果は見えている。
 だいたい先生たちは、早朝6時ごろから正門の近くで待っているのだ。一年でもっとも寒い時期の、もっとも寒い時刻、冷えきった路上で、握手する瞬間のために待っているのに、激励される側が笑って逃げるなんてどうかしている。自分のために来てくれているという想像力も働かない程度の頭脳が、変化球をくり出す入試問題に対応できるはずもなかろう。
 さて、H氏の握手からここまでネタを引っ張ってきたが、握手といえば(これは筆者にとって究極のカミングアウトなのだが)、実は大山総裁に握手していただいたことがあるのだ。
 詳しい経緯は書かない。若い頃だから感激もひとしおだった。
 AKBのファンもそうなのだろうか。その日、手を洗わずに寝たことは言うまでもない。



2016.12.15

第二百三十八回 ファッショナブルではない男の独り言 

今年は(といっても、まだ終わっていないが)、筆者個人の支出において衣類に1円も使わなかった。
 もともと同じ服を何年も着ており、衣服には金をかけない方なのだが、それにしても靴下ひとつ買わず、まったく金を使わなかった一年というのは珍しい。カジュアルになると「服装が若い」と言われるわけだ。
 オシャレといえば、最近、街中で帽子をかぶっている男性を何人か見かけた。丸縁で黒っぽい、同じようなタイプの帽子だったので、流行しているのかもしれない。だとすると、意外な流行である。
 子どものころは、筆者も夏によく帽子をかぶっていた。球団のマークが正面に入った、ひさしのある野球帽だ。
 筆者は野球に関して無知だったが、阪神や中日の帽子をかぶっていたことを覚えている。でも、それは野良仕事における麦藁帽子と同じで、ファッションではなく、日ざしをさえぎるためという実用的な理由からだった。
『アンタッチャブル』など、アメリカの禁酒法時代を背景にしたギャング映画を観ていると、登場人物たちが一様に帽子をかぶっているのだが、今はそれほど一般的なファンションではなくなっている。こういうことって、なにをきっかけに、どこらへんで変わるのだろう。
 たとえば、マントもそうである。今では街中でマントを羽織っている人など見かけたことがない。
 漫画の登場人物でもブラックジャックしか思いつかない。アニメだとデスラー総統とかガッチャマンとか、特撮だとゴレンジャーなど(例が古いですか)戦隊モノの五人組ぐらいである。
 中世だと、カトリックの宣教師や、彼らにそれを贈られた織田信長。そして、よく知らないが中原中也や太宰治がマントをつけた姿で写っている写真を見たことがあるので、これも戦前では珍しくなかったのだろう。
 帽子以上に見かけなくなっているが、今でもどこかで売っているのだろうか。実用的にはどんな便利さがあったのだろう。
 今のファッションで、変わって欲しい(というか廃れて欲しい)と筆者が思うのは、ネクタイである。
 クールビズの概念が広まったおかげで、夏の暑い盛りにつけなくてもよくなったのは助かるが、改まった場に出るときは着用しなければいけなくなる。それが暑がりの筆者にとっては息苦しいのだ。
 応対する相手にとっても、真夏は炎天下を歩いてくるのだから、スーツにネクタイを締めた服装を見せるのは暑苦しく、好印象とは思えないのだが。
 冬でも首を絞められるようで窮屈だ。筆者だけかもしれないが、結ぶのにモタついて出勤が夏場より遅れてしまう。よほどの場合の礼装としてならともかく、日常でいちいち結ぶのは、とても面倒だと感じる。
 帽子やマントのように、ネクタイが懐かしまれる時代になって欲しい。



2016.12.8

第二百三十七回 アラレちゃん登場 

なんでも今、車のテレビCMにアラレちゃんが起用されているらしい(というウワサを聞いた)。
 筆者は大晦日と帰省した時ぐらいしかテレビを見ないので、実際にどんなCMかは知らないが、実写とアニメとの合成かと思われる。
 とにかく、CMを通して今の子どもたちもアラレちゃんを知っているわけだ。
 知らない人のためにいうと、アラレちゃんというのは、鳥山明の漫画『Drスランプ』に登場する主人公で、則巻アラレという。Drスランプこと則巻千兵衛なる博士によって作られた精巧なアンドロイドなのだ。
 といってもSFではなく、完全にギャグ漫画だった。
 たしか、第一話で「博士の顔が変に見える」とか言って、千兵衛が「それはいかん。目が悪いんだ」と、ロボットなのにメガネをかけさせた。両サイドに羽のついた帽子とならんで、アラレちゃんのトレードマークである。
 特技は、なんと「地球割り」。地面を叩いたらパカッと地球が割れてしまう。空手家もびっくりである。ロボットだから怪力で、パトカーにぶつかっても壊れるのはパトカーのほう。「子どもが車をはねた」と言われて、二人組の警官に恐れられる。
 とにかくメチャクチャ面白くて、筆者は子どものころ夢中で読んでいた。コミックの新しい巻の発売が待ち遠しく、買ったときにワクワクしたことを覚えている。連載誌である『少年ジャンプ』の読者プレゼントで、ペンギン村の地図をもらったこともあった。
 鳥山明の『ドラゴンボール』の前の作品で、これが作者のデビュー作なのだが、当時の子どもにとって『Drスランプ』の登場は衝撃的だった。
 なにがって、まず舞台となる「ペンギン村」の世界観がぶっ飛んでいる。
 タキシードを着て度の強そうなメガネをかけた豚さんが、木の上に立ち、マイクで「コケコッコー」とアナウンスして朝を告げるのである。もうそれだけで大受けだった。
 太陽が歯磨きしているし、ウンコが笑顔(!)。そのウンコを、可愛い女の子のアラレちゃんが木の枝でつつく(それが趣味だという)。
 しかもご存じの通り、鳥山明の画力がすごい。大友克洋や井上雄彦など、絵がうますぎる漫画家さんはいらっしゃるが、鳥山明の絵は、とくにメカの描き方に丸みがあり、しかも精緻で、ほかに見たことのないタッチだった。
 ギャグも面白かった。ブビビンマンというハエ型の宇宙人がペンギン村にやってきた回を覚えている。宇宙人といってもかぶり物をしたオッサンなのだが、アラレちゃんと勝負して、ことごとく負ける。「次は相撲で勝負だ」「相撲ってなに?」と訊かれて、(ワシほんとに宇宙人だろうか)と思いながら、日本の国技を説明したりする。最後はアラレちゃんがつつくウンコのにおいに反応し、(ハエだから)「こ、これはなんという食べ物ですかあっ!」と真顔でたずねるシーン(たしか一コマ使っていた)で爆笑した。で、自分の星へ帰るのに「持ち帰り」を注文したりするのである。
 と、こんなことを書いていたら、また読みたくなってきた。昔持っていたコミックはもうないので、1巻から買い直すことにする。36年ぶりの再読である。



2016.12.1

第二百三十六回 80年代は熱かった 

筆者の手元には、ネットで買った『心に響く唄』というCDがある。
 昭和のヒット曲を40曲も収録した二枚組のCDで、一枚目だけでも、たとえば『異邦人』『青春時代』『初恋』『カリフォルニア・コネクション』『秋桜』『悲しい色やね』『カモメが飛んだ』『なごり雪』といった名曲が連ねており、しかもカバーではなく歌っていた当の歌手、たとえば『木綿のハンカチーフ』なら太田裕美による歌が収録されているのである。
 聴いていて、『異邦人』だと、あの異邦人らしき人がふり向くCMを思い出したり、『カリフォルニア・コネクション』だと『熱中時代 刑事編』のオープニングが蘇ったりした。また、このメロディラインは、日本をこえて世界レベルでの名曲であるように思った。全米ヒットチャートというやつを席巻してもまったく不思議ではないほど素晴らしい曲がいくつもあるのだ。
 一発屋さんのヒットもあるかもしれないが、それは歴史に残る一発だった。
 70年代にまでさかのぼるとあまり知らないが、『北の宿』や『津軽海峡冬景色』は子どもながらに名曲だと思ったし、『勝手にしやがれ』や『傷だらけのローラ』は、学校の帰りに友だちと口ずさんでいた。
 懐古趣味かもしれないし、筆者が芸能に疎いから思うのだが、最近の歌謡曲よりも80年代までの曲のほうがいいような気がする。
 アニメでも、筆者がよく引き合いに出すような作品って、今はないのではないか。
 と言えるほど知らないのだが、知るかぎりではどうも小粒になっているように思えるのだ。いやいや、知らないのなら語るべきではないか。
 本家ブログの美幸先生の文章によると、プリキュアは内容が濃いようだし、今のアイドル・グループも、江口師範が感心するほど練習を積んでいるらしい。
 となると、筆者の80年代文化への偏愛は、ノスタルジックな感傷のせいか、あるいは単に自分の感受性が鈍っているだけの話かもしれない。
 そういえば80年代は、ちょうど筆者の青春時代と重なっている。
 時代の空気というのはもちろんあるわけで、80年代の文化というのは、なにかに浮かされているように熱かった。
 子どもは当然、それに影響を受ける。バブル以降に青春を迎えた世代とは、ここがあきらかに異なるところだろう。
 筆者が高校時代をすごしたのは、和歌山南部の地方都市だったが、そこの繁華街……ご多分に漏れず「地方都市名+銀座」という名称だった。なんとショボい「銀座」だろう! そういう銀座は日本各地にあるのだが、やや恥ずかしく思うと同時に、どこか微笑ましくもあるネーミングセンスである。……とにかく、その和歌山南部の「銀座」の通りを歩いているときに、歩道の上に設置されたスピーカーから、いつも流行歌が流れていた。
 それが心に残っている。時代が、流行歌とともにあった。
 そういえば、当時は『ザ・ベストテン』という歌番組があって、自分らはその番組を通して歌やアーティストを知っていたのだが、今の子たちはどのようにして時代の流行歌に出会うのだろう。



2016.11.24

第二百三十五回 エイリアンなんて、ありえん 

 前回のつづきのようなネタを。
 つまり宇宙人の話だが、「宇宙」という言葉に対して、「地球も宇宙だ」と突っこまないでほしい。そういう人は地球の海を航海する船を「宇宙船」だと認識しているはずである。
 さて、古来よりSF作家たちは様々な宇宙人(異星人)のイメージを描いてきた。
 映画でいえば『エイリアン』のような「メタリックな有機体」というデザインは、昆虫のように変態したり寄生したりするという生態の設定とともに斬新だった。あれは制作者か監督か、誰かスタッフの夢に出てきた怪物の姿だという話を聞いたことがあるが、うろ覚えである。
 ちなみに英字タイトルの『ALIEN』を、筆者は小学生の時、「ありえん」とローマ字読みしていた記憶がある。たしかに「ありえん!」と思えるような話ではあった。
『インディペンデンスデイ』や『スターシップ・トゥルーパーズ』のような昆虫型は、劣悪な環境でも生存できるという意味では理にかなっているが、あの体で高度な文明を築いているのは不自然な感じがする。
 筆者はぐにゃぐにゃした軟体系の宇宙人が好きで、SF小説だと、古典だけれどウエルズの『宇宙戦争』に出てくるタコ型火星人などは秀逸だと思う。『宇宙戦争』の原題は『The War of the Worlds』といい、刊行が1938年、まだ第一次世界大戦の前であることを考えると、この題名は興味深い。もちろん冷戦の構造のように主義と主義との対立が顕在していなかった中で、地球外からの侵略との戦争に対して、こういう題名をつけたのだ。
 スピルバーグの『宇宙戦争』(トム・クルーズ主演のほう)は、映画館に観に行ったけど、宇宙人のサイズが大きすぎたせいか、これも高度な科学技術を駆使する知的生命体という感じがしなかった。スピルバーグといえば、筆者はいまだに『E.T』を一度も観ていない。
 来訪する理由は、なんといっても侵略がいい。クラークの『幼年期の終わり』とか、ハインラインの『人形つかい』に出てくるタイタンから来たナメクジ型の生命体、人に取り憑いて乗っ取るやつが、おぞましくていい。
 ジャック・フィニィの『盗まれた街』(映画『ボディ・スナッチャー』の原作)の莢をつくるやつも不気味な「乗っ取り系」だが、この作者にはリリカルな味もあって、原作のラストシーンなどは美しくさえあった。
 軟体系といえば、『マックイーン絶対の危機』、その第二弾『人喰いアメーバの恐怖』、さらにリメイク作の『ブロブ』などは、ぐにゃぐにゃ生物の極みだろう。筆者は三作ともDVDを持っているが、『マックイーン絶対の危機』という題名はないと思う。役名ではなく、俳優の名前ではないか。これじゃスティーブ・マックイーンが危機に陥ったみたいだ。
『宇宙戦艦ヤマト』だと、肌の色が違うだけで地球人類と変わらない二足歩行の宇宙人が登場するが、あれは艦隊戦をおこなうためのストーリー上の必然である。
 さらにつけ加えると、『ウルトラセブン』に登場する宇宙人たちのデザインも魅力的だ。
 とくにビラ星人やチブル星人が好きだが、エレキングもすごい。特筆すべきは、目がないところと、回転する角、そしてあの色彩だ。ゴジラ型の体型はレッドキングを始め珍しくないが、それをホルスタイン牛のように白と黒で彩るなんて、前衛芸術のようである。



2016.11.17

第二百三十四回 遠くエウロパを想う 

今度は小沢先生のブログに触発されて、地球外生物のネタを。
 木星の第2衛星エウロパで、水蒸気の噴出が確認されたとのこと。せせこましいニュースが世間を騒がせる中、このようなスケールの大きな話題に想いを馳せるのもまた一興ではないか。
 筆者が思うに、まず生物はいる。たぶんだけど。
 でも、半ば断言。もちろん想像の域は出ないが、水があるところには、いないほうが不自然だと思う。
 もっとも、その形状および生態は、想像力のおよぶ範囲をこえているだろう。
 それは、宇宙という大自然の環境が想像できないレベルにあるからだ。
 恒星で例を挙げると、オリオン座のベテルギウスは、大きさが(変動するが)太陽の二千倍もあるという。白鳥座のデネブなどは、明るさが太陽の一万倍だとか。
 絶対等級で全天一、太陽の一万倍の明るさなど、見当もつかない。小沢先生のブログにあったが、エウロパでは水蒸気の噴出が地上200キロにもなるそうだ。いったいどんな「大自然」だろう。
 我々は地球の中で、それも同じ日本の同じ地域に住んでいて、暑いとか寒いとか言っている。地軸の傾きで北半球が太陽に近いか遠いかどうかで、夏はうだるように暑く、冬は凍えるように寒いのだ。先週だって、金曜日はジャンパーが必要なほど寒かったが、土曜日は半袖の人もいるぐらいの陽気だった。
 地球上でも、アマゾンやガラパゴスなど、ちょっと環境が変わるだけで、そこにいる生物を「珍しい」と感じる。深海となればさらに神秘的だ。空間だけでなく、時間軸で考えても、ジュラ紀や白亜紀、そして古生代の海などは、異様な生物であふれている。
 まして、惑星レベルで環境が変われば……。
 映画の『スター・ウォーズ』シリーズのように、軽自動車を駆るような感覚で惑星間を行き来できれば、こんな素敵なことはない。けれど、惑星が違えば、重力はもちろんのこと、自転や公転の周期も違う。砂漠の惑星タトゥーインも、氷の惑星ホスも、森の惑星エンドアも、すべて地球でロケされているのだ(といったら夢がないか)。
 となれば、その恒星系に棲む生物もしかり。形状や生態が、ちょっと想像できる領域を超えているのではないか。現時点で、我々はまだ地球外の生命体に第三種接近遭遇しておらず、思い描く生物の見本は、すべて地球内のものだからだ。
 だから夢があるともいえる。
 エウロパの場合、公転周期が3日と13日だそうで、その世界がどんな環境なのか想像を絶するし、水棲生物というのが、またイメージをそそる。首長竜のたぐいやモササウルス系の海獣を現物で見ることができれば夢のようだが、もちろん叶わぬ夢である。たぶんカンブリア紀の海のような奇怪な形状の生物だろうなと思うが、その発想自体が地球内の枠を超えられていないのだ。
 ちなみにSF映画『エウロパ』を、筆者は見ていない。



2016.11.11

第二百三十三回 同い年だった 

だった、と過去形で書いたが、もちろん現在でも変わらない。なにがって(小野先生のブログに触発されて)アイドルの話である。堀ちえみという名前を目にして懐かしくなったのだ。
 思えば、筆者らが青春を過ごした80年代はアイドルの全盛期だった。アイドル産業の形態が今とは異なっており、○○隊と呼ばれる3名ほどのチームは複数あったが、グループというよりは個人で活動する人が多かった。そう、おにゃんこクラブが登場するまでは。
 初めて部屋の壁に貼ったポスターが何だったかを考えてみたが、筆者は中学の時に映画小僧だったので、映画館で買った外国のSF映画のポスターを貼りまくっていたのが最初だろう。
 アイドルだと、倉沢敦美を貼っていたことを覚えている。なつかしや、『わらべ』のかなえちゃんである。
 現在のAKBなどは、握手会の券を入手すれば実際に本人と会って握手できるというのが、かつてない戦略で、ファンにとっては、あこがれのアイドルと実際に会えるのだから、これは身近に感じられるどころではない。
 アイドルとファンとのやりとりにSNSなども使われるようになっており、親しさを勘違いするファンが現れて事件にもつながっている。
 一方、筆者らの頃は、アイドルといえば完全に別世界の存在だった。田舎に住んでいたから尚更のこと、はるか遠くの東京という大都会で華やかに活動しているきらびやかな人たちだったのだ。
 中学の修学旅行で初めて東京へ行き、東京タワーなども見学して、バスがテレビ東京の前に停まっていた時、なんと、すぐ近くを松田聖子が通って大騒ぎになった。
 後部座席の者たちは「生聖子」を見て、「むっちゃ(めちゃ)可愛い」と、ものすさまじく興奮していた。その余韻は布団を敷いて寝る段になっても残っており、まだ「恋心がうずくよ?」と言ってる者もいた。ちなみに筆者は要領が悪く、バスの後ろのほうにいたのに「えっ、どこ? どこ?」と探したあげく「生聖子」を見ていない。
 そのように特別でありながら、彼女たちが身近に感じられる一面もあった。
 それは「同い年」だったことだ。
 堀ちえみ、石川秀美、菊池桃子、薬師丸ひろ子、などなど、ほんの少しだけ年上だったが、そのうちタメのアイドルもデビューするようになっていた。自分は和歌山の片田舎で、とくに何をするでもなく無為な日々を消化するだけの高校生活を送っている一方、同い年なのに首都でスポットライトを浴びて、もう「仕事」をしている少女たちがいる!
 この「天上人でありながらクラスの女子」みたいな、遠いけれど近いようでもある矛盾したバランスが刺激だった。
 また中学生ぐらいの頃だと、ファンというより、ごく普通に恋の対象にもなり得るものだ。初めてアイドルの「レコード」を買った時は緊張した。買いたい。むっちゃ(めちゃ)欲しい。でもレジに持って行ったら、「この子が好きだって店の人にばれてしまう」とさえ思った記憶があるから、つまり「本気」だったのだろう。我ながら初々しいことよ。結局は買ったけど。



2016.11.3

第二百三十二回 声優さんのお仕事 

 国民的人気アニメ『ドラえもん』で、かのジャイアンの声を担当していた声優のたてかべ和也さんが亡くなったのは、去年だった。
 そして先月、今度はスネ夫役の肝付兼太さんの訃報を聞いた。
 肝付さんは、スネ夫が有名だが、
『銀河鉄道999』の車掌さん
『怪物くん』のドラキュラ
『サイボーグ009』の007
『ジャングル黒べえ』の黒べえ(主役)
『ハゼドン』のプーヤン(知ってますか?)
『ドカベン』の殿馬(そういえば)
 などなど、これでもほんの一握りで、膨大な数の作品に出演されていたようである。
 ちなみに、たてかべ和也さんは、ジャイアンのほかに、
『はじめ人間ギャートルズ』のドテチン
『ど根性ガエル』のゴリライモ
『ヤッターマン』のトンズラー
 など、やはり演じる対象の傾向が似ており、いずれもキャラクターの「体格」に共通点が見られる。お二人とも、声だけを頼りにその役を演じ、どれもはまり役のように思えるのだからすごい。
『ドラえもん』は筆者らが小学生のころから見ていたが、声の出演が自分の親の世代よりも上の方々だとは、まさか思わなかった。
 しずかちゃんの声などはきれいで、同い年でも通じるほどだったから驚きだ。声優の方々が、いかにすばらしい演技力で楽しませてくれていたかということである。
 日本のアニメは海外でも人気らしいが、『ドラえもん』が翻訳されても、これほどの才能が集まって演じられることは、まずあり得ないのではないか。
 訃報を聞いてさびしくなったり、友人のあいだで話題になったりするのは、子どものころに夢を与えてくれたことへの感謝があるのかもしれない。
 それにしても、筆者はいまだに「おぅ、のび太ぁ」というジャイアンの声も、甲高いスネ夫の声も、しずかちゃんの上品な「のび太さぁん」も、のび太が救いを求める「ドラえも~ん」も、もちろん大山のぶ代の「こんにちは。ぼくドラえもんです」も、耳に残っている。これは筆者にかぎらないのではないだろうか。
 筆者は今のアニメは知らないが、『ヤマト』だと、古代進の「波動砲発射用意」や、徳川彦左衛門が重々しく告げる「エネルギー重点120パーセント」、『ルパン』だと山田康雄の軽妙なノリや、石川五右衛門が渋く自嘲する「またつまらぬものを斬ってしまった」や、『999』だと星野鉄郎が叫ぶ「メーテル!」などの声が鮮やかに思い出せる。
 顔は知らないのに、亡くなった後も、その声が大勢の人々の記憶に残りつづけるなんて、すごいことだ。そんなお仕事は、ほかにないだろう。



2016.10.27

第二百三十一回 ギャグとユーモア 

 ギャグとユーモアは違う。では、どう違うのかというと、筆者の手元にある辞書を引いたところ、ユーモアの項目には「上品なしゃれ」と出ている。複数の辞書で調べても「上品」という一言が共通しているので、これは定義に要する言葉といってもいいだろう。
 ギャグは手段を選ばない。たとえば、お尻を出して笑いを取るのもアリなのだ。
 ユーモアのほうは、筆者の感覚でいうと、「言葉重視」のような気がする。捨て身の手段も含まれるギャグに対し、言葉による笑いは必然的に上品で、かつ知的にならざるを得ないだろう。また、緊張を和ませる働きがあることは言うまでもない。
 そう、ユーモアを使うには、ある程度の知性が必要とされるのだ。またユーモアを解するほうにも同じことがいえる。アホには使えないし、わからない。塾でも、ちょっと気の利いたジョークを言っても、下位クラスの子はポカンとしている。上位クラスの生徒ほど反応がいい。
 ちなみに、ユーモアが理解できるには、子ども時代の会話の多寡が影響するらしい。幼少期の会話によって言語に関する知性が鍛えられるという話を聞いたことがある。
 さて、ユーモアといえばイギリスが有名だが、映画の007シリーズでも、主人公のジェームズ・ボンドがウイットの効いたユーモアを連発する。
 ロジャー・ムーア主演の『ムーンレイカー』で、ロシアの女性スパイが持っていた小道具のサンオイルを手に取り、ポンプを押すと、小型の火炎放射器になっている。
 で、一言。「日焼け用だな」
 同じくボールペンを取り、ノックを押すと、先端からピシッと針が飛び出てくる。
「遺言でも書くか」
 こういう気の利いたセリフだけでも作品を面白くしている。
 フィクションではなく、現実でも、ユーモアの精神は発揮されている。
 有名な例で恐縮だが、第二次大戦中にドイツ軍のV2ロケットの空爆を受け、入口を破壊されてしまったロンドンの店舗が「当店は入口を拡張しました」との看板を出したこと。一種、自虐的とさえいえるが、不幸を逆手に取るしたたかさが精神的な余裕を感じさせる。
 イギリスといえば、これも有名な話だが、マーガレット・サッチャー元首相が、国会で野生動物保護に関する法案を通そうとしていた時のこと。野党のあまりの野次の激しさに、
「お静かに。この法案が可決して、真っ先に恩恵を被るのはあなた方なのですよ」
 これじゃ、誰も野次を飛ばせない。なるほど、咄嗟にこういう切り返しができるのは、頭が良くなくてはできないだろう。また、この可笑しみが理解できない人には面白くないのだ。
 身近な例をひとつ。筆者が審査会のお手伝いに行くことになった時だ。
 アジアジに場所をきいたら、「東京体育館」という返信が来た。そこまで行くの? 府中総合体育館だろ、と確認のメールを送っても、アジアジは一つ覚えに思い込んでいるので自分のまちがいに気づいていない。で、恐れ多くも江口師範にメールでお訊きした。返信は、
『惜しい。集合時間は合っていますが、場所は大阪府立体育館です』
 もっと遠いじゃないですか!
 一瞬、ドキッとしながらも面白かった。日常で知的なユーモアに接した瞬間である。
 


2016.10.21

第二百三十回 『極真空手50年の全技術』 

極真会館の総本部長であり、城西支部長も務められている山田雅稔先生の御著書『極真空手50年の全技術』が発売中されている。
 50年といえば半世紀である。人生の中で占める時間としては長いが、格闘技の歴史としてはけっして古くはない。どころか新興勢力といえる。
 古代ギリシャや中国では紀元前からの記録が見られるし、日本でも同じころに「角力」はあったとみられる。垂仁天皇の時世に野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)の対戦が『日本書紀』に記されているのは、ご存じの通りだ。角力と言っても、蹴速というからには蹴り技の名人だったのだろう。つまり打撃系の武術が存在していたとみていい。
 そういうものと比べ、この50年という「短い」期間の中で、極真会館ほど格闘技界に刺激と影響を及ぼし、技術を変遷させてきた団体はないのではないか。
 途中、無惨な分裂騒動はあったが、そういった組織の事情とは別に、大会に出場する選手たちは無心に研鑽を続けてきた。
 その技術の推移を、ご自身も選手として活躍されながら、第3回から全日本大会をご覧になってきた山田先生がお書きになっているのだ。思いついて一朝一夕にできる仕事ではなく、50年の集大成といえる大業なのである。
 山田先生の御著書には、ほかにも『能力開発と目標達成』があり、筆者は20代のころ、これを5回くり返し読んだ。凹んでいる時に読むと、やる気が出るのである。2冊持っており、アジアジが欲しがっていたので、1冊あげた。
『極真空手50年の全技術』に話を戻すと、筆者は毎日、少しずつ(平均2、3ページのペースで)じっくりと読んでいる。山田先生は極真会館の本部長であり、一介の道場生である筆者から見ると雲の上の存在なので、その著作について語ることすらおこがましいのを承知で申し上げると、非常に緻密で、かつ面白く、わかりやすい。
 たとえば、中段廻し蹴りの冒頭だが、ルールで掴みが禁止になってから中段が効果的になったなんて、考えたこともなかった。まず、その時代を知らない。
 逆説的だが、なるほどルールによって限定されることで、実戦性と引きかえに技術が発達することもあるのだ。今年だってすでに足払いの技術が取り入れられ、道場には畳が敷かれている。
 さて、技術といえば、高度な話ではなく、筆者はたまに、道場に通っている10代や20代の若者とスパーリングをする際、普通に打ち合っていていいのだろうか、と思うことがある。
 スタミナ比べをしてどうするんだ、と思う。大人なら、もっと別の戦い方をするべきではないだろうか。このまま同じように張り合っていても無理が生じる。
 なんというか、筋力ではない空手を目標とするべきなのだが、それだと極真ではなくなってしまうし、かといって年齢差を考えると、打ち合っている自分はあまりに「芸がない」というか、スマートでないように思えるのである。
 でも、まあ、まずはコンスタントに道場に通うことが先だろう。今は絶対的に稽古量が不足しているのだから。



  2016.10.13

第二百二十九回 女子力とは何か? 

岩倉流につづいて、今度は「女子力とは何か?」である。
 なんなのだ、この言葉は。
 出版不況が叫ばれる昨今だが、新書の勢いは衰えていないらしい。その題名に『○○力』とやらが多いのも相変わらずで、よほど効力があるのか、まだ世間の人々に飽きられてはいないようだ。しかし、その『なんとか力』の洪水の中にも、『女子力』というのは見かけたことがない。
 直訳すれば「女子の力」ということになる。が、もちろん筋力や体力など、フィジカルな意味でのパワーではないだろう。
 ちなみに、ここでいう「女子」がさす年齢層の幅は相当に広いらしく、上は40、50代、下は小学生でも意識が向けられており、
「○○ちゃんが、休み時間に、女子力を高める本を読んでたよ」
 などという報告を聞いたことがある。
 子どもながらにそういうことに興味があるのだろう。
 女子力もいいけれど、筆者としては、できれば「漢字力」や「語彙力」や「記述力」も高めて欲しいものだ、とは思っている。
「女子力って、なんやねん」
 と、ストレートに意味を訊いてみたところ、
「女子としての魅力」
「女の子らしさの度合い」
 という解答が返ってきた。
 その場で大まじめに辞書を引く子もいたが、むろんそんな語が(広辞苑にだって)載っているはずもない。筆者の感覚としては、なんとなくだが、後者のほうが、より端的にその本質を表しているように思える。
 というのは、クラスで「女子力の高い子」を実名をあげて示した子がいるのだが、そこで名指しされた数名の子たちには、いずれも「おしとやか」という共通項があるように見受けられたからだ。
 さらには、料理や裁縫などの能力の高さや、細やかな気配りといった、見た目の派手さとは別の、一種、家庭的な要素が重視されているようでもあった。
 ところで、この言葉が面白いと筆者が思ったのは、対義語ともいうべき「男子力」がない点である。こだわりに、あきらかな性差があるのだ。
 これはなぜなのだろう?
 って、ほんとは別にどうでもいいのだが。
 今回、パッと思いついたネタを、テキトーにキーボードを叩きながら、無理やりここまで引っ張って書いてきたのだが、本音を言うと、こんなこと、まったくどうでもいい。まったくどうでもいいまま、オチをつけてしめくくるべくもなく、設定した枚数まできてしまった。
 ので、いきなりここで終了。



  2016.10.6

第二百二十八回 割れるのなんの 

 なにが割れるって、教室の窓ガラスである。
 前回、一人の不良がいきなりキレて、教室の窓ガラスを椅子で全部割ってしまったことを書いた。もちろん現在ではなく、筆者が中学一年生のころだ。尾崎豊『15の夜』の「夜の校舎 窓ガラス壊して回った」どころではない。真っ昼間の授業中なのだ。
 その時にかぎらず、非常によくガラスが割れる学校だった。
 なにかあると、すぐ割れる。筆者も休み時間に友だちとふざけていて、友だちを押した拍子に、彼の背中に当たったガラスがあっけなく割れた。
 ひとつ付記しておくと、「ガラスの材質が脆かった」ことも理由に挙げられる。
 普通の学校で使われている厚みのあるものではなく、薄手の磨りガラスだったのだ。
 ちょっと圧力が加われば簡単に割れてしまう。学校も、中学生が集う教室に、なにを考えてあんな脆いガラスを備えていたのだろう。
 そんな状況なので、学校側は「古新聞回収」という苦肉の策を編み出し、実施していた。
 毎週月曜日、生徒の家庭から古新聞を集め、それを金銭に換えて破損したガラス窓の修繕に当てるのである。
 月曜日の朝、律儀にも古新聞の束を片手に提げた生徒たちが通学路を歩いていく光景は、暴力学校の風物詩のようであった。筆者は一度もやったことがないけれど。
 さて、生徒が教師の目の前で意図的に窓ガラスを叩き割るという蛮行を前に、当の教師は「おい、やめろよ……」と小さくつぶやくだけだった、ということも書いた。筆者は一番前の席だったからその言葉を聞き取ったが、後ろの席では聞こえないほどの小声だった。
 これは無理もないことだろうか? 前回のブログを書いて、あらためて考え直してしまった。
 彼は、このブログの読者諸兄のように、空手の心得がある先生ではない。技術科の担当だが、細身で銀縁メガネをかけた、ごく普通の(推定)30代男性教師だった。
 筆者たち生徒が驚いたように、その教師も驚いたはずだ。生徒が椅子をぶん回して教室の窓を次々に割っていくという予想もしない出来事に、驚きが行動を抑制したことも考えられる。キレていて迫力はあったし、我が身も大事である。巻き込まれたくはなかっただろう。
 そう考えると、彼の非力は無理もないのかもしれない。ただし、他の生徒が見ている以上、その影響を鑑みると、教師としての適性があるとは言えない。
 ちなみに、「松田聖子のマネをするから、静かにしてください」といった教師は、あだ名が「ポンチ」といった。由来は覚えていない。
 マラソン大会の時のことだ。走り終えた筆者は、ゴール付近で体育座りをして休んでいた。
 やがて、同じクラスのイタニ君が戻ってきた。待ちかまえていたポンチ先生が「よくがんばった!」と声をかけると、イタニは「だまれ」と一言。ボソリとめんどくさそうに言って、ゴールを通過していった。
先生「よくがんばった!」 生徒「だまれ」  一度なめられると、こうなるのである。  


2016.9.29

第二百二十七回 先生なんて信じられない? 

子どもが、先生という立場にある大人に対し、いつ頃から疑問を持つようになるのか。
 もちろん個人差はある。たいていは思春期および反抗期か、あるいは一生そんな疑問とは無縁の人もいるかもしれない。
 筆者の小学校五、六年の担任は、中高年の婦人だった。運動会の練習で、筆者はこの先生に「もっとまじめに走りなさい」と言って怒られた。手を抜いて走ったつもりはないので理由がわからなかった。やる気のなさが自然と出ていたのか、それとも単に遅かったのか。
 この先生が一度、筆者の家へ訪ねてきたことがある。
 夕方で、しばらく母と玄関先で話していた。どんなことを言われているのかと、なんとなく落ちつかなかったが、どうやら筆者のことではないらしい。でも、教師が生徒の自宅を訪れて、生徒のこと以外に、いったい何を話すというのだろう。
 選挙のことだった。当時、西宮市の選挙区からは、土井たか子(日本社会党)が出馬しており、「女性の力」云々に賛同して、女性の一人である担任女史も力になろうと、生徒宅を訪問していたのである。早い話が「一票入れてくれ」ということだった。これより以前、筆者はこの先生と個人的に話した記憶がまったくなかったのだが。
 中学にあがると、もっとひどかった。
 筆者らの頃は、校内暴力の時代だった。  とくに筆者らが進学する公立中学校は荒れていた。教師が生徒におびえていた。
 一度、技術科の時間に、一人の不良がいきなりキレて、「うおーっ」と叫びながら椅子を振りかざし、教室の窓ガラスを全部叩き割ったことがあった。
 授業中である。女子は家庭科のクラスへ移動していて、その教室にはいなかった。
 技術科の先生は完全に気圧されていた。それを見ても叱らず、止めようとせず、いや教壇で身動きすらせず、「おい、やめろよ……」と小さな声でつぶやくだけだった。経験を積んで年齢を重ねてきた大人が、中一の子どもを相手になにをビビッているのだろう。
 筆者はどこかで「先生」に指針を求めていた。だからこそ、不甲斐なさが許せなかった。
 三学期になると、クラスは今でいう学級崩壊の状況を呈していた。
 生徒が勝手に立ち歩き、紙ヒコーキが飛び交う教室で、
「松田聖子のマネをするから、静かにしてくださいっ」
 と媚びて、一時的に喧噪を静めようとする教師もいた。
 二年生になると、筆者も授業中に喉が渇いたら、教室を出て水を飲みに行くようになった。
 見つからないように身をかがめて、後ろのドアからこっそりと脱け出したのではない。我が家の台所を横切って冷蔵庫へ向かうように、ふつうに立ち歩いて出ていった。
 一人でだ。友だちを誘うこともなかった。何の気負いもなく、むろん教師に断りもしない。
 筆者は不良ではなかった。ごく普通の生徒だった。そのごく普通の生徒が、教師を舐めきっていた。心の底からバカにするようになっていた。
 ……そして今現在、筆者は逆に、生徒から見られる立場にある。かつての筆者のように「先生」に関心を持ち、容赦なく挙動を観察する子どもの視線にさらされている。



2016.9.22

第二百二十六回 水泳の試合で散った 

夏の練習の成果を出す試合だったから、9月だったと思う。
 たぶん6年生の時。西宮市の小学校で、水泳の対抗試合が開かれたのだ。
 よく覚えていないのだが、その対抗試合のために、夏の間だけ水泳部が設けられていた記憶がある。5、6人の選手が選ばれて、その中に筆者も入っていた。
 覚えているのは、この時の「我が校に勝利を」という意気込みだ。思い返すと自分でも嫌なのだが、若い頃の筆者は自分の所属している団体に対する帰属意識が強かった。
「絶対に、ぼくらの学校が優勝しよう!」と、この時も燃えていた。
 学校なんかちっとも好きではなかったのに、不思議なものである。
 筆者はそれなりに自信があった。転校と同時に岩倉流からは離れていたが、スイミングスクールには通っていたし、スピードもあげていた(と思う)。高校生になっても、体育の水泳の授業で競争したらいつもコースで1番だったことを覚えている。50メートル潜水もできた。
 この対抗試合は、よその小学校のプールで行われた。
 各コースに選手が並んで、25メートルを泳いで、また戻ってきて(つまり50メートル)タッチすると同時に次の選手が飛びこむ、という対抗リレーである。
 筆者は一番手だった。そして二番手は、筆者の親友だった。のちに大阪大学の医学部に進み、今は医者として活躍している秀才のO君である。
 筆者は、自分が一着で帰ってきて、彼につなごうと思っていた。
 ところが、スタートを待っている時、思いもかけぬことが起こった。
 他校で選手が一人足りない、と先生が騒ぎ始めたのである。メンバーが欠けたらしい。
 で、列の一番前に立っていた筆者が、有無を言わせず移動させられた。その学校の列に。
 ようするに、スタート直前になって、他校のチームに入れられたのだ。
 筆者は動揺した。えっ、と思った。なんでぼくが、という感じ。はっきり言って、嫌だった。めちゃくちゃ嫌だった。断りたかった。でも、なぜか言えなかったのだ。大人に対して。
 母校チームの一番手は、ひとつ繰りあがってO君になり、筆者と争うことになった。
 結果、筆者は二着だった。一着はO君。そして、筆者らの学校が優勝した。
 帰り道、優勝に盛りあがる仲間たちのあいだで、筆者だけが呆けたように沈んでいた。
 今から思うと、直前にメンバーを変えるぐらいだから、たいした試合ではなかったのだろう。
 移動させたのは他校の教員で、彼は選手の気持ちなんかまったく頓着していなかった。
 ひどい話だと思う。列の頭数をそろえることしか考えていなかったに違いない。
 筆者は今でもこの時の悔しさを覚えている。だが、問題はそんなことではないのだ。
 わからないのは、なぜあの時、小学生だった自分が、大人の教師に対して、はっきり「嫌だ」と言えなかったのかだ。
 もし自分の主張を通していれば、そこで終わっていただろう。記憶にも残らなかったかもしれない。だが、理不尽な処置に対する不満を口にできなかった分、鬱屈は熟成され、やがて反骨へと転化する。
 教師もあんまりたいしたことないんだな、という冷めた視点が初めて生じたのだ。



2016.9.15

第二百二十五回 ニクロム線工作よ、永遠に 

書店の店頭で、学研から出ているメタルキットを見かけ、衝動買いしてしまった。軽金属の組み立てモデルで、筆者が選んだのはカンブリア紀の海洋生物、アノマロカリス。
 同じコーナーには、「自由研究」として興味深いセットも並んでいる。なるほど、これは往年の『科学』であり、あのスグレモノの付録がこういう形で残っているのは嬉しかった。
 でも、どこらへんが「自由」研究なのだろう、とは思う。面白いけれど、制作者の手中であれこれと作っていくだけで、あらかじめ何ができるかは決められているんじゃないの。つまり、「自由」というほど、奔放な体験ではないはずだ。
 学研のフロクといえば、一年ほど前にこのブログでも書いたが、子どものころの筆者は毎月『科学』が届けられるのを楽しみにしていたものだった。その中で、たぶん四年生の夏に、ニクロム線の工作キットというものがあったのを覚えている。
 ニクロム線という言葉もそのとき初めて知ったし、パッと見は単純な道具で、最初はあまり興味を抱かなかった。緑色のプラスチックでできた電池内蔵の取っ手のような形で、端から端に金属の細いニクロム線が一本、張り渡されている。
 その取っ手を握るとスイッチが入り、電池からニクロム線へと電流が流れるという、このうえなくシンプルな構造のオモチャだった。手を離せば自動的にスイッチは切れるので、火災に発展する心配はない。
 それで何をするのかというと、発泡スチロールを切るのである。ニクロム線で。
 電流が通り、熱をもったニクロム線を当てると、発泡スチロールはその部分が溶ける。溶かすことで切断する。
 発泡スチロールを切って何をするかというと、遊ぶのである。つまり、まあ、工作だ。
 やってみると、これが面白かった。ニクロム線の触れるところ、発泡スチロールはあっさりと溶け、切れていく。たまにうっかりと自分の左手に当ててしまい、「うわちッ!」と悲鳴をあげて火傷を負うことも度々あったが、面白さのほうが勝っていたので、やめられなかった。
 筆者はこのニクロム線工作で、マッコウクジラやジンベイザメを作り、色を塗ったことを覚えている。両者の、あの何ともいえない形が好きだったのだ。
 ニクロム線工作は当時、流行っていたのだろうか。友だち五、六人と学校の体育館で共同制作した写真がある。
 作ったのは恐竜だ。どこで調達したのか、糸巻の芯に使われている厚紙の円錐を並べてトゲトゲの背中にし、体の部分は発泡スチロールをニクロム線で切って、妙ちきりんなステゴサウルスもどきの恐竜ができた。一種、前衛芸術にも似ている。学研のフロク、大活躍である。
 その写真の中で、筆者は和歌山の小学校の体育館で、完成した恐竜を前にして仲間たちと並び、横縞模様のタンクトップに半ズボンという格好で、アホみたいな半目の顔をして突っ立っている。完成して、それなりに嬉しかったはずなのだが。
 ニクロム線で発泡スチロールを切っていく作業には、まるで特殊能力を手にしたかのような「万能感」があった。市販のメタルキットを組み立てるのも面白いけれど、完成した結果は見えている。自分の手先ひとつで作品の完成形がどう転ぶかというワクワク感はない。



2016.9.8

第二百二十四回 岩倉流を学ぶ 

和歌山市では、その当時、大新プールという大型のプールで岩倉流が教えられていた。
 大新にはプールが二つあり、もちろん最初は浅いプールから練習を始める。筆者は入門した小学1年生の時点でまったく泳げなかったので、プールの縁につかまってバタ足から教わった。適度に休憩を入れながら、ひたすらバタ足をする。面白くないだけに苦行のようである。
 そのころの級や段の基準は記憶にないが、たしか赤線1本から始まって、(極真空手の帯みたいに)青や黄などの色つきの線が水泳帽に入れられていったことを覚えている。
 足がつかない50メートルプールで泳ぐのは小学生にとって最初は不安だったが、泳げるようになると、見晴らしのいい50メートルを端から端まで抜き手を切って泳ぐのが爽快だった。
 創立記念日には、宗家の先生が、甲冑を身につけて50メートルプールを泳いだ。我々生徒たち一同は、プールサイドの段々になっている観覧席に腰かけ、その泳ぎを見守るのだ。
 岩倉流は、もとは紀州藩の侍が、鎧や兜を身につけたまま紀ノ川という大河を泳いで渡る、ということを想定していたらしい。「南海の竜」と呼ばれた豪傑の初代藩主・頼宣公には、泳ぎながら瓜を剥いて部下に与えたというエピソードがあるので、それを継承する「瓜剥」もいまだ存在する。また独自の「足巻」という足技も継承され、なんと弓や鉄砲を手にして、泳ぎながら放つという「演武」もある。
 筆者は小4の夏に、400メートルを泳がされた。それで合格したので「黒線2本」をもらえたのが、筆者の岩倉流における最後の位になった。その直後の9月初めに転校したからだ。
 転校した先の街は、和歌山ほど水泳に力を入れておらず、泳げない子も複数いた。筆者は水泳帽に岩倉流の黒線2本をつけたままだったので、その学校の中では、かなり高いレベルに思われたようだ。水泳の最初の授業で、どのくらい泳げるかをテストされた。
 プールサイドに2クラスの生徒全員が並んで座り、そのみんなと先生に見られる中、一人で25メートルプールを一往復させられた。もちろん楽勝である。生意気を言わせてもらうと、岩倉流をやっていた者にとっては、普通の学校の基準などお話にならないのだ。
 岩倉流では、基本、顔を水につけない。つまりは平泳ぎでも息継ぎをせず、顔をあげた状態で泳ぐ。これが普通の平泳ぎとちがっていたので、黒線を見せびらかしている、と言われた。でも筆者にしてみれば、途中でリタイヤした身なのだ。いっしょに入門した幼なじみは、その後も岩倉流をつづけ、「波線」にまでなり(黒線の次は波形の黒線が帽子に入れられる)、後輩を教える側に回っていたのだから。
 転校先の街でも、温水プールのあるスイミングスクールに通い出した。古式泳法ではない「水泳教室」だ。小学校を卒業するまで、そこの水色のジャージを着て通った。でも物足りなかった。岩倉流のほうがよかった。こんなの武道じゃない(そりゃそうだ)という感じ。
 ちなみにスピードでいうと、古式泳法よりも競技水泳のクロールのほうが、もちろん速いのだ。世の流れで、岩倉流でも筆者が習っていたころには、クロールも取り入れていた。一方、学校の水泳でも、今は水難のおりに重宝することから、「着衣水泳」なども教わるらしい。
 筆者はクロールよりも、とくに「抜き手」という泳法が、一風変わっていて好きだったのだが……抜き手なんて言っても、あまりわかってもらえないだろうか。



2016.9.1

第二百二十三回 岩倉流とは何か? 

 大山総裁の著書『what is Karate?』ではなく、『what is Iwakuraryu?』である。
 このブログで空手以外の武道経験として、筆者は弓道のことを書いたが、それ以外にもあった。
 岩倉流とは、紀州藩に伝わる古式泳法、つまり水泳である。
「それが武道なのか?」と思われるかもしれないが、筆者が和歌山の書店で買った『岩倉流』(伊勢新聞社)によると、「もともと武士の戦闘技術・戦術・心得として……」と記されている。そもそも古式泳法(日本泳法)は、武術として発展してきた経緯があるのだ。
 水泳が武士の戦闘技術?
 そうなのだ。武芸十八般の中にも「水練」が含まれているように、歴史マニアなら御存じかもしれないが、織田信長や徳川家康なども、武将のたしなみとして水練を欠かさなかったほどである。
 紀州藩では、武芸好きだった初代藩主の頼宣公が奨励し、歴代藩主が当然のこととして学んでいた。のちに八代将軍になった吉宗公も、岩倉流に熟達していたことが知られている。
 なんせ「宗家」が存在し、段や秘伝・口伝まであるのだ。300年以上の伝統があり、無形文化財にも指定されているのだから、まるっきり古武道ではないか。
『南紀徳川史』という史料には、
「紀州は海国なれば…(略)…紀州の人にして水心なきは人々痛く恥る如きの有さまなりしされば其術諸般に冠たりと云」
 と、豪語するかのように記されている。
 泳法の「技」も興味深い。岩倉流の中からいくつか抜粋してあげてみると、足鼓法、虫泳、鯱泳、転馬、掻分、鰡飛、捨浮、鴎形、筏流、陣笠、鰹墜、瓜剥、といった個性的な名称が見られる。
 古式泳法が、一般のスイミングスクールと何がちがうかというと、基本理念として「自然の水」の中での泳ぎを可視しているところである。
 すなわち、流れのある川や、波のある海での泳ぎ、さらには急流や流木や岩場などの障害があることも想定し、危険回避や水難防止や他者の救助まで考えての泳法なのだ。武芸として発展してきたのなら当然であろう。げんに、上記の技の鰡飛(いなとび)で危機をかわした記録もある(鰡飛というのは跳び技)。
 かつては身体精神の鍛錬として、13キロの遠泳や真冬の寒中水泳までおこなわれており、戦後でも紀ノ川で稽古していたというから凄い。現在の習い事では考えられないだろう。流されて死んだらどうするんだ、と思われてしまう。
 さすがに昭和30年代にもなると、水質悪化にともなってプールで練習するようになったが、自然の水の中を泳ぐという基本理念は根底に存在している。
 岩倉流にかぎらず、このような古式泳法は日本各地に12の流派が認められている。どれも地元で受け継がれている流儀だが、子どもの習い事でスイミングの人気が高いことを考えると、都市部でも価値が認められるのではないかと思う。



2016.8.25

第二百二十二回 動物たち、暴れる 

 映画のジャンルの中で一番好きなものを訊かれれば、何と答えるだろう。
 筆者なら「動物パニックもの」になるが、このジャンルの歴史は浅いと思う。(『白鯨』は別として)古くは『黒い絨毯』や『放射能X』といった先駆けはあるが、ジャンルとして定着したといえるには、まずはスピルバーグ監督の2作目『ジョーズ』が革切りになるのではないだろうか。
 74年公開の『ジョーズ』が大ヒットしたので、今度は『テンタクルズ』という大ダコのイタリア映画が作られた。サメの映画が、JAW(顎)の複数形(上顎と下顎だから)だったので、今度は触手(TENTACLE)の複数形(八本だから)というわけだ。
 犠牲者が4人目までは、岸辺にいても背後から触手が伸びてくるというあたりがサメよりも不気味でよかったが、その後は退屈だった。
 それから全長6メートル、体重1トンの灰色熊がキャンプ場を襲う『グリズリー』。
『ジョーズ』もそうだが、『グリズリー』もポスターがいい。はっきり言って、本編よりポスターのほうが優れているほどだ。映画では、それほど大きくなかったように見えた。
 それから犬が襲い始める『ザ・ドッグ』。これは身近な恐怖だろう。アフリカ蜂の大群が襲う『スウォーム』。迫力に欠けるという意味で、駄作といえば駄作の『ピラニア』。
 気色の悪さではナンバーワンの『スクワーム』。これは家の床一面をミミズとゴカイが覆い尽くし、落ちた人が飲み込まれていくという身の毛もよだつ場面があった。ミミズとゴカイは本物を集めたそうだ。
 異色作として『吸血の群れ』というものあったが、別の意味で異色なのは『オルカ』。これは動物パニックものというより、動物(シャチ)側の目線で描かれた作品で、観客はシャチのほうに感情移入するだろう。筆者の大好きな映画である。
 80年代になっても、捨てられたペットのワニが下水道の中で巨大化して出てくる『アリゲーター』など、多数の作品が制作された。
『アナコンダ』あたりになると、あの動きの速さに白けてしまったが、人食いナメクジの『スラッグス』などは、昔ながらの正統な動物パニックものだろう。
 リメイクされた『ピラニア』も観たが、こちらはふざけた下ネタが多すぎる。ピラニアの襲撃が70年代のものよりずっと迫力があり、面白かったが、それだけにお色気シーンなど余計なのだ(ちなみに、そのノリが加速した続編まである)。
 これらの作品がなぜ面白いのかというと、やはり人間が原始からもっている「食われる恐怖」に訴えるからだろう。『進撃の巨人』や『寄生獣』の再評価でもそれはいえる。
 暗闇を怖がるのと同じで、食われるというのは、あらゆる生物の血の中に受け継がれている問答無用で絶対的な恐怖だ。人間も例外ではない。それなのに(いや、だからこそ)サーベルタイガーなどの天敵のいない現代、動物たちがスクリーンの中を暴れ回る70年代以降の作品群は痛快だったのだ。
 そして最後に動物が負けてしまう「ハッピーエンド」が、筆者には、なぜか残念でもの悲しく思えたのである。



  2016.8.18

第二百二十一回 緒形拳は悪い 

いや、もちろん本当に悪いわけではない。それどころか稀代の名優である。だが、その演技力ゆえに、緒形拳がホンモノの悪人のように思えてくるという意味である。
 このところ、『鬼畜』、『復讐するは我にあり』、『薄化粧』、『GONIN2』と、立てつづけに緒形拳の出演作品を観る機会があり、そのどれもが主演および悪役で、人を殺める役どころだった。
『鬼畜』では、愛人の子どものあつかいに困って三人兄妹の下の二人を……という内容だったが、タイトルほどの悪辣ぶりではなく、むしろ正妻と愛人のあいだで板挟みになって苦悩する優柔不断なダメ男っぷりが印象に残った。もっと残虐非道で、人の命を微塵も省みない犯罪は、世のニュースの中に幾らでも見出せる。
 ストーリーはあくびが出るほど退屈で、湿っぽくて、まれに見る駄作だと思っていたら、意外にも世評は高く、日本映画界の数々の賞に輝いているのだから不思議である。お涙ちょうだいの浪花節が受けるというか、最後の子役とのやり取りが泣かせるのだろう。その子役の演技も棒読みに近かったのだが。
『復讐するは我にあり』では、わずかばかりの金を目当てに平気で殺人を犯し、ふてぶてしくも開きなおる根っからの犯罪者を演じきっていた。筆者は原作を読んでいないが、これも実話に基づいているらしい。緒形拳の本領発揮というべきである。
 でも、中盤がダレて、どうも冗長に感じた。この映画も賞を受けている。『鬼畜』といい、世間で評価の高い作品を面白くないと感じる筆者は、こういう地味な芸術がわからないのだろうか。
 石井隆監督の『GONIN2』は、ダレる場面など皆無の面白い映画で、てんこ盛りの豪華キャストだった一作目と同じく、音楽もよかった。
 緒形拳は、女性5人の中にまじってヤクザと対立する男の役だったが、ふと思ったのは、石井監督は『必殺からくり人』を観ているのではないか、ということだ。そして『GONIN2』は、からくり人で緒形拳が演じた夢屋時次郎へのオマージュではないだろうか。
 ネタバレになってしまうので、ご覧になっていない方は読まないでもらいたいが、『GONIN2』での緒形拳の最期に、やたら鳩が出てくるのである。あそこで鳩が集まってこなければならない理由などない。そして、つづいての自爆死。
 これは、からくり人・夢屋時次郎の最期そのままではないか。
 そういえば、緒形拳は必殺シリーズの初期を支えた俳優の一人で、『仕掛人』の梅安、『仕事屋』の半兵衛、『からくり人』の時次郎と、殺し屋の役だけで三度も出演している。
 時代劇で、相手はワルで、いちおう対象は「世のため人のためにならない悪人……」という大義名分(必殺仕掛人)はあれど、人様のお命をちょうだいした数では、『鬼畜』とは比べものにならない。
 フィクションの中で数えきれないほどの人を殺め、そしてみずからも度々死んでいった緒形拳の新作を観る機会は、もうない。でも、過去の濃い作品だけで、その演技力の凄味を十二分に堪能できる。



2016.8.9

第二百二十回 海は危険がいっぱい part2 

前回は、棘や触手(刺胞)などで「刺す」やつらのことを書いたが、海にはもちろん「噛む」生物もいる。こっちのほうが、より大型で、もちろん危険である。
 岩場で泳いでいた時、眼下の海中を見ると、2メートルほど下を、大蛇かと見まがうばかりの巨大なウツボがゆら?りと移動していたので仰天した。あんなのに噛まれたら、たまったもんじゃない、と思った。
 サメは、稚魚のことは前に書いたが、成魚に出くわしたことはない。でも、それはたまたまであって、沿岸にもサメはくる。
 筆者の母は子どものころ、戸津井というところの海岸で、台風の翌日に、サメが三頭も打ちあげられているのを見たという。そんな光景、筆者も見てみたかった。
 台風といえば、危険を承知で海の近くに行って、その荒れ具合を目撃したが、防波堤やテトラに打ちつける膨大な海水の迫力たるや、筆舌に尽くしがたかった。
 で、台風一過の翌日、海に潜ってみると、岩が白くてびっくりした。
 どういうことかというと、岩についている海草や苔や藻のようなものが、海水の強力なうねりによって、こそげ取られていたのだ。そのため岩肌がまっ白になっていて、いつもの海中の景色とはちがっていた。洗濯機の中のような状態だったのだろう。台風恐るべしである。
 ちなみに、筆者の母は子どものころ、岩場でタクアンを餌にウミヘビを釣り上げたことがあるという。タクアンに食らいついたのは意外だが、別の何かと勘違いしたのかもしれない。それよりも、沖縄あたりならわかるが、ウミヘビが和歌山にまでやって来たのは驚きだ。黒潮に乗ってきたのだろうが、まあ稀有の例だろう。
 話は変わって、早朝に、裸足で岩場を歩き回っており、帰ってみると、足の裏に無数の黒いブツブツができていたこともある。その正体に心当たりがなかったのだが、ようやくウニの棘の先端であることがわかった。
 自分でも、なんでそんなことになったのか、よくわからなかった。とにかく、セッタも穿かずに岩場を歩き回っているうちに、気がつかずウニに接触していたものと思われる。
 とげ抜きで、おばあちゃんに全部ぬいてもらった。不思議とそれほど痛みを意識しなかったが、ブツブツの数を考えるとゾッとする。
 だが、筆者が海でもっとも恐ろしい思いをしたのは、生物ではなかった。
 引き潮だった。中学か高校のころだったか、一人で沖まで泳いで引き潮に当たったのである。なまじ水泳に自信があり、それが災いした。
 どんなに水を掻いても進まない。いっこうに岸辺が近づかない。それどころか、遠ざかっているような気さえした。このままのペースで岸との距離が縮まらなければ、やがて自分も力尽きるだろう。疲れてきて、今よりも泳力が弱くなる。そうなると、もっと沖に流されてしまう。げんに引き潮にあたって何人も死んでいるのだ。
 このまま死ぬかもしれない。そう思ったこの時の恐怖は今でも鮮明に覚えている。
 夢中で水を掻いて、なんとか浜に泳ぎ着いたが、「かろうじて」という感じだった。一歩まちがえていれば……と考えると、これもゾッとする。



2016.8.4

第二百十九回 海は危険がいっぱい 

なにもきれいで楽しいばかりが海ではない。自然なのだから、当然、危険がある。
 たとえば、ゴンズイ。ご存じない人のために言うと、黒と黄色の縞々模様で、ヒゲまで生やし、一見とぼけた顔の魚なのだが、背びれと胸びれに強い毒の棘があるのだ。
 筆者はさいわい刺されたことはないが、毒魚であることは聞かされていた。
 というか、被害者を見た。子どものころ、海岸の岩場で見知らぬ子どもが泣き出したので、何事が起こったのかと思っていたら、落ちていたゴンズイを踏んでしまったのだという。なんでそんなところにゴンズイが落ちているのかというと、釣り人が捨てていったらしい。迷惑な話ではある。で、裸足でその棘を踏んで泣き出したのだ。彼はすぐ親に連れられ、帰っていった。病院へ直行するのだろう。
 このゴンズイ、群れをなすことでも知られている。筆者はちょうど海に入ろうとした時、上から海面を見ると、なにか黒っぽいかたまりがあるので、なんだろうと思って潜ってみた。
 そしたらゴンズイと鉢合わせしたのだ。水の中でヒゲ面と大量に対面して、「ひゃーっ、ゴンズイやあ!」と慌てて逃げた。
 砂底で小さなアカエイの子を見かけたこともある。砂に身を隠しているので目立たないが、エイは意外とあちこちにいて、釣れることもあるのだ。このアカエイも毒の棘を持っているので、みだりに接近するのは要注意である。
 お盆になると、クラゲも出てくる。一番きついのはカツオノエボシだろう。
「電気クラゲ」の異名を持つ、捨てられたグニョグニョのビニール袋みたいなやつだ。ほんとにビニールみたいで、砂浜に打ちあげられているカツオノエボシの浮き袋を、サンダルごしに踏んでしまったこともある(そしたら裂けた)。
 ある夏、ゴムボートで少し沖に出て、海に入った途端、「イテテテテ!」となって退散した。こいつがいたのだ。浜で見ると、腕や足に触手の巻きついた痕が赤く残っている。
 このときは、アロエの先を折って、その粘液を傷口に塗った。アロエは別名「医者いらず」とも呼ばれ、クラゲの刺胞毒にも効くとのこと。効果はテキメンで、すぐに腫れが引いた。
 ちなみに筆者の妹は高校時代、ヨット部に所属していたが、ヨットが倒れたところにカツオノエボシの群れがいて、大量に刺され、熱に浮かされてしまった過去がある。
 毒クラゲは、ほかにも紅白ダンダラ模様のアカクラゲなどはよく見かけたし、悪名高いアンドンクラゲにも刺された。こいつもカツオノエボシと並んで「電気クラゲ」と呼ばれるほど毒性がきつい。両端に長い吹き流し状の脚がある凧のようなクラゲで、海中をスイスイ泳ぐ。
 筆者が、海に入ろうと波打ち際に足を踏み入れたところ、カウンターで激痛がきた(カウンターが多いな)。何事かと思って水の中を見ると、このアンドンクラゲが泳いでいたのだ。
「こんな波打ち際まで来るなっつーの!」と思った。
 クラゲの他に、俗称「ウミジラミ」と呼ばれる小さな生物もいて、これもタチが悪かった。いわゆる「ウオジラミ」とはちがう。小さな米粒みたいな形の虫で、海の中を集団で泳ぎながら機銃掃射のように刺し、素早く去っていく。刺された箇所はブツブツに腫れる。そのやり方が陰湿で、クラゲよりムカツクのだが、いまだにこいつの正確な名称を知らない。
2016.7.28

第二百十八回 夕暮れの海の怪物 

 たしかこの時は福井県の海だったと思う。つまり日本海ということになる。
 子ども時代の十年ほど、筆者が幼稚園から中学生ぐらいまで、父の同僚の家族と2泊3日の国内旅行に出かけるのが、夏休みの恒例だった。
 子どもは四人で、こちらは筆者と妹、相手方のN家は姉と弟だった。あまり意気投合しているとはいえない相手だったので、とびきり楽しみだったわけではない。
 それでも、毎年7月の下旬にどこかの海へ出かけるのは、海好きの筆者にとっては嬉しかった。どこかといっても国内限定だったし、宿泊は高級リゾートホテルなどではなく、たいてい民宿あるいは民宿的旅館だったが、子どものころはそんなことにこだわらない。
 昼間は海でさんざん遊んだ。今から思うと羨ましくなるが、泳ぎ、潜り、ゴムボートをこぎ、日光浴し……とひたすら遊び、もうええっちゅうぐらい海水浴を堪能した。
 で、その夕方。旅館のご飯を待つ間だっただろうか、子どもたち四人で、また海岸に来て、海を眺めていた。
 日暮れ時で、もうあたりは薄暗くなっている。
 海岸は砂浜だったが、部分的に岩場があった。その岩場の方を見て、N家の姉が言ったのだ。
「あそこに、何かいる」
 大きな黒い生き物の背中が見えたという。
「どこ?」
「あの岩のところ」
 声が緊迫していた。おそらくこの時、N姉は意図的に嘘をつくつもりではなく、実際に錯覚を起こしていたのだと思う。その自己暗示と、思いこみによる真に迫った恐怖が、筆者たちにも伝染した。
「あっ、いた」
 筆者の妹も言った。四人いて、うち二人が怪物を見たと言ったのだ。
 そういえば、夏の夕闇の中で、海面に露出した黒い岩は、なにやら巨大生物の背中のように思えないこともなかった。波の中で見え隠れするそれが、みずから動いているように見えた。
 あんなところに得体の知れない怪物がいる!
 自分たちは、そんなことも知らず、さっきまで平気で泳いでいたのか。正体不明の巨大な生き物が、すぐ近くまで来ているというのに!
 この時の恐怖は、今でもまざまざと思い出すことができる。本当に怖かった。なにがって、およそ正体がわからないものほど怖いものはない。『エイリアン』だって、その全貌を現すまでのほうが怖い。
 恐怖に輪をかけるのは想像力の作用である。いわば自ら脳内で生産し、拡大させたものを、自分で怖がるのだ。筆者がこの夏、夕暮れの海で見た怪物の実在を、なかば信じたように。
 まさに「幽霊の正体見たり……」だが、大人になるとあまりこういう経験はなくなる。子どものころ、世界は不思議なことでいっぱいだったのだ。
 


2016.7.21

第二百十七回 私は海になりたい! 

 和歌山県の南部に「産湯海岸(うぶゆかいがん)」という、いささかロマンチックな名称の海岸がある。水の透明度の高さが全国的にも有名な穴場スポットで、珍しい生き物も多く見かける。いつか書いたが、筆者が小学生のころ、サメの稚魚を素手でつかみ取ったのは、ここの砂浜である。
 産湯海岸は、筆者が「潜水デビュー」した海岸でもあった。
 忘れもしない小学二年生の夏、初めて水中メガネをつけて海に潜ったのである。
 潜ったといっても背の立つところだが、この時、水中メガネのレンズごしに海中の景色を見た瞬間の感動は、今でもはっきりと覚えている。
 なんて綺麗なんだろう! と思った。
 日の光が差しこむ澄みきった水の中。浅いところでも魚が泳ぎ、底には波の紋様が刻まれた白い砂が広がっている。透明度の高さが、感動に輪をかけたのかもしれない。
 下を見ながら歩けば、水の中で砂埃(?)がたって、砂底に隠れていたヒラメかカレイの稚魚が逃げていく。野生の魚が、手を伸ばせば届く距離にいて、そのくせ水中では決して捕まえられないのだ。
 といいつつサメは捕まえたが、それは水面の上からだった。
 このブログの同じ回(確認してみると、第24回『4つのホント』だった)で書いたが、タツノオトシゴも浮かんでいたので、手ですくった。
 底の砂には、見たこともない蟹もいた。小さな立方体のような形で、ハサミが平べったく、たためばそれがシールドのように、ピタッと前面を覆う。近づくと砂を煙幕のように掻きあげながら潜ろうとする。
 この蟹はどうしても欲しかったので、何度か潜って捕獲した。飼おうと思ったが、海の生き物なのですぐに死んでしまった。が、その後も乾燥させて保存し、机の上に飾っていた。
 イシダイの子もつかまえたことがある。
 そう、あの石鯛である。『釣りキチ三平』でいう「磯の王者」だが、それは成魚の貫禄であって、稚魚は可愛らしかった。
 大きさは全長3センチぐらい。まだチビっこい。イシダイの稚魚は、のちに縞々の白になる部分が黄色なのだ。そのあざやかな黄色と黒の縞模様がきれいで、熱帯魚のようだった。
 なつっこいのか、好奇心が強いのか、近寄ってきて離れない。なんか可愛いのである。で、水中メガネでそっとすくったら、簡単に捕れた。
 イシダイを捕ったのだから、そりゃ嬉しくもなる。水中メガネを水槽がわりにして、しばらく岩場において観察していたのだが、持って帰るのは可哀想なので放してやった。
 筆者はよほど海が好きだったのだろう。このころ小学校で、みんなが「将来なりたいもの」を書いてタイムカプセルに封印し、学校の敷地内に埋めるという試みがあった。
 そのタイムカプセルが近年になって掘り出されたのだが、同級生たちが「はかせ」とか「けいじ」などと書いている中で、筆者はただ一言、「海」と書いてあった。
「貝になりたい」というのは聞いたことがあるが、「海」にはどうやってなるのだろう……?



2016.7.14

第二百十六回 よい夏休みを! 

小学生だったころ、一学期の終業式の日に、『夏休みの友』とか『ワークブック』といった国語や算数の宿題をもらうのが嬉しかった。
 と書くと、「この人は、そんなに勉強が好きだったのか」と思われるかもしれないが、とんでもない誤解である。
 夏休みの到来が嬉しかったのだ。同時にもらう宿題の教材は、新品の書籍の匂いもかぐわしく、これをもらったら夏休みだ、という「夏休みの象徴」として歓迎したのである。
 なにしろ、これから40日ほどの休みが始まり、学校に行かなくてもよくて、毎日毎日遊んでばかりいられる(!)のだから、こんな嬉しいことはなかった。
 五年生か六年生の時だったと思う。夏休みの初日、友だちにしてマンションの管理人さんの息子が、雑草刈りをさせられていた。マンションの一階の駐車場・駐輪場わきのバルコニーに沿ったスペースにはびこっている雑草を、手押しの草刈り機で刈っていくのである。
 筆者もそれを手伝った。親切心というより、子どものことだから、自分もやってみたかったのだ。ひとつ年下のイジワルな女の子もきて、三人で、かわりばんこに手押し草刈り機をあやつり、雑草をジャキジャキ刈っていった。
 イジワルな女の子は、同じマンションの四階の部屋に住んでいた。管理人さんの息子は、前にも書いたが阪神大震災の時に生き埋めになって、その後救出された(こんなこと、何度も書かなくていいか)。
 このころは西宮に住んでいて、近くに夙川という川が流れており、ちょっと上流(阪急の夙川駅よりも北側)に行けば、川遊びもできた。水質は汚いはずなのだが、見かけは澄んでいて、フナやザリガニや亀などの生き物もいたのだ。
 この雑草刈りのとき、自分たち三人は、かなりハイになっていたことを覚えている。
 川遊びをしようとか、花火をやろうとか、今夜テレビでこんな映画をやるとか、そういう楽しみな話ばかりしていたし、遊びながらやる草刈りの作業が楽しかった。それに、夏休みが始まったのだから、テンションが高くなるのも無理はない。
 今は和歌山からも西宮からも離れ、ビル街の中で馬車馬のごとく仕事に明けくれている筆者だが、これが仕事を持った大人の責任というものだろう。
 わからないのは、子どもでもそれが辛くはないらしいことだ。つまり中学受験するような子たち、とくに六年生などは午前中から夜まで塾で過ごすことも珍しくない。
 精神年齢が高いのだなあ、と感心する一方で、遊びたい盛りに遊ばなくて悔いは残らないのだろうかと心配になる。いやいや、受験するのなら、そうしないと逆に悔いが残ることになる。どっちを選ぶかなのだ。
 でも、遊ぶときは思いっきり遊ぶといい。できれば海や山など、自然の中で遊んだらいい。遊びによっても頭脳は成長するような気がしてならないのだ。
 今でも夏休みの時分に、駅などで旅行に行くらしい家族連れなどを見かけると、「少年よ、楽しんでこいよ」と思う。二度とは戻らぬ、かけがえのない子ども時代の夏を満喫してくれ。
 子どもたちよ、よい夏休みを!
 


2016.7.7

第二百十五回 静かに別れる 

部活に限らない。習い事でも趣味でも、興味を持って始め、好きになって、ある程度の期間は本気で打ち込んでいたものを辞めてしまうのは何故だろう。
 その理由は複合的だ、と以前、このブログで書いた。
 筆者は高校時代、弓道に夢中になり、盆や正月もない弓道漬けの日々を送りながら、二年生の夏休み前に退部した。理由は、カケ(手袋)を雨に濡らしたことをきっかけに複数あるが、ひとつは弓道以外の余計なもの、いわば庭石につく苔や船底のフジツボのようなものがつき、純粋ではなくなってしまったともいえる。
 夏休み前のある日、筆者は顧問の先生に退部の意志を伝えた。
 もう一回よく考えて、それでもどうしても辞めたかったら仕方がない、ということを言われた。「土俵際の踏ん張り」という言葉を、そのとき聞かされたことを覚えている。
 次の稽古で、顧問の先生が帰るとき、筆者はグラウンドを追っていき、やはり辞めたいということを伝えた。しばらく話して退部を受けつけてもらった時、先生は別れ際に「ほら、みんな心配してるぞ」と言って後ろを指さした。筆者は弓道場を背にしていたので気づかなかったが、ふり向いてみると、弓道部とソフトボール部の境のフェンスに、同級生や後輩たちがずらっと並んでこちらを見ていたのだ。
 筆者は辞めようと思っていることを誰にも話していなかったが、そぶりから勘づかれていたのだろう。先生を追いかけていったので、何の話をするつもりなのか、皆わかったのだ。
 このときのショックは、みんながフェンスごしに並んでこっちを見ていた光景とともに、今でもはっきりと覚えている。
 部活を辞めて、稽古なしで過ごす夏休みのあいだ、同級生や後輩から、暑中見舞いがやたらと届いた。後輩からは、辞めてしまってとても残念とか、なんでも話せたのに、とか、ジンとくるようなことが書かれていた。
 心のこもったハガキである。だが、筆者はこういう厚意が、なぜか苦手なのだ。辞めるのなら、いっそ黙って消えていきたいと思う。親しかった人なればこそ、なおさらその気持ちがある。犬や猫が死に際にひっそりと去っていくように。
 たぶん、別れが辛いからだろう。まともに受け入れるのが耐え難いのだ。たとえば電車で別れるときに、ホームで見送られるのも、絶対にイヤだ。
 でも黙って消えていくというのは、相手にとっては失礼この上ないことでもある。逆の立場になればよくわかる。親しくしていた人が一言の挨拶もなく去っていけば、「不人情だな」と感じるのは当然である。
 おそらく筆者はこれまで、平均より多くの別れを経験していると思う。小中学生のころから転校を通じて、まわりの友だちと一気に別れてしまう経験もした。上京したときもそうだったし、仕事の上での必然もある。
 大人になれば人付き合いは選べる。嫌いなら、噛み合わなければ、縁を切ればいいだけのことだ。そう考えて、あっさりと交流してきた。だからこそ、今現在、古くからつき合いのある人は、かけがえのない縁だろうと思う。



2016.6.30

第二百十四回 弓道の会長と副会長 

県の弓道連盟の会長が同じ市内にいらっしゃって、しかも副会長が弓道部の顧問となれば、クラブ活動の稽古も必然的に厳しくなる。休日に朝から晩まで稽古することも、ざらにあった。
 学校ではなく、海べりの市営弓道場で大会が開かれた時、暑い季節だったのか、開会式で一人の生徒が倒れてしまった。筆者のすぐ前に立っていた、よその高校の見知らぬ部員だった。ぐらりと頭が揺れて、崩れるように倒れかかってきたので、筆者は反射的にかわしてしまい、彼はバターンと板張りの床に転がった。
「なんで支えてあげなかったのよ」
 と同じクラスの女子部員に非人情を責められたが、それは後から冷静になって初めて言えることであり、いきなりこっちに向かって倒れてくると、「大丈夫かっ、しっかりしたまえ」と支えるより先に、まずは「わっ、なんだなんだ」と驚きが先にきてしまう。
 それは会長の訓話の最中の出来事だった。会長は厳しく、高校生からみると貫禄や存在感が絶大で、近づき難かったことを覚えている。のちに日本弓道連盟の名誉会長にまでなったとか。ちなみに倒れた部員を見た会長の一言が「おう、弱いなあ」だった。
 会長は市内で歯科医をしており、虫歯になった同期の部員が、知らずにその医院に入ってしまったことがある。弓道部員だとわかると、説教されたそうだ。
 ……こう書くと、その会長がものすごく意地悪いようだが、会長が仕事を終えてから深夜まで弓道場にこもって稽古していたという逸話も、筆者らは聞いている。自分に厳しく、弓道に対して真面目な故の言動なのだろう。
 筆者らの弓道部の顧問も錬士(七段)の資格を持っているほどで、こう言っちゃなんだが、教師としての仕事よりも、弓道のほうに情熱を注いでいたように思えた。いや、それでいいのだ。おのれの道を追求している大人の姿から、若者たちはなにかを学ぶのだ。
 一年生の夏、合宿をやった。合宿といっても学校の道場に泊まるだけである。
 風呂は近くの銭湯に行った。男湯と女湯の仕切りが厚手の濁りガラスになっていて、近づけば体がぼんやりと映る。そして同時刻に、やはり夏合宿中の女子バレー部員たちが入浴に来ており、知っている子の声が聞こえたり、ちょっと濁りガラスに移動する影が映ったりしたので、歓声をあげる者もいた。青春である。
 その夜、夏合宿の余興らしく、肝だめしをやった。はじめに顧問の先生が怖い話をする。それを聞いてから、一人ずつ弓道場を出て、静まりかえった夜ふけの学校を歩き、北校舎の最上階まで行く。そこの階段の踊り場に顧問の先生が、ある言葉をあらかじめ書いており、それを読みとってくることで、本当に行った証明になる、というものだった。
 筆者の番になり、ひっそりとした夜の校内を歩いて、北校舎の階段の一番上まであがった。
 夏の夜空の下で、そこに書かれている『正射必中』の四文字を見た。
 どんな面白い言葉が書いてあるのだろうと思っていた筆者は、感心しながらも興ざめするという複雑な心境になった。
 遊びの時ぐらい冗談をかましてくれてもいいのに……。本当にこの先生の頭の中は、いつでもどんなときでも弓道が占めているんだなあ、と思った。



2016.6.23

第二百十三回 梅ッ酒! 

このブログでたびたび触れてきたが、筆者は紀州の出身である。
 紀州の名産といえば、蜜柑、柿、桃、そして梅。ようするに果実で、それらを使った果実酒も製造されている。
 中学生のころ、社会科の地理の授業では、全国各地の産業を学んだ。と言いながら、筆者は授業中に何をしていたのか、そういうことを教わった記憶がないのだが、ひとつだけ覚えているのは、教科書とは別に配られた『郷土のくらし』という冊子だ。
 和歌山なので、ほかの地方の知識に加えて、特別に地元・和歌山の産業をまとめたブックレットが、副教材として与えられたのである。
 その中に、梅農園の紹介ページがあった。和歌山といえば南紅梅、ようするに紀州梅である。梅農園の片隅で、梅の実がたくさん入ったケースを両手で持っている若者の写真があり、その彼はあきらかにヤンキー風だった。
 働いている最中にカメラを向けられたせいか、「なんだ、この野郎」という感じで、ちょっと睨みがちの視線をこちらに向けているのだ。
 で、クラスの一人が「ヤンキーやぁ!」と言って、爆笑になった。
 おそらく、その若者も「昔は悪かった」クチだが、卒業後すぐに就職した梅農園ではまじめに働いている。農園の人も「彼はねえ、よくやってくれるんですよ」と高校時代の先生に語っている、といったところだろうか。
 話はそれたが、梅である。
 夏が近づくと、自分で梅酒を造りたくなる。これは筆者のひそかな趣味なのだが、今ではスーパーの店頭に果実酒用の瓶や梅の実がセットで売られていて、梅酒造りの愛好者は増えているようだ(昔からだろうか)。
 竹串の先で梅の「へそ」をほじくり、取り除き、瓶に漬けて……という作業は、夏支度という感じで楽しい。
 自分で造った梅酒は、知り合いには譲らない。惜しんでいるのではなく、自信がないのである。これは料理でもそうだが、なぜか自分の味つけはほかの人には合わないのではないか、という気がして、遠慮してしまう。
 スーパーで売られているような梅酒製造セットで造れば大差ないのかもしれないが、紀州人である筆者にとって梅酒は、家庭の味でもあるのだ。家庭というか、祖母の味である。
 夏になると、ばーちゃんが必ず梅酒を造っていた。南紀湯浅の古い家で、うす暗い収納の中にどっしりとした厚手の瓶が並び、いい色がついて、梅の実がいっぱい沈んでいたのを思い出す。
 ばーちゃんは、梅酒製造セットで売られている酒ではなく、普通に焼酎を使っていた。梅はもちろん紀州産。氷砂糖の加減も独自であったはずだ。筆者にとっては、アレこそが梅酒なのである。
 と言いつつも、今年は造っていない。来年は必ず造るぞ、と思うが、この夏も梅酒がないと淋しい。市販のものを買う気はしないし、今からでも造るとするか。



2016.6.16

第二百十二回 駄菓子屋の夏 

 駄菓子屋ときくと、なぜか「夏」という感じがする。子どものころは一年中通っていたはずなのに。
 今どきの子たちも『ちびまるこちゃん』などの作品を通したり、体験学習的に学んだり、あるいは身近にあったりして、駄菓子屋というものの存在を知っているらしい。
 筆者ら「昭和の子ども」にとっては、ごく身近にあった。身近も何も、筆者の実家からは徒歩10秒、すなわち真ん前にあったのだ。
 祖母から臨時のおこづかいをもらったりすると、妹は貯金をしていたが、筆者は「宵ごしの銭をもたないガキ」だったので、その足で駄菓子屋に向かった。
 塩煎餅やカレー煎餅、干しイカ、昆布などはともかく、紐つきの飴や、カラフルなゼリーなど、いかにも体に悪そうだが、当時はそんなことなどまったく気にすることなく食べていた。
 小学生のこづかいで買えるものばかりだから、実際、食材としてショボイことはまちがいない(だから「駄」菓子屋というのだ)が、品数が豊富で、せまい店の中にこまごまと面白そうなものが並んでいるのは、にぎやかで楽しかった。
 アイスが売られるのは、今とちがって夏場だけで、バニラとイチゴとチョコの三色に色分けされているのとか、スイカの容器に入っているのとか、小さな卵型の風船に入っているものなどがあったことを今でも覚えている。
 10円アイスというのもあった。銀紙に包まれた直方体の棒アイスなのだが、濃厚なバニラ味で、かなり美味しかった。これで10円とは安いと思ったものだ。今でもあるのだろうか(あっても10円ではないだろう)。
 駄菓子屋といっても、売られているのは菓子ばかりではない。オモチャもあった。
 筆者はプロ野球をまったく観なかったので、好きな球団もなく、友だちのようにスナック菓子についている選手のカードを集めることも「アタリ」の景品を狙うこともなかった。
 そのかわり、サメの上半身(前半分)がなにかの景品として店頭に出された時は、どうしても欲しくなった。映画『ジョーズ』の大ヒットを受けて数年後のことである。手に嵌めて口を動かせるホオジロザメのパペットで、厚めのビニル製。駄菓子屋の景品としては相当に豪華な部類であった。「アタリ」が出てそれをもらった時の喜びは筆舌に尽くしがたく、お風呂で遊んだ。我ながら実に安上がりに楽しめる子どもだったと思う。
 ゴム風船とか、女の子用のビーズとか、こすったら煙が出てくるやつとか、ほかにも飽きやすいものが色々あったけど、水鉄砲も駄菓子屋の定番ともいえるオモチャだった(だから夏の印象が強いのかもしれない)。
 うす緑色の透明プラスチックでできたピストル型のものもあれば、指輪型のものもあった。
 低学年のころ、近所にいじめっ子がいた。ある日、筆者は仕返しに、水鉄砲にオシッコを詰めて、そいつの顔に向け、ピュッと発射した。後のことなど何も考えていなかったのだろう。
 彼は泣いた。そして筆者の親に告げ口をした。筆者は夕方、家の前に立たされた。
 日常の被害者がたまの反撃に出て、それで勝利を得た瞬間に、罰を受ける。この世は不条理だと思ったものだ。



2016.6.9

第二百十一回 公認(?)の公害 

 ウインドウズ10の強制アップグレードで思い出したが、ほかに「これってアリなの?」と感じることをあげてみる。
 つまり、大勢の迷惑になっているのに許されていること、取り締まられていないこと。いわば「公害」のようなものだが、もしかしたらそう感じているのは筆者だけで、ほとんどの人は疑問に思っていないかもしれない。
 たとえばガムの吐き捨て。ある駅の構内で、無数の黒くつぶれた楕円が地面に貼りついているのを見て、筆者はそれが吐き捨てられたガムだと、にわかには信じられなかった。
 あまりに大量だったからだ。中にはまだ緑色のものもあるので、やはりガムだということはわかる。また、それを剥がそうとしている業者さんの姿も見たことがあるが、それにしては数が多すぎる。合理的とは言えない作業であり、人件費である。
 場所柄からして、吐き捨てているのは、ほとんどが大人だろう。筆者は、成人してからはまったくと言っていいほどガムを噛まず、また噛みたいとも思わないので、ガムを嗜好する気持ちがわからないのである。
 駅前では、チラシ(ティッシュ)配りの姿も目立つ。あれも通行妨害ではないのか。
 配る目的といえば企業利益のためであり、つまりはティッシュにプリントされている会社の社長のために公道での通行を妨げているのだから、取り締まられていないのが不思議である。
 居酒屋の周辺にたむろしている酔客も公害だ。道場の近くにある居酒屋など、すぐ隣りに民家があるのに、道に広がって騒いでいる。迷惑だと想像できる頭がないのだろう。
 だいたいが世の中は酔っぱらいに対して甘い。筆者も酒は好きだが、酔っぱらいに対する世間の過保護に対しては、子どものころから疑問だった。自分で飲むことを選択したんだから、その結果にも責任を持つべきじゃないか、と思っていた。それで「仕方ない」と言って許されるなら、覚醒剤の服用を選択した人だって仕方ないだろう。
 それから、政治家の演説や選挙候補者のスピーカーによる騒音公害。
 当選する前から迷惑をかけている。自分の権力欲のために眠っている赤ん坊を起こし、青少年の勉強を邪魔し、市民のたまの休日を騒がせている。大音量で、聴くか聴かないかの選択ができないのだから、まぎれもない「暴力」なのだが、国によって認められている。
 街宣といっても、名前を連呼して回っているだけで、自分の志の内容などまったく関係ない。どぎついCMと同じで、ただインパクトで勝負しようとしている。ようするに有権者を舐めているのだ。
 最終日など「最後のお願いに参りました」と言っているが、筆者は、こんなみっともない言動はないと思う。そもそも投票って「お願い」するものだろうか。これから有権者のために過酷な世界に飛び込もうとしているのに。……ジョークとして古すぎる例を引き出せば、足尾銅山鉱毒事件で活動した田中正造議員ほどの覚悟がある立候補者からは「お願い」という言葉は出てこないはずだ。
 やはり当選すると、よほどオイシイことがあるのだろう。会見で号泣した人とか、このところ話題になっている人みたいに。



2016.6.3

第二百十回 ウインドウズ10への無償アップグレード問題 

ウインドウズ10への強制アップグレードが問題になっているが、読者の中で、この被害にあった人はいるだろうか。
 筆者の周辺では、一人だけいた。ちなみに七人ばかりに訊いてみたところ、自主的に更新した人は、なんと一人もいなかった。
 理由はそれぞれで、「重くなりそう」とか、「家族で使っているから自分の一存では」とか、「時間がかかる」とか、中には「そもそもパソコンを持っていない」というツワモノもいたが、ウインドウズ10の使い勝手がどういうものなのかは、結局わからずじまいだった。
 筆者といえば、被害にあったとも言えるし、あわなかったとも言える。というのは、みんなの不満のほとんどは、いったん更新が始まってしまうと途中で止められないので、パソコンを使えずに仕事ができなかった、というものだが、筆者はそのあいだ、ほかのことをしていたからだ。パソコンをつけっぱなしにしているうちに勝手に更新が始まっていたのだが、しばらく使えなくてもあまり困らなかった。その意味では、とくに被害者意識はない。ただ、観察はさせてもらった。
 まずは、「へえ~、こんな強引なやり方をするんだ」と驚いた。
 許されるんだな、とも思った。花形産業の傲慢さというか、有無を言わせないのだから、暴力的ですらある。ようはマイクロソフト社がそういう会社であるということだ(実名を出してもいいでしょう。周知の事実だし、実際に失礼なやり方をしているのだから)。
「いや~、あくどい商売してけつかるで」
 と言われても仕方ない。また、これほど執拗に勧め、強引な手段に出るということは、「10」への更新でよほど儲かるのだな、とも思った。人に訊いたところ、どうやら周辺機器を買い換えなければならないらしい。
「すでに2億人以上のユーザーが無償アップデートしています」
 といったような表示も見たことがある。これは何を伝えたいのだろう。
 意訳すると「みんなやってるんだよ、やらなきゃ遅れるよ」といったところだろうか。他者と同じでなければ不安になる人には有効かもしれない。筆者などは「そんなに大勢がやってるなら、自分までしなくてもいいだろう」と思ってしまう。
 アップデートが終わると使用承諾書が出てくる。これが素人には難解な内容で、しかも8ポイントほどの細かい文字でびっしり埋められているのは、ご存じの通り。
「読みづらいだろう。だから、こんなの読み飛ばして、とっととサインしちまえ」
 という意図が見え見えなので、最後まで熟読した。で、「拒否」をクリック。
 すると次は、「元に戻すにはまた時間がかかるし、速度の遅いヴァージョンを使うことになりますが、それでも拒否しますか?」という意味の、高飛車な確認表示が出てくる。
「その言い方が気に入らん」と、また「拒否」をクリックし、元に戻した。
 そのあいだの時間は無駄になったが、結局、筆者は、いじわるな観察をして楽しんでいたところもある。それに対して、このような魂胆が見え見えの商法を臆面もなく発案・遂行する企業の方々は、とても「わかりやすい」人たちで、善人だなあ、とも思うのだ。



2016.5.26

第二百九回 09の回だから 

 思えば、10回未満の第9回(すなわちゼロゼロナンバー)のうちに書いておくべきだった。
 なにがって、『サイボーグ009』の話である。
 また出たか昭和のアニメネタが、と思われても仕方ない。そう、ここでいう『009』は主題歌が小室直哉作曲の平成版でも、ずっと昔の白黒版でも、もちろん近年の映画化作品でもなく、昭和54年(1979年)にテレビ放映されたものをさす。主題歌が『誰がために』の(これも平尾昌晃の作曲だ)最高に気合いの入ったオープニングのやつである。
 知らない人のために作品の背景をざっと説明しておくと……敵として、戦争のための兵器を製造するブラックゴースト(黒い幽霊団)という組織が登場し、「新商品」としてサイボーグ戦士というものを開発、世界各国から人をさらってきて、試作品を9体、製造する。
 ある者は体の細胞を操作して何にでも変身でき、ある者は深海や宇宙空間でも活動でき……といったように、一人一芸の多国籍軍である。行き場のないインディアン(005)や、食い詰めて首をくくった中国の農民(006)や、落ちぶれた元俳優(007)など、社会的に不要とされたような人間を集めてくるというのが、当時少年だった筆者には驚きだった。
 彼らは、科学者アイザック・ギルモア博士の元、戦争のために使われることを拒み、ブラックゴーストに反逆、逃亡する。そして追手として差し向けられてくる敵や、さらに性能のいい新型サイボーグに対し、チームワークで応戦していく……(これは原作漫画の内容)。
 メンバーの中で、切り札として活躍するのが、イワン(001・ロシア人)である。赤ん坊だが、科学者である父親によって脳手術を施されており、高知能にして、超能力者。ほとんど眠っているのだが、ここぞという時に超能力を発揮する。
 筆者は当時、小学生だったので、なにが楽しみだったかというと、もちろんアクションシーンだった。高速飛行できるジェット・リンク(002・アメリカ人)や、全身に武器を内蔵したアルベルト・ハインリヒ(004・ドイツ人)や、主人公の島村ジョー(009・日本人)の加速装置を使った活躍を目当てに、毎週テレビに向かっていた。
 が、ある回の翌日、学校の教室で驚くべき会話を耳にしてしまう。
 この昭和版『009』の特徴は、メンバーのファッションにも凝っていることで、そのこだわりは、ジョーやフランソワーズ・アルヌール(003・フランス人)の私服姿に現れていた。
 今でも覚えているのだが、その回の冒頭で、ジョーは茶系のトレンチコートをはおり、夜の街角を、一人さびしげに愁いのある表情で歩いていくシーンがつづいたのである。
 で、翌日、クラスの女子たちが話しているのだ。
「昨日、見た? 009」
「見た見た!」
 ほう、女子でもサイボーグ戦士のアクションが好きなのか、と思っていると、
「ジョー、格好よかったあ!」
 と言って盛りあがっているではないか。
 そうか、こやつらは、そのように『009』を見ているのか! と思った。
 今思えば不思議でも何でもない。キャラクター主体の物語とはそういうものなのである。



2016.5.19

第二百八回 DVDマガジン!!! 

いつの頃からか定かではないが、書店の一画を「DVDマガジン」(たいてい隔週の刊行)なるものが占有するようになって久しい。
 読者はご存じだろうか。DVD「マガジン」というからには、映像作品を紹介する冊子が付属しているのだが、購入者の目的は、まず映像(DVD)の方である。今出ているものでいえば、東映のヤクザ映画や、円谷プロの特撮モノ、北斗の拳、松田優作、横溝正史シリーズ、必殺シリーズ、戦争映画、などなど、各種様々、華やかなものである。
 ただし、このDVDマガジン、書店のどこらへんに置かれているのか、たまにわからないことがある。
 そんなときは店員さんに訊くのだが、「DVDマガジン」と言っても、店員さんがわからない場合があり、筆者は説明しなければならなくなる。
 レジに持ってくる人がいるわけだから、店員さんも見かけたことはあるらしい。
「松田優作シリーズなんかが出ているものですか?」
 などと訊かれる。
「そうです」
「お探しのモノは、具体的に何というタイトルの作品ですか?」
「必殺仕事人です」
 筆者が購入しているのは、前にこのブログで書いた『必殺仕事人』であり、たまに古谷一行の横溝正史シリーズも、まだ持っていない作品を買っている。
 円谷プロの特撮モノは、なぜか『ウルトラQ』と『怪獣ブースカ』の二本立てで隔週出ている。『ウルトラQ』だけなら筆者は買っていたのだが、まったく姑息な商法に走ってくれたものだ。このぶんなら『怪奇大作戦』も、ほかの作品とセットで販売されてしまいそうだ。
『怪奇大作戦』は、いっそのこと、思いきってDVD・BOXを買ってしまおうかという気になりつつある。家計を圧迫するが、それほどの名作品である。
 さて、『必殺仕事人』の第一シリーズだが、これが非常にいい。なんだ、また必殺ネタか、とお嘆きの貴兄には申し訳ないが、時代劇にして正統派ハードボイルドの乾いた作風が、ぬるい作りに辟易している立場としてはたまらないのである。
 たとえば、武士を捨てて屋台のおでん屋になった畷左門(伊吹吾郎)の幼い娘・美鈴が誘拐された回で、ご近所づきあいで美鈴になつかれていた、まだ若い秀(三田村邦彦)が、強行策をとろうとする中村主水に食ってかかるシーンがある。
 秀「美鈴ちゃんに万が一のことがあったら、どうするんだよ!」
 これに対して主水が、その時はその時でしょうがない、左門も覚悟はできているだろ、というような言葉を返す。
 秀「あんた、それでも人間かよ!」
 主水「……人間じゃねえや。……人間じゃねえから、こんな仕事してるんじゃねえか」
 こういう最高レベルの脚本が、筆者を隔週の購買に走らせるのだ。ちなみに来週の火曜発売の巻は、必殺初のスペシャルドラマ『恐怖の大仕事 紀伊・水戸・尾張』である。



2016.5.12

第二百七回 ヒーロー同士が戦えば 

二人のうち、どっちが金持ちか、どっちが頭いいか、どっちが格好いい(可愛い)か、どっちが出世しそうか……。
 こういった比較は、男女を問わず行われるかもしれないが、「どっちが強いか」という評価は、とくに男性に偏った関心ごとではないだろうか。
 格闘技の話題でも、実現が望めそうにない好カードなどを出して、「フランシスコ・フィリォとウイリー・ウイリアムズ(筆者は一度も見たことないが)が戦ったらどっちが勝つか」などと、若いころは酒の席で話すことがあるかもしれない。
 その対象は人間とは限らない。
「虎と羆はどっちが強いか」
「シャチとホオジロザメなら……」
「オオスズメバチとサソリが戦ったら」
 フィクションの世界でも、「ゴジラとモスラが戦ったら」とか、「ゴジラとキングギドラでは」などなど……。こんなことを考えるのは、たいてい男性であるような気がする。
 さて、そこで前回につづいて『シビル・ウォー』の話だが、一人でもキャラクターが立っているヒーロー同士が競演し、しかも戦うとなると、目が離せない。
 しかも配役が、アイアンマンならトニー・スターク役のロバート・ダウニーJr、キャプテン・アメリカならスティーブ・ロジャース役のクリス・エヴァンスというように、それぞれの映画の主演と同じ俳優が出演しているのだから、それはもう豪華で、ファンにとってはたまらないだろう。
 ただひとつ心配なのは、往年の「子ども夏祭り映画大会」のように「力を合わせて共通の敵に立ち向かう」という路線に走るのではないか、ということだ。
 あれは白ける。たとえば『仮面ライダー VS バロム1』(←ただの例です。実際にこんな映画はありません)だとすると、本当に仮面ライダーとバロム1が対決するのではなく、「競演」という形で同じ作品に登場するだけなのである。題名は大嘘だったのだ。
 子どもでも鼻白んだのだから、もちろんハリウッドでは通じない。
 たとえば『エイリアン対プレデター』。思いきり殺し合っていた。
 たとえば『フレディ対ジェイソン』。どちらも「不死身」の殺人鬼だけに、対決は凄惨なものとなり、しかも互いに弱点(フレディは火、ジェイソンは水というように、彼らの死因に関するもの)がはっきりしているので、そこを突くという面白さがあった。
 こいういった「夢の対決モノ」の中で、筆者にとっての究極の作品といえば、山田風太郎の長編小説『魔界転生』である。映画にも二回なっているが、対決シーンの迫力は、原作に及ばない。活字が映像をこえているのだ。
 あの隻眼の名剣士・柳生十兵衛が、この世に転生した宝蔵院胤舜や柳生兵庫(如雲齋)、柳生但馬守(親子対決)天草四郎、はては宮本武蔵とまで戦うのである。
 迫力満点にして、驚きと納得の決着。筆者が今までに読んだすべての小説の中で、一番面白いと感じた作品である。



2016.4.28

第二百六回 ヒーローたちのファッション 

このゴールデンウイークから『シビル・ウォー キャプテン・アメリカ』が劇場公開されているので、もう観にいった人もいるだろう(筆者は行けそうにないが)。
 なんでもアイアンマンとキャプテン・アメリカが戦うとか。といいつつもキャプテン・アメリカに関して、筆者はまったく知らない。今回の映画の広告で初めて知ったヒーローである。
 それにしても、ヒーローの外見って、どうしてあんなに風変わりなのだろう。
 不思議なことに、映画の中で観ると違和感がないのだ。アイアンマンもスパイダーマンも、ストーリー上、ごく自然に(あるいは必然的に)あのような外観になっている。アイアンマンのスーツなどは、むしろ洗練されているように感じる。特撮はすぐれているし、アクションも派手だし、ストーリーだって息もつかせぬ展開で、ヒーローの活躍は手に汗握る面白さなのだが、電車の中吊り広告などで、つまりストーリーと外観だけ切り離して見ると、「なんだ、こりゃ」と思ってしまうのは何故なのか。
 バットマンやデアデビルはまだいいが、スーパーマンの赤と青のコスチュームにいたっては、あの健全すぎる笑顔とあいまって、変態的ですらある。とても世界の(いや、アメリカの)平和を守っているとは思えない。
 これは日本の特撮モノやアニメのヒーローにも言えることで、幼少期に好きで観ていた作品でも、ヒーローたちの格好だけを見ると、やはり変だと思う。
 仮面ライダーは、オートバイに乗るときはヘルメットをかぶるものなので、意外と自然に見えるほうだ。『宇宙刑事ギャバン』をはじめとする宇宙刑事シリーズは、『ロボコップ』のはしりのようだが、口元だけ露出している点でロボコップのほうが斬新だろう。
 バロム1は、あのタイツがいけない。上半身は隆々と盛りあがっているのに、下はいかにも脆そうなタイツ履きで、しかも薄緑色と黄色のヴァージョンがある。
   ゴレンジャーなど、戦闘スーツを統一せず、あえて5色のカラフルな仮面に色分けして、変な(それぞれの武器をモチーフにした)黒い模様が入っている。
 ガッチャマンも、いい年をした大人(に当時は見えた。まさか16歳だったとは!)がそれぞれ鳥の形をかたどったヘルメットをかぶって、鳥のマントをはおってカッコいいと思っているなんてどうしたことか……と子どもながらに感じた。
 デビルマンは、パンツをやめてほしかった。まるでプロレスラーのようである。パンツ姿ということは、どこかでそれを「はき替えた」わけだから、変身して一瞬で変わる姿としては非常に違和感がある。永井豪の原作では下半身が獣毛に覆われており、目元の隈取りや頭部の形も合わせて、はるかにすぐれたデザインだったのに。
 かようにヒーローたちのコスチュームは風変わりなものが多いが、それを確信犯的に掘り下げて、滑稽味まで演出しながらヒーロー愛を扱った作品が『キック・アス』だろう。
 そう、ヒーローたちの外観は「非現実的」でいいのだ。なぜって、能力が普通じゃないのだから。普通なら、背広を着てネクタイをしめて……という格好になるではないか。
 と、ここまで書いて、ごく普通の背広姿で過激なアクションをこなすヒーローが一人いることを思い出した。英国紳士のジェームズ・ボンド(007)である。



2016.4.28

第二百五回 弓道バカ一年 激闘編 

部活でもスランプに陥ることはある。
 悪い癖がついてなかなか直せなかったり、今までどおりにやっているつもりなのになぜか調子が出なかったりして、その状態から脱しようとあがくのだ。
 弓道部員だった筆者は、高校一年の秋に一時的なスランプ状態に陥った。
 流派によって呼び名は異なるかもしれないが、弓道には「会」というものがある。
 弓を大きく引き分け、びしっと矢先を的に向ける体勢になった時、すぐさま射ち放つ(離れという)のではなく、そのまま静止する。
 これを「会」と呼ぶ。気力の充実を図り、集中力を維持するためで、高校生のレベルでおよそ10秒ほどだったように記憶している。
 筆者は静止できなくなった。つまり「会」の状態がない。引き分けた瞬間、即座に「離れ」に転じてしまう癖がついたのだ。
 恥ずかしいことである。もちろん直すための努力はした。
「引き分けた時、肩に手をおいてくれ」
 と、筆者は友人の一人に頼んだ。
 友人は、筆者が引きしぼった弦のあいだに手を差し挟むことになる。こうなると矢を放つことができない。もし射れば、弦が激しく友人の腕を打ちつけ、傷を負わせてしまうのだから。
 頃合いを見て手を離してもらい、そこで初めて射る。そうすれば「会」の状態を保てる。友情と信頼を利用した、一種、梶原一騎ふうの熱いスランプ克服法である。
 それは実行され、友人が肩に手をのせた。
 そして筆者は弓を引きしぼり、普通に射た。
 バチィン! と弦が友人の腕を打ち、ギャンと金属音が鳴って、矢は芝生に突き刺さった。筆者は弓を離してしまい、友人の「痛あッ」という悲鳴と、板張りの床に弓が転がる音が響いて、みんな何事が起こったのかとこっちを見た。
 友人には呆れつつも怒られた。むろん筆者は一言もなかった。
 こんなことを思い出していると、二年生の夏に辞めることになるのは当然の結果ではないかと思えてくる。ちなみに、この友人は、筆者よりも先に辞めてしまった。
 詳しい状況は忘れたが、矢が上に飛んでいったこともある。普通に弓を引いていれば起こりえないことだ。
 この時、矢は的場の屋根をこえ、その向こうまでヒューンと飛んでいった。
 さすがに血の気が引いた。誰かに刺さったらシャレではすまない。
 その矢は、陸上部の友人が持ってきてくれた。
 走り幅跳びの練習をしていたら、いきなり矢が飛んできて砂場に刺さったのだという。見れば、羽根のあたりにフエルトペンで筆者の名前が書いてある。で、持ってきた。
「殺す気かあ!」
 と怒られた。
 一言もなかった。



2016.4.22

第二百四回 「俺の酒」という謎 

4月のこの時期は、年末の忘年会シーズンと並んで、飲み会の季節である。
 新入生や新入社員などの歓迎会がおこなわれるからだ。飲み屋の外に群がっている有象無象が名残り惜しんですぐに帰りたがらない光景は、平和ニッポンという感じで微笑ましい。
 さて、漫画やドラマなどのフィクションで描かれる酒席の場面では、よく「俺の酒が飲めないのか」というセリフが出てくるが、あれを実際に耳にしたことはあるだろうか。
 筆者は、ある。新卒入社した企業で、研修を終えて配属された部署の歓迎会の席だった。
 こちらは新人の立場だったし、場の空気もあるので、できるだけ勧めに応えて飲むようにしていた。のだが、きりがない。すべてに応じていると潰れてしまう。で、限界がきてついに「もう飲めません」と断ったのだが、ここで「俺の酒が飲めないのか」が出た。
 これには驚いた。フィクションの世界限定のセリフだと思っていたので、まさか現実にそんな言葉を口にする人がいるとは思えなかったからだ。
「はい」と筆者は素直に答えた。
 こう書くと、読者の中には「生意気な新入社員だ」と思う人もいるかもしれない。だが、筆者はけっして相手を軽んじたのでもからかったのでもなく、本当に酒量が限界だったために断っただけで、他意はなかった。つまり「俺の酒」でなくても、誰の酒であってもアルコールはもう受けつけられませんという、言葉どおりの意味である。
 怒られるかな、と思ったら、相手は意外な反応をした。
 拗ねたのだ。顔を横に向けて「傷ついた」という感じで、うなだれてしまった。
 ますます理解不可能だった。なんなのだこの世界は、と思った。その人は目立って仕事ができない人だったが、もし自分がバカにされたと勘違いしたのなら大変な誤解である。
 そもそも「俺の酒」とは何だろう。「俺がこうやって勧めている酒」の略で、それを断るのは好意を無視することなる、という意味だと推量できるが、なんとも無意味なやり取りだ。
 ちなみに「俺の酒」を現実世界で聞いたのは、あとにも先にもこの時だけである。
 人は、なぜ他者に酒を勧めるのか。見ていると、どうもコミュニケーションの下手な人が多いように思える。そういう筆者も人づき合いは苦手で社交的とは言い難いが、不器用であることを自覚しているので、一人で勝手に飲むほうを選ぶ。しきりに酒を勧める人というのは、とにかく相手と交流したい、でも話題や方法がないので、「酒を勧める」という形でそれを代行(というか、本人はそれがコミュニケーションのつもり)しているようである。
 淋しがり屋なのかもしれないが、滑稽な姿でもある。会話といえば「飲め。とにかく飲め」と言って酒を注ぐだけで、なにかについて話し合うわけでもない。しかも自分は飲んでいない。これでなにが「親睦」と言えるのだろう。
 酒は楽しく飲むべきだ。幸いにも極真の飲み会では、無理な強制はない(というか、みんな進んで飲んでいる)。バリバリ体を動かしているのに、悪しき体育会的なノリはない。
 江口師範は日本酒の味に詳しく、肴との相性や、筆者の知らない美味しい飲み方なども教えてくれるので、自分の経験でいうと、極真(国分寺道場)の飲み会のほうが、サラリーマン社会の飲み会よりも、はるかに文化的で有意義でスマートなのである。



2016.4.14

第二百三回 二○三高地 

アジアジと飲んでいる時の話題が、たまに社会的・政治的なネタに発展することがあるのだが、できれば筆者としてはそれを避けたいと思っている。
 アジアジの地声が大きいからだ。周囲の耳をまったく意識していない。しかも酔うほどに滑舌が回らなくなり、口から白い食物の破片を飛び散らせ、ときには店内に轟くほど爆笑しながら話す内容が、まわりの客に聞こえまくるのである。
 意見が一致しないこともある。ひとつ挙げるなら、乃木希典が名将か愚将かという評価についてだ(この唐突な話題の飛躍はどうだろう)。
 念のために言うと、乃木希典というのは、日露戦争で旅順の二○三高地を攻略した陸軍の大将である。その乃木の将軍としての実力を高く評価するのがアジアジで、筆者は否定的なほうだ。その後、常識破れの戦法をもちいてソッコーで落とした天才将軍・児玉源太郎こそ、もっと評価されてしかるべき人物だと思うのだ。
 語るまでもないことだが、旅順のロシア軍要塞は、当時の最新性能をもつ機関銃を650近くも備え、難攻不落であった。が、それにしても効果が認められない同じ突撃戦法を延々とくり返しているようでは、無能の烙印を押されても仕方がないと思う。
 と、このようなことを言うと、乃木希典には熱烈なファンがいて激しく反論される。アジアジがそうだし、今は亡き祖母もそうだった。
 筆者の父方の祖母は、幼少期の教育ゆえか、乃木将軍の信奉者といっていいほどのファンだったのだ。筆者が大学生のころ、帰省している時に、祖母が何の拍子か「東郷(平八郎)より乃木希典のほうがえらい」ということを言い出し、筆者が「東郷のほうが立派だ」と言うと、勢い込んで反論された。乃木将軍の評価は、なぜか人を感情的にさせるのである。
 乃木が名将という意見の根拠は、その作戦術というより、人格に対しての評価であるようだ。日本軍だけでなくロシア兵の墓標も立ててニコライ二世を感動させたとか、終戦後の写真撮影においては、敗軍のロシア兵とともに写るのは相手に恥をかかせることになると言って世界のマスコミから賞賛されたとか、たしかに高潔な人だったことはまちがいないと筆者も思う。
 乃木自身も悲劇的な運命の人であったことに異論はない(映画『二百三高地』で乃木役を演じた仲代達矢の悲愴感あふれる風貌はよく合っていた)。
 ところで、筆者の母方の曾祖父は、日露戦争に出征し、この旅順攻略戦に参戦している。
 機関銃の弾丸が嵐のように掃射される中を突撃していくのはどんな気持ちだったろう。筆者などは、想像しただけで身の毛がよだつのだが。
 ちなみに曾祖父は、ロシア軍の放った弾丸に耳と目のあいだを撃ちぬかれている。よく生きて帰ったものだと思う。ちょっと角度が違っていたら、筆者も生まれていないではないか。
 その貫通したほうの片目は義眼で、幼いころの母は、たまにそれを冗談まじりにカポッとぬいて見せられたそうだ。生きていれば詳しく話を聞かせてもらいたいのだが……。曾祖父が参加したのは、はたして乃木作戦だったのか、児玉作戦だったのか、気になるところである。
 それにしても、国力で10倍以上にもなる相手との戦争で、敵将のクロパトキンに「黒鳩金」などと当て字をしている日本軍の感覚に、なんともいえぬ妙な余裕すら感じるのだ。



2016.4.8

第二百二回 つながりを煽られる大人たち 

過去の国語の入試問題を解いていると、たまに興味深い文章に出会うことがある。市川中学校あたりの過去問だったか、『つながりを煽られる子どもたち』土井隆義(岩波ブックレット)という文章が面白かったので、ネットで注文して取り寄せた。
 今の子どもたちは、友達とのつながりから外れることを非常に恐れている。というと一見、協調的であり、人づき合いなどどうでもいいと考えているほうが反社会的な性向が強いと言えないこともない。が、SNSなんかだと「既読表示」というものがあり、読んだのにスルーしていると顰蹙を買ってしまうので、嫌われないように、仲間はずれにされないように、強迫観念に駆られたように片時もスマホを離さずチェックして、それがストレスになっているという。
 学生の世界では、学食や教室で昼食を一人で食べるという行為が、孤独で恥ずかしいことになっているという話も聞いたことがある。一人で弁当を食べているところを見られないように、トイレの個室にこもって食べる子もいるとかいないとか。
 にわかには信じられないのだが、もし本当だとすると、アホじゃないだろうか。
 第一、臭いではないか。トイレなんて、もっとも食事に適さない場所のひとつである。もし隣りのボックスに誰かが入ってきたら……どうするんだろう。そのほうが一人で昼食を食べるより最悪だと思うのだが。
 時代が違うと言われればそれまでだが、筆者らの子どものころは逆だった。本にも書いてあったが、むしろ群れから外れることがステイタスだったのだ。
 もっとも、つながりを煽られているのは子どもばかりではないらしい。
 いい年をしたオッサンまでがスマホをいじりながら歩いているのを見ると、なにか「奴隷」という感じがする。まず、自分でその行為を「みっともない」と感じない知性が面白い。
「お前に必要な情報が、どれほどあるというのか」
 とも思う。実際、のぞいてみるとゲームなどしているのである。
 何年か前、ファミレスで本当に見た光景なのだが、近くのテーブルに家族連れがいた。両親と小学生らしき息子の三人。ふと見ると、母親が席を立っている。残された父親と息子が何をしていたかというと、向かい合ったまま、互いにせっせとケイタイをいじっているのである。
 バカだねえ、と思った。わざわざ食事にきているのに、同席している生身の人間(それも家族)と会話せず、端末を通して電脳空間の相手とのコミュニケーションを求めている。そのスカスカの知性が面白かった。
 筆者自身はというと、メールはパソコンが中心。ケイタイのメールチェックはズボラなほうだ。いつも出勤時にするので、前夜に着信したものには返信が遅れてしまう。そもそも在宅時はケイタイを携帯していないし、それで十分なのである。
 でも、それで怒るような人は、交友範囲にはいない。もし筆者が今どきの中学高校生だったら、たちまち仲間はずれにされて、友だちをなくしてしまうかもしれない。そうなったら、それはそれで仕方ない、と開きなおって、一人で本でも読んでいるような気がする。
 つながりを煽られている子どもたち、そして大人たちは、自分だけの貴重な時間を浸食され、拘束されてまでつながっている関係を、わずらわしいと思わないのだろうか。



2016.3.31

第二百一回 何もないけど発信したい 

「ガラケー」という言葉をアジアジが知っていた。
 筆者は最近まで知らなかったのだが、なんでも「ガラ」は「ガラパゴス」の意味であり、すなわち「ガラパゴス携帯」の省略形であるらしい。ということは「ガラケー」とは「独特の進化を遂げた生態系を有するケータイ」のことだろうか?
 いや。簡単にいうと、スマホがこれほど普及している中で、時代に取り残されたかのような旧式の携帯電話を揶揄した表現なのである。
 筆者はまだ、この「ガラケー」を使っている。もう四年目になるので、そろそろスマホに替えてもいいのだが、若いころならいざ知らず、それほどの必要性を感じていない。電話はほとんどしないし、メールもパソコンで十分なのだ。
 そういえば、いつから電話が嫌いになったのだろう。
 若いころは筆者も電話が好きだった。とくに異性とは毎日のように何時間でも話していた時期がある。……などと恥ずかしいことを書いてしまったが、これは筆者にかぎったことではなく、若い時期というのは、誰でも似たり寄ったりなのではないだろうか。
 それが今では、やりかけの作業を邪魔するひどく傍若無人にして失礼千万なアイテムに感じられ、むしろ遠ざけ、鳴っても出ることすら稀になっている。
 メールは、パソコンなら便利だから活用しているが、一本の指でちまちまと文章を打つガラケーでのメールは、面倒だからあまり好きじゃない。キーボード入力でないと、まだるっこしくてやっていられないのだ。
 そんな調子だから、よくみんなSNSなんかにはまれるものだと思う。あんなものをやり出したら、時間を取られて、ほかのことが何もできなくなってしまうと思えるのだが。
 それだけ何かを発信したい人が多いということか。だが、発信している内容といえば、他者にとってどれほど有意義なものだろう。
 筆者は個人情報の保護という意味からも、そういったものが好きではない。余計な一言かもしれないが、この国分寺道場のページにも、ブログや稽古風景の写真など不要だと思っている(当ブログも含めて)。
 先日、ある人と話していると、いきなりその人にスマホで写真を撮られてしまった。
 話している最中に、だしぬけに撮られたのである。飲んでいる時もやはり不意に取りだしたスマホで撮影されたことがある。それを自身のSNSなどに載せるらしい。
「発信者になりたい人」は意外と身近にもいるということだ(ちなみに、被写体の当人が載せないでくれ、と言った写真を載せることは、法的には「肖像権の侵害」になる)。
 残念ながら、本来は適性のない人物が発信を心がけたところで、そのコンテンツはたかが知れている。……自分だって何か情報を発信したい。みんなに注目されたい。感心されたい。すごいぞ、って思われたい。自分にはきっと人とは違う何かがあるはずだ。あれ、でも発信できるものが見当たらないぞ。とりあえず、これから食べる料理でも撮るか。今話している人も撮ろう。何か載せなきゃ、自分には何もないって認めることになるもんな。……こんなところだろうか。そこから垣間見えるのは、そら恐ろしいばかりの劣等コンプレックスである。



2016.3.24

第二百回 JRのアナウンス 

「扉が閉まります。次の電車をお待ちください」
 と言われると、筆者は電車に乗るのをあきらめる。
 でも、ドアはなかなか閉まらず、飛び込み乗車する人のために開放されている。
(閉まるって言ったじゃん)
 山手線などはこれが顕著で、閉めるといっても閉めないことを人々のほうでも知っているから、次々に乗り込んでいく。アナウンスはややヒステリックに、「扉を閉めます! 無理なご乗車はおやめください!」と何度もくり返している。
 ああ、バカだなあ、と思う。閉めりゃ乗らなくなるのに。
 乗客のほうでも「そういうものだ」という共通認識ができてあきらめる。それを飛び込み乗車する人のほうに合わせているから、いつまでも変わらない。エネルギーの浪費だ。本当に合理的に運行したいなら、一回のアナウンスの後で容赦なくドアを閉めてやればいいのだ。
 また、テロ防止のためなのか、
『危険物の持ち込みは、固くお断りしております』
 というアナウンスも聞いたことがある。
 それで思いとどまるかぁ、とツッコミを入れたくなる。
 あえて危険物を(たとえば爆弾などを)持ち込もうとしている人物は、いわば確信犯である。いざ実行段階にきて、そのアナウンスを聞いて、
「そうか。これ、持ち込んじゃいけないのか」
 と、きびすを返すことがあるはずもない。つまり抑止力としての効果が疑わしいのだ。
 国分寺駅のトイレ付近では、目の不自由な人のために、男子トイレと女子トイレの音声案内が流れている。が、筆者はよく聞き取れなくて、「ガキのおトイレです」と聞こえるところがある。まさかそんなことを言うはずがないし、あれは正確に何と言ってるのだろう。
「よい子の皆さん。手すりの外に顔や手を出すのは、危険ですよ」
 これは、国分寺駅のエスカレーター付近で流れているアナウンスである。
 夜更けでも、その内容は変わらない。
 筆者が帰宅するのは、午後の11時ぐらいである。「よい子」はどこにいるのだろう。エスカレーターに乗っているのは、ほとんどが勤め帰りのサラリーマンたちだ。
 スーツを着て、ネクタイを締めた「よい子」たちの群れは、そのアナウンスを聞きながら、黙々とエスカレーターを昇降していく。これも、やや異様な光景である。
 だが、筆者が一番おどろいたアナウンスは、バスから出たものだった。
 アジアジと飲もうとしていた時だ。ある駅前で飲み屋を探していると、停留所に入ってきたバスが外部マイクで声を発したのだ。
『押忍!』
 ズッコケそうになった。まさか、近づいてきたバスに、マイクで「押忍!」と挨拶されるなんて、夢にも思わないではないか。
 見ると、運転席には、見覚えのある顔が……!



2016.3.3

第百九十九回 銀河鉄道199回 

 筆者らの子ども時代、リアルタイムで放送されているテレビアニメといえば、『宇宙戦艦ヤマト』のシリーズ、『宇宙海賊キャプテンハーロック』、『1000年女王』、そして『銀河鉄道999』など、松本零士作品の全盛期だった。
 筆者もとくに『ヤマト』と『999』は夢中で観ていたが、松本零士の作品に登場する主要メカの特徴は、「最新にして最高の性能と、アンティークな外観」という一見ちぐはぐな組み合わせではないだろうか。光速を超える波動エンジンを搭載した宇宙戦艦が、かの「戦艦大和」であり、アンドロメダまで行く最高級の銀河鉄道の外側が蒸気機関車であったりするのである。
 むしろ、『ヤマト』では白色彗星帝国のナスカやバルゼーの光速空母、ゴーランドのミサイル艦隊、それに駆逐艦、『999』だとほかの「777号」や「555号」のほうが、男の子ゴコロを惹きつけるデザインだったように思う。これはガンダムでも、ザクをはじめとするジオン側のモビルスーツのほうがデザイン面ですぐれているのと同じである。
『999』に話を戻すと、未来の地球は、機械化人間(大金持ち)と生身の人間(極貧)とで構成された貧富の差が極端に激しい社会になっており、主人公の星野鉄郎が「機械の体をただでくれる星」をめざして旅をするというストーリーである。主題歌にあるように、いわば青い鳥を求める旅であり、メーテルという名前もメーテルリンクから取ったものだろう。
 情感あふれる青木望のBGMにのって、星々のちらばる宇宙空間をゆくSLという構図は、それだけで詩情ゆたかであるが、その途上で鉄郎が出会う人々は悲劇的なまでの運命を背負い、経験する旅は過酷なものであった。
 途中で下車する星々は、それぞれ好奇心や怒髪や怠け心や自己中心といった、人間の心のメタファーとも解釈できる。荒れ地を開拓して現在は危険な自由主義となっているタイタンなどは、アメリカ社会を象徴しているのではないだろうか。
 ちなみに筆者は夏休みに劇場版も観にいったが、映画のクライマックスでは、テレビより先に「終着駅」を知ってしまうことになった。999号の終着駅が「機械化母星メーテル」であり、そこで明かされる「機械の体をただでくれる」という本当の意味が、小学生にとってはショックだった記憶がある。
 テレビ版だったか劇場版だったか覚えていないが、ある人物が鉄郎に「おまえは自分の夢かメーテルを取るかで死ぬほど迷って、メーテルのほうを取るだろう」と言うセリフがあり、ひどく違和感を覚えた。鉄郎ほど自分の夢の実現に執着している主人公は珍しかったからだ。
 が、今になって「メーテル=家族」と考えてみると、それは少年が大人になって、家族を養っていくために夢を捨てることを暗示かもしれない……と解釈できるのだ。
 さて、このブログが999回までつづくことはないと思うので、今回(199回)に『銀河鉄道999』ネタを書いたのだが、次回でとうとう200回を迎えることになる。
 100回の時は、100の怖い話の後で本当に恐ろしいことが起こるという怪談の「百物語」にちなみ、同じ枚数内でショートホラーを書いた。
 が、200となると、それにちなんだものが思い浮かばない。
 200……200……何かないだろうか?



2016.2.25

第百九十八回 弓道バカ一年Ⅲ 

部活を一年もやっていれば後輩というものができる。
 二年生に進級すると同時に、もはや新人ではなくなるわけだ。
 一年生の新入部員たちは、最初、例のひたすら立ち続ける「立ち稽古」に明けくれる。
 ある日、新入部員が勢ぞろいして立ち続けている前を、二年生になった筆者は落とし物を探して歩いていた。そしたら、どこかのバカが落とし穴を掘っていて、筆者はそれにズルッと片足をはめてしまったのだ。こっちを向いて立っていた一年生たちは、当然みんな吹き出して笑った。先輩の威厳もなにもどこへやら、という感じである。
 新入部員たちも部に慣れてきたころ、一人の後輩男子が、ソフトボール部との境になっているフェンスの手前でうずくまっているのを見かけた。
「ソフトボールが落ちてきて、肩に当たったんです」
 と、そばにいたもう一人の後輩が説明する。
 見ると、なるほど体操服の肩が、こんもりと丸く盛りあがっている。ボールが直撃して、肩が腫れあがったというのだ。弓道場はソフトボール部と隣接しており、的場の近くは、たまにフライ球の「流れ玉」がフェンスごしに落下してくる危険地帯でもあった。
「だ、大丈夫かっ」
 と、同級のタケダ君が本気で心配したが、筆者は「ふんっ」と白けていた。
 のちに後輩は、このときの筆者の反応を、「タケダ先輩は本気で心配してくれたのに、氏村先輩は冷たい」と語ったが、体操服の肩がソフトボールの形に盛りあがっているのを見て、どうやって心配しろというのか。
 中にボールを入れていることは一目瞭然。悪戯なのは明白ではないか。それを鵜呑みにして本気で心配しているタケダ君も人が好すぎるというか、どうかしている。
 一方、女子の後輩といえば。
 ある夏の日。昼過ぎの稽古だから、たぶん土曜日だったと思う。
 筆者はみんなより早く道場へ行って、射場のシャッターをあけた。
 射場と的場のあいだには芝生が植えられていて、その芝生に面した側にシャッターがある。稽古前にあけるのは、本当は一年生の役目だが、なにしろ暗いし暑いので、自分のために筆者はシャッターをあけた。
 そして誰もいない道場の床に寝転んでいた。弓道場の床は板張りだから、夏はひんやりとしているし、爽やかな初夏の風が吹き込んできて、心地いいのだ。
 そこへ一年生の女子四人組が入ってきた。この子たちは、先輩である筆者のことを、名字ではなく下の名前で呼び、たまに「先輩」ではなく「君」づけになる。なついている女子の後輩は、なんか妹みたいで可愛いのだが、たまに度が過ぎた行動を取ることもある。
 道場の床にうつ伏せになっている筆者に、ワーッと四人で寄ってきて、全身をくすぐり、一人は背中にまたがって、上に乗っかるではないか。
 弓道も武道系の部活だから上下関係は厳しいはずなのに、この規律のなさはどうだ。筆者の先輩としての威厳は、やはり落とし穴に片足を突っこんだ瞬間に霧消していたらしい。



2016.2.18

第百九十七回 新・弓道バカ一年 

 極真の試合でもそうだが、日曜日や祝日はスポーツ関係のイベントが多く、運動着にスポーツバッグをさげた若者たちの姿を目にすることがある。
 そんな中、和弓を包んだ細長い袋を片手に、矢筒を肩にかけて歩いている集団が、やけに目立っている。弓道をやっている人たちである。
 高校時代を和歌山県の南部ですごした筆者は、参加した弓道の試合も、海べりの市営弓道場でおこなわれたものがほとんどだったが、一度だけ大阪まで遠征にいったことがある。二年生になってすぐのGWあけぐらいの頃だ。
 弓道の試合競技には、キンテキと遠的がある。「キンテキ」と、あえてカタカナで書いたのは、空手における「金的」を連想してくれる読者がいるのではないかと期待したためだが、「遠的」と並べていることからもおわかりのように、正しくは「近的」である。ついでにいうと、弓道にも射た後の姿勢で「残心」がある。
 さて、近的。近い的といっても、だいたい30メートルぐらい離れていて、鯉のぼりの目玉のような白と黒の的(直径30センチぐらい)を射場から狙って射る。これが普段から稽古でやっているやつで、遠的というのはその倍、つまり60メートルも離れていて、狙う的も新装開店の花輪のような巨大サイズである。
 大阪遠征での種目はこの遠的で、住吉大社でおこなわれる有名な大会だった。試合は朝から始まり、日帰りでは行けないので、東大阪のホテルで一泊する。弓道の試合に出るために、学校を一日休むのだから、ずいぶん大げさなことではある。
 ちなみに、この休んだ日にかぎって、当時バラエティ番組にレギュラー出演していたタレントが母校を訪れ、朝礼で挨拶したらしい。同じ高校の出身だと初めて知ったが、なにも筆者らがちょうど休む日に来てくれなくてもいいと思う。
 JR紀勢本線で紀伊半島を北上し、大阪に入ってからは弓をかついで、宿泊するホテルまで繁華街の中を移動した。見かけたことがあるかもしれないが、弦を張っていない状態の和弓というのは、えらく長い。あれを片手に自転車に乗るのも一苦労だが、ビルの中を歩くのも慣れないだけに危なっかしい。
 大阪市内のホテルに移動する途中のエレベーターで、筆者はあろうことか、弓の上下をつっかえてしまった。上端が天井、下端が足元の段に当たり、固定されたのだ。
 エレベーターに乗っている最中である。あれっと思ったときには、弓はもう撓みはじめていた。あわてて引っぱったが、抜けなかった。
 サーッと鳥肌が立った。くどいようだがエレベーターに乗っているのだ。上昇に合わせて弓はどんどん撓んでいく。見ているうちに状況は悪くなる。一度目で抜けなかったなら、二度目はもっと外れにくい。最悪の場合、試合の前に、こんなところで弓が折れてしまうのだ。
 二回目の渾身の引きで、なんとか外れた。ほーっと安堵した。それまでの人生で、もっとも心臓が縮んだ一瞬だった。
 こんな調子だったから、試合も散々。あっさり外して、あっさり敗退。学校まで休んで、なんのために大阪まで行ったのかわからない遠征だった。



2016.2.11

第百九十六回 好き嫌いしたい 

 本家ブログで江口師範がお書きになっていたことに触発されて、ここでもそのネタを。
 筆者が子どものころ、日曜日の昼間に『奇人変人大集合』というテレビ番組が放送されていて、その中に「ゲテモノ食い」のコーナーがあった。
 思えば、悪趣味の極みといっていい番組である。ご存じない方は想像していただきたい。たぶん、その想像は外れている。
 今だったら確実に放送禁止。当時だって苦情が殺到したにちがいない。アンナモノやコンナモノまで食べるところを生放送で流すのだから、トラウマ発生レベルのおぞましさなのだ。
 筆者は、食べるのでなければ、昆虫採集は好きだった。トンボやカミキリムシ、そしてもちろんカブトムシやクワガタを捕ることに、ほかの子と同じように夢中になった。
 だが、高校生のころ、和歌山南部の田舎道を自転車で走っていて、道を横切るムカデの大群に遭遇したときは悲鳴をあげたくなった。川べりの道だったが、山側から川にかけて「なんか黒いな」と思ったら、それが数千匹にもおよぶムカデの大移動だったのだ。
 正体がわかったのは、自転車で接触した後で、「うぎゃー」と思いながらもそこで止まるわけにいかず、タイヤでブチブチと轢き潰しながら、おびただしい群れの上を突っ切っていくしかなかった。今から思えば、あの大移動は何だったのだろう。
 さて、前述の『奇人変人』で放送したゴキブリやウジ虫のように、あきらかに不衛生なものは別だが、昆虫とはいえ伝統的に食されてきたものを「ゲテモノ」と呼ぶのは、その食文化圏の方々に対して失礼といえるかもしれない。
 ウナギやナマコだって、調理される前の姿かたちだけ見れば、相当グロテスクである。レバーやホルモンなどの内臓料理は、それ以上だ。
 筆者の友人はタコやイカが駄目だった。あんなに美味しいのに、と思ったが、軟体動物がよくて昆虫はゲテモノだ、というのも(ミスター・スポック風に言うと)論理的ではない。
 というのは綺麗事で、やっぱり筆者も食用としての「虫」は受けつけない。生理的感覚は論理ではないからだ。
 とは言いながら、ここでカミングアウトすると、筆者はイナゴも蜂の子も、一度だけ食べたことがある。「あんた、どっちやねん」と突っ込まれそうだが、かつて飲み屋で「こんなのあるけど」とタダで出されたのを、その場のノリと好奇心で食したのだ。
 喜んで箸をつけたわけではなく、やはり内心で勇気がいった。
 まず、内部までしっかりと火が通っていて、柔らかい「生」の部分がないこと。噛みしめて、口の中でプチッと体液が弾けるようなことが絶っっっ対にない、というのが条件だった。
 イナゴは、よくわからなかった。佃煮になっていて、そのタレの甘味が優っており、素材本来の旨味まで感じ取る余裕はなかった。ただ、脚が取れていて、皿にポツンと落っこちたそれがゴキブリの脚みたいで嫌だったことは覚えている。
 見かけでは、蜂の子のほうに抵抗が大きかった。筆者はなにが嫌いかって幼虫のたぐいほど苦手なものはない。が、そのとき出された蜂の子は、ほんのりと焦げていて、見かけはマシだった。こちらのほうが濃厚で美味だった記憶がある。二度とは食べたくないけど。



2016.2.4

第百九十五回 弓道バカ一年 

中学・高校時代の教科書を保存している人はいるだろうか。
 筆者は実家に一冊だけ残している。高校一年生のころに使っていた『現代社会』の教科書だが、愛着があるどころか、全教科の中でもっとも退屈な授業だった。捨てなかった理由は、およそ全ページにわたって書き込まれたラクガキが面白いからである。
 当時の筆者は、熱に浮かされたように必殺シリーズを視聴しており、その影響で、教科書の各ページに掲載されている写真の人物の首には三味線の糸が巻きついていたり、背後に簪をくわえた秀さんが立っていたりと、それはもう必殺ネタのオンパレードなのである。
 もうひとつは弓道ネタだ。弓の絵、矢の絵、的の絵、描きまくっている。
 頭の中は必殺と弓道だけ。授業など、まったく聞いていなかったことがわかる。
 実際、お盆と正月と定期テストのほかは、弓道漬けだった。一年のうち350日以上は稽古していた。祝日でも朝から晩まで稽古。市営弓道場で暗くなるまでひたすら弓を引いた。
 ある秋の祝日など、筆者が誰よりも多く矢を射たことがあり、その一日だけの本数にかぎってなら、もしかしたら日本で一番だったのではないかと悦に入ったこともあった。
 段も早く取れた。これは筆者に限らない。四月に入部した者が、みんな一年後に昇段審査を受けて初段になったのである。
 一年で段を取るなんて極真では考えられないが、稽古の日数(回数)を単純に換算すると、一年で三、四年分ぐらいはこなしていたのではないだろうか。
 だが、情熱が冷めることもある。それほど熱中していた弓道を、筆者は2年生の夏に辞めたのである。つまり、在籍していたのは一年と三ヶ月ぐらい、ということになる。  部活でも極真の空手でも、ある時期まで一生懸命やっていた人が辞める理由というのは何だろう?
 むろん、それぞれ各様なのだが、なんとなく思うのは、たったひとつの明確な理由によって辞める人は少ないのではないか、ということだ。複合的なもの、つまり幾つかのマイナスの要因が併合されて、退部なり退会なりに繋がるように思えるのである。
 筆者の場合、きっかけは「カケ」を濡らしたことだった。カケというのは、弓を引くときに右手に嵌める手袋のようなもので、親指と人差し指と中指、そして手の甲を覆う。中国は雲南省に生息する鹿の革で作られており、値段は3万以上もした。これは湿気厳禁で、常に乾燥剤を詰めて保管しなければいけないのだが、あろうことか、筆者がカケを入れた布製の手提げを自転車の籠に入れて走っているとき、急に夕立が降ってきたのである。
 土砂降りだった。体操服で自転車に乗っていたので懐に隠すこともできず、畑の中の道で避難できる屋根の下もなかった。気づいたときには手提げがビシャビシャになっていた。
 当然、中のカケも再起不能。泣きたくなった。何とも愚かな話だが、三万以上するものを新しく買い直してくれと親には頼めず、一気に熱も冷めた。同じタイミングでほかの理由が複合的に発生した。高校生なので、面白いことが幾らでもあったのだ。
 辞めることは事前にほかの仲間に話すと止められるので、いきなり顧問の先生に申し出た。
 辞めるのを思いとどまる理由。それはつまるところ人間関係かもしれない。



2016.1.28

第百九十四回 魔の1月26日 

 ハプニングは突然おこる。まるで周到に用意されていた不幸の芽が、時期を得て地上に吹き出してくるかのように。
 3年前の1月26日、妙に体がだるかった。温かくして眠ったのだが、その翌日、アジアジと長時間飲んでいるあいだも、いつもより熱っぽく、しんどかったことを覚えている。
 病院で診てもらったら、インフルエンザだと言われた。
 ショックだった。小学校の高学年以来である。数十年という単位でかからなければ、もう一生インフルエンザなどとは無縁だろうと思いこんでしまう。それがここにきて(塾でいえば)受験の直前に罹患してしまったのだ。
 当然、一週間ほど家の中に引きこもって過ごした。
 一昨年の1月26日は、国分寺道場の新年会だった。
 この時は道場に集まり、みんなが酒などを持ち寄って鍋をした。
 筆者は日本酒が好きである。空きっ腹にぐいぐい飲んだのがいけなかったのだろう。急激に回り、酔っぱらった。
 お開きの段階になって、寺嶋先輩とT君が立ち話していたので、床に倒れていた筆者は、ゴロゴロ転がってTの足を蹴りにいったところ、Tもふざけて上からのしかかってきた。
 泥酔していた筆者は何の防御もとれず、床で後頭部を打った。これまで経験したことのない感覚で頭の中がジーンと痺れ、
(これはヤバい!)
 と思った。立ちあがれなかったのだ。大変なことになったんじゃないか、という嫌な感覚は、今でも生々しく記憶に残っている。
 翌日になっても治らず、まっすぐ書いたつもりの板書の文が斜めに流れていたので、これは本格的にまずいことになったんじゃないかと思った。
 身近な人には話しているが、事実、この代償は大きかった。言うまでもないがTに罪はない。100%筆者のせいである。
 そして、去年の1月26日。使用中のパソコンがいきなりプツンと弾けとび、それっきり使用不能となった。よってこのブログも更新できなかった。かろうじてデータは復元できたのだが、焦ったのなんの。詳細は一年前のブログに言い訳がましく書いている通りである。
 これらは全部、1月26日ではないか(と、ふと気づいた)。
 なんなんだ、この暗合は。
 洒落にならないマイナスの出来事が三年連続で同じ日に起こっている! そこには何らかの法則性があるのだろうか。とすると、今年も……!
 いや、そんなのは科学じゃない。もちろん意味などないし、何の根拠もない。ただの偶然だ。そうに決まっている。……と自分に言い聞かせつつ、「今年はどんな不吉なことが起こるのだろう」と戦々恐々と1月26日を迎えたのだった。
 というのは嘘で、完全に忘れていた。いろいろやらなきゃいけないことがあるから。
 もちろん、なにも起こらなかったのである。



2016.1.21

第百九十三回 空手以外の武道経験 

国分寺道場の門下生(少年部をのぞいて)の中には、過去に空手以外の武道、またはスポーツを経験している人が多い。
 筆者の場合は、弓道である。といっても高校時代の部活なので、ずいぶんと前の話だ。
 入学してすぐの四月、どの部活に入るかを考えて、剣道か弓道かで迷った。
 剣道部を見学に行くと、先輩が「やめといたほうがいいよ。きついから」と言う。
 これは「入部するなら、それだけの覚悟がいるよ」という意味で、本気度を測っていたものと受け取れるが、そのときの筆者は、単純にも先輩が消極的な言葉を口にしていることに良い印象を持たず、弓道部に入った。
 武道では、「立ち方三年」と言われる。弓道もしかり。入部してまず教わったのは立ち方だった。
 腰に手を添えて、ひたすら立ち続けるのである。もちろん私語は厳禁。
 弓道は人気の部活で、入部者は男女合わせて三十人ほどいた。それだけの新入部員たちが、四月の放課後、ときどき休憩をはさみながらも、暮れてゆく夕空の下で無言の立ち稽古をつづけているのだ。
 これは数あるクラブ活動の中でも、異様な練習風景だっただろう。
 立ち稽古の期間が終わって実際に弓を引かせてもらえるようになっても、すぐ射場に立てるわけではない。まずは巻き藁に向かって射る。空手だけではなく、弓道にも巻き藁の稽古があるのだ。
 もっとも、その形状はまるで違う。米俵のように太くまとめられたものを横置きにし、その断面に向かって至近距離から射る。まずは正確な射の型を身につけるための稽古である。
 あるとき、筆者は巻き藁から矢を引きぬいた後、その矢を思わず、ブンッと下に振った。
 これは中村主水が刺した刀をぬいた時、血のりを払う動作なのである。意識してマネしたのではなく、ごく自然にそうしていたのだが、これに同級生の部員が目ざとくも気づいた。
「あーっ、おまえ、それ主水のマネやろ!」
 なにしろ必殺シリーズの視聴率がピークを迎えていたころである。巻き藁から矢をぬいた弾みで、無意識のうちに主水の動作を演じる筆者もどうかしているが、それにまた気づく同級生も同級生である。
 いよいよ射場で練習できるようになった頃、同級生の女子が二人、新たに入部してきた。
 ある日、筆者が射た矢を取りに行くと、その二人が的場の横に並んで腰に手を当て、例の立ち稽古をしていた。
 射場に戻って矢を放ち、次に取りに行ったら、なんと、その一人が倒れているではないか。
 ほかの部員が取り囲んでいる中、地面に横たわっていたので、びっくりした。なにが起こったのだろうと思った。
 弓道場の横はソフトボール部が使うグラウンドだった。なんたる偶然か、バッターが高々と打ちあげたフライ球がフェンスをこえて、ひゅーんと落下し、無防備に立ち続けている彼女の頭を直撃したのである。



2016.1.14

第百九十二回 子泣きジジイの真実 

 去年の後半には有名人が相次いで亡くなったが、筆者はその中で、水木しげるの訃報がもっとも衝撃だった。
 およそ我々が抱いている妖怪のイメージは、水木しげるの絵による影響が計り知れないほど大きいのではないだろうか。まったくの架空の妖怪(という言い方は変だけど)ではなく、古来より日本の各地で伝承されてきた物の怪たちを、ほかのどの漫画家ともちがうタッチで描いてきた人なのだ。
 それらは恐ろしくもどこかユーモラスで、愛敬さえ感じさせる姿だった。人外の世界に棲む異形の数々を、忌むべきものとしてではなく、身近で愛すべきものとして描いたところが、もっとも偉大だと思う。また『日本妖怪大全』という分厚い著作など、民俗学の面から見ても名著なのではないだろうか。
 妖怪だけではない。たとえば「水木しげるのサラリーマン」というだけで、多くの人にそのビジュアルが通じるほどの共通認識になっているのはすごい。
 代表作といえる『ゲゲゲの鬼太郎』は何度もアニメ化されており、近作では「萌え」に走るあまり、かの猫娘まで美少女化されているというから驚きに耐えないが、筆者が知っているのは、吉幾三が主題歌を歌っているのと、その前の白黒のやつだった。
 前者はひどい駄作だった記憶がある。後者はずいぶん古い作品で、何度目かの再放送で見ていたが、「牛鬼」の回とか、「あか舐め」と東京湾の底で戦う回など、けっこう怖かった。「オバケは死なない~」と主題歌で歌われながら、鬼太郎はけっこう死にかけのピンチに直面することも多かったのである。
 話は変わるが、ずっと前に国分寺道場で、江口師範に意識による体の変化を教わった。意識の切り替えで、上から押さえてきた相手の腕をすっと持ちあげることができたり、力んでつかまれたのを外したりする身体操作である。
 その中で、人が誰かを背負った場合、背負われた者の意識の有無によって、重さが変わるという現象があることを知った。たとえば、ただオンブするのと、気絶した人や酔っぱらって正体をなくした人を背負うのとでは、あきらかに負荷として体感する重量が変わるのである。人体の神秘というか、じつに不思議なことである。
 それを知ったとき、筆者は場違いにも思ったのだ。
「ははあ、これは子泣きジジイの原理だな」と。
 子泣きジジイとは『鬼太郎』に登場する仲間の主要妖怪キャラクターの一人で、ご存じのように、しがみついているうちに重量が増すジジイである。これなどは前述の原理を、昔の人が妖怪の仕業としてとらえた結果の産物ではないだろうか。
 ほかにも、たとえば「一反木綿」などは、昔の単位でいう一反(約11メートル×36センチだから相当長い)ほどの白い布が、風で飛ばされるかしたのを、たまたま見た人がいたのだろう。それを命あるものの姿としてとらえたのが発端ではないだろうか。
 じゃあ「小豆洗い」は? といえば、ただ小豆を洗っていた人が元ネタではないかと思う。
 じゃあ「ぬりかべ」は? 「砂かけババア」は? と訊かれると大いに困るのだが。